ラグナレク・2−1

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・1



 スリーズ王によって塔の中に閉じ込められたガグンラーズの王女フュルギヤは、十四年近くもの間、外の世界を知ることなく乳母以外の者に会うこともなく暮らしていた。彼女は自分魔力を持ち、そのせいで塔に閉じ込められたことを知っていたが、外にはフュルギヤを死刑にしたがっている人々や人を襲う魔物がいると乳母から聞かされていたため、外に出たいとは思わなかった。
 塔の中にいれば、いつまでも安全だった。ほしいものがあれば、乳母がどこからか持ってきてくれ、話がしたくなれば乳母がいくらでも聞いてくれる。
 ときおり、ガグンラーズ国を治めているという顔も覚えていない両親に会えないことを悲しく思ったが、その度に、乳母が両親はとてもフュルギヤを愛しているがため、あらゆる害から守ろうと塔の中にかくまったのだと話して聞かせ、それを間に受けたフュルギヤは自分はなんて幸せなのだろうと感じていた。
 だが、実際のスリーズ王は〈闇の妖精〉の血をひいているかもしれぬフュルギヤを塔に閉じこめ、だれの目にもふれないようにしたことで安心してしまい、その存在をほとんど忘れかけていた。民も十四年前に行われた国境の閉鎖がいまだ解けず物不足が続いているためその日を暮らすのがやっとで、呪われた王女が塔に閉じ込められていることなどすっかり忘れていた。ガグンラーズの中でフュルギヤのことを覚えていたのは、彼女の母ベストラ王妃しかいなかった。
 ベストラ王妃だけがフュルギヤを真に愛していたが、気が弱い彼女はスリーズ王の逆鱗に触れるのが恐ろしく、彼女のもとを訪れることも話題にすることもできずにいた。王家の血をひいているのはベストラ王妃であり、スリーズ王は王族の血をひかぬ身分の低い一族の出身であることを考えれば、おかしなことだった。先王が死んだとき、気が弱いベストラはスリーズ王の強引な求婚にせまられ承諾してしまったが、今思えば、両親が本当に事故で死んだのかも怪しかった。
 王座にふんぞり返り、横暴な命令を家臣たちに下しているスリーズ王を横目で見ながら、ベストラ王妃はこの人を王にしたのは間違いだったと考えていた。早く国境の封鎖を解き貿易を再開させなければ、食料が乏しいガグンラーズは〈滅びの時〉を乗りきれないことは、政治にうといベストラ王妃にもわかった。しかし、スリーズ王は自分の食料だけを蓄え、民のことは考えていなかった。彼は国民のいなくなった国を治めるむなしさに気づいていないのか、国民が死に絶えてもかまわないらしい。
 ベストラ王妃はフュルギヤを閉じこめている塔が見える窓に視線を移し、そろそろスリーズ王に隠れて、フュルギヤが魔道を学べるように手配しなければならないと考え、蒼白になった。彼女が魔道を使えるようになれば、スリーズ王を退位させ、魔道を奨励しているファグラヴェール王国のようにうまく国を治めることができるだろう。だが、計画の途中でベストラ王妃がそんな考えを持っているとスリーズ王が知ったら、どんなにいかることか。
 ベストラ王妃は自分の考えがスリーズ王に見透かされたのではないかと震えながら、彼の横顔をちらりと見た。王は家臣たちから賞賛の言葉を受け、上機嫌でしゃべっている。ベストラ王妃のことなど気にも止めていなかった。彼女はいつまでもそばにいると、王が計画に勘付いてしまうのではとおそろしく、いますぐ自分の部屋に逃げ帰ってしまいたかったが、王の許可なく席をたつことはできなかった。早く部屋に帰してほしいと願いながら、ベストラ王妃はスリーズ王が退出を許可してくれるのを辛抱強く待った。

 


