ラグナレク・1−3

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ラグナレク


第一章 滅ぼす者・3



 夜半になって、シグルズらは海岸沿いに配備された〈光の妖精〉の軍隊と合流した。《アルフヘイム》の王子がさらわれたとあって、羽の生えた者、手の平に乗れるほど小さな者、さまざまな姿をした何百もの妖精が、思い思いの武器を手にグラーバク神殿の魔道士への怒りを募らせている。
「ギースル様、相変わらず、やつらは鉄の粉を宙に漂わせて、われらが近づけないようにしています」
 蝶の羽を生やした小さな妖精が飛んできて、ギースルに報告する。ギースルはうなずくと波の向こうに見える灰色の霧に包まれた小島を指差し、シグルズたちに言った。
「あの島にグラーバク神殿がある。崖の上にあるのが魔道士の住む城で、下の浜辺にある建物が神殿だ。霧に見えるのは鉄の粉だ。魔道士はそうやって、我々妖精が神殿に近づけないようにしている」
「鉄の粉は妖精の肌を焼くだろうが、人間の血をひく者にはただの砂とかわらない。わたしなら、神殿に近づくことができるな。竜はどこにいるんだ」
 シグルズが、神殿をよく見ようと目を細めた。
「海の中に。満月の晩にだけ、海上へ現れる。そのとき、魔道士が用意した生贄を与え、竜の力を得ている」
「満月は明日ですな」
 魔道士が夜空を見上げて言う。
「あの鉄の霧をどうにかできないか」
 ギースルが魔道士に聞いた。
「強い魔力を感じますな。おそらく、竜の力を借りているのでしょう。しかし、魔道は魔力が強ければいいというものではありません。どこかにつけいる隙がないかみてみます」
 魔道士は砂浜に座ると、目を閉じて動かなくなった。
「早くしてくれ。明日までにアルヴィースを助けなければならないんだ」
 ギースルがせっぱつまった口調で言う。
「おれも今は妖精じゃないから、鉄の粉はなんともないけどさ、魔道士たちはどうするんだよ。あそこに大勢いるんだろ。忍びこんでも、すぐに見つかって殺されちまうぞ」
 アルスィオーヴが聞き、シグルズが楽天的に答えた。
「グラーバクの魔道士たちは、何百といる妖精の魔法に対抗しなければならないんだ。いくら竜の力を借りているとはいえ、そう余力はないだろう。我々に魔道を使うにしてもたいしたことはできまい」
「シグルズ様、わずかな間でしたらやつらに気づかれずに、鉄の霧に穴をつくって差し上げます。もう少し時間をください。やつらめが魔道を使おうとするとき、ほんの少しうまくいかぬように細工をしておきます」
 目を開けた魔道士が、にやにや笑いを浮かべて言う。
「魔力が強ければいいと思っている愚かしい連中に、一泡ふかしてやります」
「ならば、その用意ができたらすぐに立つとしよう。あの鉄の霧がどうにかできるのなら、わたしも行くことができる。アルスィオーヴ、それまでにどこから忍びこめるか調べておけ」
 ギースルはそう言うと、共に神殿に忍びこむ妖精を選びに、軍の中に消えていった。
 アルスィオーヴはギースルに命令され、気にいらなそうな顔をしていたが、灰色の霧の後ろに隠れた城を見ているうちに盗賊の血が騒ぎだした。ここからではよく見えないが、島の周囲は荒々しい波によって地盤が削られ、切り立った崖となっている。その上に城があり、唯一、船で乗りこめそうな砂浜には神殿がある。ここから見えない西側はどうなっているのだろう。城と神殿の中の構造も知りたい。
「お手伝いするように言われました」
 陽炎のように半透明の妖精が、アルスィオーヴの前に、靄のない小島の映像を浮かびあがらせた。彼は歓声を上げた。これなら、ここから見えない場所も見ることができる。
 彼は、熱心に忍びこむ方法を考え始めた。

 


「行くぞ」
 ギースルに声をかけられると、アルスィオーヴはにやにやしながら立ちあがった。神殿のどこに宝が隠されているか見当がつき、妖精たちが戦っている隙にその宝を手に入れる方法も考えることができたのだ。
「アルヴィースは、城の塔に閉じ込められていると思う。そこに行くには神殿を登るのが一番だ」
 嬉々として侵入経路を説明するアルスィオーヴを、ギースルが疑わしげにみる。
「宝を盗むのは勝手だが、足を引っ張るまねはするな」
 ギースルに言われ、アルスィオーヴはむっとする。
「おれは、そんなへまはしないね。あんたこそ、足を引っ張らないで神殿に忍びこめるのかよ」
「さて、罠を充分に仕掛けました。あとはあなたがたの出番です」
 魔道士が険悪になりそうな二人の間に入って言った。
「おまえは、こないのか」
 ギースルが魔道士に聞く。
「ここからでも充分に手助けはできますし、その必要はないくらいに確実な罠を仕掛けました。後は、やつらが自滅するのを見るだけです」
 うまく罠を仕掛けることができたらしく、魔道士は満足した笑みを浮かべている。
「剣を使うときに、魔道士は役に立たない。あとは我々、剣を使う者の出番だ。さぁ、行こう」
 竜の血を浴びて皮膚が剣を通すことがないため鎧を着る必要がないシグルズは剣と盾を持っただけで、妖精の用意した小船へ乗りこんだ。

