命ある者・4

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命ある者



 また、気を失っていたらしい。ティナは起き上がろうとして、全身が痛むことに気づいた。調べると服はぼろ布のようになり、全身は泥と血にまみれていた。ひどいざまだ。これではどこに傷があるのかわからないが、とりあえず、大きな怪我はなさそうだった。
 身を切るような冷たい風が吹き、体が震えた。水たまりの中で気を失っていたために、すっかり冷えきっている。このままでは凍えてしまう。どうしようかと辺りを見回すと、ここが見慣れた森であることがわかった。この先の川を下っていけば、すぐに村につく。
 木々の間から見える太陽はかなり高い。魔獣がいなくなってから、ずいぶん時間がたっている。火を焚いて暖まりたかったが、魔獣が戻ってくる前に逃げなくては。
 歯をがちがちと言わせながら、歩きだした。幸いなことに川には日があたり、体が少しずつ暖まってくる。
 ティナは川岸に倒れた人影を見つけ、足を止めた。遠くからでも≪ガーディン≫だとわかる。最近よく見かける≪ガーディン≫ではなく、見たことのない女性だ。魔獣に襲われたのだろうか。
 おそるおそる倒れている女性に近づいた。まだ生きている。大理石のような白い肌が、長く艶やかな黒髪と黒いドレスにとてもよく映えている。印象的な深紅の瞳が、救いを求めるようにティナを見た。とてもやさしそうな人だ。
 ティナは安心させるようにほほ笑み、傷を見た。短剣が柄まで刺さっている。とても助かるとも思えなかったが、すがるような瞳に見つめられ彼女は手当を始めた。



 魔獣の足跡は森へと続いている。なにかを引きずった後があり、グラントはそれが魔獣に連れ去られたティナだろうと見当をつけた。森がとぎれる前にひきずった後は終わり、魔物は森の奥へと方向を変えていた。予想していたような食い散らかされたティナの死体はなく、かわりに≪ヒューン≫の足跡があった。グラントは眉をあげた。ティナは死んではいなかったらしい。足跡は川へと向かっている。血の跡がないところを見ると大きな怪我もしていないらしい。



「グラント様、大変です」
 川へ出ると、泥だらけのティナが駆けよってきた。グラントは思わずティナを抱き締め、≪ヒューン≫を驚かせた。
「よかった。死んだと思われてたんだぞ。すぐに村に戻るんだ。父さんが心配している」
「でも、≪ガーディン≫が怪我をしているんです」
 ティナが川岸を指す。グラントはダリンが怪我をしたのかと足を急がせたが、川辺に横たえているのは黒髪の≪ガーディン≫だった。
「ルビー」
 我が目を疑いながら、人の姿に戻ったルビーのそばにひざまずく。胸に粗末な布を巻かれたルビーは、意識がなかった。
「知ってる人なんですか」
「ああ、おれの妹だ。もう魔獣はでないよ」
「殺したんですか」
 事情を知らないティナは、喜んだ。
「そんなところだ」
 グラントはルビーの傷のようすを見ると、抱えて立ち上がった。廃坑へ向かって歩き出す。一刻も早くダリンに会わせてやりたい。
「村で手当てしないんですか」
 ティナが村はこっちだというように、村のある方向を指差す。
「こいつに会わせたい人がいるんだ。きみは、もう魔獣はでないと村長に伝えに行ってくれ」
 ティナは早く良報を知らせようと、足取りも軽く村へ走り出した。



