ラグナレク・1−14

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ラグナレク


第一章 滅ぼす者・14



 アルヴィースがファグラヴェール王国にきてから二年の時がたつと、空は消えることのない赤い雲に半分以上覆われ、日中でも夕方のように薄暗くなった。気温も下がり、作物が育たなくなり、木や草も枯れていった。春になっても雪が解けず、夏でも雪が降った。神々によって地底の奥深くに封じ込められたはずの魔物が、深夜になると地上へ現れ人々を襲った。が、魔道師ゲンドゥルが言っていたとおり、〈闇の妖精〉は《スヴァルトアルフヘイム(闇の妖精の世界)》に帰ってしまい、姿を見せなくなった。
 さらに四年の時がたつと、赤黒い雲は空の大部分を覆ってしまった。太陽の光が完全に失われ、代わりに雲が月光のような赤い光を地上に注いだ。日が射さないことで魔物が堂々と姿を見せるようになり、シグムンド王はできるだけ多くの人々を城壁内に避難させ、入りきれない者たちは近隣の町に集まらせ、土塁や木柵で囲い守備隊に守らせた。魔道士の護衛をつけず、郊外を歩く者などいなかった。
 だが、アルヴィースはだれにも見つかることなく城を抜け出すと、たった一人で近くの海岸へ行き海を眺めていた。
 十八歳になったアルヴィースは背が伸び、ほっそりとしたしなやかな身体つきになっていた。まだ大人になりきれず、かといって子どもというほど幼くもない彼は、魔物の危険を気にもせず、長く伸ばした炎のような髪と黒いマントを風にたなびかせていた。
 この海の向こうにはもう二度と帰ることが許されぬ《アルフヘイム(光の妖精の世界)》があった。そして、そこには兄であるギースルがいるはずだ。ギースルとはグラーバクの魔道士から助けられて以来、会っていなかった。ギースルはアルヴィースを助けたことでどんな罰を受けたのだろう。彼は今、無事でいるのだろうか。
「やはりここにいたのか」
 馬を走らせてきたシグルズは、アルヴィースの姿を見つけると馬からおりて言った。城にアルヴィースの姿が見えないときは、たいていここにきて《アルフヘイム》の方角を見つめている。
「さぁ、帰るんだ。近頃、昼間でも魔物が出るようになったし、おまえをさらおうと狙っている人間も大勢いるんだぞ。こんなところで一人でいるなんて危険だ」
 そう言っている間にも、岩陰にちらほらと動く怪しい姿がある。シグルズはいつでも剣を抜けるように柄に手をやった。
「魔物ぐらい簡単に倒せる」
 魔物の存在に気づいているのかいないのか、アルヴィースは海から目を離さずに答える。
「またギースルのことを考えていたのだろう。危険を犯して海を見ても、ギースルの助けにはならないぞ。城に戻ろう。シグムンド王が探していた」
 それを聞いてアルヴィースは嘆息した。
「城に帰るのは気が重いな。みな、わたしの呪いが解けないのではないかと不安になり始めている。父上の立場があまり悪くならないうちにここを立ち去らなくては」
「焦るな。〈闇の妖精〉の王を倒せるのは、おまえしかいないと占いに出ているんだ。いやでも、いつかは〈闇の妖精〉の王を倒すために出て行くことになるさ」
「ゲンドゥルは魔道士になったら〈闇の妖精〉の王を倒す旅に出てもいいと言っているが、どんなに頑張っても後二年はかかりそうなんだ」
「二十歳で魔道士なんてかなり早いほうじゃないか。ふつうは四十歳近くになってやっとなれる」
 アルヴィースは、城にきた時から身のまわりの世話をしてくれる魔道見習いのフラールが、いまだ見習いであることを思い起こしたが、気休めにはならなかった。
「もっと早く魔道士になりたいよ。力の使い方を半端に知ってる今が、一番危険なんだ。うっかり魔道を使いそこなって《ミッドガルド(人間の世界)》を滅ぼすなんてことになりかねない」
「怖いことを言うな。なら、魔道を使うような事態になる前に城に戻ろう。まだ〈滅ぼす者〉にはなりたくないだろう」

 