 


 計画では《アルフヘイム》軍がグラーバク神殿を襲い、その騒ぎに紛れてシグルズとアルスィオーヴ、ギースルと彼が選んだ短い銀髪に子どものような顔をした風の精フィアラルが小船で上陸することになっていた。
 高らかに角笛が鳴り響き、ときの声とともに妖精たちの乗った船が小島に向かう。すぐさま鉄の霧が船を襲い、それを見越していた風の精たちが強い風を起こし跳ね返す。魔道と魔法が激しくぶつかり、海は荒れ、空には雷雲が立ち込めた。嵐が起き、雨が降り出す。
 シグルズたちはギースルが用意した姿が消える布を被せた小船に乗り、そっと小島に向かった。妖精と魔道士の戦いによって、波は激しくうねっていたが、妖精の魔法の船は転覆することもなくすいすいと走り、なんなく海に張り出した神殿に辿りついた。
 全員が上陸すると、ギースルたちは乗ってきた小船を物陰につなぎとめ、姿が消える布をしっかりと被せた。こうしておけば、だれかが小船を見つける事もない。
 さっそく、アルスィオーヴの出番となった。動きづらくなるからと鎧を着てこなかった彼は魔法と魔道のぶつかり合いによって起きた嵐をものともせず、像や壁の装飾を足がかりに使うとひょいと屋根までよじ登り、みんなについてくるように手招きをした。
「きみはここにいて、竜が現れたら退治してくれ」
 アルスィオーヴと同じように身軽さを重視して鎧を身につけなかったギースルはシグルズに言うと、弓を持ったフィアラルと共にアルスィオーヴの後に続いた。シグルズは神殿の陰に隠れ、竜が現れるのを待った。海は荒れていたが、まだ竜が現れるようすはない。
 アルスィオーヴは常に城からの死角に入りながら、神殿の屋根から崖に移り城へと近づいていった。ギースルたちも妖精の身軽さを見せてしっかりとついてくる。
「崖を横にまわるようにして登って、あそこの窓から入るんだ」
 アルスィオーヴは崖の上に見える一階の窓を指差して言った。
「崖に面した窓は、陸地に面している方ほど厳重に警戒してないはずだ」
「人間だったら、この嵐の中でなくても無理だな」
 ギースルが、垂直に切り立った崖を見上げて言う。
「足場がないわけじゃない。あんたたちなら、登れるだろう」
 ギースルはうなずき、黙ってアルスィオーヴの後についていった。だれも足を踏み外すことなく窓の下まで登ってくる。
 アルスィオーヴは窓に近づくと、耳をそばだて音がしないことを確認し、そっと中を覗いた。中は明かり一つなく、人の気配はない。そっと短剣で窓をこじあけ、中に入りこんだ。どこかに人が隠れていないか、油断なく探ってから、ギースルたちを招きいれる。
「用心深いな」
「仕事をさぼって眠りこけてる奴がいることもあるからな」
 場数を踏んでいるアルスィオーヴは得意げに答える。普段はギースルに命令されてばかりの立場が逆転し、アルスィオーヴは愉快になった。彼は楽しそうに先立って廊下に出、足を止めた。城に人気がなさすぎる。
「だれもいないみたいだ」
 後からきたギースルたちに言う。
「シグルズが言っていたとおり、我々の軍を相手にして、城の中を警戒する余裕がなくなった違いない。戦いが終わる前に、アルヴィースを見つけなければ。急ごう」
 アルスィオーヴはアルヴィースが監禁されていると見当をつけておいた塔のほうへ急いだ。彼らは知らぬうちに走り出していたが、だれ一人、猫のように足音をたてない。
「あれ、おかしいな」
 アルスィオーヴは扉の前に二匹の魔物がいるのを見つけ、立ち止まった。魔物は全身が白く長い毛に覆われ手足が長く大柄で、鎧を着て槍を持ち警備兵のように立っている。
「なにがだ?」
 ギースルが尋ねる。
「あの化け物はなんのためにあそこを守っているんだ? あんなとこに宝はないと思うぜ」
 アルスィオーヴは、自分のいる位置と城の構造を考えながら言った。
「もしかしたら、あっちにアルヴィースが閉じ込められているのかな」
「見てみよう」
 ギースルの合図で、フィアラルが弓を引く。音もなく白い魔物は倒れ、もう一匹が事態を把握する前にギースルが剣で首を刺し、殺した。アルスィオーヴは、さっそく扉をあけようとして舌打ちした。
「魔道がかけてある。開かねぇよ」
