命ある者
3 グリックルの村を出てすぐに降りだした雨は、夜明け近くになってようやくやみそうな気配をみせた。グラントはもっと早くやめばこんなに濡れずにすんだものをと文句を言いながら、村の西にある廃坑に入っていった。この鉱山が栄えていた頃は、グリックルの村もさぞかし華やかだったろう。 魔獣が見つからない以上、無茶なことをしないようにダリンを見張ったほうがいいと考えたグラントは、ここで野宿をしているはずのダリンを捜した。名門の≪ガーディン≫がこんなところで野宿をしていると、他の≪ガーディン≫が知ったら、卒倒するに違いない。 明け方近いというのに、廃坑にダリンの姿はなかった。彼の身になにかあったのだろうか。 たき火の後を見つけ火を点けようとしたとき、石の崩れる音が坑道内に木霊した。誰かが、廃坑に入ってきたようだ。 「ダリン」 松明を掲げると、大きな猫のような黒い姿が闇の中へ隠れた。獣の脅えたような声に、グラントは剣を抜く。 「ルビーか」 松明からたき火に火をつけると陰の中に潜んでいた魔獣が光の中に現れ、まぶしげに目をそらす。 「なぜ、ここに来た。ダリンに会いに来たのか」 魔獣が、寂しげに小さく鳴く。全身びしょ濡れでみすぼらしい。 「おれの言うことがわかるのか」 またしても、救いを求めるような鳴き声。グラントは構えていた剣を下げた。 「ルビー、もしかして」 グラントが近づこうとしたそのとき、突如、ルビーは咆哮し、彼に飛び掛かった。 鋭い爪に右肩を切り裂かれ、グラントは剣を取り落とした。再び、ルビーが飛び掛かる。グラントは、すかさず魔獣の首を捕らえ、その首をへし折ろうとした。ルビーは、逃れようと全身で暴れる。手足の届くところすべてを引っ掻き、グラントの首に牙を立てようとする。 「やめろ」 廃坑に帰って来たダリンが、二人を止めた。ダリンの声に、ルビーの力が緩む。その隙にグラントが組み伏し、首を絞め直す。 「離すんだ」 ダリンが、グラントの手をほどこうとする。グラントの力がわずかに緩んだ瞬間、爆発的な力で魔獣はグラントを跳ね飛ばし、ダリンにのしかかった。ダリンの首に牙がかかる。 グラントは悪態をついた。転がったまま剣を拾い、ルビーに投げつける。狙い過たず突き刺さり、魔獣は、ダリンを離すと廃坑の外へ逃げ出した。 頭を打ったダリンが、朦朧としながら起き上がる。噛まれた首から血は流れていたが、ルビーに噛みちぎるつもりはなかったらしくかすり傷程度しかない。 「ひどいざまだな」 ダリンは、よろめくようにたき火のそばに腰を下ろし、同じように反対側に腰を落ち着けたグラントを見て言った。魔獣との格闘のせいで、服はぼろきれのようになり血まみれだ。右肩の傷が特ににひどい。 「お互い様だ。無茶しやがって」 ダリンも全身濡れ鼠で、白かったブラウスは裂け赤く染まっている。だが、グラントほどひどくはない。 「それはそっちだな。おれは魔獣相手に、素手で取っ組み合いなんかしない」 「おまえが邪魔しなきゃ勝てたさ」 強がるグラントに、ダリンは首を横に振った。 「ルビーは病気じゃないんだ。殺す必要はない」 「なんだって」 「グレイシアがやったんだ」 ダリンは、グレイシアを殺すまでをかいつまんで話した。 「無防備な女を殺したのか」 グラントが驚いて叫んだ。なんという卑劣なことをとダリンを責めるが、彼はしかたなかったというように肩をすくめただけで悪びれもしない。 「力を蘇らせていたんだ。不意を狙わなければ、こうも簡単に殺せない」 「しかし、殺さなければ、戻す方法がわかったのに」 「必要ない。すでにルビーは戻りかけている。その証拠におれは殺されなかった。この傷もどれも浅いものばかりだ。おれがわかるんだ」 グラントは顔をしかめた。 「おれは殺されかかったぞ。兄貴だとわかってやったのなら、大問題だ」 ダリンが声をたてて笑う。 「笑い事じゃないぞ」 「悪かった。まだ、心の中で、獣の部分が勝っているんだ。いずれ、ルビーは自分を取り戻す」 「どうして、それがわかる?」 「リューテシド一族にそういう力を持っている者がいた。おれは、おれの一族だけが本来の≪ガーディン≫の力を保持していると教わっていたから、ルビーのときは本当に病気だと思ったんだ。