命ある者・2

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命ある者



 グラントが魔獣を狩りに行ってしまうと、村長に言われた通りティナはグラントのために用意された家を少しでもきれいにするため磨き始めた。例え、ナンナとカナがグラントの世話を外されなくても、彼女たちがこんな大変な仕事をさせられることはないだろうなと考え憂鬱な気分になる。美人だからと、いつもあの二人は特別扱いだ。
「手伝ってあげるよ」
 ローラが嬉しそうにやってきて、繊維質の多い実でテーブルを磨きだす。
「あんた、こんなことするのいやじゃないの」
 ティナが、陽気なローラをうらやましそうに見る。
「きれいにしたら、いい侍女になれるってグラント様に気に入れられて、都(みやこ)のお城に連れて行ってくれるかもしれないじゃない。ティナ、あんた、グラント様に選ばれたのに、なんでそんな嫌そうな顔をしてるの」
「だって、ナンナたちが恨んで、男たちをけしかけるのがわかってるもの。都に行かせないようにどんないやがらせをするか、わかったもんじゃないわ」
 ローラは両手を腰にあて、口を曲げた。
「あの二人、いつも騒ぎを起こすのに、村から追い出されないのよね。誰とでも寝るもんだから大事にされちゃって。ああ、いやらしい」
 おおげさに身震いしてみせる。
「でも、≪ウォーク≫に仕える邪魔まではしないでしょ。グラント様まで怒らせるかもしれないもの」
 ティナは疑わしげにそうかなぁと言った。
「あの二人、まだ≪ガーディン≫の真似してるのよ。やめろって言われたのに」
 それを聞いてローラは、顔をしかめた。
「そのうち、グラント様が罰するわよ。いい気味だわ」



 夕方までにはティナはローラとともにすっかりと家をきれいにし、食事も作ってグラントの帰りを待っていた。だが、グラントが戻ってきたのは星が瞬き始めた頃だった。あまりの遅さに、ローラはとっくに帰っている。
「そんな怖い顔をすると、また、みんなが殺されるんじゃないかって怖がりますよ」
 眉間に皺を寄せたグラントの顔を見て、ティナは言った。グラントは、言われてはじめて自分が険しい表情をしていたことに気づいたようだ。
「すまん。いらいらしていたんだ」
 大きく息を吐き、いらだちを追い払う。
「巣まで見つけたのに、魔獣が見つからなかったんだよ。早く捕まえたい。都からずっと追いかけてきたからな」
「ずいぶん、遠いところから来たんですね」
 ティナは都はどんな美しいところだろうと、夢見るように言った。
「都ってすばらしいところなんでしょう」
「情報の少ない辺境に住んでいる連中は、皆そう思うらしいな。実際は、陰謀と裏切りでいっぱいの危険なところだよ。辺境のほうが安全で平和に感じるぐらいだ。とても憧れるようなところじゃない」
 ティナは初めて聞く都の悪い話に、面食らった。村で聞く夢のような話と全然違う。
「でも、きれいな服とかおいしいものがあるんでしょう」
「あっても≪ヒューン≫の手には入らない。すべて≪ガーディン≫のものさ。ティナ、都では、≪ヒューン≫は家畜以下の扱いをされるんだ。いいことなんてありゃしないよ。もし、きみが≪ガーディン≫の目に止まるようなことになったら、殺されると思ったほうがいい」
「そんな話、聞いたこともないわ」
「都には、きみの知らないことがいろいろあるんだよ。さて、一休みしたらもう一度、出掛けるから、村長に伝えておいてくれ」
「こんな時間に。夜は魔物が出て、とても危険ですよ」
 夜を徘徊するおぞましい魔物たちを思い浮かべ、ティナは身震いをする。グラントは、魔物を怖がるでもなく平然として言った。
「だからこそ、今がいいのさ」



