ラグナレク
第一章 滅ぼす者・7 「どうして、昨日の宴にいなかったの?」 ゲンドゥルと朝の食事をしていたアルヴィースは、グズルーンという妾妃が尖塔で十六歳になるカーラとまだ赤ん坊のシンフィエトリとともに暮らしていると聞き、興味を持って聞いた。グズルーンは海沿いに住む町の出身で、漁師と海に住む妖精が恋に落ち生まれた子だった。父親とともに暮らしていたが、シグムンド王が港に寄ったとき、たまたまそこにいたグズルーンを見染めて連れてきたという。 「それは、妾妃だからですよ。妾妃は王妃が出席する場には、顔をだせないことになっているのです。その娘も同様です」 「わたしも王妃の子じゃないけど、いいの?」 昨日の宴に自分は出席できたのにと、不思議に思って聞く。 「男子はいいのですよ。いずれ、王を手伝って政治を行うのですから」 政治を行うと言われても、十二歳のアルヴィースには具体的になにをするのかわからず、話をかえた。 「カーラやシンフィエトリには会えないの?」 「アルヴィース様はまだ子供ですから、王に頼めば会わせてくれるかもしれませんな。ボルグヒルド王妃がいないところでこっそりお頼みなさい」 宴会の間、ずっとアルヴィースをにらみつけていたボルグヒルド王妃はヴィン国という牧畜の盛んな国の出身で、シグムンド王と国家間の友好を強めるための政略結婚をしたのだった。彼女は王から愛されないため、常に王が愛する者たちを憎んでいた。ゲンドゥルから一番気をつけるように言われた人物だ。 「わかった」 アルヴィースは元気よくうなずいた。 「さて、これでだいたいあなたが知っておく人物はこんなところです」 ゲンドゥルは食事が終わると、本題に入ろうと姿勢を正し真剣な顔になった。 「アルヴィース様、呪いをかけられたいきさつをお話しくださりませんか。呪いを解くために必要なのです」 アルヴィースは困った顔をして、首を横に振った。 「知らない。生まれたときから、呪われてるって言われてた。母は母上のせいだってよく謝ってたけど、なぜだかわからない」 「では、呪いをかけられたのは、レギンレイブ様なのでしょうか」 「わからない。ギースルもわたしのせいだってよくわたしに謝ってたし」 「他になにか知っていることはありませんか」 「〈光の妖精〉の王が、母を王宮から出すべきではなかったって言ったことがあったけど、母はずっとわたしと森に住んでいたし、宮殿には行ってはいけないことになっていたから、へんなことを言うって思ったよ」 「あなたがお生まれになる前は、レギンレイブ様はどこに住まれていたのですか」 「知らない。わたしが生まれた家にずっといたんだと思うけど」 「これは王に聞けばわかることですな。後で二人で王に聞きにいきましょう」
シグムンド王に会えるのは午後になってからだった。ゲンドゥルは魔道士たちに会い、さまざまな報告を受けたり、指示を出したりしなければならないため、アルヴィースは自分の部屋にいるように言われた。アルヴィースの面倒を見る役を任された魔道士見習いのフラールは自分の修業に忙しく、彼の話し相手にまではなってくれなかった。 アルヴィースは退屈して隣にあるフラールの部屋に入り、彼が読んでいる書物を覗きこんだ。 「アルヴィース様、こんなところにきてはいけません。なにかご用があるなら、ベルを鳴らしてくださいと申し上げたでしょう」 フラールは驚いて顔を上げた。フラールは二十代前半のやせた男だった。部屋にこもって書物ばかりを読んでいるため、顔は病的に青白く目の下にくまができていた。全体として陰鬱な感じがするが、気のやさしい男だった。 「その本、おもしろい?」 アルヴィースはフラールの言う事を聞こうともせず、身を乗り出して言った。 「これは魔道を勉強する本なのです」 フラールがアルヴィースによく見えるように本を開いて差し出した。 「ふぅん、へんなやり方するんだな。魔法とぜんぜん違う」 アルヴィースは本を読んで言った。 「読めるんですかっ」 フラールは驚いて言った。本に書いてあるのは難解な神聖語で、魔道士が呪文を記すのに使っていた。 