三日月の森
3 ラルファンは屋敷のすぐ脇に、かがみ込み、少女の死体を集めていた。丁寧に、割れた頭を合わせ、体もそろえる。 「かわいそうに。危険を忠告しようとしたのに、切られるなんて。ただの<フィアル族>なんですよ」 ラルファンは、責めるようにトラビスたちを見上げる。 兵たちが息を呑んだ。<フィアル>の少女が、体をもとどおりに並べることによって生命を与えられたのか、ぎこちなく動きだしたのだ。 「怖がる必要はありません。ぼくたちに言いたいことがあるだけなんですから」 ラルファンが手をあげて、兵たちがまた恐怖のあまり攻撃しないように、少女をかばう。 「お姉様が死んだの。体が壊れて、魂が体に戻れなくなったの。だから、いやな連中を連れてきて、わたしの体もばらばらにしたの」 彼女は、操り人形のように不自然な動きで、物見やぐらの方を指す。 「ここにずっと静かに住んでたのに、トカゲが降ってきて、みんなおかしくなったわ。屋敷の中には、弟と妹とお爺様がいるの。でもみんなおかしくなったの」 少女は、唐突にけたけたと笑いだした。体が切断面から離れ、ばらばらになった人形のように地に落ちる。もはや少女は体を維持する力を失っていた。体から白い湯気のような煙が上がり、それが止んだとき、少女の姿はなくなっていた。 「呪われたんじゃ。闇の神に呪われたんじゃ」 今までおとなしくしていた老婆が、突然わめきたて森の中に走っていく。トラビスは止めようとしたが、すぐに見失ってしまった。ラルファンが、いたましげに首を横に振る。 「無駄ですよ。老婆の未熟な魔法が、ここの魔力に感化して気を狂わせたんだ」 「あの老婆は、もともと気が狂っていたんだ。こんな場所に連れてくるべきじゃなかった」 トラビスが悔やみ、頭を振る。 「あんたが連れてこなくたって、自分からフラフラやってきたさ。わかりもしないことに手をだすから、おかしくなるんだ」 シャグインは老婆の消えた方向を冷めた目で一瞥し、ドラゴンに外で待つように指示すると屋敷に入っていこうとする。それをトラビスが引きとめた。 「ここは<フィアル>の屋敷なんだろう。<エフィール>のきみが中に入って、なにをするつもりなんだ?」 「くればわかるさ」 シャグインはそっけなく答えた。 屋敷の中は静寂に包まれていた。埃が灰色の絨毯のごとく分厚く積もり、蜘蛛の巣が、レースように幾重にも重なり古い家具や装飾品を覆い隠している。正面にかろうじて崩れずにいる階段が、左右の棟へと続いていた。 歩くたびに腐りかけた床が、小さな生き物の鳴き声のような音をたて、なにかが床下に潜んでいて、飛びかかろうとしているのではという強迫観念に陥らされる。 兵が不注意にも床下を踏み抜き、その騒々しい音に、トラビスは思わず剣を抜いた。 「気をつけろ」 自分の足音にさえ怯えている自分に腹を立てながら、トラビスは剣を収めようとし、そこで、シャグインとラルファンが険しい表情で剣を抜いているのに気づいた。 本当に床下になにかいるのだろうかと目をやったとき、人の胴ほどもある五本の黒い毛むくじゃらな腕が床板を突き破り、トラビスたちを捕らえようとした。 逃げ損ねた兵が足をつかまれ、床に叩きつけられる。残りの手が次々とその兵をつかみ、それぞれの穴へ引き込もうとする。兵の体は、引き裂かれんばかりになった。 近くの兵が駆け寄り、腕を切りつける。床下から、赤ん坊が切り裂かれるような声が聞こえ、手は床下に逃げて行った。ほっとするのも束の間、無数の腕が乱立する林のように、一斉に床を突き破って現れる。 ラルファンは階段へ駆け上がり、シャグインは天井へと尾を伸ばし逆さ釣りになって腕を避ける。逃げそびれたトラビスたちは、一所に固まって、次から次へと襲ってくる腕を片端から切り落としていった。 ラルファンが床下の穴へ弓を射た。女が引き裂かれるような悲鳴があがり、床下の生き物がドタドタと移動していく。 「死んだのかな」 ラルファンが逆さまにぶら下がったままのシャグインへ聞く。シャグインは鋭い視線を右の棟へ向け、先の尖った耳をすました。 「まだ生きてる」 「まっさきに逃げやがって。この卑怯者め」 兵がラルファンを罵る。 「助けるだのなんだの言っておいて、結局、自分だけ助かりゃいいんだ」 「誤解ですよ。魔物の全体を高いところから見て、弱点を探したかったんです」 ラルファンが不快そうに異議を唱える。 右棟の方から子供の助けを求める声が聞こえた。 