ラグナレク・1−4

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ラグナレク


第一章 滅ぼす者・4



 グラーバク神殿の大きな扉が、重々しい音をたてて開いた。その中から灰色の背中をした竜の紋章を黒いマントに刺繍した魔道士が現れ、物陰に隠れていたシグルズは見つからぬように息をひそめた。
 グラーバクの魔道士は海に向かって膝をつき、神殿を襲う妖精たちを撃退してくれと竜に向かって祈り始める。シグルズはやめさせようと柱の陰から飛び出した。
 驚いた魔道士は祈りをやめ、呪文を唱える。波の雫が短剣となり、シグルズにむかって飛んでくる。シグルズが剣でなぎ払うと短剣は雫にもどり、堅い床の上にぐしゃりと落ちた。
 あっけなく呪文を破られた魔道士はなにかがおかしいと思いながら、小石に呪文をかけた。歯を剥き出し目をぎょろつかせた顔の大きな化け物に変わるが、動きだそうとはしない。呪文を唱えなおすが、化け物は咆哮するどころか身じろぎもしなかった。魔道士は小石の化け物をあきらめ、竜の像に呪文を唱えた。竜は色彩を帯び生きているかのように目をぎらつかせたが、それだけだった。やはり動こうともしない。
「おのれ、どこかの姑息な魔道士が、呪文の邪魔をしておる。姿を変えることはできても、石は石のままじゃ。なら、これはどうだ」
 魔道士は叫び新たな呪文を唱えると、シグルズに向かって砂利を飛ばした。シグルズは盾を掲げてそれを防いだ。その隙に魔道士は来た時とは別の扉に呪文を唱えて開けると、中に逃げていった。シグルズは砂利の雨が止むなり、逃がすものかと後を追った。

 


 扉は広い洞窟に続いていた。荒々しい波が削ってできたらしく、柱のように連立する岩の間に海水が流れていた。魔道士はこけつまろびつしながら、岩場を駆けて行く。シグルズは洞窟の奥に灰色の背をした竜がいるのを見つけ、足を止めた。炎のような髪をした子供を囲むようにしてとぐろを巻いている。あの子がアルヴィースだろう。
 竜はシグルズの侵入に気づくと、鎌首をもたげ息を吐いた。反射的に差し出したシグルズの盾が凍りつく。
「氷竜か」
 シグルズは岩陰に入るようにしながら、竜へと近づいた。魔道士が竜に侵入者を片付けるように叫ぶ。
「まったく、うるさい人間どもよ」
 うなるような声で竜は言った。
「この忌々しい火の精を捕まえろ。逃げ出さないように見張れ。今度は、侵入者を捕らえろか。だったら、見張りはやめていいんだな」
 人語を解する竜は、ゆっくりと長い体を動かした。魔道士が慌てて止める。
「こら、包囲をとくでない。せっかく捕まえた妖精が逃げるではないか」
「なら、おまえが人間どもを倒せ」
 竜は鼻で息を吐いて、魔道士を軽く飛ばした。
「ええい、役立たずめ。なんのために、たくさんのいけにえをやったのだ。ならば、魔道がうまく働くようにするんだ」
 魔道士は激怒して叫んだ。竜はこの侮辱に咆哮をあげる。
「これで元にもどったぞ」
 不服げに竜は言い、魔道士は呪文を唱えた。シグルズにむけた指に光が宿る。その途端、魔道士は赤い霧となった。
 同時に、別の場所でも同じことが起こっていた。《アルフヘイム》軍と戦っていた魔道士たちが、爆発し肉片となって四散する。あっという間にグラーバクの魔道士は全滅し、神殿に魔道士はいなくなった。
 竜は己を支配していた魔道士たちの力が消え失せたことを感じ、解放された喜びに身を震わせた。どうやら、罠は力づくで破ろうとすれば、その力を取りこみもっと強い罠になるように仕掛けられていたらしい。竜が無理に罠を破ろうとしたため罠は竜の力を得、ちょっとした魔道を使うだけで魔道士を殺すほど強力なものになっていた。
 竜は力の限り、咆哮した。予期しない事態ではあったが、こうるさい魔道士がいなくなってせいせいとした。これで思いのままに戦える。

