ラグナレク・1−2

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ラグナレク


第一章 滅ぼす者・2



 まっすぐに伸びた黒髪におどけた口元に、抜け目がなさそうな切れ長の黒い目をしたアルスィオーヴは、ヴェント公爵夫人のお気に入りの吟遊詩人だった。ヴェント夫人は若さを失いつつあったが、それでもまだまだ美人の域に入っていたし、そこそこに金をもてあましている。
 屋敷の中を自由に歩くことを許され、ほしいものはなんでも与えられた彼は、十分な時間をかけて屋敷の中を知りつくすと、夜更けにこっそりと客室を出た。
 だれもが眠り、蝋燭もすべて消されていた。アルスィオーヴを見咎める者はだれもない。彼は足を忍ばせて、手にした蝋燭に火をつけようともせず地下室へ向かった。ほとんどなにも見えない暗闇の中で、曲がりくねった階段を手探りで降りていく。踊り場で立ち止まると今度は壁を探り、飾りの一つに見せかけたくぼみを押した。
 反対側の壁が緩やかに動き、隠し部屋の入り口が開く。彼はすばやく中に入り、壁をもとに戻した。
 アルスィオーヴは、ここでようやく蝋燭に火をつけた。頼りなげな光に浮かびあがったのは、無造作に台座の上におかれた簡素な緑色の箱が一つきりだった。他にはなにもない。
 彼は、ほくそえんだ。ここには公爵夫人とともに何度も訪れ、箱の中身もみせてもらっている。アルスィオーヴは半年も前から、その中身が色とりどりの宝石を散りばめられ、ギース王国の紋章が刻まれた黄金の剣だと知っていた。彼は黄金の剣に近づくためにこの一ヶ月もの間、ヴェント公爵夫人の目に止まり、気に入られるように努力してきたのだ。
 宝を前にして、吟遊詩人として以外の血が騒いだ。盗賊としての血が。
 彼は、慎重に宝箱へと近づいて行った。巧妙な罠が幾重にも仕掛けられ、盗む者を捕まえようと待ち構えていたが、アルスィオーヴはお見通しだった。すべての仕掛けを避け箱の前にたどり着いたとき、心地よい緊張に興奮しながら額の汗をぬぐう。
 後は箱を開けるだけだ。この箱には仕掛けがあるのだろうか。
 アルスィオーヴは夫人の行動をできるだけ正確に思いだしてみる。夫人は無造作に箱を取り上げていたが、その中に仕掛けを解くしぐさがあったのかもしれない。
 いや、彼女は特別なしぐさはなにひとつしていない。
 よし。
 アルスィオーヴは覚悟を決め、すでに盗んでおいた鍵をさし込んだ。どこからか剣が飛んでくるようなこともなく、箱は小さな音をたてて開いた。黄金の短剣が現れ、アルスィオーヴは息を呑んだ。このすばらしい短剣がもうすぐ、自分のものになる。
 彼は手を伸ばし、短剣に触れる前に手を止めた。
 どことなく胸騒ぎがする。夫人は、この短剣は神聖なものだから触れてはならないと言っていた。触れれば呪いがある。
 呪いか。いまさら呪われてなにが困る。
 彼は黄金の剣に手を伸ばし、消え失せた。

 


