ラグナレク・2−6

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・6



 フュルギヤがゲンドゥルから魔道を学ぶようになって一年半の時が経った頃、スリーズ王の圧政により、年々高まっていった国民の不満が、長い冬〈フィムブルトウェト〉が訪れたことによって頂点に達した。
 日は照らず冷たい雪に田畑は隠され、作物は育たなくなる。魔物は日に日に力を増し、町を襲ってくる。なのに、スリーズ王は国民に対してなにもしようとはしなかった。それどころか、スリーズ王は城の食料が少なくなったからと国民からわずかな蓄えを差し出させ、今まで町を守っていた守備隊を魔物から城を守るのに使うからと引き上げさせてしまった。
 食料を奪われ、魔物からの庇護も失ったガグンラーズの民はあまりのことに唖然とした。これでは死ねと言うのも同じことだ。ついに彼らはスリーズ王への怒りを爆発させ、反乱を起こした。
 まずは手近な領主の屋敷を襲い食料を奪う。あちこちの領主が反乱軍に襲われ、ほうほうの体で城に逃げ込んだ。スリーズ王はすぐさま軍を差し向けたが、それは鎮圧するどころか、かえって騒動を大きくした。どうせこのままでは死ぬしかないと自暴自棄になっている反乱軍は、ガグンラーズ軍がいくら殺しても、恐れるふうもなく立ち向かってくる。そればかりか、町に入り込んだ魔物もガグンラーズ軍を襲ってくる。もちろん、反乱軍も魔物に襲われたが、彼らはどうせ死ぬのならガグンラーズ軍もろともと、手近にいる兵士を捕まえ道連れにしようとする。
 死を恐れぬ暴徒と魔物を相手にして、ガグンラーズ軍は恐慌状態に陥った。兵たちは戦意を失い、ある者は逃げ出しある者は反乱軍に寝返る。もはや、軍として機能しなくなったガグンラーズ軍を見て、反乱軍は勝利の雄叫びをあげた。
 スリーズ王はわずかに生き残った兵から、反乱軍がガグンラーズ軍を壊滅させ、こちらに向かってきていると聞き憤慨した。国民が王に刃向かっていいわけがない。彼は、数日後には攻めてくるであろう反乱軍に備え、濠の跳ね橋を上げ、兵を配置につかせた。

 


 またアルヴィースが塔からいなくなっていた。以前からゲンドゥルの目を盗んでどこかに行ってしまうことがあったが、この一年は特にひどかった。毎日のように供も連れずにどこかに行き、何食わぬ顔で戻ってくる。いくら叱っても改めるようすもなく、ゲンドゥルは困ったものだとため息をついた。
「今日も彼はいないのね」
 まもなく反乱軍が攻めてくることを知りもせず、フュルギヤはアルヴィースの姿を水晶の中に探して言った。
「修業をしておられるのですよ。あと半年で魔道士になれるところまできたのです」
 ゲンドゥルが本当にどこに行ってしまったのやらと内心、ぼやきながら言った。水晶がフュルギヤの手に渡ってから、アルヴィースがフュルギヤと話したのはほんの数回でしかない。アルヴィースに会うことをとても楽しみにしているフュルギヤは、今日もまた会えないのかとしゅんとする。
「残念だわ。もうすぐ、外に出られるって言いたかったのに。乳母がお父様に魔力が消えたみたいだって言ってくれたの。あなたから魔力を押さえる方法を教わったおかげで、おかしなことが起こらなくなったからだわ。明日、学者が儀式をやって、呪いが解けたのを確認したら出ていいって」
 ゲンドゥルの映った水晶を前にして、フュルギヤは心を弾ませて言う。
「その学者がどんな儀式をやるつもりかわかりませんが、うっかり魔法を使わないようにしてくだされ」
「わかってるわ。うまくやるわよ」
 自信に満ちて彼女は言い、ゲンドゥルは微笑んだ。
「いいことを教えてあげましょうか。後半年でアルヴィース様にお会いできますよ」
 フュルギヤが、目を大きく見開いた。
「まぁ、本当に会えるのね。でも、どうして半年も待たなきゃならないの」
「アルヴィース様が魔道士になるのに、それだけの月日がかかるからですよ。魔道を習う者は資格をとるまで、魔道の塔を離れてはならないと定められているのです」
「待ち遠しいわ。そうだわ、それまでにお父様を説得して魔道士を死刑にするのをやめてもらうわ。そうすれば、アルヴィース王子も身の危険を感じることなく来ることができるでしょう」
「姫様、無理をして法を変えようとしてはいけませんよ。アルヴィース様のことは心配いりませんから、早く外の世界に慣れるよう努力してください」
 フュルギヤは急に怖気づいて、大きく息を吐いた。
「なんだか怖くなってきちゃった。外に出たら、すぐにアルヴィース王子に会えると思っていたのに、半年も後だなんて。それまで一人でどうすればいいの」
 途方にくれて言う。
「心配ありませんよ。外に出てからもこの水晶を使ってお話できるではありませんか。それに魔道の勉強はまだ終わったわけではありません。毎晩、水晶でわたしを呼び出すことを忘れないでください」
「それは忘れたかったわ」
 フュルギヤは、いたずらめいた笑みを浮かべて言った。