 


 ギースルは白い魔物たちに囲まれていた。この城にいったいどれだけの白い魔物がいるのか、殺しても殺しても新たな魔物がやってくる。彼は剣だけではかなわぬと、魔法を使った。ギースルを中心に白光が広がり、魔物たちは瞬時に灰となる。
 白い魔物では埒があかぬと見たか、五人の魔道士が現れ、ギースルは再び魔法を使おうと身構えた。そこへ、フィアラルが階段から出てきて、ギースルの加勢をする。
「アルヴィース様が竜につかまっています。こちらです」
 フィアラルが案内しようとするが、魔道士たちがすばやく階段の前に立ち塞がった。
「おまえたちがどんなに手向かおうと、火の精は渡さぬ。ついでに、おまえたちも竜のいけにえにしてくれるわ」
 魔道士たちは瓶に入った粉を散らした。鉄の粉が廊下に飛び散り、呪文によって鉄の霧が作り出される。ギースルたちは妖精の肌を焼く鉄の霧に囲まれ、身動きがとれなくなる。
「手も足も出まい」
 魔道士が笑みをもらし、ギースルたちに剣を捨てるように言う。ギースルが躊躇すると鉄の霧の包囲が狭まり、剥き出しになっている肌を焼いた。
 ギースルは悪態をついて剣を投げ捨てようとし、フィアラルが止めた。彼は風を起こして鉄の霧を拡散させると、魔道士に切りかかった。一人の魔道士が倒れ、もう一人の魔道士はギースルに切られる。残った魔道士が再び鉄の霧を作り、妖精たちを襲う。
 今度もフィアラルが風を起こしはね返す。ギースルが全身の光を強め、魔道士の目を焼いた。視界を失った魔道士がひるんだ瞬間、かまいたちが彼らを襲い、鋭い刃物で切るように切り刻ざんだ。
「早く洗い流さなくては」
 魔道士たちが死ぬと、フィアラルは言った。鉄の粉が触れた個所が白い煙を上げている。ギースルも同様のありさまだった。手や顔についた鉄の粉が、彼らの肌を焼き爛れさせる。早く鉄の粉を取らないと、命にかかわる。
「アルヴィースを助けてからだ」
 ギースルは階段を降りようとして、またしても新たに出現した魔道士に行く手を塞がれた。
 魔道士はにやりとすると呪文を唱え、竜によって力を増したファグラヴェール王国の魔道士の罠にかかり、内部から爆発した。ギースルたちはなにが起きたのかと、辺りを見回したがなにもなかった。
「これがファグラヴェール王国の魔道士がしかけた罠か?」
 ギースルは言い、直接、戦いに参加することなくグラーバクの魔道士を殺してしまったファグラヴェール王国の魔道士を不気味に感じた。

 


 アルスィオーヴが神殿についたとき、シグルズの姿はそこにはなかった。彼は開け放たれた扉を見つけ、そこから風に流されてくる生臭い匂いに顔をしかめた。この道は、先ほどの竜の住処に続いているに違いない。となると中に入っていったであろうシグルズに任せておけばいいと考えた彼は、宝物庫を探すことにした。かねてより見当をつけておいた場所を探していく。竜の像の裏に隠し扉があるのを見つけ、彼はにんまりとした。扉を開けると、狭く急な傾斜の通路の先に明るく輝く黄金の光が見える。アルスィオーヴは手をすり合わせ、光の源に急いだ。

 