「なんと、ガグンラーズ国より使者とは珍しい」
 ファグラヴェール王国の王シグムンドは、不思議そうに言った。《ミッドガルド(人間の世界)》の北端にあるガグンラーズ国は南端にあるファグラヴェール王国からあまりにも遠く、魔力を忌む文化と尊ぶ文化の違いもあってほとんど交流がなかった。しかも風の噂ではスリーズ王は、この十数年、近隣の国とさえ交流を断ってしまったはずだ。
 使者は謁見の間に通されると「ベストラ王妃からです」と手紙を差し出し、側近が受けとりシグムンド王に手渡す。王は手紙を読むと「うむむ」とうなり、魔道師ゲンドゥルに渡した。
「これは、これは。スリーズ王から政権を奪回するために、フュルギヤ姫に魔道を教えてほしいと書いてありますな」
「政権を奪うために魔道を使うことは禁じられておる。この頼みは聞けんな」
 シグムンド王は手紙を破ろうとし、ゲンドゥルが慌てて止めた。
「お待ちください。フュルギヤ姫は魔力を持っているのですな」
「それがどうした」
「我々は〈守る者〉を長年探してきましたが、ガグンラーズは魔力を嫌う国のうえ、鎖国をしているので、後回しにしておりました。もしかしたら、彼女が〈守る者〉かもしれません」

 


