ラグナレク・1−8

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ラグナレク


第一章 滅ぼす者・8



 魔道の塔で昼食をすました後、アルヴィースはゲンドゥルに連れられて、シグムンド王に会いに城へ行くと、執務室の前で侍女を連れたカーラと出会った。
「あなたのことを頼もうと思ってきたの。一緒に入りましょう」
 カーラは侍女たちに控えの間で待つように言い、アルヴィースらとともに執務室に入った。シグムンド王がカーラとアルヴィースを見て、顔をほころばせる。
「おお、二人とも元気か」
「いやね、お父様、今朝会ったばかりじゃない」
 カーラは笑って言い、さっそくアルヴィースを自分たちの住む尖塔に住まわせてはどうかと提案した。シグムンド王は眉間に皺をよせ気難しい顔をすると、「だめだ」と答える。
「なぜですの」
 カーラが不満げに聞く。
「アルヴィースは呪われているのだ。魔道士がいないところに置く訳にはいかぬ。それによからぬ企みを持つ者から守るにも魔道の塔のほうがいい」
「でも、一日中、あんな恐ろしい塔にいるなんて、よくありませんわ」
「恐ろしいですかな」
 ゲンドゥルが納得のいかぬ顔でカーラに聞く。
「魔道士は魔道を勉強しすぎて、なにも感じなくなってしまったんですわ。あの塔は女には恐ろしすぎて、中になんて入れません」
 カーラはきっぱりと言いアルヴィースにも「そうでしょ」と視線で同意を求めたが、なにも気にしていなかったアルヴィースは困った顔をした。
「いろんな魔道があっておもしろいと思いますけど」
 カーラはどうかしているという目でアルヴィースを見た。
「そんなこと言って。ずっとあの塔にいるのは楽しいの?」
 アルヴィースは小首を傾げて考えた。
「ずっと塔にいるのは、退屈です。ゲンドゥルは自分の仕事があるし、フラールは勉強していますから、わたしは一人になってしまいます。外にでたいし、遊ぶ相手もほしいです」
 カーラはほらみろと勝ち誇った顔をした。
「ならば、昼食だけ尖塔ですますがいい。遊び相手はアルスィオーヴで我慢しろ。毎日、決まった時間に行かせるようにする」
「でも、アルスィが相手じゃ、剣の稽古はできません」
 アルヴィースは不満げに言った。
「剣の稽古がしたいだと。どれ、やってみろ」
 シグムンド王は、自分の短剣をアルヴィースに渡した。王の短剣は、まだ身体の小さいアルヴィースが持つと短めの長剣となった。彼は慣れたしぐさで鞘をはずすと、基本の動作をやってみせた。
「ほう、ちゃんと習ったようだな。教えたのはギースルか」
「はい、自分の身をちゃんと守れるようにって。守れなかったけど」
 アルヴィースは悲しそうに言った。
「よかろう。わしは、毎朝、剣の練習をしている。ついでに、おまえの稽古をつけてやろう。明日から始めるぞ」
「はいっ」
 アルヴィースは喜んで元気よく返事をした。
「それで、ゲンドゥルの話はなんだ」
 シグムンドはカーラに下がるように言うと、ゲンドゥルに聞いた。
「レギンレイブ様と会ったときの話をお聞かせ下さい。呪いを解く手がかりになるかもしれぬのです」
「まぁ、わたしも聞きたいわ。お父様と妖精との恋の話なんて」
 部屋を出ようとしていたカーラが、戻ってきて言う。
「カーラ、下がれと言ったぞ。吟遊詩人の話す恋物語ではないのだ。中庭に言っておしゃべりに励んでこい」
 カーラはどうしても聞きたそうにしていたが、シグムンド王に叱られ部屋を出ていった。
「あれは嵐の晩だった」
 シグムンド王はアルヴィースを膝の上に乗せると、記憶をたどりながら話しはじめた。

 