 


「シグルズ様、アルヴィース様がどこにいらっしゃるかご存じありませんか」
 ゲンドゥルは馬小屋に馬を連れていこうとしていたシグルズを見かけ、声をかけた。
「血相を変えてどうした? なぜ、魔道で見つけない」
 シグルズは珍しく困りきったようすのゲンドゥルに、驚いて言った。魔道士たちの師であり、王の相談役でもある彼が困り果てることなど滅多にないのだ。
「それが、魔道で見つからぬ術を覚えてしまったのです。まったくアルヴィース様は、わたしを困らせる術ばかり上達してしまって。今、魔道士たちにも探させているのですが」
 シグルズは魔道士のだれもが尊敬するゲンドゥルもアルヴィースにあっては形無しだと軽く笑い、それから記憶を探ってみた。
「今まで城から出ていたが、アルヴィースの姿は見なかった。城の中にいるのではないか」
「それが見つからんのです。おお、アルスィオーヴ、アルヴィース様を見かけなかったかね」
 今度はキターラを背負って中庭へ行こうとしていたアルスィオーヴを見つけ、ゲンドゥルは叫んだ。
「いや、見ないけど。今日はお姫さんが塔から出る日だよな」
 アルスィオーヴもゲンドゥルのようすにただならぬものを感じ、進路を変えてやってきた。
「そうなんじゃ。今日くらい姫様が不安にならぬよう励ましてくれてもよさそうなものじゃが、どこか姿を隠してしまわれた」
 ゲンドゥルはどこかにアルヴィースの姿はないものかと、きょろきょろとしながら答える。
「じいさん、おれ、心当たりがあるから見てくるよ。あんたはここで待っててくれや」
 アルスィオーヴはそう言って城の裏へ行こうとしたが、ゲンドゥルも彼の後をついてきた。
「じいさん、ここで待ってろっての。連れていったらアルヴィースに怒られちまうよ」
 アルスィオーヴが足を止めて言う。
「そんなことを言っている場合か。いいから早く連れていけ」
 ゲンドゥルが年老いた細い腕とは思えない力強さでアルスィオーヴの背中を叩き、アルスィオーヴは腕を組んで少し考えこんだ。
「うーん、それほど言うなら」
 それから、ゲンドゥルに向かって期待に輝く目をして聞く。
「案内したら、褒美になにくれる?」

 