「子供がいるって言ってたな」 「あっ、危険……」 ラルファンが止める間もなく、トラビスは、さっきの化け物が子供たちを襲っているのではと、助けに走りだした。兵たちもそれに続く。 シャグインがくるりと回転して床に降り、呆気に取られているラルファンと顔を見合わせた。 「人間てほんとに馬鹿だよなぁ。<フィアル>を助けようとしてるぜ」 「知らないんですか。<フィアル>の精神はちょっとしたことで狂って、手に負えなくなるんですよ。そうなると子供でも危険なんです」 ラルファンは叫んだが、誰も聞いてはいないようだった。 「まったく、人間は<フィアル>びいきだからなぁ。ラルファン、おれたち、あの人間どもを助けられないんじゃないか。自分から、危険に飛び込んでいくんじゃ、どうしようもないよ」 ラルファンは、大きくため息をついた。 「それでも、できるだけのことはしよう。見捨てるわけにもいかないだろう」 シャグインの肩に乗っている妖精が、鈴のような音をたてて同意する。シャグインは嘆息した。 「まったく、しょうがないなぁ」
トラビスは、声の主を探して部屋という部屋の戸を蹴破っていった。ラルファンがなにか叫んでいたようだが、戸を蹴破る騒々しい音にまぎれてしまい、よくは聞こえなかった。別に助けを求めているわけではなさそうだ。 奥の部屋から、手を握りあった幼い子供たちが飛び出してきた。彼らは兵士たちを見て怯え、足を止める。 「さっき、アンナお姉ちゃんを殺した奴らだ」 男の子が言う。 「窓から見てたんだから」 女の子がトラビスたちを責める。先程の少女を兵が切ってしまったのを見ていたらしい。トラビスは、どうやって説明しようかと困惑した。 「きみたちになにもしないよ。きみのお姉さんのことは悲しい事故だったんだ」 子供たちは黙って、トラビスたちを睨みつけた。ややあって、男の子が口を開く。 「お姉ちゃん、ぼくたちのこと頭がおかしいって言ったんだ。殺されて当然なんだよ」 「当然よ」 女の子も声をそろえる。 「そんなことを言っちゃいけないな。きみたちの名前を教えてくれないか?」 男の子が元気よくアンディと答え、女の子が小さくシンディと言う。 「あいつ、退治してよ」 アンディが唐突に言った。シンディが出てきた部屋を指し示す。 「ベッドの下に化け物がいたの。夜更かししてると、わたしの足を捕まえようとするの」 トラビスは、先ほどの化け物がここに逃げ込んだのかと、剣を構えた。 「きみたち、怖かっただろう」 「ちっとも怖くないよ」 アンディとシンディが顔を見合わせ、いたずらめいたくすくす笑いをする。 トラビスは用心しながら、子供たちが言った部屋を覗いた。中は子供たちが使っているとは思えないほど、朽ち果てていた。床は苔むし、穴があき、壁は剥がれ、天井は崩れている。なにかをぶちまけたように、へや全体に黒い染みが飛び散り、部屋にちょこんと置かれている子供用ベッドの足は、腐って斜めに傾いでいる。 「きみたち、どうしてこんなところにいたんだい? 危ないじゃないか。床が崩れるだろう」 トラビスは、振り向いて子供たちを見た。子供たちは、いたずらが成功したかのように、にこにこしている。 「ほんとに化け物はここにいるんだよ」 「その点に関して疑ってないさ。さぁ、きみたちはここから出るんだ。こんな朽ち果てた屋敷に、住んでいちゃいけないよ。きみたちのご両親はどうしたんだい?」 「ええっ、どうして自分のおうちにいちゃいけないの?」 子供たちは、見るからに不服そうな顔をする。 「危ないからだよ。さぁ、安全な場所にいこう」 トラビスは、子供たちの手をとって外へ連れて行こうとしたが、子供たちは「やだよ」と叫ぶと、トラビスの手をすり抜け、先ほどの部屋に入ってしまった。 「おい、危ないぞ」 兵が子供たちを捕まえようと部屋に入る。すぐに子供たちが、きゃあきゃあ騒ぎながら飛び出してくる。 「今の人、化け物が食べちゃったよ」 二人がトラビスの手を引っ張り、部屋の中を見せる。さきほど床から現れたものより一回り大きな腕が、ベッドの下に消えていくところだった。さっき入った兵の姿がどこにもない。 トラビスは、すぐにベッドをどかし、化け物に切りつけた。が、まだ生暖かい鮮血の広がる床があるばかりで、そこに化け物の姿はなかった。出てきたと思われるような穴までもがない。 床下から、屋敷全体が震撼するほどの低い地響きのような咆哮が聞こえてきた。天井から埃とともに瓦礫が落ちてくる。続いて、大きなものが崩れる音がする。