 ギースルが魔法を使って開けようとしたが、扉は動きもしなかった。
「魔道士を無理にでも連れてくるべきだったな。しかたない。連中に気づかれるがやるか」
 ギースルはみなを下がらせると、全身から光を放ち始めた。目を開けていられぬほど光が強くなったとき、扉が城中に聞こえる音をたててはじけとぶ。そればかりか、城全体が揺れた。
「わっ、これじゃ、忍び込んだ意味がないじゃないか」
 アルスィオーヴが怒るが、すでにギースルは扉の向こうに行っていた。これで宝を盗む計画までだめになってしまったとアルスィオーヴは頭を抱える。
「下に続く階段だ」
 振り返ってギースルが言い、アルスィオーヴは眉をひそめた。
「だったら、それは神殿に続いているんじゃないか。でも変だな。なんだってそんな階段を魔道で塞いで護衛まで立たせたんだ?」
「それが本当ならシグルズを呼ぼう。見つかった以上、加勢がいる」
 ギースルはフィアラルに階段を降りてシグルズを呼んでくるように言うと、今の音で集まってきた魔物たちへ向き直り、剣を抜いた。
「身動きできなくなる前に、逃げたほうがいいぜ」
 アルスィオーヴは言うなり、階段を降りていった。宝を盗めなくなった以上、危険を侵してまでここにいる必要はない。ギースルが「卑怯者」と叫ぶ。
「あんたは、大馬鹿野郎だよ」
 アルスィオーヴは言い返し、駆け下りた。途中でフィアラルが立ち止まって首をかしげているのに出会い、アルスィオーヴは一人しか通ることのできない狭い階段で、しかたなく足を止めた。
「なに、ぼさっと立ってるんだよ。おまえはシグルズを呼んでくるんじゃなかったのか。ギースルが一人で苦戦してるぞ」
 フィアラルは黙って静かにしろと身振りで示した。
「ここから、アルヴィース様の声が聞こえてくる」
 アルスィオーヴはフィアラルを押しのけ、その場所に立ってみた。なるほど、子供の声が微かに聞こえてくる。彼は、壁を叩いてみた。うつろな音が返ってくる。
「このむこうに空洞があるな」
 アルスィオーヴは言い、どこかに開ける仕掛けはないものかと調べた。
「ちぇ、どこにもないな」
 泥棒としての誇りが傷つき、いらだたしげに言う。
「なら、壊そう」
 フィアラルは言い、体の周囲に竜巻を起こした。鋭い風の音がしたかと思うと、岩が砕け散る。
「うわっ、乱暴な連中だな」
 瓦礫となった砂利が降ってきて、アルスィオーヴは悪態をついた。
「アルヴィース様がいるっ」
 フィアラルは開いた穴から下をのぞいて言った。
「竜までいるじゃねぇか」
 アルスィオーヴは腰を抜かさんばかりになった。穴は、広間のように広い洞窟の上部につながっていた。ずっと下の方に岩の上に立っている炎のような髪を長く伸ばした子供と、それを取り巻くようにして蛇のように長い胴を持った灰色の背をした竜が、とぐろを巻いている。竜の頭は子どもより少し小さく、胴は頭よりやや細かいぐらいだった。鋭い爪をもった手足が身体に対して不釣合いに小さいが、それでも、人をわしづかみにできるほどの大きさはある。
「助けて」
 フィアラルたちに気づいた子供が救いを求めて彼ら向かって両手を上げ、竜が威嚇の声をあげた。
「助けなければ」
 フィアラルは穴から下りようと身を乗り出し、慌ててアルスィオーヴがとめる。
「シグルズを呼ぶのが先だろうが。なんのためにあいつを連れてきたんだ」
「しかし、すぐに行かなければ、食われてしまうかもしれない」
「じゃあ、行ってあんたも食われるんだな。おれはシグルズを呼んでくるよ」
 アルスィオーヴは行く先を塞ぐ形となっているフィアラルを屈ませて乗り越えると、階段を駆け降りていく。
 フィアラルは見下した目でアルスィオーヴが去るのを見届けると、洞窟に通じる穴に足をかけた。すかさず、竜が鎌首をもたげ冷たい息吹を吐き、フィアラルはとっさに階段へ転がった。それまでいた場所すべてが凍りつく。彼がそっとようすを見ようと穴から顔を出すと、竜はまた氷の息を吹きつけてきた。これでは近づきようがない。彼はギースルを呼びに、城の方へと走り出した。





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