 シグルズはまたしても魔道によって、グラーバク神殿からやや遠い砂漠の中心部に運ばれた。グラーバク神殿にあまり近い場所に移動しようとすれば、神殿の魔道士に妨害されるため、馬で一日の距離がかかる場所に移動することになったのだ。体が分解されるような苦痛に、シグルズはここがどこか確認もせず砂の上に倒れこんだ。先に来ていた魔道士が、すぐさま彼を介抱する。一度でさえ苦痛な瞬間移動を一日に二度もやらされたシグルズは、すっかり体力を消耗し起きあがる気力さえもなくしていた。苦味のある薬を飲まされたが、今度はたいして効果はなかった。
 後から魔道で送られてきた三頭の馬も、泡を吹き白目を剥いて倒れる。
「これでは、しばらく移動ができないな」
 同じようにファグラヴェール王国から一瞬にして移動してきたギースルが、横になっているシグルズを、これがあの有名な英雄なのかと見下した目つきで眺めた。妖精である彼は、瞬時に移動することになんの苦痛も覚えていないのだ。
「明日になれば、出発できます。ここまで馬でくるよりは、遥かに早くグラーバク神殿につけますよ」
 シグルズの手当てをしながら、魔道士が落ちついた声音で答える。
「まぁいい。我々の予言によるともう一人、運命の女神たち(ノルニル)の導きによって、ここに現れるはずだ。それを待ちながら休めばいいさ」
 ギースルはそう言い砂漠を見渡したが、人影ひとつ見当たらなかった。
「こんなところにやってくる者がいるとは思えないが」
 予言がはずれたのだろうかとギースルが独りごちたとき、少し離れたところに上空から男が落ちてきた。頭から砂丘につっこみ、両足をばたばたとさせる。
「おや、ヴィトにしては乱暴なまねを」
 魔道士が魔道士の技が急に乱暴になったと怪しみながら、砂漠の砂に埋もれてしまった男を助け出した。
 驚いたことにその男は兵士ではなく、赤い上衣に緑色のズボンをはいた吟遊詩人だった。彼は助け出されるなり口に入った砂を吐き出し、だれにむけるともなく口汚く悪態をつく。
「これはまた面妖な。我らの魔道に巻き込まれた者がいるはずはないのだが」
 吟遊詩人が送られてくる予定もなく、魔道士はどういうことかと首をかしげる。
「人間の技は、間違いが多いのだろう」
 ギースルが侮蔑する。
「いやいや、魔道によって移動が可能な地点は決まっています。この者は、他の者の魔道によって運ばれてきたのでしょう。この乱暴さから言って、悪さをして放り出されたに違いありません」
「ならば、こいつが予言で言っていた者だな。おまえ、こちらへ向け」
 ギースルが命じると、頭についた砂を払っていた青年はうるさそうに顔を上げ、ぎゃっと飛びあがる。
「ギースル王子っ」
 驚きの声をあげ、青年は腰を抜かさんばかりになった。
「アルスィオーヴか」
 ギースルは、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「お知り合いで」
 魔道士が聞く。
「この者はもともと妖精だ。盗み癖があまりにひどいものだから、魔力をとりあげて《ミッドガルド(人間の世界)》に追放された。おおかた、またなにかを盗もうとして失敗したのだろう」
 アルスィオーヴは忌々しげにギースルを見上げ、口の中で毒づいた。
「ち、よりによって、こんなところで鉢合わせするなんて」
 逃げ道はないかと目をきょろきょろさせるが、砂しかない砂漠には逃げ道もなければ隠れ場所もない。
「運命の女神たち(ノルニル)も意地が悪い。よりによってこんな者を遣わすとは」
 ギースルは天を仰ぎ、それから思い直した。
「これから神殿に忍びこもうというのだ。おまえの泥棒としての才能が役にたつのかもしれない」
「おれは、もう妖精じゃないんだ。なんで、あんたの言いなりになると思うんだよ」
 アルスィオーヴは反抗的にギースルを睨みつけた。ギースルは冷ややかな視線でそれを受けとめる。
「力にならねばここに置いていく。水も食料もなしに砂漠をさ迷うがいい」
「ちぇっ、おれに選択のしようがないってわけか」
 アルスィオーヴは吐き捨てるように言い、砂漠に寝転んだ。
「あーあ、あの黄金の剣さえ盗もうとしなけりゃ、こんなことにならなかったな。しくじったぜ」
「アルヴィースを助けさえしたら、後は好きにさせてやる」
 ギースルは言った。
「アルヴィース、聞いたことがある名前だな」
 ひょいと起きあがり、アルスィオーヴは思い出そうと腕を組み眉間に皺をよせた。
「レギンレイブの子だ」
 ギースルが補足する。
「それ、あんたの弟ってことだろ。ああ、人間の王との間にできた子がいたっけ。確かその子は火の精なんじゃなかったか」
「そうだ」
「火の精はガキだってけっこう強いだろ。なんでさらわれるんだよ」
「グラーバク神殿の魔道士が竜を使って、アルヴィースをさらった。いくら火の精でもまだ十二の子供だ。竜相手ではかなわない」
「竜っ」
 アルスィオーヴの目が飛び出さんばかりになる。
「冗談じゃねぇ。死にに行くようなもんじゃないか。おれは行かねぇよ。ここにおいてってもらったほうがいいね」
「心配するな。だから、竜殺しのシグルズを連れてきたんだ。グラーバク神殿の魔道士は、ファグラヴェール王国の魔道士が相手をする。おまえは忍びこむ手伝いだけをすればいい。それに神殿には、宝がごっそりとあるはずだ。好きなだけ盗むといい」
 宝と聞き、アルスィオーヴの目が輝いた。しかしすぐに、そうはいかないぞと猜疑心の目でギースルを見る。
「だますんじゃねぇだろうな」
「おまえをだまして、わたしがなんの得をする」
 アルスィオーヴはギースルの言葉を頭の中でしばし吟味すると、うなずいた。
「しょうがない。あんたの弟のために行ってやる。その代わり、神殿にある宝は全部、おれのもんだぜ」
「好きにしろ」
 そっけないギースルの返事に満足し、アルスィオーヴは横になっているシグルズのほうへ近づいた。
「大の男が真っ青な顔して寝込んでるなんて情けねぇな。あんたが竜殺しのシグルズかい? 噂には聞いていたけど、けっこう若いんだな」
「少しだけ妖精の血をひいているから、歳をとるのが遅いんだ」
 シグルズは目を閉じたまま答えた。まだ気分が悪く口を聞く気にもならない。
「アルヴィースって、あんたの弟だったんだな」
 アルスィオーヴは、シグルズの横に腰を落ちつけて言った。
「悪いが今、話をしたい気分じゃないんだ」
「すぐに終わるよ。神殿に宝があるだろ。あんたはそれをどうする気だ?」
 先ほどのギースルとアルスィオーヴのやりとりを聞いていたシグルズは、苦笑した。《アルフヘイム(光の妖精の世界)》から追放されたこの元妖精は、確実に全部の宝が自分の物になるようにしたいらしい。
「なんだ、そういうことか。好きにしろ」
 ギースルと同じ答えにアルスィオーヴはにんまりとし元気づいた。
「おれが手を貸してやるとなりゃ、アルヴィースは助かったも同然だぜ」
 そう言って片目をつぶると、足取りも軽くアルスィオーヴは立ち去った。