「なんで? 神聖語じゃないか。妖精はみんな読めるよ」 アルヴィースはフラールから本を取り上げて、熱心に読み出した。フラールがそうだったろうかと首をかしげる。 「いいえ、妖精の王族だけが読めるんですよ。失礼しました。あなたは《アルフヘイム》の王子ですから、ちゃんと習ったのですね」 フラールは本を返してもらおうと手を出したが、アルヴィースは返さなかった。 「あの、それを取られてしまうと、わたしが勉強できなくなってしまいます。それに魔道は、初歩から学ぶものなのです。魔道の書を五巻目から読むのはよくありませんよ」 フラールが困ったようすで言い、アルヴィースはむっとして彼に押しつけるように本を返した。 「それじゃ、わたしが読んでいいのはどれだ」 アルヴィースはフラールの部屋にある本棚を見回して言い、適当に本を取ってはおもしろくないと床に放り投げていった。 「アルヴィース様、なんてことをなさるんですか」 部屋を荒らされて、フラールは困りきってしまう。 「あった。これなら、読んでいいのか」 アルヴィースは初歩の魔道の書を見つけてうれしそうに言った。 「ああ、だめです。魔道を勉強するには、魔道士の弟子にならなければならないのです。魔道をやる前に掟を学ばねばならないので、勝手に初めてはいけないのですよ」 フラールは慌ててアルヴィースから本を取り上げ、アルヴィースはつまらなそうに口を尖らせた。 「なら、外で遊びたい」 フラールは深いため息をついた。 「わかりました。わたしがついていきましょう。ですが、わたしの言う事はちゃんと聞いてくださいね」 このまま部屋にいたところでとても魔道の勉強はできないと考えたフラールは、あきらめてアルヴィースとともに螺旋階段を降りた。
やはり、外の空気はよかった。アルヴィースは魔道の塔の正面にある庭でなら遊んでいいと言われ、元気よく駆けまわった。魔道士以外の者が魔道の塔に近づくことはあまりないため、その前にある庭にも人気はなかった。 アルヴィースは広い庭を隅々まで調べ、蝶を見つけて追いかけ回し、それにあきると木に登った。フラールが驚いたことに、アルヴィースは左にある木の下にいたかと思うと、次の瞬間にはフラールの後ろにある花を見ているといった小さな瞬間移動を何度もやっていた。魔道では立て続けに行うことが難しい瞬間移動を、アルヴィースは魔法でなんの苦もなく行っているのだ。 ゲンドウルから庭で遊ばせるときはけっして目を離すなと命じられているフラールは、アルヴィースに瞬間移動をしないように頼んだ。 「なんか言ったか」 庭の奥へ行こうとしていたアルヴィースはフラールの声がよく聞こえなかったらしく、フラールの眼前にぱっと現れた。 「アルヴィース様、それをやめてくださいと言ったのです。そんなに瞬間移動されては、あなたがどこに行ってしまったかわからなくなってしまいます」 「しゅんかんいどう?」 アルヴィースにはなんのことかわからなかったため、フラールは「一瞬にして別の場所に移動することです」とアルヴィースに説明した。やっとフラールの言いたいことがわかったアルヴィースは、「つまらない」と文句を言った。 「今だけでなく、ふだんも使ってはいけないのですよ。《アルフヘイム》では妖精たちがそうやって移動していたのでしょうが、《ミッドガルド(人間の世界)》ではほとんどの者が瞬間移動できないのです」 アルヴィースの目が大きく見開かれた。 「魔法を使っちゃいけないの?」 「そうです。緊急のときをのぞいて、人間と同じように振舞ってください。でないといらぬ混乱を招いてしまいます」 アルヴィースは力なくうなだれた。妖精にとって魔法を使うなと言う事は、手足を縛られて生活しろと言う事に等しかった。 「《アルフヘイム》に帰りたい」 「いつかは帰れますよ」 「それには、〈闇の妖精〉の王をやっつけなきゃいけないんだ。そうだ、剣の練習をしよう」 アルヴィースは落ちていた枝に目を止めると、拾い上げた。 「やぁ」 剣にみたてて振り上げ、フラールに飛びかかる。 