ラグナレク・2−3

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・3



 ゲンドゥルから水晶を持たされた魔道士は、魔道を使った瞬間移動と徒歩の移動を繰り返し、数日かけてガグンラーズ国にやってきた。
 彼は人目を避けながら、道が整備されていないため家が乱雑に建ち並ぶ街中を歩き、遠くに見えるフュルギヤのいる塔を見上げた。どんなに魔道を厳しく取り締まろうと、魔道を知らない者に魔道を使う者を見分けることはできない。魔道士は罪もない人々が兵士に捕らえられる光景に遭遇し、狂気の沙汰だと悲しげに首を振った。
 人ごみを離れ、ごみだらけの腐敗臭を漂わせた裏道に入ると、魔道士はもう一度、瞬間移動してフュルギヤのいる塔に入ろうとする。しかし、困ったことにそれはできなかった。〈闇の妖精〉がフュルギヤが魔法を使って逃げ出すことを恐れたのか、侵入者を防ぐためか、いずれにしろ魔法に阻まれて入ることができない。しかたなく、魔道士は王妃の部屋へと瞬間移動した。ベストラ王妃が一人になるのを待ち、彼女の前に姿を現す。
 ベストラ王妃の部屋に入った魔道士は、王妃の部屋があまりに〈闇の妖精〉の気配に満ちていることに鼻じろんだ。アルヴィース王子が考えたとおり、彼女は〈闇の妖精〉と通じている。そんな彼女にフュルギヤに水晶を渡てほしいと頼むことが正しいとは思えなかったが、彼女以外に頼める者がいなかった。
 魔道士の援助を心待ちにしていたベストラ王妃は、どうやって城に入ってきたのか不思議に思いながらも魔道士の来訪に顔を輝かせ、すぐにスリーズ王に見つかり罰を与えられるのではないかと怯えて血の気を失った。
 魔道士が水晶をフュルギヤに渡してほしいと頼むと、さらに彼女の顔から色がなくなった。
「そんな恐ろしいことできません」
 ベストラ王妃は魔道士が差し出した水晶から逃げるように後ずさったが、魔道士に「あなたが頼んだのではないですか」と言われ、涙を浮かべながら水晶を受け取った。
「どうしても、わたしが渡すしかないのですか」
 ベストラ王妃は己の役目の恐ろしさに震えながら、死にそうな声で言った。魔道士はなぜこれほど臆病な王妃がフュルギヤ姫に魔道を習わせようとしているのかと不思議に思った。〈闇の妖精〉と関係があるのだろうか。
「王妃様」
 なぜ、〈闇の妖精〉と関わることになったのかと魔道士が尋ねようとした瞬間、〈闇の妖精〉の気配が凝縮し、魔道士をひねりつぶそうとした。賢明な魔道士はとっさに、この〈闇の妖精〉は魔道士を上回る力があり、ここで戦っても勝ち目はないと判断し、言葉を飲み込んだ。生きてこのことをゲンドゥルに報告しようと、魔道士はベストラ王妃を問い詰めることを断念し、何食わぬ顔でベストラ王妃の部屋を出る。
「必ずフュルギヤに渡します」
 ベストラ王妃は魔道士と〈闇の妖精〉のひそかな戦いに気づきもせず、魔道士にというよりも自分に言い聞かせているように弱々しい声で言った。魔道士はうなずき、〈闇の妖精〉が余計な詮索をせずに今すぐファグラヴェール王国に帰ることを望んでいるのを感じながら、ファグラヴェール王国への帰途についた。

 