 


「行くぞ」
 まだ朝日も出ないうちにギースルに起こされ、シグルズはうめいた。まだ気分が悪く視点が定まらない。
「一晩、休めば十分だろう。早く起きろ」
 闇の中でうっすらと身体を輝やかせているギースルは、その繊細な顔立ちに似合わぬ容赦のないことを言うと、まだ寝ているアルスィオーヴのところに行き蹴飛ばした。アルスィオーヴが「ぎゃっ」と声をあげる。
「時間がないんだ。出発するぞ」
 ギースルは不機嫌に、文句を言おうとしたアルスィオーヴへ向かって言った。
「だからって、蹴飛ばしていいわけねぇだろ」
 アルスィオーヴは腹立たしげに立ちあがり、服についた砂を払った。ギースルはそんな彼を無視して、軽く口笛を吹いて妖精の白馬を呼んだ。
「ちょっと待ってくれ」
 今にも、出発してしまいそうなギースルを止め、シグルズは慌てて身支度を整えた。
「早くアルヴィース殿を助けたい気持ちはわかりますが、そういらいらされても、なにもなりませんよ」
 魔道士が、馬上でいらだたしげにシグルズたちの仕度が整うのを待っているギースルに声をかける。ギースルの目に苦痛の色が浮かんだ。
「あのとき、わたしがいれば母が死ぬことも、アルヴィースがさらわれることもなかった」
「過ぎたことを気に病んでもしかたない」
 ようやく馬の上の人となったシグルズが、ギースルのとなりに馬を寄せて言う。彼はふと、ギースルから涼やかな森の香りが漂ってくることに気づいた。
「きみは、森の香りがするんだな」
 シグルズはなんの気なしに言い、ギースルは彼をにらみつけた。
「悪いか?」
「そう、つっかからないでくれ。よい香りだと思ったから言ったまでだ」
「男に言われてうれしいと思うか?」
 ギースルの問いに、シグルズは苦笑いをする。
「悪かったよ」
 ギースルは片眉をあげて謝罪を受け入れると、馬に拍車をいれた。シグルズも後に続こうとしたとき、アルスィオーヴが馬を横につける。
「昔っから思ってたけど、あいつ、顔がきれいなぶん、性格が悪いよな」
 顔をしかめてアルスィオーヴが言う。
「アルヴィースが捕らえられて気がせいているんだろう。気にすることはない」
 シグルズはそう言うと、馬を走らせた。





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