「これでうるさい人間どもがいなくなったぞ」
 束縛がなくなった竜は、嬉々としてアルヴィースへ頭をむけた。竜の長い体に囲まれて逃げることができないアルヴィースは、身の危険を感じて体をこわばらせた。
「これで、暑苦しいおまえを殺せる」
 竜は氷の息で炎をかき消してしまおうと、大きく口を開けた。アルヴィースは力の限り全身を燃え上がらせ、冷気を受けとめた。冷気と熱風がぶつかり、洞窟内に風が吹き荒れる。まだ子供でしかないアルヴィースは、すぐに劣勢になった。火勢が弱まり、冷気がどんどん強まっていく。
 シグルズは、竜がアルヴィースに気を取られている間にこっそりと近づいていた。鋼のように硬い竜の鱗の継ぎ目に剣を刺しこみひねる。
 やや間をおいてから痛みを感じた竜は咆哮し、シグルズを凍らせようと身をよじったが、すでにシグルズは岩陰に隠れていた。いらだった竜はシグルズを見つけようと、長い体をくねらし柱のように立ち並ぶ岩をなぎ倒した。
 アルヴィースはその隙に、竜の背を走って逃げ出した。竜の身体が急にくねりアルヴィースは地面へと放り出されたが、炎の精は器用に宙返りをするとなんなく地面に着地し、連立する岩場の中に姿を消した。
 しばらくたって竜は暑苦しい感じが消えたことに気づき、火の精を捕まえていた場所を見た。そこに火の精の姿はなく、竜はいつの間にか逃がしてしまったと苦々しげに吼えた。なんとしても見つけようと、隠れていそうな岩を片端から壊していく。
 シグルズが反対側の岩陰から飛び出し、竜の灰色の背に剣を突きたてた。竜は怒ってシグルズを振るい落とすと、噛み殺そうと牙をむけた。シグルズは倒れたまま、あざとの中へ剣を突き刺し、竜は口の中の痛みに冷気を吐き出した。シグルズは横に転がって冷気を逃れ、刺さったままの剣は口の中でつららをつけた。
 突然、竜の顎へ火の玉がぶつかり、竜は口を閉じた。突き刺さっていた剣の切っ先が頭からのぞき、竜は痛みに目をぐるぐると回しながら天井や壁に激しくぶつかった。アルヴィースが断末魔にもがく竜を避けながら、シグルズのもとに駆けてくる。シグルズは心地よい熱を放っている炎の精を抱きかかえると、洞窟から逃げ出した。洞窟の柱が粉砕され、島そのものが崩れ始める。

 


