ラグナレク・2−5

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・5



 注意してみるとアルスィオーヴの言うとおり、アルヴィースが小屋の前を通るたびにディースが窓にへばりついてこちらを見ていた。なのに、アルヴィースと目があいそうになると、慌てて窓の陰に隠れてしまう。いつも窓のそばにいるのか、まるで儀式のように一度たりとアルヴィースを見逃すことがないため、アルヴィースのほうも妖精らしいいたずら心が頭をもたげてきた。
 わざと窓から見えない方角へ行くと、すぐに小屋の窓の横に隠れた。思ったとおり、ディースはアルヴィースがどこに行ってしまったのかと窓から身を乗り出し、アルヴィースは「だれを探している?」と聞いた。
 まさか、間近にアルヴィースがいると思っていなかったディースは驚いて、顔から地面に落ちそうになり、アルヴィースが抱きとめた。
「すみません。すみません」
 ディースは、アルヴィースの腕の中でひたすら謝った。
「なにを謝ることがある」
 アルヴィースはディースの慌てぶりをおもしろがって言った。
「なにをしているのです。早く塔に戻りましょう」
 一緒にいたゲンドゥルがなにをばかなことをしているのかとあきれた顔で、アルヴィースをせかす。
「うるさいやつだな。ちょっとふざけただけだ」
 アルヴィースはディースをちゃんと立たせてやると、すぐにゲンドゥルとともに塔に入った。
 ディースはアルヴィースがいなくなると、へなへなと床に座り込んだ。動悸がおさまらず、呆けたようにぼんやりとしてしまう。同じ部屋にいたハールも椅子に腰掛けたまま、呆然としていた。
「これでよし」
 いきなり、部屋の中央にアルヴィースが現れ、ディースとハールは仰天して飛びあがった。
「まるで化け物扱いだな」
 アルヴィースは困惑した顔で床に座り込んでしまった二人を見た。
「塔に入って行ったのに」
 小屋の戸も開けずにどうやってきたのかと、ディースが聞く。
「魔道で抜け出してきたのさ。そうでもしないと話もできないからな」
「話ですとっ」
 ハールははっとしてアルヴィースとディースを交互に見たあと、「こんな娘でよろしければ差し上げます」とおそるおそる言った。
「勘違いしないでくれ。ただ話をしたいと思っただけだ」
 アルヴィースは言ったが、ハールは気を回して自分がいては心置きなく話もできないでしょうと不自由な足を引きずりながら、隣の部屋へ行ってしまった。
「違うと言うのに」
 ディースと二人きりになった部屋でアルヴィースはぽつりと言ってから、窓際の椅子に座った。ここからだと魔道の塔の入り口がよく見える。
 アルヴィースはディースがまだ床に座っていることに気づき、椅子を勧めた。ディースは緊張しながら椅子に座り、アルヴィースはがっかりとした顔をする。
「アルスィといるときと態度がぜんぜん違うんだな。どうして、わたしがいると自然に振舞えない?」
「すみません」
 ディースはどうしていいかのわからず、謝った。
「なにも悪いことをしていないのに、謝ることはないだろう」
 アルヴィースは不機嫌に言い、ディースはまた「すみません」と謝る。
「謝るなと言うのに」
 アルヴィースはどうしたものかと首を傾げ、じっとディースを見たまま黙り込んでしまった。
「あの、お気に障りましたか? 窓から見ていていたことですけど」
 沈黙にたまりかねて、ディースがおずおずと聞いた。
「別に。あまりに熱心にこちらを見ているから、からかってやろうと思っただけだ。一度でもわたしを見逃すと、いやなことでも起こるのか? それから、わたしと目があってもいけないようだな」
 アルヴィースが興味なさそうに言い、ディースはどうしたらいいのかと困惑する。
「いえ、そういうわけでは。王子様を見るなんてことはそうありませんから、こんなときにしっかり見ておかないともったいないと思ったんです。それに殿下は妖精じゃないですか。妖精を見られることなんて、そうはありませんわ」
「そんなに必死になって見るものか」
 アルヴィースがあきれて言う。
「そりゃ、見ますよ。殿下はそんなに美しいですもの」
 ディースは熱をこめて言った。
「美しいか」
 アルヴィースはうれしくもなさそうに自分の顔に触った。
「女ならうれしいだろうが、男でこの顔ではな。もう少し父に似ればよかったのに」
「まぁ、なんてもったいないことを。きっとご自分の姿を見慣れてしまって、どんなにすばらしいお姿をお持ちなのかわからなくなっているんですわ。どんな美女にも負けないぐらいのお姿ですのよ。うらやましいわ」
 アルヴィースは大きくため息をついた。
「ほめているつもりだろうが、美女のようだと言われて喜ぶ男がいたら会ってみたいよ」
 ディースはしばらく考え、「それもそうですわね」と少しだけ笑みを浮かべた。
「おや、わたしを探しているみたいだな」
 アルヴィースは、塔から魔道士見習いのフラールが出てくるのを見て言った。フラールはだれかを探すように、きょろきょろとしている。
「邪魔をしたな。驚かしてすまなかった」
 アルヴィースは立ち上がり、ふとテーブルの上に置いてある本に目を止めた。
「『妖精の生活』。《アルフヘイム》の話か?」
 アルヴィースは本を取り上げパラパラとめくった後、ディースに「だれの本だ」と聞いた。
「わたしのです」
「おもしろそうだな。きみが読み終わったら借してくれ」
 アルヴィースは本にしおりがはさんであるのに気づいて言い、ディースは「差し上げます」と言った。
「読んでいる途中じゃないのか」
 アルヴィースは眉をひそめて言い、ディースはなにかばかなことをしてしまったかと、身を堅くした。
「そうですけど」
「なら、読んでからでいい。どのくらいで読み終わる?」
「あさってぐらいでしょうか」
「そのときに借りにくるよ」
「そんな、こちらからお持ちしますのに」
 ディースは王子に取りにこさせるなんてと慌てて言った。
「いいんだ。いつもゲンドゥルやフラールに見張られて窮屈なんだ。たまに抜け出さないと息がつまる。わたしが取りにくるよ」
「でも、なぜ、わたしのような者のところに。城には大きな図書室がありますし、美しい姫様たちも大勢いらっしゃるでしょう」
「でも、ほうきを持って男を追いかけ回す女はいないよ」
 アルヴィースはにやりとして言った。ディースがなんのことかと目を丸くする。
「きみは、アルスィをよく追いかけ回していたじゃないか」
「まぁ、見ていたんですの」
 ディースは真っ赤になった顔を両手で覆った。
「毎日、毎日、きみたちはよくもあきずに追いかけっこをしているな」
「それは違います。あれはアルスィオーヴがスカートをめくったり、お尻をさわったりするから怒って追いかけていたのです」
 頭にきたことを思いだし、今度は怒りで顔を赤くする。ディースは本気で怒っていた。
「あいつ、そんなことをしていたのか」
 アルヴィースは驚いて言った。高い魔道の塔からだと、そこまでは見えなかったのだ。
「叱っていただけませんか。わたし、本気で怒っているんです」
「すまない。てっきり遊んでいるのかと思っていた。すぐにやめるように言うよ」

