ラグナレク・1−9

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ラグナレク


第一章 滅ぼす者・9



 涼やかな笑い声に、目を覚ました。すぐそばで、レギンレイブとギースルが椅子に座っていた。レギンレイブはシグムンド王が取ってきた果実を小さく切り分けながら、食べている。シグムンド王と目があうと、彼女はやさしく微笑んだ。彼女はギースルと同じ若緑色の目をしていた。
「起こしてしまいましたか?」
 レギンレイブが柔らかな声で聞く。
「もうよろしいので?」
 シグムンド王は、レギンレイブの身体を気遣って言った。
「休みたくとも休めるわけがないだろう。竜が寝ているようないびきをかくんじゃ」
 ギースルが顔をしかめて言い、レギンレイブは「失礼なことを言うんじゃありません」と彼を叱った。シグムンド王は「わしが寝ている間は、どんな恐ろしい生き物がいるのかと思って、だれも近づくまいとみなに言われる」と豪快に笑う。
 シグムンド王はテーブルに近づいたが、椅子は二脚しかなかった。ギースルが立ちあがり、シグムンド王のほうへ椅子を押しやったが、ギースルが床にじかに座るのを見たシグムンド王は、彼と同じように床に腰を下ろした。
「まぁ、わたしも床に座ったほうがよさそうね」
 レギンレイブは二人を見て言い、自分も椅子を使うのをやめた。ギースルは邪魔になったテーブルと椅子を片付け、レギンレイブは戸棚から食器を取り出すと、三人の真ん中に布を敷いてから並べた。
「ご馳走をだす呪文を忘れてしまったわ」
 空の食器をしばらく見つめた後、レギンレイブは困った顔をしてギースルへ向かって言った。
「わたしは知りませんよ。別に使えなくてもいいじゃないですか。外には食べ物がたくさんあるんですから」
 窓から見えるたわわに果実がなった木を、身振りで示して言う。
「ギースル、お客様は、ちゃんともてなさなくてはだめよ」
と、レギンレイブは呪文を思い出そうと、首を傾げた。
「いや、おかまいなく」
 シグムンド王が戸をあけると、レギンレイブは「どこに行くんですの」と驚いて聞いた。
「なにか獲物を捕まえてこよう」
 シグムンド王の言葉にレギンレイブは慌てて言った。
「お客様にそんなことをさせられません。ギースル、いってらっしゃい」
 ギースルは眉を跳ね上げた。
「母上は、この熊みたいな男と二人きりになるつもりですか。そんなことはできません」
 一国の王に対してギースルはかなり失礼なことを言ったが、シグムンド王は母親思いの息子だと思っただけで腹はたてなかった。だが、レギンレイブのほうは怒った。「ギースル」ときつい声で言うと、ギースルはしかたなく立ちあがった。
「ここには多くの妖精がいる。だれもいないと思って愚かなまねをするなよ」
 ギースルはシグムンドに警告し、レギンレイブがまた「なんてことを言うの」とギースルを叱った。
 それでも、本当にギースルが出かけてしまうとレギンレイブは少し困った顔になった。無理に笑顔をつくっているが、シグムンド王が怖いらしい。
「なぜ、わしを助けてくれた」
 熊のようで怖いと女性からよく言われるシグムンド王は、レギンレイブの緊張をほぐそうとして話しかけた。レギンレイブはきょとんとした。
「わたしが、助けたのですか」
 レギンレイブは少しの間記憶をたどっていたが、それから、うなずいた。
「ああ、そうでした。嵐の中、男の方を助けましたが、あなただったのですね。暗かったので顔がよく見えなかったのです」
 ということは、べつに王とわかって助けたわけではないらしい。
「なぜ、あのような嵐の中へ出られた」
 レギンレイブは遠くを見るような目つきになった。
「あの嵐は〈闇の妖精〉の王が魔法で起こしたのです。船が《アルフヘイム》の近くを通ったので、《アルフヘイム》へ行くものと勘違いして転覆させたのでしょう。〈闇の妖精〉の王は、《アルフヘイム(光の妖精の世界)》に出入りする者を必ず襲うのです。わたしは嵐を止めようとしましたが、できませんでした」
 レギンレイブは悲しげに微笑んで言った。
「なぜ、あなたがそんな無茶なまねを。〈光の妖精〉の王は、なぜ、なにもしないのだ」
「〈光の妖精〉の王は、なにもしないわけではありません。〈光の妖精〉の王は、《アルフヘイム》をしっかりと守護しておられます。そのため、〈闇の妖精〉の王は《アルフヘイム》を襲うことができず、〈光の妖精〉の王の力が及ばない《アルフヘイム》周辺を狙うのです。もし、〈光の妖精〉の王が、《アルフヘイム》周辺で襲われた者たちを助けようとすれば、《アルフヘイム》を守る力がほんの少し弱ります。〈闇の妖精〉の王は、それを狙っているのです。わたしは多くの者が目の前で死んでいくのを見てきましたが、ついに耐えきれなくなって、嵐が起こった海へ出たのです。それでも、あなたしか助けることができませんでしたが」
 シグムンド王はレギンレイブの勇気をたたえ、改めて助けられた礼を言った。
「母上」
 意外に早くギースルが帰り、シグムンド王は残念に思った。
「樫の精と話したのですが、食器の裏をみてくれませんか」
 ギースルはあきれたようすでレギンレイブに言った。レギンレイブはそのとおりにすると、「まぁ」と声をあげた。
「呪文が書いてあるわ」
「ちゃんと食器を見てから、わたしに狩りにいくように行ってくださいよ」
 ギースルはどっかとレギンレイブとシグムンド王の間に座った。
「わたしだけのせいにしないでちょうだい。あなたなんか、食器を見ようともしなかったじゃない」
 レギンレイブはギースルに言い返し、呪文を唱えた。すぐさま、さまざまな料理が現れる。肉に魚にスープにデザートに、腹がすいていたシグムンド王はたちまちそれらを平らげた。

