ラグナレク・1−13

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ラグナレク


第一章 滅ぼす者・13



 昼になってアルヴィースはやっと外に出ることができた。尖塔で昼食を取るため魔道士見習いのフラールに連れられて外に出たのだが、アルヴィースはまっすぐに尖塔に行かずに、ここぞとばかりに庭を走りまわった。
「いつになったら、お昼にするつもり」
 待ちくたびれたカーラが、尖塔から出てきてアルヴィースを促し、アルヴィースは残念そうにカーラとともに尖塔に入った。王の許可がない者は尖塔に入れないため、フラールは食事が終わるまで尖塔の前で待つことになっていた。
 カーラはアルヴィースをすぐに食堂に案内せずに、子供部屋へ向かった。そこには小さなベッドがあり、赤ん坊が寝かされていた。
「この子が弟のシンフィエトリよ」
 シンフィエトリはまだ起きあがることもできない赤ん坊で、手も足もとても小さかった。アルヴィースがシンフィエトリの手をにぎると、シンフィエトリは目を覚まし黒々とした目でアルヴィースを見つめた後、にっこりとした。アルヴィースも笑みを返し、手近にあったおもちゃであやしてやると、シンフィエトリは声をあげて笑った。アルヴィースはもっと喜ばせてやれるものはないかとベッドの周辺を探したが、カーラに「遊ぶのは食事の後よ。食堂に行きましょう」とせかされ、しぶしぶ子供部屋を後にする。

 


 食堂では、グズルーンが席について待っていた。長い栗色の髪を腰まで垂らしたグズルーンの顔は青白く、蜜色の瞳はガラス玉のように生気がなかった。白い肌も陶器のように冷たく硬質な感じがして、精巧な人形のようだった。グズルーンを見た瞬間、アルヴィースは顔立ちが母にどことなく似ていると思ったが、レギンレイブのような内面からあふれだす生命の輝きを感じることができず、親しみをもつことはできなかった。
 グズルーンは昼食の間、塔の窓の外がよく見える席に座り外を見てばかりで、アルヴィースに関心はなさそうだった。アルヴィースのほうも、グズルーンから魔力を感じることができず、興味を失ってしまった。
「お母様は、外を見るのが好きなのよ」
 カーラがアルヴィースに教える。
「一日中、外を見てばかりいるわ。でも、閉じ込められているわけでもないのに、外にでたりしないの。ものすごく変わってるのよ」
 グズルーンは自分のことが話題になっていても耳に入らぬようすで、ときどき思い出したように、アルヴィースにパンを勧めたり、カーラに好き嫌いをしないように言うだけだった。
 ふいに、グズルーンの目が輝き、頬が紅葉した。まるで人形に生命の息吹が吹きこまれたかのようだった。アルヴィースはなにかおもしろいものが見えたのかと窓から覗いてみると、シグルズが前庭を歩いているところだった。
「兄上っ、もう起きれるようになったの?」
 アルヴィースが手を振ると、シグルズはぎょっとした。アルヴィースに向かって、「なぜ、そんなところにいる」と叫ぶ。
「父上がここでお昼を食べていいって」
 言ってから、アルヴィースは階段を駆け下りた。
「アルヴィース、待ちなさい。食事の途中なのよ」
 カーラが追いかけてくる。
「ずっと魔道の塔にいるのはよくないから、カーラがお昼をここで食べるように父上に言ったんだ」
 アルヴィースはシグルズに駆け寄って言った。
「なにをばかなことを。もうこの塔に入るんじゃない」
 シグルズは叱り、アルヴィースの腕を取ると、魔道の塔のほうへさっさと歩き出した。アルヴィースはなぜ怒られたのかわからず、目を瞬かせた。
「ちょっとお兄様、アルヴィースをどこに連れていくの」
 カーラが走ってやってきた。シグルズは彼女を見て厳しい声で言った。
「なぜ、父上にアルヴィースを尖塔にいれるように言った」
「だって、ずっと魔道の塔にいるんじゃ、アルヴィースも寂しいんじゃないかと思って」
 カーラはシグルズの剣幕にひるみながら答えた。
「だからと言って、あの塔にいれることはないだろう。もう二度と、いれるんじゃない」
「そんな。わたしだって、ずっと母と二人きりの食事なんて寂しいわ」
「ならば、魔道の塔でアルヴィースと食事をすればいいだろう」
「そんな無茶苦茶な」
「どっちが無茶苦茶だ。ちょっと考えれば、大変なことになるぐらいわかるだろう」
 シグルズは本気で怒りカーラは泣き出した。
「だって、こんなにかわいらしい弟ができたんですもの。一緒に食事したりしたいわ」
「城の空いている小食堂を使えばいいだろう。あそこなら、友人を呼ぶこともできる」
 シグルズは代案をだし、カーラは泣き止んだ。妾妃の住む尖塔には王の許可なしに客人を招くことができないが、城となればだれでも自由に食事に招くことができる。
「まぁ、それなら、お兄様とも食事ができるわ」
「時間があるときは、顔を出すよ」
 シグルズは言い、カーラは約束よと言うと尖塔へ帰っていった。
「兄上、どうして怒るんだ?」
 アルヴィースは納得がいかぬ顔をして、シグルズに言う。
「いろいろとあるんだ。問題を起こさないためにも、おまえも気を使ってくれ」
 アルヴィースはさっぱりわからず、首を傾げた。
「とにかく、もう尖塔には近づかないと約束してくれ」
「いったいどうなされたのですか」
 魔道の書を読むのに夢中になってしまい、アルヴィースが尖塔の外に出ていることを今ごろになって気づいたフラールは慌てて駆けてきて、シグルズに聞いた。
「なんでもない。アルヴィースを魔道の塔へ連れていってくれ。もう尖塔には連れていくな」
 シグルズはアルヴィースをフラールに引き渡し、立ち去った。残されたアルヴィースとフラールは顔を見合わせ、いったい、どうしたのだろうと首を傾げた。

