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命ある者・1

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命ある者



 日が沈みかけた頃、人馬が丘の前を駆け抜け風に花の香りを残した。ガラス細工のように繊細で芸術的な容姿を持つ種族≪ガーディン≫特有の香りだ。若い騎手は近くで野草取りをしている≪ヒューン≫には目もくれず、必死の形相で前方を見据え通り過ぎて行く。
 野草を取っていたティナが、立ち上がってそれを見送る。彼女は典型的な≪ヒューン≫らしく、落ち着きの悪い茶色い髪に皺だらけのひび割れた肌をしていた。人間というよりは干乾びた猿に近い姿だが栗色の瞳は心の純粋さを表して澄みきり、十六歳の少女らしく輝いている。
「すてきよねぇ」
 幼なじみのローラが隣にきて、ぼんやりと言う。同じように野草を取っていた女たちも夢心地で、青年の去って行った方向を眺める。
 何人かから、せつない吐息がもれた。それを合図に、皆いっせいに若い≪ガーディン≫について話しだす。
 なんて柔らかそうな蜂蜜色の髪、吸い込まれそうな若葉色の目、雪のように融けてしまいそうな白い肌、それに春のようなよい香り。それにつけて≪ヒューン≫の男は、なんて埃っぽく汗臭く、粗削りで無粋なんだろう。
 できるなら、都(みやこ)まで一年以上もかかるこんな辺境ではなく、≪ガーディン≫の住む美しい都で暮らしたい。そう口々に言い、またしてもせつないため息をもらす。
「あたし、馬の前に飛び出して止めようかな。そして、≪ガーディン≫と一緒に都に行くの」
 村に戻る途中、野草の入った籠を抱えたローラがこっそりとティナに耳打ちした。
「ばかね。そんなまねをしたら≪ガーディン≫に呪われるわよ。馬の蹄にかけられて死んだ女の話、聞いたことあるでしょ」
 自分も同じことを考えていたのを棚にあげて、十六歳のティナは二つ下のローラをたしなめた。ローラはつんとして答える。
「そんなの知ってるわよ。年寄りたちが≪ガーディン≫の怖い話ばっかりするんだから。≪ガーディン≫の邪魔をすると、家畜が逃げたり、作物が枯れたり、悪いことがたくさん起こるようになるっていうんでしょ」
「もっとうまい方法を、考えなくちゃだめよ」
 ローラがにやりとして、ティナの脇腹を小突く。
「思いついたら、あたしにも教えなさいよ」
「わかってるわよ」
 だが、ティナに思いつくのは、≪ガーディン≫の馬の前に飛び出してもうまく蹴られないですむ方法ぐらいだった。



 村に戻るとすぐ集会にくるように言われ、ティナはまた≪ガーディン≫に近づくなという説教かと天を仰いだ。
 村の男たちは、女たちが≪ガーディン≫を見に行くことを快く思っていない。事あるごとに『≪ガーディン≫を煩わしてはならない、用があるときは≪ガーディン≫のほうから使いをよこす』という掟を持ち出してくる。それに対し、女たちは≪ガーディン≫の目に止まるところに行かなければ、侍女に召し上げられ都の美しい城で暮らす栄誉にあずかれないと言いかえす。
 ≪ガーディン≫をこの地で見かけるようになってから、集会はいつも男対女の喧嘩別れに終わった。今日もそうなるのかと、ティナはうんざりする。
 ところが広場に行くと村長のリッマンは≪ガーディン≫のことはなにも言わず、魔獣がこの辺りに潜んでいるらしいと発表した。
 広場に集まった五十人弱の村人の間に恐れが走る。魔獣は大型の獣をさらに大きくしたような姿をしているが、ふつうの獣より遥かに力が強く強暴だ。専門の狩人でもない限り倒すのは難しい。
 それから、村長は後ろに控えていた大柄なよそ者を紹介した。
 村人全員がはっと息を飲む。よそ者はどう見ても≪ヒューン≫ではなかった。肌にはひび割れも皺もなく、背も高すぎる。だが、頑強な体格は≪ガーディン≫のものでもない。彼は、闇のような黒髪と黒い瞳を持つ≪ウォーク≫だった。≪ガーディン≫と≪ヒューン≫の間に生まれた数少ない混血だ。
 今度は驚きの波が広場中に広がる。≪ウォーク≫は≪ガーディン≫の下僕であり、≪ヒューン≫への伝令役だ。いったい、なにを伝えにきたのだろうかと村人たちは静まりかえった。
 ≪ウォーク≫はこの反応にげっそりとした顔をし、広場に集まった二十数人の村人を見まわした。彼は狩人のグラントだと名乗り、≪ガーディン≫の言葉を伝えにきたのではなく、この近くに現れた魔獣を退治しにきただけだと告げる。
 その言葉に村人は動揺した。≪ガーディン≫はいつも≪ヒューン≫に貢物や税を要求するものだ。なのになにもないとは、この村には≪ガーディン≫に仕える権利がないというのか。
 承服しかねる村人のようすに、しかたなくグラントは言った。
「みんなは最近見かけるようになった≪ガーディン≫がなにも言ってこないと心配しているかもしれないが、彼の要求はほっといてもらうことだ。もてなしはいらない。彼に近づかないでくれ」
 これを聞いて、女たちは一斉に幻滅の声をあげた。それでは、≪ガーディン≫のお目に止まることができなくなってしまう。
 それからと、グラントは思い出したように続けた。
「彼を見物するのはやめてくれ。≪ガーディン≫は見世物じゃない。じろじろ見るのは、≪ヒューン≫同士でも失礼だろう」
 女たちは最後の望みまで絶たれて、騒然となった。あの彫像のような姿を見ることまで禁じられるとは。失望のあまり泣き出す女が何人かいた。
 グラントがこの反応に大きくため息をついて後ろに下がると、かわって村長が前に出た。魔獣を退治するまでは門を閉めると全員に言い渡す。
 辺境の村はどんな小さな村も魔物から身を守るために、高く頑丈な石垣に囲まれている。門を閉めてしまえばたいていの魔物は入ってこられないが、許可なく外出もできなくなる。女達は騒ぐ元気もなくなり、投げやりに承知した。