 家に帰ろうと外に出ると、空が曇り始めていた。もうすぐ雨が降るだろうとティナは思い、安心する。魔物は雨を嫌う。これなら、今夜、魔物は出てこないだろう。
 自分の家に入ろうとしたとき、ティナは声をかけられた。納屋の暗がりからロンが呼んでいる。十八歳になったばかりのロンは、ナンナに夢中で彼女の気をひくためにはなんでもする。ティナはあーあと声にだして言い、このまま無視して家に入ろうかと考えた。
 ティナが動かないでいると、ロンの方がやってきた。
「いいか、ティナ。村長に、≪ウォーク≫の世話は、ナンナにさせるように言うんだ。でないとひどいめにあうぞ」
 ロンが声を潜めて、ティナを脅す。本気で言っているようだ。それでも、ティナは負けじと言い返した。
「あのね、ナンナが都に行ったら、あんた、二度と会えなくなるのよ」
 血の気の多いロンは、そこまで考えていなかったらしく、たやすくたじろいだ。
「そんなことより、≪ガーディン≫のかっこを真似するのをやめさせなさいよ。彼女、≪ウォーク≫の言葉に逆らってるわ」
 ロンはぎくりとし、弱々しく弁解口調で言った。
「ナンナが、きれいなかっこでいたがるんだ。やめろって言うと、泣くんだよ」
「だったら、殺されるしかないわね。言っとくけど、≪ウォーク≫には、きれいなかっこに見えないみたいよ」
 容赦なくティナは言い、ロンは冷や水を浴びせられたように真っ青になった。ティナはナンナたちが差し向けてきたのが組し易いロンでよかったと、胸をなでおろした。ナンナの頭では、誰に頼めば効果的か考えることもできないのだろう。