 


ファグラヴェール王国での暮らしは平穏にすぎていった。自分にかけられた呪いと《アルフヘイム》に連れていかれたギースルのことがアルヴィースの心に影を落としていたが、シグムンド王にしっかりと守られているおかげで、事件に巻き込まれるようなことは一度も起きなかった。
 早朝の剣の稽古に午前の王子が知っておくべきさまざまな習い事、午後の魔道の勉強と、今日も何事もなく日課が終わり、魔道の塔の寝室で眠っていたアルヴィースは、馬のいななきとひずめの音に目を覚ました。こんな夜中に何事かと眺めのいい塔の窓から下を見てみると、シグルズが数人の兵士とともに馬を走らせて出て行ったところだった。それを見送ったゲンドゥルが魔道の塔に入るのに気づいたアルヴィースは階下へと急いだ。
「アルヴィース様、そんなに急いで下りては危険ですよ」
 ゲンドゥルが何事もなかったようすで、魔法を使って吹き抜けを急降下してくるアルヴィースに言った。
「兄上が、武装して出て行ったけど」
 アルヴィースは床にふわりと着地するなり言った。
「たいしたことではありません。ちょっと〈闇の妖精〉が現れたもので」
 ゲンドゥルは心配せずに寝室に戻るように言ったが、アルヴィースは引き下がらなかった。
「たいしたことがないなら、兄上が出ていったりしないよ。なにかあったのなら、ちゃんと教えてよ」
 アルヴィースはぜったいになにか隠していると、疑って言う。ゲンドゥルはしかたなしに説明した。
「〈闇の妖精〉が魔物を率いて近くの町を襲ったのです。守備隊では守りきれないので、シグルズ様が援護に向かいました」
「また〈闇の妖精〉が」
 アルヴィースがファグラヴェール王国にきてからというもの、それまで交流の盛んだった〈光の妖精〉が姿を見せなくなっていた。代わりに〈闇の妖精〉がひんぱんに現れるようになり、人々を煩わせている。
「〈光の妖精〉が現れなくなったので、〈闇の妖精〉は調子に乗っているのかもしれませんな。ですが、ここは魔道の盛んな国です。〈光の妖精〉の力を借りずとも、じゅうぶんに国を守れると思い知らせてやれば、〈闇の妖精〉も襲うのをやめるでしょう」
 ゲンドゥルは言ったが、アルヴィースは《アルフヘイム》から追放された自分がファグラヴェール王国にいるため、〈光の妖精〉の王は交流を持つことをやめてしまい、〈闇の妖精〉はアルヴィースの力をほしがって襲ってくるのではないかと考えていた。
「アルヴィース様、〈光の妖精〉たちは〈滅びの時〉が近づいてきたので《アルフヘイム(光の妖精の世界)》から出なくなったのですよ。こうるさい〈闇の妖精〉もじきに《スヴァルトアルフヘイム(闇の妖精の世界)》へ帰るでしょう。アルヴィース様がお心を煩わせる必要はないのです。さぁ、ベッドにお戻りください。早朝に王と剣の稽古をするのでしょう。起きられないと王に叱られますよ」
 それでもアルヴィースはシグルズを心配しているようすだったが、ゲンドゥルにうながされ、しかたなく部屋に帰っていった。