 ティナも他の女達と同じように、すっかりしょげ返っていた。もうじき、雪が降り続く長い冬が訪れ村に閉じ込められてしまうというのに、≪ガーディン≫を見るばかりか外に出る楽しみまでなくなってしまった。早く魔獣を退治してくれないかなと、独りごちる。
 それにしてもなぜ、≪ヒューン≫ではなく≪ウォーク≫がたった一人でこんな辺境まで魔獣を狩りにきたのだろう。それにあのきれいな≪ガーディン≫も、この辺境でなにをしているんだろう。ほっといてくれだなんて、知られてはまずいことでもしているんだろうか。
 自分の思いにひたりながら取ってきた野草を取り分けていると、村長である父がグラントを連れて帰ってきた。
「ばかな娘と一緒ですが、今日はここで我慢してください。明日までには、空き家を住めるようにしておきます」
 そうリッマンは言い、ティナを仰天させた。
「ええっ、うちに泊まるの」
 つい叫んでしまい、父ににらまれる。
「相手は≪ウォーク≫なんだぞ」
 グラントに聞かれないように、小声で叱る。
「そうじゃなくって、部屋は汚いし、食べ物だってろくなものがないわよ」
 ティナの声は、うわずった。≪ウォーク≫が≪ヒューン≫の家に泊まるなんて聞いたこともない。≪ウォーク≫ってなにを食べるんだろう。
「なんだって、かまわないさ」
 グラントが気さくに言う。
寝られりゃどこでもいいし、食べ物だってあんたたちが食べてるものでいい。≪ウォーク≫だからって、気を遣うことはないさ。食べ物がないなら、獲物を捕ってくる」
 リッマンは馬鹿なことを言うからだと、ティナを小突いた。
「一人ぐらいの食事は、どうにでもなります。こんな家でよければ、ゆっくりとおくつろぎください」
「そっちこそ、くつろいでくれよ」
 グラントはいたずらっぽい光を目にちらつかせ、緊張で硬くなっているリッマンに言う。ティナは思わず、くすりと笑った。
「≪ウォーク≫に会ったことありませんけど、グラント様って変わってますね」
 正直に感想を言い、またリッマンに小突かれた。グラントが愉快そうに笑う。
「そのとおりさ」



 翌日、村はグラントの話で持ちきりだった。村の誰もが、≪ウォーク≫が≪ヒューン≫の村に滞在するなどと言う話を聞いたこともなかった。どうもてなせばいいのか、まったくわからない。男たちは粗相をして怒りを買ってはと蒼白になり、女たちは≪ガーディン≫に会えなくても≪ウォーク≫の目に止まれば侍女にしてもらえるかもしれないと考えを改め、めかしこんだ。
 今度は男たちも浮かれる女たちを怒ろうとせず、この村で美人とされる女二人にグラントのもてなしをさせることにした。