「アルヴィース様、やめてください」 武道をやったことがないフラールは、アルヴィースから逃げ回りながら叫んだ。 「弱いやつだなぁ」 アルヴィースは手応えがなさすぎると、フラールを追いかけまわすのをやめた。他に相手になってくれる者はいないかと見回していると、アルスィオーヴが女たちを連れてこちらにやってくることだった。 アルスィオーヴはアルヴィースが棒を構えてかかってくると、同じように枝を拾い応戦した。 「おっ、なかなか強いな」 アルスィオーヴは何合か打ち合うと、隙を見つけてアルヴィースの頭をぽんと叩いた。 「でも、おれの勝ちっ」 アルスィオーヴが宣言すると、アルヴィースは口を引き結んで棒を構えなおした。 「今のは手加減してたんだ」 アルヴィースはまたアルスィオーヴに飛びかかった。アルスィオーヴは軽く受け流していたが、アルヴィースの動きは基本に乗っ取ったものであることに気づいた。 「おまえ、剣を習ったことあるの?」 アルスィオーヴは、棒を打ち合いながら聞いた。 「あるよ。ギースルが教えてくれた。アルスィはあるの?」 「世の中物騒だから、一応ね」 アルヴィースはいつの間にか真剣な顔になっていた。どうでもアルスイオーヴに勝つつもりらしい。 「おまえ、吟遊詩人相手に本気になるなよ」 アルスィオーヴは言いながら、ひらりと横によけた。アルヴィースがたたらを踏み、またもアルスィオーヴはアルヴィースの頭を軽く叩いた。 「よくもっ」 アルヴィースは怒って、アルスィオーヴに飛びかかったとき、「まぁ、ひどい。わたしのことをすっかり忘れて、いつまでそんなことをしているつもり」と女の声が聞こえ、アルスィオーヴは声の主へ向いた。その隙をとらえ、今度はアルヴィースが飛びあがってアルスィオーヴの頭を叩いた。 「いてっ」 アルスィオーヴが頭に手をやると、アルヴィースが「やった、やった」と庭をはねまわった。 「おまえ、本気でやるなよ。こぶができたじゃないか」 アルスィオーヴはさっとアルヴィースを捕まえ、四人いる女の中で一番若く着飾った少女の前に立たせた。少女は赤茶色の髪を結い上げ淡青色の目をしていた。アルヴィースは自分と同じ色の目に、はっとして顔をまじまじと見た。 「王子様、姉君を連れて参りました。このお方は、カーラ姫でございます。中庭でお会いしまして、ぜひアルヴィース王子に会いたいとおっしゃるので、お連れしました」 アルスィオーヴの態度ががらりと変わったので、不気味だと思いながらアルヴィースはさらにカーラを見つめた。妖精特有の透明感のある肌をもっていたが、魔力の気配はなく、どちらかといえば人間に近いようだった。アルヴィースはなんだ魔法を使えないのかと落胆した。 「アルヴィースと申します」 アルスィオーヴのように礼儀正しく振舞っておいたほうがいいのだろうと考え、丁寧に一礼する。 「剣を振り回す乱暴者かと思ったけど、礼儀は知っているようね」 カーラはにこりとして言った。 「わたしはグルズーンの娘、カーラ。お互い妾妃の子だから、立場は同じね。でもあなたは男だから、大人になったらわたしよりましな扱いを受けるわ。いいえ、宴会をしてもらえるんだから、今でもわたしよりずっといい待遇ね。あなた、ひどい恰好をしているわ」 カーラは侍女からくしを受け取り、アルヴィースの乱れた髪を梳かした。 「こんなにかわいらしい顔をしているのに、ずいぶんとやんちゃなのね」 アルヴィースは母に髪を梳かされたときのことを思い出し、おとなしくじっとしていた。 「なぜ、悲しそうな顔をしているの?」 カーラが顔をのぞきこんで聞く。 「母上がよくこうしてくれたから。でも、死んでしまったんだ」 アルヴィースは母の死を思いだし、声をつまらせながら答えた。 「かわいそうに。そうだ。わたしたちと一緒に暮せるようにお父様に頼んでみるわ。そうすれば、寂しさも紛れるでしょう」 アルヴィースは妖精の血が濃いグズルーンに会えると喜んでうなずいた。
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