 外から見る村は石垣が一部壊れているだけだが、中にはいると惨い有り様だった。まともに建っている家は一つもなく、死体があちらこちらに散らばっている。
 村は異様なほどに静まりかえっていた。ティナは父の名を呼んだが、返事はない。
 冷たいものが、背筋を走る。ティナは大声で村人たちの名を呼びながら、生存者を捜した。みんな、死んでいた。父も、仲のよかったローラも。単細胞のロンも。
「魔獣はもう出ないって言ったのに」
 ティナは父の死体にすがりつき、泣き出した。村の生き残りは、ティナだけになってしまった。これからどうすればいいのだろう。
 ティナは父の最後の姿を目に焼き付けようと、じっくりと見た。なにかが変だった。魔獣に殺されたにしては、傷がきれいすぎる。まるで鋭い剣で刺したようだ。
 ティナははっとしてローラの傷も見た。やはり、剣の傷だ。他の死体も改め、半分以上の者が剣で殺されたことがわかった。
 いったい、誰が。魔獣の他に、誰がこんな小さな村を襲うというのか。
 ≪ガーディン≫だ。
 ティナは、グラントの言葉を思いだした。彼は≪ガーディン≫の気に障れば、簡単に≪ヒューン≫を殺すと言っていた。きっと、≪ガーディン≫の真似をしたナンナたちを見て、怒った≪ガーディン≫が皆殺しにしたんだ。
 瓦礫に埋もれた短剣を見つけ、身につける。いくら≪ガーディン≫でも、こんなひどいことをするなんて許せない。絶対に見つけて殺してやる。



 昼過ぎになっても廃坑で眠っていたダリンは、なにかが落下する鈍い音に目を覚ました。外に出ると≪ヒューン≫の女が二人、頭を割って死んでいる。崖から飛び降りたらしい。顔は真っ白に塗りたくってあり、ダリンは悪魔払いの儀式だろうかと首を傾げた。ほかに≪ヒューン≫がいるようすもなく、死体を埋めたものかどうか思案する。
「ダリン」
 そのときグラントの声が聞こえ、ダリンは彼に埋めてもらおうと考えた。
「ちょうどいい。この死体を埋めて……」
 言いかけ、グラントの抱えている者に目を奪われる。
「ルビー」
 夢ではないかと恐れるように、おそるおそるルビーの頬に触れた。暖かい。ぐったりとしてはいるがまだ生きている。グラントはそっとダリンに渡した。
「怪我をしているんだ」
 ダリンはルビーを横たえ、怪我をみた。安堵の息をもらす。
「それほど深くない」
 グラントは眉をひそめた。さっき見たときは、骨が見えていた。
「そんなばかな」
 ダリンが傷をみせる。本当に傷は浅くなっている。
「そういや、昨日、おれがつけた傷はどこにある」
 グラントはルビーの体を調べたが、傷はどこにもみつからなかった。
「治ってる。すさまじい回復力だな」
 自分の妹に、そんな力があったのかと驚く。
「≪ガーディン≫の力が蘇ったおかげだ。意識が戻ったら、都に帰ろう」
 ダリンは慈しみのこもった目で、ルビーを見つめた。優しく抱き上げ、廃坑の方へ連れて行く。
「あれは、どうしたんだ」
 グラントはナンナとカナの死体に気づき、ダリンを引き止めた。
「崖から落ちてきた。埋めておいてくれ」
 どうでもいいことのようにダリンは言い、その冷淡さにグラントは頭を振った。埋めてやるという発想ができるだけ、ましかもしれない。他の≪ガーディン≫なら、捨ててこいとごみのように言うだろう。
 自業自得だとは言え、村を追放され絶望して身を投げた二人を、グラントは丁寧に葬ってやる。



 ティナは空を見上げた。日が傾いている。まもなく魔物が出没する時間だ。そろそろ≪ガーディン≫を捜すのをあきらめ、安全な場所を見つけなければならない。そう考え、自分が凍えている上に空腹で疲労困憊しているのに気づいた。今までは、≪ガーディン≫に対する怒りがそれを覆い隠していたのだ。
 急に体が重くなったように感じられ、よろめく。
 村を飛び出してからずっとどこかに隠された≪ガーディン≫のお城があるのではないかと、あてどもなくさまよっていた。まさか、あの金髪の≪ガーディン≫が一人で野宿しているとは思いつきもしない。
 疲れの詰まった袋のようになってしまった体を鞭打ち、魔物から守ってくれる宿り木を探した。魔物は新鮮な宿り木を嫌う。これさえあれば、半日は安全だ。
 早く休みたかったが、死体ばかりの村に戻る気にはならない。どこが安全な場所かと考え、古い廃坑を思い出した。ここからはずいぶん遠いが、あそこなら入り口に宿り木を置けば魔物は入ってこられず、安心して眠れる。今夜はそこで野宿しよう。
 ティナは倒れそうになる体を引きずるようにして、廃坑へ向かった。




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