 


 シグルズは兵士を引き連れ、ソリンの町へ急いだ。助けを求めにきた兵士によると、宿に泊まった商人を町に駐在していた魔道士が〈闇の妖精〉と見抜き、捕らえようとしたところ抵抗され戦いになったという。
 〈闇の妖精〉は駐在している魔道士二人で充分戦えたが、〈闇の妖精〉と手を組んでいた人間たちのほうは〈闇の妖精〉に魔法で力をつけてもらったとみえ、獰猛な熊のように暴れまわり守備隊の手には負えなかった。
 町につくと、兵士の報告が間違っていたことがわかった。〈闇の妖精〉と手をくんだのは、人間ではなく狂戦士(ベルセルク)だった。ふだんは人間と変わりないが、いったん血をかぐと熊と人間の中間のような姿になり、すべての敵を殺すまで戦いをやめることができない種族だ。
 シグルズは馬に拍車をかけると、戦いの中に飛び込んで行った。狂戦士(ベルセルク)は全部で五人いた。シグルズは、手近にいた狂戦士(ベルセルク)の首を一撃で切り落とした。狂戦士(ベルセルク)は怪我をしてもみるみる回復してしまうが、首を切られるとなれば、話は別だった。シグルズが連れてきた四人の兵士たちも、同じように狂戦士(ベルセルク)の首を狙う。あっという間に二人の狂戦士(ベルセルク)が死に、残るは二人となった。兵士の一人が首を狙い損なったらしく、狂戦士(ベルセルク)に馬から落とされ、剣をつき立てられた。もう一人は、馬上から狂戦士(ベルセルク)と剣を打ち合っている。
 シグルズは舌打ちして、兵士を殺した狂戦士(ベルセルク)に向かった。すれ違いざま、剣と剣がぶつかり火花を散らした。シグルズはもう一度、馬を狂戦士(ベルセルク)にむかって走らせ、剣を持つ腕を叩き切った。血しぶきがあがる。
 狂戦士(ベルセルク)は切り取られた腕を拾い、傷口につけるとみるみる傷が治っていった。狂戦士(ベルセルク)の顔に笑みが浮かぶ。だが、シグルズは狂戦士(ベルセルク)の腕が使えるようになるまで待ったりはしなかった。馬を下りると、狂戦士(ベルセルク)に駆け寄り剣を振り下ろした。驚いた表情の狂戦士(ベルセルク)の頭が道に転がる。
 もう一人の狂戦士(ベルセルク)は、兵士たちが倒していた。連れてきた兵士のうち、一人が死に一人は大怪我をしていた。守備隊のほうはもっとひどかった。そこら中に死体が転がり、怪我人が痛みにうめいていた。
 シグルズは、怪我の手当てをするように兵士たちに言うと、〈闇の妖精〉を探した。まだ動ける守備兵が、宿屋に案内する。宿屋の中は、血の海となっていた。死体が転がる中で、魔道士二人と〈闇の妖精〉が対峙している。傍目にはにらみ合っているだけのように見えるが、実際には魔道と魔法の戦いが行われていた。
 魔道士がふうっと大きく息を吐き、〈闇の妖精〉はふらふらと後ろに下がり倒れた。
「終わりました」
 魔道士が疲労困憊したようすでシグルズに言った。
「この者たちは、アルヴィース様を誘拐しようと企んでいたのです」
 もう一人の魔道士が言う。
「安易に、アルヴィースの力を手にいれようとする者が多いな」
 シグルズは〈闇の妖精〉の死体を見て言った。アルヴィースがファグラヴェール王国にきてからというもの、〈滅ぼす者〉であるアルヴィースの力を手に入れようと、よからぬ企みを持ってやってくる者が後をたたなかった。まるでだれかがアルヴィースの力を手に入れれば、世界を自分の物にすることができるぞと、たきつけているようだ。
 シグルズは魔道士たちに休むように言うと、念の為、〈闇の妖精〉の首をはね、日が出たら日にさらすように守備兵に命じた。どんなに強い魔力を持っていても、日にあたって灰になってしまえば、息を吹き返すことはできない。