単に能力があっただけなのに」 「おまえも、魔獣になれるのか」 グラントがおそるおそる聞く。 「なれれば、ルビーが魔獣になったときになっていたさ。おれにその才能はないんだ」 「おまえから、才能がないなんてことを聞くとは思わなかったな」 「由緒正しいリューテシド家の生き残りだからって、万能なわけじゃない」 「魔獣だぁ」 夜の見張りに立っていた村人が、喉が破れんばかりの声で叫ぶ。そろそろ起きなくちゃと堅いベッドの中で考えていたティナは、慌てて外を見た。武器を手にした男達が、石垣の方へ駆けていく。荒々しく猛り狂った魔獣の咆哮が朝の静寂を破り、ティナの心臓は凍りつきそうになった。 続いて頑丈な石垣にぶつかる音が響き、村が揺れる。魔獣は石垣が生きた敵であるかのように、牙を剥き出して咆え何度も体当たりをする。壊れないはずの石垣が少しずつ崩れていった。 ティナは、どこに逃げればいいのだろうと目をきょときょとさせた。あの丈夫な石垣を壊すぐらいだ。粗末な木の家に隠れても、簡単に壊されるだろう。 唐突に、悲鳴が上がった。ついに石垣が崩れ、魔獣が村の中に躍り込んだ。村人が散り散りに逃げ惑う。 魔獣は目にしたものすべてに、爪をたて牙をかけていった。行く手をはばむ家屋は木の葉でできているかのようにたやすく粉砕し、逃げ損ねた村人はぼろぼろになった人形のごとく食いちぎられ振り回される。 魔獣がこちらに向かってくるのを見て、ティナは慌てて家から飛び出した。たちまち、破片が辺り一面に飛び散り、ティナは転んだ。家だったものが、雨のように降ってくる。頭を上げると、魔獣は村人をくわえ振り回しているところだった。勇敢な男たちが斧や槍を構え魔獣を取り囲んだが、くわえられた村人が邪魔で攻撃できないでいる。 「グラント様はどこだ」 誰かが叫んだ。ティナは、グラントがまだ村に戻ってきていないのかと、愕然とした。まさか魔獣に殺されたわけじゃ。 「呼んでくる」 ティナは、グラントが慣れぬ土地でいまだに魔獣を捜し回っているのだろうと考え直し、迎えに行こうと走りだした。 崩れた石垣から外に出ようとしたとき、魔獣顔負けの形相をしたカナが立ちはだかり、ティナをいらただせた。いくら恨んでいるとはいえ、こんなときに邪魔をしてくるなんて。 「どいてよ」 カナを押しのけ通り過ぎようとしたとき、ナンナも現れ二人に突き飛ばされた。 「なにすんのよっ」 立ち上がろうとしたとき、首筋に生臭い息を感じ心臓がひとつ大きく打った。魔獣の乳白色の牙が間近に迫り、その赤い口に吸い込まれるように意識が遠のいていく。 「いったい、これは」 昼近くになってグリックルの村に戻ってきたグラントは、破壊された村を見て立ちすくんだ。大きな獣の跡を見つけ、魔獣の仕業とわかる。彼は悪態をついた。ルビーは、昨夜、廃坑から逃げた足で村を襲ったらしい。あのとき止めを刺していれば、こんなことにはならなかった。 生き残った村人が力なく死体を片付け、怪我人の手当をしている。いたるところから、うめき声やすすり泣きが聞こえてきた。 「すまない。夜は村にいるべきだった」 打ちひしがれ背を丸めた村長を見つけ、グラントは謝った。村長は責めるでもなく、生気の失った目でグラントを見る。その目は、涙が出尽くした後のように渇き切っていた。 「ティナは」 もしやと思い、グラントは言った。 「魔獣に食われました」 かろうじて聞こえる声で答えが返ってくる。グラントは目を閉じた。聡明な子だったのに。 「あたし、見たわ。ナンナとカナが、魔獣の前に突き飛ばしたのよっ」 いつの間にか、そばにきていた少女が全身を怒りに震わせ、グラントに言う。 「あの二人を罰するべきよ」 村長が険しい顔で、少女を見た。 「ローラ、本当か」 ローラは勢いよくうなずいた。 「ティナは自分がグラント様の世話をすることになったから、ナンナたちに恨まれるんじゃないかって気にしてたのよ」 そのとき、この場にはふさわしくない嬌声が聞こえてきた。まだ白粉を塗っているナンナとカナが、元気よく走ってくる。 「グラント様ぁ、あたしたちが、お世話します」 二人はあきらかにティナがいなくなったことを知っていて、喜んでいるようだった。グラントの胸が悪くなる。 「おまえたちが、ティナを殺したのか」 村長が≪ウォーク≫がいることも忘れ、烈火のごとく怒鳴った。