 黄金の光に誘われ、神殿の奥深くに入っていったアルスィオーヴは、光の源である黄金の玉座の後ろに出た。
「うわっ」
 玉座に座っている竜の仮面をつけた司祭と目があい、アルスィオーヴはなんでこんなところにきちまったんだと後悔しながら、来た道を戻ろうとする。だが、首根っこをつかまれ、抜け道から引きずりだされてしまう。
「小癪なまねをしおって。おまえたちのせいでわたしの計画は失敗だ」
 怒りにまかせて、司祭は黄金でできた杖を振り上げた。アルスィオーヴは身を転がして避け、短剣で切りつけた。司祭の腕をかすっただけだったが、司祭の怒りをあおるのに充分な血は流れた。
「おのれ、おのれ」
 司祭は鐘を鳴らして、白い魔物たちを呼び出した。アルスィオーヴは「おれは戦士じゃないっ」と叫ぶと、正面の戸を開け逃げ出した。廊下の先に階段を降りようとしているギースルたちの姿を見つけ、アルスィオーヴは彼らを大声で呼んだ。
「こっちに親玉がいるぞ」
 それを聞いたギースルはフィアラルだけで地下に行くように言うと、アルスィオーヴの方へ駆けてきた。
「早く、早く、逃げちまうぞ」
 ギースルは、アルスィオーヴを取り囲んでいた白い魔物たちを切り伏せ、玉座に座りなおした司祭へ剣をむけた。司祭が仮面の下から苦々しげに見返す。
「ふん、わしなどにかまっていてよいのかな。魔道士たちがすべて死んだ今、竜は自分のしたいことをしているだろうよ」
 司祭は鼻であざ笑う。
「あんなちっぽけな火の精など、齢を重ねた竜の前にひとたまりもないわ」
 わざとらしい哄笑に、ギースルは打ちかかった。司祭は杖でそれを受けとめたが、はでな音を立てて二つに折れ仮面までもが割れた。黒い目を邪悪にぎらつかせ、焼け爛れた顔が現れる。
「おまえは、〈闇の妖精〉か」
 ギースルは叫んだ。妖精には地上に暮らす〈光の妖精〉と、地底に暮らす〈闇の妖精〉がいる。容姿にこれといった違いはないが、妖精ならば、すぐにどちらなのかわかった。ギースルは妖精である司祭からさほど魔力を感じることができず、眉をひそめた。おそらく《アルフヘイム(光の妖精の世界)》に侵入したとき、光を浴びれば灰になってしまう〈闇の妖精〉は、光の下で生き延びるためにすべての魔力を使いきってしまったのだろう。多くの魔道士と竜の支配を失った今、〈闇の妖精〉は無力な存在でしかなかった。
「その顔は、光に当たって火傷したな。なぜ、命がけで光が満ちる《アルフヘイム》から〈光の妖精〉をさらった?」
 ギースルは剣を司祭の首に押しつけ、問い詰める。
「それはおまえも知っているだろう。わたしは、世界を支配するために〈滅ぼす者〉の力がほしかったのだ」  〈闇の妖精〉が、玉座に座ったまま悔しげに答える。
「いったい、なんのことだ?」
「とぼけるな。あの子は〈滅ぼす者〉だ。あらゆるものを滅ぼす力を持っている」
「それをだれから聞いた」
 ギースルは顔色を変えて言った。アルヴィースが〈滅ぼす者〉だということは、ギースルの他に、アルヴィースの母であるレギンレイブと〈光の妖精〉の王、それに数人の王子たちしか知らないはずだ。
「〈闇の妖精〉の王が言ったのさ。《アルフヘイム》にいる〈滅ぼす者〉をさらって、その力を自分のものにすれば、世界を支配できると」
「なぜ、そんなことを。それは嘘だ。アルヴィースの力を奪っても世界は支配できない」
「なぜ、嘘などと言う? アルヴィースは間違いなく〈滅ぼす者〉だ。ははん、おまえたちは〈闇の妖精〉を滅ぼすために〈滅ぼす者〉の力を使うつもりでいたな。だから、〈滅ぼす者〉の存在を隠し知らぬふりをするのだ。だが、こちらには〈守る者〉がいる。〈滅ぼす者〉を差し向けたところで負けはしない」
「〈守る者〉だと?」
「知らんのか? 〈闇の妖精〉の王の娘が〈守る者〉なのだ。たとえおまえたちが〈滅ぼす者〉を連れて襲ってきても、〈守る者〉が守ってくれる。それを聞いて、王女を殺そうったって無駄だぞ。〈守る者〉がどこにいるかは王しか知らない」
「〈闇の妖精〉の王に娘が」
「なんだ、おまえは、それさえも知らなかったのか」
 馬鹿にしたように司祭は言い、ギースルは悲しげに頭を振った。
「なにも知らないのは、おまえのほうだ。おまえは〈闇の妖精〉の王に利用されただけだ。呪いを現実のものにするために」
「呪いだと?」
 今度は、司祭が聞き返した。ギースルはそれには答えず、戸の向こうに冷やかな目を向けた。
「もうすぐ、夜が明ける。この部屋は日が当たらないようになっているな」
 ギースルの若草色の目の中に残忍な光をみつけ、司祭はぎょっとする。
「まさか、おまえ」
 司祭はギースルがなにをするつもりか気づき、豚が絞め殺されるような悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、すぐに取り押さえられてしまった。
「闇に住まないあんたには、どんなにむごいことかわかってないんだ」
「そうでもない」
 彼は冷淡に言うと、司祭を露台へと引きずりだした。司祭はわずかしか残っていない魔力を振り絞り、蛇や鳥、猫とありとあらゆる生き物に姿を変えてもがき、思いつく限りの呪いの言葉を吐いたが、ギースルは手を離さなかった。やがて、日が昇り始め、司祭は恐怖に絶叫する。
 そのとき、島が揺れた。崖が崩れ城が傾く。思わず、ギースルの手が司祭から離れ、司祭はこの隙にねずみに姿を変えて日の当たらない城の中へと逃げ出てしまった。
「しまった」
 ギースルは悔やんだが、もう遅い。城は倒壊しながら、海へと傾いていく。今から司祭を探す時間はなかった。
「アルスィオーヴ、逃げ道はないか」
 ギースルと司祭のやりとりなどまったくおかまいなしに、黄金の玉座を削り取っていたアルスィオーヴに聞く。
「こっちだよ」
 アルスィオーヴは広間に入ってきた道を指差した。





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