 雪が降る中、魔道の塔の前にある庭を、大工たちがせわしく動き回っていた。魔道の塔の開け放たれた窓から金槌をふるう音や威勢のよい掛け声が聞こえてくる。
 アルヴィースは魔道の書を読むのをやめて、外を見た。庭に、小屋の骨組みができている。
 魔物が数多く出るようになるにつれ、身を守ることができぬ者たちが土地を捨て、シグムンド王を頼って逃げてきていた。シグムンド王は貴族には城の空いた部屋を提供し、平民には城壁内にある城下町の宿屋や民家の空部屋をあてがった。神殿もできるだけ多くの人々を収容したが、それでも数が足りず、身分の低い貴族は広間で暮らし、平民は公園や路上にテントを張って暮らしていた。
 シグムンド王はこのまま路上に住む人々が増え、道を塞いでしまっては戦になったとき軍が動けなくなるため、どんな理由があろうと路上に住む事を禁じ、かわりに暖かな屋根の下で暮らせるようにと空地はもちろん広場にまでできるだけ多くの人々が住むことができる避難所をつくるように命じた。
 城も例外ではなく、逃げてきた貴族たちが連れてきた兵士を収容するために兵舎を増築し、庭には兵士が訓練する空間が必要なため、妨げにならない程度の簡素な小屋が造られた。この小屋には身分の低い貴族が住むことになっている。
 城のほうから、足の悪い老人とそれを支える女性が出てきて造りかけの小屋の前に立った。あの二人が小屋に住む事になるのだろうか。たった二人に一つの小屋をあてがわれるとはかなりの優遇措置だが、アルヴィースには身体の悪そうな老人が住むにはふさわしくないように思えた。
 アルヴィースは魔道の塔から出ると、王族を目にする機会がほとんどない大工たちがうろたえて大仰にひれ伏した。小屋を見にきていた二人もアルヴィースに気づき、頭を下げる。アルヴィースは大工たちに気にせずに作業を続けるように言ったが、大工たちは緊張して身動きもできないありさまだった。
「ここに住むのはおまえたちだけか」
 アルヴィースはさっさと用件を済まして塔に戻ったほうがよさそうだと考えながら、二人に聞いた。
「さようでございます」
 昔は体格のいい田舎者であったろう白髪の老人も、あまり王族に会ったことがないらしく緊張のあまり身を震わせていた。アルヴィースのほうも、貴族であるはずのこの老人を見かけたことはなかった。
「見かけない顔だな。名はなんと言う」
「モーインの領主ハールでございます。この者は娘のディースでございます」
 アルヴィースより一、二歳年上の茶色の髪をした特別美しくもない娘が軽くおじぎをする。彼女は商人の娘よりも粗末な服を着ていた。貴族とはいえ、かなり貧しいのだろう。知性的な輝きを持つ緑色の目がなければ、ただの田舎娘に見えたところだ。
「この簡素な小屋では、おまえの身体に悪くはないか。城のほうがよければ、わたしから王に言っておくが」
 アルヴィースさっそく本題に入った。老人が蒼白になり、ひれ伏した。
「いいえ、そんな恐れ多い事を。王様と同じ建物の中で暮らすことなどできません」
「陛下も同じことをおっしゃってくださいましたが、父は小屋にしてほしいとお願いしたのです」
 娘も膝まずき、老人をかばうように肩に手を添えた。
「立ってくれ。よけいな世話だったな」
 アルヴィースが言うと、老人はさらに恐縮して「そのようなことはございません」と頭を地面にこすりつけた。
「アルヴィース様、なにをしておられるのです。すぐ塔へお戻りください」
 そのとき、城から出てきたゲンドゥルが、アルヴィースに気づいて言った。
「わかったよ」
 アルヴィースがもう用もすんだことだしと素直に塔へ帰ると、すぐにゲンドゥルが小言をはじめた。
「アルヴィース様、多くの者が避難してきたため、見知らぬ者が歩きまわっております。よからぬことを考えている者も混じっているかもしれませんので、一人で出歩くことはおやめくださいと、何度言ったらおわかりになるのですか」
「塔の前にいただけじゃないか。おまえは塔から城へ行くときも、一人で歩くなと言うつもりか」
「その通りです。城の中には素性の確かな者しかいれておりませんが、外にいる者は違います。特に城下町には、どんな怪しげな者が入ってきているか、わかったものではありません。警備を厳重にしておりますが、どうかご用心くださいませ」
「まったく、城壁の外へ出るなの次は塔からも出るなか。そのうち部屋からも出るなと言われそうだな」
「アルヴィース様、あなたの身を心配して申しているのですよ」
 アルヴィースがわざと魔道を使って上階へ飛ばずに階段の登ったため、王子を差し置いて宙を飛んで部屋に帰ることができないゲンドゥルは、息を切らしながら言った。階段を登ることが苦にならないアルヴィースは、年寄りのゲンドゥルが階段を登るのはかなりきついことなのだろうかと足を止め、ゲンドゥルの皺だらけの顔を見た。息を切らしているものの血色のよい頬をした人のよさそうな灰色の暖かい目をしたゲンドゥルは、さきほど会ったハールよりずっと元気そうだった。
「なんです?」
 顔をまじまじと見られてゲンドゥルは言った。
「年寄りが階段を登るのはつらいだろうと思ってな。おぶってやろうか」
 アルヴィースが冗談半分に言うと、ゲンドゥルは「これしきなんでもございません」と怒った。
「さぁ、さっさとお行きください。わたしはこれからガグンラーズ国の姫が〈守る者〉かどうか調べなければならないのです」
「〈守る者〉か。占い通り、うまく味方につけることができるのか」
 アルヴィースは考えこみながら、再び階段を登りだした。
「今はまだわかりません」
 ゲンドゥルの声が遠くなったので、アルヴィースが振り返ると、ゲンドゥルは少し下のほうで壁に手をつき休んでいるところだった。
「平気か?」
 アルヴィースは階段を降りていってゲンドゥルに手を貸そうとしたが、ゲンドゥルは「年寄り扱いしないでくだされ」と彼の手を振り払った。
「今、休んでいたくせに」
「この壁がもろくなっていたようなので、調べていたのです。なんでもないようですな」
 ゲンドゥルは壁を調べるふりをして言った。
「どうでも認めない気だな。わたしは先に行っているぞ」
 アルヴィースは魔道を使って宙に浮かび、吹き抜けを上がっていった。ゲンドゥルはどうでも階段をあがって行こうとしたが、数段登ったところで、「いやいや、こんなことをしている場合ではない。わしは急いで〈守る者〉のことを調べなくてはならんのじゃ」と独り言を言うと、アルヴィースと同じように吹き抜けを飛んでいった。





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