 白く輝いていた月が陰鬱な雲に遮られ、それまで見えていた道が闇の中に溶けていった。水をふくんだ冷たい風が吹き、やがて雨がくることを知らせる。
 ダリンは馬を止め、松明に火をつけた。その光に驚いたのか、馬が激しくいななく。なだめるが、馬は目をぎょろぎょろとさせ落ち着こうとしない。彼は近くになにかいるのだろうかと松明を掲げ、辺りを見回した。
 視界の隅にちらと黒い影が入り、逃げるように消えた。
「ルビー?」
 まさか自分からやってきたのかと信じられぬ思いに捕らわれながら、闇の中へおそるおそるその名を呼ぶ。低いうなり声が、まるでいらえのように返ってくる。
「ルビー」
 ダリンは急いで手綱を木にくくりつけると、うなり声の方に向かった。それは、茂みの後ろで猫科の動物のように身を低くして身構えていた。松明の光にその艶やかな黒いたてがみや血のように赤い瞳が照らしだされても、魔獣は逃げ出そうとしない。かわりに牙を剥き、威嚇する。
 思わず、ダリンの手が剣の柄に触れた。頭の中で二つの考えが交錯し、剣を抜く手が止まる。グラントに言ったようにルビーを殺すか。それとも、殺されるか。
 昼間、森に作った巣の中にいるルビーを見つけたときもダリンは迷った。その隙にルビーは逃げ、決断は先送りとなったが今は逃げるそぶりもない。ただ、ダリンを見上げ、激しくうなるばかりだ。
 両者は目を合わせたまま、身じろぎもしない。松明の光が生き物のようにゆらゆらと揺れ、互いの姿を闇に消し光に現した。雨がぽつりぽつりと降りだす。
「なぜ、襲わない。おれがわかるのか」
 雨が激しくなる中、いつまでたっても飛び掛かろうとしない魔獣に、ダリンは言った。魔獣は咆哮し、内なる葛藤と戦うかのように激しく頭を振った。その赤い目に涙がこぼれる。それとも雨が入っただけなのか。やがてルビーは大地に転がり、手足をばたつかせた。
「ルビー」
 ダリンは危険であることも忘れて、駆け寄った。
「どうした。苦しいのか」
 するどい爪が傷つけるのもかまわずに、ルビーを抱き締める。魔獣は喘ぐように口を大きく開け、痙攣した。
「ダリン、離れて」
 女の声とともに矢が魔獣をかすめ、ダリンは驚いて顔を上げた。雨の中、松明も持たずに弓をかまえた女が立っている。
「誰だ」
「わたしよ。グレイシア」
 女が松明の光が届くところまで、やってきた。頼りなげな光に、赤銅のような色の髪とくすんだ茶色の瞳がぼんやりと見える。都に住んでいる≪ガーディン≫の一人だ。だが、よほどのことがなければ、≪ガーディン≫が辺境に来ることはない。ましてや、女が来ることなどないはずだ。
「グレイシア、どうしてここに。連れの者はどうした」
 暗闇に目を凝らすが、他には誰もいない。
「いないわ。一人よ」
 グレイシアが、なんでもないことのように言う。
「正気か。都の者は、誰も止めなかったのか。よく無事でここまで来られたな」
「わたしに逆らえる者なんていないわ。あなたを心配して追ってきたのよ。早く離れて、危険だわ」
 グレイシアが弓を構え直すと、ダリンの腕の中でルビーの痙攣がぱたりと止まった。グレイシアに向かって、一声吠える。
「危険じゃない。病気が治るかもしれない」
 ダリンはルビーを抱き直し、グレイシアからかばった。ルビーは、グレイシアにうなり続ける。
「治らないわ。医者が言ったじゃない。その病気は決して治らないって」
「治す方法がわからないだけだ」
「治るわけないわ」
 グレイシアがきっぱりと言い切る。
「どうして、おまえにそれがわかる。グレイシア、なにか知っているのか」
「ねぇ、ダリン、その女を殺して。そうしたら、わたしがその女のことなんか、忘れさせてあげるわ」
 グレイシアが妖艶な笑みを見せて、両手を広げる。ルビーが吠えた。ダリンから離れ、グレイシアに飛び掛かる。すばやく、グレイシアが矢を射った。ルビーは空中でふわりと避け、そのまま、雨の中に去って行った。
「ルビーッ」
 雨が激しく視界がきかない。追いかけようとしてすぐに見失ってしまったダリンは、ひたすら、闇に向かってルビーの名を呼んだ。グレイシアが、それをやめさせようとする。
「あんな田舎女のどこがいいの」
 ダリンは無言でグレイシアの弓を取り上げ、二つに折った。
「なにをするのっ」
 グレイシアが仰天する。
「おまえに、ルビーを殺させない」
「ねぇ、ダリン、わたしの方がすばらしいって教えてあげるわ」
 媚びる声に耳を貸さず、ダリンは馬の手綱をとった。ダリンが興味を示さないことに焦ったグレイシアは、切り札を持ち出した。
「わたし、≪ガーディン≫の失われた力を蘇らせたのよ」
 狙い通り、ダリンは振り向いた。
「そうか。おまえはそのことを研究してたからな。それを疑うべきだった」
 納得したようにダリンが言う。
「なにが」
「わたしに逆らう者はいないか。おまえは都で何をした。≪ガーディン≫の力を使って君臨したのか。ルビーのことも、おまえに関係があるんだろう」
 グレイシアが凍りつく。ややあって吐き出すように言った。
「そうよ。あなたがわたしに見向きもしないから、邪魔なルビーを魔獣に変えてやったの。なのに、あなたはルビーを追って辺境に行ってしまった。だから、都をわたしのものにした後、あなたを追ってきたの。今では、わたしが都の女王。誰もわたしに逆らえないわ。あなたもそうよ。ルビーを元に戻したいのなら、わたしのものになるのね」
 ダリンは観念したように馬から離れ、グレイシアに近づく。グレイシアは勝ち誇った笑みを浮かべた。その顔が驚愕に変わる。ダリンの剣が背中まで突き抜け、グレイシアの口から血がこぼれた。
「わたしを殺したら、ルビーを戻せなくなるわ」
 ダリンは無言のまま倒れかかるグレイシアを突き放し、首をはねた。なおもグレイシアは口を開く。
「どうして、わたしを殺すの」
「都の女王とはな。≪ガーディン≫の中の≪ガーディン≫、誇り高いリューテシド家のおれが、謀反を許すと思ったのか」
 冷酷に、剣が頭部を切り裂いた。動かなくなったグレイシアの身体に、雨が降り注ぐ。




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