 


 その日を境にアルスィオーヴのいたずらがぴたりと止まった。アルスィオーヴはディースのいる小屋を素通りするようになり、ディースはほっと胸をなでおろす。
「これでいいのか」
 背後からアルヴィースの声がして、ディースは飛びあがった。いつのまにか、部屋にアルヴィースがいた。
「驚かさないでください」
 ディースは胸を押えて言った。心臓が激しく脈打ち、壊れそうだった。
「そんなに驚かないでくれ。ゲンドゥルに見つからないように塔から出るにはこうやるかないんだ」
 アルヴィースはまた魔道の塔がよく見える窓際の椅子に座り、ディースにも座るように言った。ハールは隣室にいたが、耳が悪いのかアルヴィースがきたことには気づいていなかった。
「アルスィはちょっかいをださなくなったろう。これでよかったかな」
「もちろんです」
 ディースは誤解をもたれないようにきっぱりと言った。
「彼、ちゃんと反省しました?」
「それはどうかな。ばれたかって笑ってたよ。アルスィとしてはふざけていただけらしい」
「まぁ、頭にくる」
「とにかく、もう悪さはしないよ。これを読むかい?」
 アルヴィースはディースに持ってきた本を渡した。
「『《アルフヘイム》の王族とその歴史』だわ」
 ディースは本を抱きしめて喜んだ。
「ありがとうございます。出ているのは知っていたけど、とても高価で」
「でも、この本は人間が書いたものだから間違いが多いんだ。実際は違うよ」
「どこが違うんですの?」
 ディースは興味を持って聞き、アルヴィースは読んでから教えると答えた。
「ところで先日の本を貸してくれるかな」
 ディースは本棚に飛んでいき、十冊もない蔵書のうち三冊を選ぶとテーブルの上に置いた。
「《アルフヘイム》にご興味おありなら、ほかにもありますけど」
「そりゃあるさ。《アルフヘイム》で育ったんだからな」
 ディースは今頃、気づいたようすでアルヴィースをまじまじと見た。
「そうですわね。《アルフヘイム》からこられたんですわ」
 畏敬のまなざしでアルヴィースを見つめる。
「きみは《アルフヘイム》に興味があるのか」
「というか、いろんな世界に興味があるんです。神々の住む《アスガルド》とか、巨人の住む《ヨツンヘイム》とか。種族によって習慣とか考え方とかが違うじゃないですか。それがおもしろいのです」
「女性がそういうことを言うのはめずらしいな。《アルフヘイム》のことなら、少しは教えられるよ」
 ディースは目を輝かし、身を乗り出した。
「本当ですか。アルスィオーヴにも聞いたけど、嘘ばっかり言って、ぜんぜん当てにならなかったんです」
「アルスィは話をおもしろくするために、どんどん変えてしまうからな」
 アルヴィースは魔道の塔のほうで人が動く気配がして窓の外を見た。フラールが前庭の方へ行くところだった。
「話の続きは、今度にしたほうがよさそうだ。これを借りていくよ」
 アルヴィースは残念がるディースを後にして、前庭のほうへ瞬間移動した。何食わぬ顔で彼を探していたフラールに出会うと、一緒に魔道の塔に帰って行く。





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