 いつも艶やかな黒髪を自然なままにおろしているフュルギヤは、珍しく塔に一人きりとなって人形遊びをしていた。いつもそばにいる乳母は、フュルギヤがほしがった人形を手にいれるため、塔の外へ出かけていた。
 戸が開き、フュルギヤは乳母が人形を持ってきたと銀色の瞳を輝かせたが、入ってきたのは見たことがないくすんだ茶色の髪の女だった。
「だれ? ここに入ってきてはいけないのよ」
 初めて見る乳母以外の人間に、フュルギヤは怯えて後ずさった。こんなことが起きるなど生まれて初めてのことだ。
 ところが、侵入者のほうもびくびくとしていた。身体を震わせながらフュルギヤに歩み寄り、顔を隠していたベールを取る。平凡な顔立ちの臆病そうな女だった。
「時間がありません。わたしの話をよく聞きなさい。わたしはベストラ王妃、あなたの母親です」
 ベストラ王妃は、すぐにでも乳母が戻ってくるのではと背後を気にしながら言った。フュルギヤは驚きのあまり声もなく立ち尽し、母と名乗る女性をまじまじと見つめた。
「おまえは王の言うように、呪われてなどいません。でも、呪われていることにしておかなければ、魔女として死刑にされてしまうのです。塔から出ても生き延びられるよう、魔道を学びなさい。そして、王を退位させ、国が滅びるのを防ぐのです」
 ベストラ王妃は一方的に早口で言うと、袋から水晶を取り出し、フュルギヤに手渡した。
「これはなに?」
 フュルギヤは、予期せぬ母との対面をどう受けとめたらいいかわからず、渡された水晶を見つめた。
「わたしはスリーズ王に隠れてファグラヴェール王国に使者をやり、おまえを助けてくれるように頼みました。そして魔道士がきて、おまえに渡すようにと水晶をくれたのです。これは魔道師と会話ができるものだそうです。彼と話をして、魔道を学びなさい」
 ベストラ王妃はそれだけ言うと、たった一人の娘を抱きしめてやることもせず、逃げるように塔を立ち去った。
 後に残されたフュルギヤはすっかり気が動転してしまい、無意識のうちに手の中で水晶を転がしていた。まさか母に会う事があろうとは思ってもみなかった。しかも直接、手から物をもらうことができるとは。
 フュルギヤは冷たい水晶に母のぬくもりが残っていないかと、しっかりと握りしめた。そうしているうちに、彼女を守ろうとしているような温かな力が水晶から発散されるのを感じる。これは母のものだろうか。それともこの水晶を作った者の力だろうか。頬に当ててもっとその力を感じようとし、彼女は水晶がかすかな甘い香りがするのに気づいた。
「本当に魔力が宿ってるんだわ」
 初めて見る魔力の宿った物を、フュルギヤはためつすがめつ眺めた。これを作ったのはどんな人なのだろう。だれかが魔力を使うのを見たことがないフュルギヤは、他人の手による魔力の産物が自分の手の中にあるということが不思議でならなかった。
「お母様が魔道を勉強しなさいだって」
 物言わぬ人形に話しかけてから、神妙な面持ちでフュルギヤはテーブルの上に水晶を置いた。いきなり王を退位させろだの国が滅びるだの言われても、塔の世界しか知らぬフュルギヤにはよくわからなかった。とにかく魔道師に会ってみればいいようだ。
 彼女はどんなことが起こるだろうかと不安と期待に緊張しながら、魔道師に会いたいと念じた。

 