二人がたじろぐ。 「だって、ティナがあたしたちの仕事を取るから」 それが正しいことだと言うようにカナが言い、村長の顔は怒りで真っ赤になった。 「今すぐ村を出ていけ。二度と戻ってくるな」 村長は、鋭く村の外を指さした。カナは地面に座りこんでしまい、ナンナは大声で泣き出した。 「行かないなら、ここで殺してやる」 村長が棒切れを振り回すと、二人は一目散に逃げ出して行く。成り行きを見ていた男が彼女たちの後を追おうとしたが、リッマンは木切れを投げつけてやめさせた。 「ナンナとカナをかばおうとしたやつは、だれであろうと追放だ」 村中に響けとばかりに、大声で叫ぶ。村長の気迫に押され、だれも意義を唱えなかった。それから、グラントに向かって言う。 「娘の仇をとってください」 グラントはうなずき、村を出た。 なにかに体を引きずられていた。ティナはなにがどうなったのだろうと目を開け、魔獣に引きずられていることに気づいた。慌てて悲鳴を飲み込む。気を失ったおかげで死んだと思われ、止めをさされずにすんだらしい。再び目を閉じ死んだふりをしようとするが、心臓が魔獣に聞かれるのではないかと思えるほど激しく打ち、全身ががたがたと震えてしまう。 魔獣はティナの異変に気づいたのか、引きずるのをやめ匂いをかぎだした。ティナはどうやって食べられる前に逃げ出そうか、目まぐるしく頭を回転させた。頬を生暖かい舌がなめ、思わず、悲鳴がもれる。 魔獣は獲物が動いたことに、驚いて後ずさった。ティナはこの隙に跳び起き、走りだす。木の根に足を取られた。昨夜の雨でできた水たまりの中へ転ぶ。魔獣に噛み付かれることを予期して硬く目を閉じたが、いつまでたっても、魔獣は襲ってはこなかった。 おそるおそる振り向くと、魔獣は苦しげに何度も頭を振っている。それから、獲物をここまで運んできたことを忘れてしまったのか、はじめて見るもののようにティナを見る。ティナはこのまま興味を失ってくれるといいと思いながら、息をひそめて魔獣の動きを見守った。 やがて、魔獣は行けというふうに頭を振り、立ち去った。襲われずにすみ、ティナの全身から力が抜けていく。 ルビーは川辺へ行き、猫のような優雅さで水を飲みだした。昨夜、グラントから受けた傷は、驚異的な回復力のおかげで治っている。それと同時に、血の色でかすんだ爆発的な怒りも収まっていた。 何の前触れもなしに、≪ヒューン≫の村を襲った記憶と、心を切り裂かれるような痛みが襲ってきた。苦しみのあまり、大地を転がりまわる。と、唐突に痛みは去り、魔獣は頭を振って毛繕いを始めた。 ふと、人の気配に顔をあげる。不快な感じのする人間が近づいてくる。全身の毛が逆立つ。人間は細みの剣をすらりと抜き、身の危険を感じたルビーは威嚇するようにうなった。 「憎らしい、ルビー。あなた、そろそろ元の姿に戻るでしょう。だから、殺しにきたわ」 言いざま、人間が走る。ルビーも、ひらりと跳躍する。かぎ爪と剣が日の光にきらめき、ルビーはどうと地面に倒れた。胸から鮮血が吹き出し、口から血を吐く。胸に短剣が刺さっていた。人間が細身の剣で爪を受け、もうひとつの手で短剣を投げたのだ。 「あら、弱いこと。あっけないのね。わたし、死ぬことで、≪ガーディン≫の真の力を思い出したの。研究だけでは得られない本当の力」 人間が笑う。死にかけたルビーは、唐突にその人間が、≪ガーディン≫のグレイシアだということを思い出した。人間の頃の記憶が急速に蘇り、それとともに姿が人に戻っていく。 ああ、ダリンはどこ。 ルビーは愛しい金髪の≪ガーディン≫を捜したが、どこにも見当たらなかった。 グレイシアがうつ伏せに倒れているルビーを足で転がし、仰むけにする。 「死ぬまぎわになって、戻ったのね。あなたに、わたしと同じことができるかしら。死の淵から蘇るの。わたしは、今夜、ダリンを殺しにいくわ。それまでにあなた、蘇って助けにこれるかしら。いいえ、必ずくるのよ。わたしが、ダリンを殺すところを見せてあげる」 グレイシアは勝ち誇った笑いをあげながら、その場を離れた。身じろぎもしないルビーの目から、一筋の涙が流れる。
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