 グラントが昼過ぎにやっと起き出すと、≪ガーディン≫の化粧を真似て質の悪い白粉を顔にたっぷりと塗りたくった女たちが出迎えた。青い染料はまぶたを痣のように彩り、大きく唇の薄い口は生き血を飲んだ後のようだった。笑みを浮かべると、顔の皺につまっていた白粉がぼろぼろとはげ落ちる。≪ガーディン≫の醜悪な戯画だ。
 グラントは魔物が≪ガーディン≫を侮辱するときに使う姿を連想し、思わず後ずさった。
 なぜ、田舎者の≪ヒューン≫は≪ガーディン≫のまねをすれば、気に入られると思うのだろう。もし、この場に≪ガーディン≫がいれば、愚弄するのかと迷いもなく二人を殺すというのに。
「おいおい、やめてくれよ」
 グラントが二人に化粧を落とし普段の姿をするように言うと、二人はこれが一番きれいな姿だと泣き出しそうな顔で言った。
「≪ガーディン≫を真似るのは禁じられているんだ。≪ガーディン≫に見られたら、殺されるってことを知らないのかい」
 二人の≪ヒューン≫は、猿のように飛び上がった。辺境に住む≪ヒューン≫ほど動物めいているが、この村の≪ヒューン≫はまるで毛のない猿だ。
「殺されるっ、殺される」
 すっかり怯えてしまった二人は、小動物のような甲高い声で叫びながら外に飛び出して行く。グラントは唖然とした。この≪ヒューン≫たちは愚かすぎだ。
「おれが殺すとは言ってないだろう」
 すぐに血相を変えたリッマンが現れ、なにか気に障ることがあったのかと尋ねてきた。殺されると思っているらしく冷や汗をかき、全身を震わせている。ティナが転がるように走ってきて、父親にしがみつく。
「殺さないで」
 ティナの言葉にグラントは頭を振った。
「おれは誰も殺さない」
 何事かと遠くからようすを見ている≪ヒューン≫たちにも、聞こえるように大声で言う。ティナはなんだというように父親から離れ、リッマンも安堵の息を吐いた。
「なら、なにがあったんですか」
 ティナが、聡明そうな澄み切った茶色い目でグラントを見る。彼女はまったく普段通りの姿をしていた。グラントは一人でもまともな≪ヒューン≫がいたのかとほっとし、今あったことを話した。
「あの二人は頭が悪いんです。いつも騒ぎをおこすわ」
 彼女らしく率直に言い、リッマンが口に気をつけろと叱る。
「別の者に世話をさせます」
 リッマンが恐縮がる。グラントはティナを指差した。
「彼女じゃだめなのかい」
 ティナは見るからに困った顔をし、リッマンは面食らった顔をした。
「お気づきのとおり、この子は、まだ子供で態度が悪すぎます」
「率直なのがいいのさ。いやかい」
 ティナは断ろうとしたが、リッマンが先を制す。
「いえいえ、仰せのとおりにいたします」
 グラントの機嫌を損ねまいと、リッマンは慇懃に言った。



「なぜ、≪ヒューン≫の村に行ったんだ。あんなところに行っても、面倒な事になるだけだ」
 木漏れ日の中で、馬上から金髪の≪ガーディン≫が言った。秋の風に枝が揺れ、木の葉がはらりと落ちる。
「おまえのかわいい魔獣が村人を襲ったら、申し訳ないだろう。ダリン」
 大木に寄り掛かり、軽く腕を組んだグラントが答える。ダリンは鼻で笑った。
「≪ヒューン≫を守るだって。あいつらは≪ガーディン≫が奴隷にするために、改良した動物じゃないか。そんな奴らが、生きようが死のうが知ったことじゃない。ルビーが怪我をすることの方が心配だ」
 誰よりも美しいルビー。艶やかな黒髪に、宝石のような赤い瞳。最愛の恋人。
 ついこの間まで、彼女のどこにも変わりはなかった。それが突然、原因不明の奇病にかかり、魔獣と化す。狂暴な獣となったルビーは都から逃げるように、辺境に行ってしまった。
「そういう考えは、おれもルビーも嫌いだな」
 ダリンはつい偏見を口にしてしまったことに気づいて、顔をしかめる。グラントの死んだ母は、≪ヒューン≫だ。グラントの妹であるルビーは後妻にもらった≪ガーディン≫との子どもだが、偏見のない父親の影響で≪ヒューン≫を見下したことは一度もない。
「そうだったな。悪かったよ」
「まぁ、おまえは血の混じったおれを対等に扱ってくれる数少ない≪ガーディン≫だからな。≪ガーディン≫の中じゃ、ましな奴だよ」
 人懐こい笑みを見せて、馬上のダリンを軽く叩く。たいていの≪ガーディン≫は、混血を下僕としてしか扱わない。
 ダリンは、首を横に振った。
「ルビーを元に戻せなければ、自分をましな奴とは思えないな」
「あきらめろ、ダリン。魔獣になってしまった者は、殺すしかないんだ」
 その言葉はダリンばかりでなく、自分にも言い聞かせているようだった。
「自分の妹を殺すのか。そんなことはさせない」
 ダリンが毅然として言う。
「あいつは魔獣のまま、生きたいとは思わない」
「殺させなんかしない」
「だとしたら、どうするつもりなんだ」
 心配げなグラントの問いに、ダリンはふっとかき消えてしまいそうな笑みを見せた。
「おれが殺す」




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