 


「兄上だっ」
 太陽が地平線から顔を出したばかりのうすぐらい早朝に、訓練場で王から剣の稽古をつけてもらっていたアルヴィースは、馬のひずめの音が聞こえるなり、持っていた剣を放りだし厩の方へ駆けていった。シグムンド王が「剣を放り投げるやつがあるか」と怒鳴ったが、アルヴィースの耳にはとどかなかった。
 アルヴィースがやってきたとき、シグルズは馬を厩の少年に預けたところだった。シグルズは全身に返り血をあび、ともにいた兵士の数も減っていた。
「兄上、大丈夫っ」
 アルヴィースはシグルズがどこか怪我をしていないかと心配したが、竜の血を浴びたことがあるシグルズの肌は鉄より固く、怪我をすることなどあるはずがなかった。
「心配することなどないのに」
 シグルズはアルヴィースの頭に触れようとしたが、手に血がついていることに気づいてひっこめた。
「でも兵士の数が少ないよ」
 アルヴィースは苦戦したのかと心配して言う。
「目ざといな。怪我をしたから町においてきたんだ。手当てがすんだら、戻ってくるよ」
 シグルズはシグムンド王がゆっくりとやってくると軽く礼をして、襲ってきた者たちを全滅させた旨を告げた。シグムンド王は詳しい話は後で聞こうと、労をねぎらい休むように言ったとき、まだ寝ている者を起こすほどの金切り声が聞こえた。
「なんです。その姿はっ」
 なぜ、こんな朝早くに起きたのか。こともあろうに、いつもこの時間には寝ているはずのボルグヒルド王妃が、こちらにやってくるところだった。シグルズとシグムンド王はうるさいのがきたと、天を仰いだ。
「すぐに着替えます」
 シグルズはきっぱりと言うと、王妃がこれ以上なにか言い出す前に城へ入っていった。シグンムンド王も稽古の途中だとアルヴィースを連れて訓練場に戻ってしまい、うまく逃げることができなかった兵士たちがボルグヒルド王妃の前に取り残された。
 王妃はえんえんと王子に危険なことをさせるとはと兵士たちに説教し、兵士たちはもう一度、狂戦士(ベルセルク)と戦ったほうがましだと心の中でぼやいた。





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