 


 ギースルによれば、ここは《アルフヘイム(光の妖精の世界)》のはずれで、もっとも《スヴァルトアルフヘイム(闇の妖精の世界)》に近い場所だった。ファグラヴェール王国に帰るには〈光の妖精〉の王の援助が必要だったが、〈光の妖精〉の王が住む宮殿へ行くには、徒歩で二ヶ月あまりかかるらしい。
「わたしは魔法で瞬時に宮殿へ行けるが、あなたを運ぶことはできない。〈光の妖精〉の王に頼んで迎えをよこしてもらったほうがいいだろう」
 ギースルは言ったが、まだレギンレイブと別れたくないシグムンド王は断わった。
「いや、自分で宮殿へ向かいたい。ここにだって馬はいるだろう」
 シグムンド王は、《アルフヘイム》には妖精しか乗せない妖精の馬しかいないことを知っていながら言った。妖精の馬は普通の馬より遥かに足が速いが、妖精しか背に乗ることを許さなかった。人間が近づこうものならすぐさま蹴り殺し、もし運良く乗れたとしても乗り手が死ぬまで走りまわった。
「だが、人間を乗せる馬はいない。妖精の馬なら二日で行けるが、馬はあなたが近づこうとしただけで、殺そうとするだろう」
 ギースルは、シグムンド王が思ったとおりのことを言った。
「ならば、乗りこなしてみせよう」
 シグムンド王は自信たっぷりに言った。妖精が乗れて、妖精の血が流れるシグムンド王が乗れないわけがない。昔から妖精の馬を乗りこなしたいと考えていたシグムンド王はこの機会に挑戦するつもりだった。それに妖精の馬を乗りこなすまでは、レギンレイブのもとにいることができる。
「それは危険です」
 話を聞いていたレギンレイブが、シグムンド王を止めた。
「いや、わしにだって、妖精の血は流れている。乗れないわけがないのだ」
 シグムンド王の決意は固く、どんなにレギンレイブがやめるように言っても無駄だった。
「一度やってみれば、考えも変わるでしょう」
 ギースルがレギンレイブに言い、レギンレイブは「それでも危険よ」と言いながらも説得をあきらめた。

 


「わたしがよく乗る妖精の馬を呼ぼう」
 ギースルはすぐさまシグムンド王を空地に連れて行き、時間を稼いでレギンレイブと二人きりになる時を作ろうと考えていたシグムンド王は苦々しく思った。ギースルはシグムンド王が渋い顔をしているのを見て、にやりとした。
「やはり、母と離れるのがいやで、妖精の馬で行くなどと言ったな。悪いことは言わない。母に手を出そうなどとばかなことを考えずに、おとなしく宮殿へ行け」
 ギースルに考えを見通されて、シグムンド王はむかっ腹を立てたが認めはしなかった。
「ばかなことを言うな。一国の王ともあろう者が、か弱き者のように迎えなどよこされてたまるか。さっさと妖精の馬を呼べ」
「ならば、試すがいい」
 ギースルはシグムンド王の言葉を信じず、見下した目でシグムンド王を見ると、軽く口笛を吹き妖精の馬を呼んだ。
 現れたのは、銀色のたてがみを持った白馬だった。妖精の馬は乗り手がシグムンド王だと聞くと、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「わたしに乗れるかな」
 妖精の馬は口を聞き、後ろ足立ちになっていなないた。近づいてきたシグムンド王を蹴飛ばし、吹き飛んだ彼を冷やかな目で見る。シグムンド王は、胸を押え立ちあがった。肋骨が折れている。
「おのれっ」
 シグムンド王は怒り、妖精の馬に飛びかかった。またも妖精の馬は蹴り上げ、シグムンド王は倒れた。それでもシグムンド王はあきらめず、しつこく妖精の馬を捕まえようとした。妖精の馬は逃げ出しはしなかったが、ひらりとよけたり、蹴飛ばしたりして、うまくシグムンド王を近づけなかった。
「やめろっ」
 最初は冷たい目で見ていたギースルも、シグムンド王が顔を腫れあがらせ、右腕を垂れ下げ、片足を引きずりながらも、なお挑もうとする姿を見て、止めないわけにはいかなかった。
 妖精の馬が立ち去り、シグムンド王はギースルをにらみつけた。
「なぜ、邪魔をする」
「あなたは馬に蹴られて死ぬ気か」
「もう少しで乗れたところを」
 シグムンド王は腹立たしげに言った。
「そうは見えなかったが。とにかく家に帰って怪我の手当てをしよう。あなたは本当におろか者だ。その姿を見て、母がなんというやら」
 ギースルは気が重そうに、小屋へ向かって歩き出した。シグムンド王は「馬を呼び戻せ」とギースルに叫んだが、ギースルは足を止めもしなかった。やがてシグムンド王はあきらめ、足を引きずりながらギースルの後について行った。





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