 フュルギヤが水晶を見つめていると、水晶に光が帯び、その中にぼんやりとした影が現れた。すぐに黒いマントを着た人のよさそうな老人になる。老人の灰色の目は温かく、大きな口はいつも微笑んでいるようだ。
「あなたは、だれ?」
 フュルギヤは老人を目の当たりにして、今まで乳母しか見たことがなかったのに、今日一日で二人も新しい人を見たわと感動した。一生、だれにも会う事はないと思っていたフュルギヤにとってはかなりの大事件である。
 老人はにっこりとし、やさしげな目をますます和ませる。人を疑うことを知らないフュルギヤはすぐに警戒を解き、にこりとした。水晶の中の小さな老人が動くのが、なんだかおかしい。
「はじめまして、フュルギヤ姫。わたしは、ゲンドゥルと申します」
 ゲンドゥルが小さな水晶の中で一礼する。
「あなたは本当にファグラウェール王国の魔道師なの?」
 その問いに、魔道師は黒いマントに刺繍されたファグラヴェール王国の紋章を見せる。
「わたしは、ファグラヴェール王国の魔道士をまとめる魔道師です。これがわかりますかな」
「わかるわ。ファグラヴェール王国の紋章でしょ。お父様が嫌っている国の紋章だって乳母が言ってたわ」
 そう言い、フュルギヤは顔をしかめてみせた。
「あなたもファグラヴェール王国が敵だと思いますか」
 ゲンドゥルがにこやかに聞く。
「わからないわ。お父様になにか悪いことをしたの?」
「いいえ、なにもしていませんよ」
「ならいいわ。お母様が、あなたに魔道を習うように言ったの。ガンクラーズ国では魔道を使う者は死刑になってしまうのに、どうしてそんなことを言ったのかしら」
「ベストラ王妃は姫様の身を案じておられるのですよ。〈滅びの時〉がきたら、魔道はどうしても必要なものとなります。姫様が魔道を習得せねば、魔道士のいないガグンラーズ国は、いずれ滅びることになるでしょう」
「まぁ、そうなの」
 初めて聞く話に、フュルギヤは口で小さな円を作り両手でそれを隠す。
「スリーズ王が自ら招いたことなのですよ。ですが、あなたが魔道を使えるようになれば、国を助けることができるでしょう」
「でも、そんなことをしたら、お父様に死刑にされちゃうわ」
「本当の魔道士を死刑にすることなど、スリーズ王にはできません。魔道が使える者は、死刑にされる前に簡単に逃げることができます」
「そうなの」
 魔道のことをなにも知らぬフュルギヤは、きょとんとして言った。
「あなたはなにも知らないのですね。あなたは魔法をどの程度使えるのですか?」
「なにもできないわ。勝手に物が動いたりするぐらい」
 ゲンドゥルは驚いた。妖精の血をひき魔力を持っていれば、だれに教わらなくても魔法が使えるはずだ。魔法を使いこなせないなどと初めて聞く。
「自分の意思では使えないのですか?」
 ゲンドゥルが重ねて聞く。
「そうよ。ねぇ、魔道を覚えたらどうなるの?」
 魔法を使いこなせないことが少しもおかしいと思っていないフュルギヤは、簡単に話題を変えた。
「魔法が勝手に働くのが止まり、塔から出て、ガグンラーズ国を助けることができるようになるのです」
「恐ろしい外になんか出たくないわ。ここにいれば悪いことなんてなんにもないもの」
「姫様にとって、閉じ込められた塔は居心地のよい揺りかごなのですな。ですが、世界が滅びる日がきたら、そんなことも言っていられませんよ。それにだれにも会わず、一生塔の中で暮らすつもりですか? 同年代の友人がほしいとは思わないのですか。そこから出なければ、だれとも知り合うことができませんよ」
「友達なんて、なくても困らないわ」
 自分が思っていた以上に大変なことに巻きこまれつつあると感じたフュルギヤは、ささやかな抵抗を試みる。
 ゲンドゥルはフュルギヤがただをこねるであろうことを予期してしたのか、にっこりとうなずき、横を向いてだれかに向かって手招きした。水晶にもう一人の姿が現れ、フュルギヤは新しく見た人間が三人になったわと、くらくらしだした頭で考える。今日はたくさんのことがいっぺんに起こりすぎて、なにがなんだかわからなくなってしまった。
 水晶に映し出されたのは、歳の頃は十七、八の青年だった。赤と金の混じる複雑な色合いをした髪が形のよい卵型の顔を縁取り、肌は燃え上がる炎のような髪とは対照的に、大理石のように白く涼しげだ。大きな瞳は澄んだ湖のように淡い青で、長い睫毛がわずかに影を落としている。
 フュルギヤがぽかんと口をあけて彼を見ていると、青年は優雅に一礼し、珊瑚色の唇を動かした。
「はじめてお目にかかる。わたしは《アルフヘイム》の第五王子アルヴィース。ファグラヴェール王国の第二王子でもある」
「わ、わたしは、ガグンラーズ国のフュルギヤです」
 フュルギヤはとっさに礼を返せなかったばかりか声がうわずってしまい、恥ずかしさに顔を赤くした。アルヴィースはゲンドゥルを一瞥すると、水晶から姿を消した。
「彼と友達になりたくありませんか」
 ゲンドゥルが意気揚々と言う。フュルギヤはほてった顔を両手で押さえた。
「わたし、なれるかしら。あんなきれいな人がいるなんて思ってもいなかったわ」
 ゲンドゥルの思う壺にはまったことに気づきもせず、フュルギヤはうっとりとして言う。
「あなたが望めば友達になれますよ。どうです。外に出たいと思うようになりましたか」
「外に出たら、彼と話をさせてくれるの?」
 さっきまでの消極的な態度はどこへやら、フュルギヤは身を乗り出して聞く。
「話だけなら、この水晶を使ってもできますよ。でも、外に出れば直接、会えるのです。会ってみたいでしょう」
「もちろんよ」
 すぐにでも外にでるつもりになったフュルギヤは、勢いこんで返事をする。
「それではさっそく、基本から始めましょう。まずは魔法と魔道の違いですが、魔力は能力の大きさを表すものなのです。そして、魔法や魔道はその魔力を使いこなす方法です。魔法と魔道の違いはと言いますと、魔法は妖精たちが本能で使う方法で、魔道は人間が使う方法なのです」
 さっそくゲンドゥルは楽しそうに魔道の講義を始め、その難解さにフュルギヤはげっそりとした。





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