「身体の調子はどうだ?」
 アルヴィースが執務室にやってくるとすぐに、シグムンド王は言った。それまで内密の話でもしていたのか、部屋にいるのは王とゲンドゥルだけだった。
「悪くないですよ」
 アルヴィースはなんだそんなことで呼んだのかと落胆して答えた。
「アルヴィース様、正直におっしゃってください。〈光の妖精〉は光のもとでしか生きられぬ種族です。その血を強くひくあなたが、この光があまり射さなくなった世界にいて、なんでもないわけがないのです」
 ゲンドゥルが真剣な面持ちで言う。
「父上だって、兄上だって妖精の血を引いているではありませんか。なんでもないのですか?」
 アルヴィースは自分ばかりがか弱い者のように扱われると、不機嫌になって聞き返した。
「わしも妖精の血は濃いが、もう百年以上も生きておるおかげで少しぐらいのことでは堪えんし、シグルズは母が人間のおかげでたいして影響はないわ。問題があるのは、ほとんど人間の血が流れていないおまえだ。おまえはまだ若い。闇の世界を生き伸びる力はまだ備わっておらん」
「わたしは、もう長くはないのですか」
 余命いくばくもないとあればむくれてばかりもいられず、少しだけ神妙になってアルヴィースは聞いた。
「だから、延命するためにこうしてゲンドゥルと話し合っているのだろう。おまえも強がっていないで本当のことを言え」
 アルヴィースは嘆息すると認めたくなさそうに言った。
「日に日にだるくなってきました。ときおり立ちくらみがすることもあります」
 やはりと、ゲンドゥルがうなずく。
「そろそろ薬を処方したほうがよさそうですな。まったく健康な状態に戻すことはできませんが、衰弱を遅らせることができます」
「薬などより、光の溢れる《アルフヘイム(光の妖精の世界)》で暮らしたほうがいいのだが」
 シグムンド王は言い、それから思い出したようにゲンドゥルに聞いた。
「呪いのほうはどうなった。やはり〈闇の妖精〉の王を倒さねば呪いは解けんのか」
「はい。ですが、〈守る者〉を味方につけることができるかもしれないと占いにでました」
「かもだと。もっと確実な話を聞きたいものだな。それで〈守る者〉はどこにいるのだ」
「今、魔道士たちが全力をつくして探しているところです」
「急いで見つけろ。それからアルヴィース、おまえは城の外に出るのは禁じる。わざわざ自分から危険な目にあうことはない」
「父上、どんなに呪いを解く方法を探しても、わたしが〈闇の妖精〉の王を倒すしかないのですよ。いつか〈闇の妖精〉の王を倒す者が、魔物ごときに怯えてどうするのですか」
 王の言う事が正しいとわかっていながら、いまだ一人前扱いしてもらえないことが気に障り、アルヴィースは反抗的になって口答えをした。
「アルヴィース、おまえの言うとおり、おまえが〈闇の妖精〉の王を倒すしかないのかもしれん。だが、今のおまえでは無理だ。〈闇の妖精〉の王を倒したいのなら、魔道を習得しろ。魔法での戦いではおまえが負けるかもしれんが、魔道となれば勝手が違って魔法に慣れた〈闇の妖精〉の王には戦いづらかろう。それでやっとおまえに勝ち目が見えてくるのだ。〈滅ぼす者〉などと呼ばれているからといって安易に勝てると思うな。魔道士になるまで、塔にこもって修業をするんだ。わかったな」
「わたしは、それほどまでに弱いですか」
 アルヴィースは怒って言った。
「おお、弱いとも。おまえはこの国さえも火の海にする力があるとうぬぼれているのだろうが、魔道士たちに水をかけられたら終わりだ。嘘だと思うなら、ゲンドゥルと戦って海の中にでも沈められてみるか」
 水の中に入ると聞いて、アルヴィースは本能的に身震いして後ずさった。火の精であるアルヴィースは人間の血が混じっているため、少しぐらい水につかっても問題はなかったが、長時間、大量の水の中につかるとなると問題だった。力が弱り、意識が遠のいてしまう。
「いえ、けっこう」
 アルヴィースはぶっきらぼうに言った。
「では、文句を言わずに魔道の修業をしろ」
 シグムンド王が身振りで退出を命じ、アルヴィースは部屋を出た。控えの間で魔道の書を読んでいたフラールが慌てて後についてくる。
「そんなに長くは生きられないのか」
 アルヴィースは、フラールに聞かれないように口の中で呟いた。呪いが解ける前に《アルフヘイム》に帰ることなく死ぬのだろうかと、陰鬱な気分で中庭に面した柱廊を歩いていると、中庭の方から楽しげな笑い声が聞こえてきた。
 宮廷楽士のアルスィオーヴが姫たちと笑いながら話している。外は赤い雲に覆われ雪が降っているというのに、中庭には魔道で作られたいつわりの青空が広がり、花が春のように咲き乱れていた。春のように暖かく、姫たちはその中で一日の大半を過ごしていた。ここにいれば、〈滅びの時〉が近づいていることを意識せずにすむのだ。姫たちの中には腹違いの姉カーラと六歳になる弟のシンフィエトリもいた。今でも、小食堂で彼女との昼食を続けていたが、グズルーンと会うことはなかった。
 アルスィオーヴはアルヴィースに気がつくと元気よく手を振ってきた。彼は妖精の力を失ったとはいえ、長寿までは失わなかったらしく、六年前とまったくかわらぬ若さを保っていた。姫たちもわっと歓声をあげ、アルヴィースに会釈する。
 シンフィエトリが元気よく駆けてきて、アルヴィースに体当たりをした。きちんと梳かされていたシンフィエトリの茶色い髪が乱れる。
「お、強くなったな」
 アルヴィースはシンフィエトリの体当たりを受けとめて言った。
「兄上、遊ぼうよ」  シンフィエトリはアルヴィースの腕をつかんで中庭の方へ連れていこうとした。
「今はだめだ。昼食の後、いつも遊んでやっているだろう」
 自分が子供のときも遊び相手がなく寂しかった事を思い出しながら、すまなげに言う。
「ここは女ばっかしかいないから、つまらないんだ」
「アルスィがいるだろ。あいつで我慢しろ」
 アルヴィースは、またも自分が子供のときによく言われたことを言っていると内心苦笑する。
「兄上のほうがおもしろいよ」
 シンフィエトリはすねて唇を尖らせた。
「いつも忙しそうね。たまには、みなと話して行ったら?」
 カーラも近寄ってきて話に加わった。
「やめておきます。今、父上にもっと魔道の修業に励めと叱られたところなんです」
 アルヴィースが答えると、カーラは「まぁ、お父様って厳しすぎるわ」と叫んだ。
「わたしは自分で呪いを解かねばならないのですから、しかたありませんよ。さぁ、シンフィ、姉上と一緒に行け」
 アルヴィースはふくれるシンフィエトリを、カーラに引き渡して別れた。カーラはすぐに中庭へ戻り、三人のやり取りを息をひそめてうかがっていた姫たちはまた黄色い声をあげて騒ぎだした。アルスィオーヴが得意そうになにか言い、さらに黄色い声が大きくなる。
「いつも楽しそうだな」
 アルヴィースは自分も呪いや死などに悩まされることなく、遊んで暮らせたらいいのにと姫たちをうらやましく思った。





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