 西の島へ出かけていたシグムンド王が船でファグラヴェール王国へ帰ろうとしていたときだった。それまで、雲一つなかった空に、突然、黒雲が現れると、雷鳴が轟き雨が滝のように降ってきた。風が強くなり、海は荒れ、津波が襲ってくる。乗船していた魔道士が嵐を止める呪文を唱える間もなかった。船は大きく揺れ横倒しになり、多くの船員が海に投げ出された。海面に突き出ていた岩に激突し、船は砕けた。
 シグムンド王は冷たい海に投げこまれた。必死で浮かびながら、彼は考えた。ここは《アルフヘイム(光の妖精の世界)》の近くだ。方向を間違わねば、助かる見こみはある。暗い海の中、岸を見極めようとしたが、激しい雨と高い波のせいでなにも見えず、彼は自分の中に残っている妖精の勘を信じて、陸を思われる方向へ泳ぎだした。母を妖精に持つ彼は、これまでも母から受け継いだ妖精の勘に助けられていた。今度もまた助けてくれるといいがと、シグムンド王は必死で泳いだ。
 すると、小船が波にもまれながら、こちらにむかってくるのが見えた。シグムンド王は必死で小船に向かって泳いだが、波に流されてしまい、距離が近づいたかと思えば、すぐに遠くへ引き離されてしまった。
 どれだけの時間が流れたのだろうか。力つきかけたとき、小船が目の前にあった。シグムンドは最後の力をふりしぼって小船にあがった。小船には金髪の女が一人いただけだった。シグムンド王はすぐに彼女が〈光の妖精〉だと気づいたが、なぜ、こんなところにいるのか聞ける状態ではなかった。
 小船は大きく揺れていたが、転覆はしなかった。〈光の妖精〉は魔法を使って小船を操っていた。シグムンド王が乗りこむと小船の方向を変えまっすぐに進ませる。
 しばらくたつと、嵐を抜けた。雨がやみ波が穏やかになると、緑があふれる陸地が見えてきた。背後を振り返ると、嵐を起こす黒い雲に覆われた空がすぐ先にあった。
 〈光の妖精〉はふいに小船の中に倒れた。魔力を使い果たしたのだろう。雨に濡れた金髪が、金糸のように彼女にまとわりついていた。シグムンド王が彼女の顔にかかっていた髪を払うと、金色の長い睫毛が白い肌に影をおとしていた。眉は柔らかな線を描き、鼻は形よく大きすぎず小さすぎず、小さくふっくらとした唇は珊瑚色だった。歳の頃は二十歳半ばに見える。
 シグムンド王は一目でこの女性を自分のものにしたいと思ったが、今は女を口説くより陸へ向かうことが先だ。手で船を漕ぎ、陸につくと〈光の妖精〉を乾いた砂浜に寝かせてやる。彼女は気を失っているだけだった。少し休めば意識を取り戻すだろう。
 シグムンド王も砂浜に横になった。彼の身体に流れる妖精の血が、ここは〈光の妖精〉の住む《アルフヘイム》だと告げていた。《アルフヘイム》は彼の治めるファグラヴェール王国と友好的な関係にある。ならば、敵はおるまいとシグムンドは考え、眠りに落ちていった。

 


「何者だ」
 ひやりとしたものが首に当たり、シグムンド王は目を覚ました。喉に剣を突きたてられていた。とっさに助けてくれた女が剣を向けているのかと思ったが、相手は男だった。柔らかな金髪が黄金のように輝き、若緑色の瞳は宝石のようだった。顔立ちは女性的ではあったが、目つきがするどく口元がひきしまっているため、女には見えない。シグムンド王は横になったまま男を見上げ、男の顔の線をもっと細く柔らかくすれば、さきほど助けてくれた女の顔となるに違いないと思った。歳も女と同じぐらいに見え、双子だろうかと考える。
「ファグラヴェール王国のシグムンド王だ」
 シグムンド王が答えると、男は驚いたようだった。片眉を上げ、少し考えてから剣をしまう。
「あなたの言葉を信じよう。なぜ、このようなところにきた?」
 男は言いながら、女を抱き上げた。
「嵐に襲われ、溺れかかっていたのをこの女性が助けてくれた。名前を教えてくれないか」
 歩き出した男の後について行きながら、シグムンド王は尋ねた。
「これは失礼した。わたしは《アルフヘイム》第四王子ギースル。この女性はレギンレイブ。わたしの母で〈光の妖精〉の王の妹だ」
 ギースルはいったん足を止め、レギンレイブを抱いたまま礼をすると、再び歩きだした。シグムンド王は双子ではなく親子なのかと、ギースルの後ろ姿を見ながら思った。人間などより遥かに寿命が長い妖精は、歳をとるのも遅い。妖精の血が流れるシグムンド王もすでに百年以上生きながら、外見上は五十代にしか見えないのだから、人間の血が混ざらぬ妖精はもっと歳をとるのが遅いのだろう。
「粗末な家だが、疲れがとれるまでここで休むがいい」
 ギースルの言うとおり、ほんとうに粗末な家だった。木で作られた小屋で二部屋しかない。ギースルは奥の部屋に母を連れていくと、ベッドに寝かせた。
「あなたは、わたしとともにこちらの部屋で休むことになる。このベッドを使うといい」
 ギースルは部屋にある一つしかないべッドを指差して言った。
「なぜ、こんな小屋に」
 シグムンド王はなぜ、王子がこんななにもない小屋に住んでいるのだろうかと不思議に思って聞いたが、ギースルは答えなかった。
「疲れているなら、ベッドで寝るがいい。腹が減ったら、自分で森を歩いて食べ物を探してくれ。ついでに母の分もとってきてくれるとうれしい」
 ギースルは水瓶から桶に水をくむと、棚から布きれをとりだした。
「わたしは母の看病をしている。用があったら呼んでくれ」
「悪いのか?」
 シグムンド王はレギンレイブを心配して言った。
「いや、休めばすぐによくなる」
 ギースルはそう言い、隣の部屋に入って行った。
 残されたシグムンド王は先に空腹を満たそうか、疲れを癒そうか考えた。腹は減っていたが、狩りをしなければならないのなら、休んでからにしたい。窓の外に目をやると、すぐそばに果実がたわわになった木があった。彼は外に出、果実をもいで口にしてみた。みたことがない果実ではあったが、酸味と甘味がほどよくいくらでも食べることができた。シグムンド王は果実で腹を満たすと、ギースルが母の分もとっておいてほしいと言ったことを思いだし、五、六個もぎ、テーブルの上に置いておく。
 腹がふくれたシグムンド王は大あくびをし、さて寝るかとベッドを見た。ギースルが使うように言ったベッドは、シグムンド王には小さかった。ギースルは長身の青年だったが、シグムンド王はそれよりも一回り以上大きいのだ。彼はベッドから毛布を剥ぎ取り床に横になると、すぐに熊も驚いて逃げ出すような大いびきをかきだした。





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