屋敷のどこかが倒壊したらしい。 「とにかく、外に出よう。また揺れたら、屋敷が崩れるかもしれない」 トラビスたちはいやがる子供たちをしっかりと抱え込み、玄関へと駆けもどる。 そこに、シャグインたちの姿はなかった。そのかわり、床の上に胸に矢が刺さった老婆があお向けに倒れ、割れた床下には、手だけの生き物が死んでいた。シャグインたちがやったのだろうか。 「トラビス様、戸が」 兵が扉を開けようとしながら、トラビスを呼ぶ。ここにきたときは開いていた扉が、今はしっかりと閉まっていた。兵が剣でこじあけようとしようが、力の限り体当たりをしようが、びくともしない。 「開かないのか?」 今にも崩れそうな扉がなぜ開かないのかと、トラビスも試してみるが、やはりなにをしても開かない。 「<エフィール>のやろう、われわれをここに閉じ込めて逃げたんだ」 兵士が怒りにまかせて戸を叩く。 「違うよ。化け物に殺されちゃったんだ」 アンディが楽しそうに言う。それを咎め、トラビスは他の場所から出られないものかと、窓に目をやった。いつのまにか外の景色が見えていた透明なガラスが、灰色の曇りガラスに変わっている。 「外なんか見えないわよ」 シンディが言う。 「いいや、さっきまでは見えたんだ。きみだって、窓からお姉さんが死ぬところを見たんだろ」 「あたし、そんなこと知らない」 つんとして、階段を駆け上がる。腐りかけた階段は重たげな音をたてたが、崩れはしなかった。 「おじいちゃん、上にいるの。おじいちゃんとこに行こうよ」 アンディがトラビスの腕を引っ張る。 「この家の下に、大きなトカゲがいるんだよ。早く上に行かないと、食べられちゃうよ」 トラビスは床下に目をやり、身震いをした。この屋敷の下には、まだ化け物がいるのか。 外で誰かが激しく扉を叩き、トラビスたちの心臓はすくみあがった。続いて窓が割れる音がするが、どこの窓も割れなかった。シャグインの悪態が聞こえる。 「<エフィール>の奴だ」 アンディとシンディが、怖がって抱きあった。 「<エフィール>が、ぼくたちを殺しにきたんだ」 「どうして、外にいるんだ」 トラビスが叫ぶと、ラルファンが応じる。 「よかった。声は聞こえるんですね。ぼくたちは、あの老婆に屋敷から追い出されたんですよ。倒したんですが、どうやっても入れなくなってしまいました。そちらからは、どうにかなりませんか」 「け、おまえたちが閉じ込めたんじゃないのか」 兵が叫び返す。 「なんだって。どうして、おれが、そんなまねをしなくちゃいけないんだ」 シャグインは、本当に驚いているようだった。慌ててトラビスが謝る。 「今のは気にしないでくれ。きみたちをこの屋敷に入れるには、どうすればいいんだ? わたしたちは、ここから出られないんだ」 「そこにいる<フィアル>を殺すんだ。閉じ込められているのは、<フィアル>のせいだ。一人でも殺せば、力が弱まって、中に入ることができる」 シャグインの言葉に、子供たちは飛び上がった。 「子供を殺すだって」 できる限りシャグインの言う事を聞くつもりだったトラビスも、これには従えなかった。 「そんなことできるものか」 「だったら、おれは助けられない」 シャグインが苛立たしげに突き放す。 「ぼくたち、殺されちゃうよ」 「お爺様のところに行きましょう。早く」 「なにか、ほかに方法があるはずだ」 トラビスはシャグインへ向かって叫ぶと、子供たちの言われるがまま、二階に上がった。そこも一階同様ひどいありさまだった。天井、壁、床、いたるところが腐り、土に返ろうとしている。この屋敷が倒壊するのも、時間の問題だ。どうして子供たちは、こんな場所から逃げ出さないのだろう。 廊下の隅に血にまみれた甲冑があった。その手に握られた剣から血が滴り落ち、たった今、誰かを殺してきたばかりに見える。 「これ、動くんだよ」 アンディがおもしろそうに言う。トラビスたちは襲ってくるのではないかと身構えたが、予想に反して甲冑は動かなかった。兵がそっと剣でこづく。錆ついた甲冑は、大きな音を立てて崩れ落ちた。ばらばらになった甲冑から、どろりとした血が流れ出る。 「気味が悪いな」 その血が流れ終わったとき、甲冑が飛び上がった。兵の一人にぴたりとはまり、甲冑の隙間から血が溢れだす。 甲冑が離れたとき、そこに男の姿はなかった。すぐに別の者にとりつこうとする。剣で応戦するが、鎧が相手では倒しようがない。 突然、ドラゴンの咆哮とともに、屋敷が揺れる。甲冑が力を失ったのか、床に音をたてて落ちた。