「たぶん、ここにいると思うけど」
 アルスィオーヴはゲンドゥルを、城の裏側にある小屋の前に連れていった。小屋は張り出した城の陰にあるうえに、枯れた大木が目の前にあるため、近くにいても気づかないほどだった。そこは庭師の道具をしまうための物置だったが、中庭以外の庭がつぶされて小屋が建ってしまったため、庭師が道具を取りにくることはほとんどなかった。
「なぜ、このようなところに」
 ゲンドゥルは不思議そうに言い、アルスィオーヴは「アルヴィース、いるか?」と声をかけてから小屋の戸を開けようとした。
「あれ、開かない」
 物置に鍵がかけられているわけでもないのに、戸は開かない。
「魔道で開かないようにしているのじゃ。アルヴィース様、そんなところでなにをしているのです。戸を開けなければ無理やりにでも開けますよ」
「ゲンドゥル、なにしにきたっ」
 アルヴィースが驚いて叫び、同時にばたばたと騒がしい音がする。
「アルヴィース様、今日は大事な日なのですよ」
「今、行く。そこで待ってろ」
 ややあってから戸が開き、アルヴィースが出てきた。彼の服が乱れているのを見て、ゲンドゥルは口をあんぐりと開けた。
「どうも近頃、魔道の修業をさぼってばかりいると思えば、女性ですか。まだまだ子どもだと思っていましたが、もうこんなことをするようなお年でしたか」
 ゲンドゥルに怒っていいのか喜んでいいのかわからぬようすで言い、アルヴィースはアルスィオーヴをにらみつけた。
「買収されて教えたか。あとで覚えてろ」
「そんなんじゃないって。ゲンドゥルがどうしてもって言うからさ」
 アルスィオーヴは両手を前に突き出して、後ずさりしながら言う。
「アルヴィース様、今日はフュルギヤ姫が塔から出る日なのをお忘れですか。姫様にとっては大事な日なのですから、今日ぐらい顔をお見せ下さい」
 ゲンドゥルは言ったが、アルヴィースの姿を見て付け加えた。
「服装をもう少し直していただけませんか」
 アルヴィースは慌ててブラウスの袖口についたリボンを結ぼうとしたが、片手でははらりとリボンに逃げられてしまい、結ぶことができなかった。見かねたゲンドゥルが手伝おうとしたが、普段、リボンを結ぶことなどしないため、やはり結ぶ事ができない。
「ああ、小屋の中にいるお方、申し訳ないが、手伝ってくれんかの」
 ゲンドゥルはこれではいつまでたっても魔道の塔に帰れぬと、困りきって言った。
「その前に、おれが彼女の服を着るの手伝ってあげよう」
 アルスィオーヴが小屋を覗こうとし途端、中のほうから鍬が飛んできた。
「わぁ、殺す気か」
 アルスィオーヴは驚いて後ずさった。
「いやらしいこと言うからよ」
 柔らかで艶やかな茶色の髪と澄んだ緑色の目をした女性が、納屋から出てきた。格別の美人ではないが、親しみやすい雰囲気をもった女性だ。
「アルヴィースならいいのかよ」
 アルスィオーヴはにやにやして言い、女は鍬を拾い上げた。
「もう一度投げられたい? 今度は、狙って投げるわよ」
「おっかねぇ、女だな。アルヴィース、こんな女のどこがいいんだよ」
「ディース、アルスィはわたしが後でとっちめておくから、こっちを手伝ってくれないか」
 ディースは鍬を投げ捨てると、ゲンドゥルに後ろめたそうな顔で一礼し、すぐにアルヴィースの服装を整えた。
「アルヴィース、本気で言ってんじゃないだろうな」
 アルスィオーヴがうろたえて言い、アルヴィースはため息をついた。
「わかったから、もう姿を消してくれ。おまえがいるとうるさくてかなわない」
「邪魔扱いすんなよ。おれだって忙しい時間を割いて探してやったんだぜ。あ、そうだ、おれ、王妃に歌を聞かせろって言われて、出向くところだったんだ。その後で塔に行くから」
 アルスィオーヴは自分の用事を思い出し、慌てて駆けていった。ゲンドゥルも急いで城に戻らねばと歩き出すが、アルヴィースが思い詰めた顔で引き止める。
「ゲンドゥル、一つ聞きたいことがあるんだが」
「なんです?」
 アルヴィースの真剣なまなざしにゲンドゥルはとても大事な話なのかと身を正した。
「わたしはディースと結婚することはできないのだろうか」
 突然の結婚話に、ゲンドゥルは喉に異物が詰まってしまったかのように目を白黒させた。
「な、なんですとっ。アルヴィース様は、この年寄りを脅かして殺すつもりですか」
 咳込みながら言う。
「わたしは結婚はしません」
 ディースが急いできっぱりと言う。
「ディースは身分が違うからだめだと言うんだ。ほんとうに父は許してくれないのだろうか」
 アルヴィースはディースの言葉など気にせず、さらにゲンドゥルに言った。
「それだけじゃないわ。あなたはいつか《アルフヘイム》に帰りたいって言ってたじゃない。そうなったら、わたしはどうなるの? 人間が《アルフヘイム(光の妖精の世界)》に住むことができて? きっと〈光の妖精〉の王が許してくれないわ」
「まだなにもやっていないうちに、あきらめることはないだろう」
 否定的なことばかり言うディースを、アルヴィースが怒る。
「二人とも、お待ちください。突然、そのようなことを言われても、わたしにはなんとも申し上げられません。ともかく、フュルギヤ姫に顔を見せて、その後、この問題を話しましょう」
「わかった」
 ようやくアルヴィースは魔道の塔へ向かって歩き出し、ゲンドゥルはディースのことをどう王に報告しようかと首を振り振り、ため息をついた。





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