子供たちの顔から血の気が失われる。 「<エフィール>がまだいるんだ」 「早くいかなきゃ」 手をとりあって、廊下を走りだす。子供たちが部屋に飛び込むと、入れ替わりに、よろよろと足をひきずった老人が現れる。 「これはこれは。わしらを助けにきてくださったのか」 枯れ枝のような老人は、目を細めて笑った。 「このとおり、屋敷は呪われておる。しかも外にはドラゴンを連れた<エフィール>がいて、逃げることもできん」 「彼らと話すことができれば、説得するんですが」 トラビスは、この老人が外に出る方法を知っているのではと期待して言う。 「そんなことは無理じゃ。<エフィール>は強情で傲慢じゃ、説得できるような生き物じゃない」 老人の<エフィール>を毛嫌いするさまに、トラビスはシャグインも<フィアル>に対して、同じような反応をすることを思いだした。この二つの種族は本当に憎みあっているらしい。 老人は、奥の部屋へトラビスを招いた。ドラゴンが体当たりを繰り返しているらしく、屋敷が何度もぐらつく。子供たちが声をあげて泣き出した。 「どうにかして彼らを止めなければ、こんなぼろ屋敷、すぐに崩れますよ」 トラビスの心配をよそに、老人は静かに首を横に振り、にんまりとする。 「<フィアル>にも守り神ができた。ちっぽけな妖精しかもたん<エフィール>ごときに負けはせん。今に見ておれ。おや、壊れた時計の中になにかいるようじゃ」 柱時計の中で、白い手が必死になってガラス戸を叩いている。 「助けてやったらどうじゃ。おまえさんの部下かもしれんよ」 トラビスは手に襲われることのないように、慎重に戸を開けた。途端に手は消えた。二人の子供が怖がりもせずに中に頭を入れる。 「奥が広くなってるよ」 「こら、危ないぞ」 トラビスが、子供たちを時計から引き離すと、入れ替わりに兵がのぞいた。白い手が再び現れ、彼は声をあげる間もなく奥に引き込まれる。ひとりでにガラス戸が閉まり、バケツでぶちまけたかのように血が飛び散る。振り子が生命を得たかのように動きだした。子供たちが、うまくいったと笑う。 トラビスが子供たちを叱ろうとしたとき、背後で悲鳴があがった。振り向くと倒れた兵の後ろに、斧を手にした老人が立っている。 「どういうことだ」 トラビスの詰問に、老人がにぃっと笑う。 「我々はずっと<エフィール>のような守り神が、ほしかった。ある日、天からトカゲが降ってきた。我々はそれを大事に育て守り神にした。その神が言うのじゃ、みな殺せと」 老人の動きは鈍く、足元もおぼつかなかった。だが、振り上げられた斧に、トラビスの剣は、あっけなく二つに折れてしまう。 「トラビス様っ」 最後に残っていた兵が、トラビスに加勢しようとし、不意に倒れた。血にまみれた短剣を手にした子供たちが、軽やかに笑っている。 「これで後一人だ。おまえたちにやらせてやろう」 老人はこれ以上持ち上げていられないと、重たげに斧を下ろした。短剣を構えた子供たちが歓声をあげて、飛びかかってくる。トラビスはアンディを突き飛ばし、シンディから短剣を取り上げた。再び襲いかかろうとするアンディに、トラビスは短剣を投げつける。 「あっ」 小さく声をあげ、アンディは無邪気な顔で倒れた。トラビスの胸に悔恨の念が広がる。 窓が景色を取り戻した。シャグインが窓の外にいるのが見え、老人がぎょっとする。すぐさまシャグインは窓ガラスを割り、ひらりと中に入った。シンディが泣きながら逃げ出す。その後ろ姿を、後から入ってきたラルファンが容赦なく射く。 老人は、死んだ子供たちを一瞥し、シャグインに向かって斧を構え直した。 「我々は、守り神を得た。おまえなどに負けるものか」 シャグインが高らかに笑う。 「あれはただの神々の召し使いだ。あまりに役にたたなすぎて追放された。<フィアル族>が神の地から追放された理由と同じだよ。おまえたちは、そんな生き物を神と勘違いしたのか。さすが、追放された者同士だな」 「あれは、われわれに魔力を与えてくれた」 「神の世界で生まれた者は、どんな者も多少の魔力はあるさ。そんなこともわからないのか」 シャグインは、剣を構えた。老人が打ちかかる。シャグインは剣で受け流し、その鋭い尾で老人の胸を貫く。 「ひきょうな」 老人は叫び、どうっと倒れた。 「愚か者、身に備わった武器を使うのは、当然だ」
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