ラグナレク・2−7

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・7



 学者が一見重々しくそしてなんの役にもたたぬ儀式をして呪いが解けたと判断すると、フュルギヤは塔から出るのを許された。どんな儀式をするのかと緊張していたフュルギヤは、わけのわからぬ言葉を叫んだり、顔に意味のない落書きをされるだけで外に出られたのかと馬鹿馬鹿しく思った。ガグンラーズ国の学者は、魔力がどんなものかわかっていないのだ。
 塔を出る当日、乳母はやっと外に出られると感激して涙した。しかし、フュルギヤにはうれしいという気持ちが湧かなかった。フュルギヤはそれまで暮らしていた部屋の中を未練ありげに見回した。なにも知らない外にでるのが怖かった。見たこともない大勢の人たちの中で暮らすのが怖い。
 両親ではなく数人の男たちが鎧を着て迎えにきたことも、フュルギヤを怯えさせた。
「フュルギヤ姫、お迎えにきました。わたしは公爵の息子ナールといいます。あなたの親戚なんですよ」
 二十一、二歳ぐらいの青年が冑を脱ぎ、やさしく話しかけてきたが、緊張しきっていたフュルギヤはろくろく聞いていなかった。ナールの挨拶がすむと男達は物々しい態度でフュルギヤを取り巻き、部屋の外へと連れていく。
 長い階段を降りると、外への扉が開け放たれているのが見えた。血に染まったような赤い空がその向こうに広がり、フュルギヤは足をすくませた。
 時折、空を飛ぶ魔物が、上空から奇怪な鳴き声をあげる。フュルギヤは外に出た途端、魔物が襲ってくるのではないかと後ずさった。
「すぐそこに、城の入り口が見えますね。もし、魔物が襲ってきたら我々が気をひきますから、あなたは立ち止まらずに城まで走ってください」
 ナールが安心させるように言ったが、フュルギヤは信じられないという顔をした。彼は、安全な塔から恐ろしげな世界に出て行けと言っているのだ。フュルギヤは、ゲンドゥルの言うとおりにするのではなかったと後悔した。こんな恐ろしい世界に出ていきたくはない。自分でも知らないうちに涙がこぼれる。
「大丈夫ですよ。命を賭けてわたしが守りますから」
 ナールの声がひどく遠くに感じた。フュルギヤはかくしにしまっておいた水晶を握りしめ、アルヴィースがそう言ってくれればよかったのにと考えた。アルヴィースが少しでもやさしい言葉をかけてくれさえすれば、こんなに心細い思いをせずにすんだだろう。
『なにか用か』
 突然、フュルギヤの心にアルヴィースの声が響き、彼女は驚いた。それから、自分が水晶を握ってアルヴィースに会いたいと強く願った故に、彼が呼び出されたのだと気づく。
『これから外に出るの。恐いわ。わたしを守って』
 フュルギヤは言葉を使わず、心で話しかけた。
『なにを言っているんだ。きみは自分で自分の身を守れる。今までなんのために魔道を学んできたんだ』
 アルヴィースのそっけないいらえに、フュルギヤは見捨てられた子供のように感じた。心を閉じることを知らないフュルギヤの考えはそのまま、アルヴィースに伝わった。すると、彼はフュルギヤがとてもおもしろいことを言ったとでもいうように愉快そうに笑い、ますますフュルギヤを傷つけた。
『ひどい人ね』
『きみは自分の力を知らなすぎる。魔物は自分より力があるものを襲ったりはしない。魔物のほうが、よほどきみを怖がっているさ』
『ひどいわ』
『そうかな。外に出れば、わたしの言うことが本当だとわかるさ』
『このまま、わたしと話していてくれる?』
『そんなことを言うのだったら、早くすませてくれ。わたしは忙しいんだ。あまり待たせるならやめる』
『ああ、だめよ。いますぐでるから』
 フュルギヤはアルヴィースが水晶の術を解いてしまう前に城まで行ってしまおうと、水晶から現実へと意識を戻した。すると、彼女はナールに激しく肩を揺すられていた。
「やめて」
 フュルギヤが手を払うと、ナールは安心したようだった。
「よかった。なにを言っても返事をしてくれないので、どうしたのかと思いました」
「ごめんなさい。もう大丈夫よ」
 水晶からアルヴィースが絶対にフュルギヤが襲われるわけがないと確信し少しも心配していない思いが伝わってきて、フュルギヤはだんだん腹が立ってきた。
 なんて、ひどい人なんだろう。
「少し歩いただけで城に入れますが、それほど怖いのなら、なにか乗り物を用意しましょうか。それだと、すばやい動きができないので、かえって危険になりますが」
「いいわ。いきましょう」
 フュルギヤは少しも心配してくれないアルヴィースに挑むように、外へと続く扉へ歩き出した。
「わたしが合図したら、正面にある城の扉まで一気に走ってください」
 緊張したナールの声にフュルギヤはうなずき、合図とともに走り出した。
 あっけなく、城へたどりついた。アルヴィースの言ったとおり、フュルギヤたちは魔物に襲われることなく城の中に入ることができ、ナールたちが肩透かしをくらったような顔をする。
「運がよかったみたいですね。魔物は人とみれば、決まって襲ってくるんですよ」
 戦いを予想していたナールが肩の力を抜いて、フュルギヤに言う。
『ほらみろ、魔物のほうが恐がっているじゃないか』
 アルヴィースはフュルギヤの臆病を笑いながら、水晶の術を解いた。フュルギヤはなにも笑わなくたっていいのにと、内心ふくれる。
「魔物が襲ってこなくて本当によかったわ」
 つい言葉とは裏腹に怒りがこもってしまい、ナールがなぜ、魔物に襲われずにすんで怒るのかと不思議そうな顔をする。
「別に魔物に襲われたかったわけじゃないのよ。魔物が襲わないほど、わたしってまずそうにみえるのかしらと思ったら、なんだか頭にきたの」
 慌ててフュルギヤは言い訳し、「へんなことを考えるんですね」とナールが笑った。

 


 フュルギヤはすぐに王のいる広間へと案内された。父はどんな顔をしているのだろうと、期待と不安に揺れながら向かったが、実際、父を見て失望した。スリーズは背の小さい小太りの男だった。頭が半ばまで禿げ、小さな落ち窪んだ目は陰湿そうにぎらぎらとしている。
 その隣に、一度だけ会ったことのあるベストラ王妃がいた。彼女は玉座に座る者にふさわしくみえず、なにかの間違いでうっかり座ってしまった冴えない侍女に見えた。
 フュルギヤは、なんと玉座の似合わない両親なのだろうと思った。小国とはいえ、この二人が一国を支配しているとは、なんとも奇妙な感じがする。
 スリーズ王はフュルギヤの姿を見るなり重々しくうなずき、もってまわった言い方でフュルギヤの呪いが解けてどんなにうれしいかを語った。そのようすは道化者が大げさなしぐさや物言いで、王の真似をして笑わせようとしているようだった。だが、そんな滑稽なさまを笑おうとする者はなく、白々しさだけが広間に漂う。  フュルギヤはうんざりしながら、スリーズ王にお礼を言い、ベストラ王妃の方へ目を向けた。王妃は目に涙を浮かべて、フュルギヤを見ていた。
「やっと出ることができましたね」
 ベストラ王妃の言った言葉はそれだけだったが、愛情のこもったまなざしにやさしい母親を感じ、フュルギヤは思わず走りよりたくなった。だが、ベストラ王妃はスリーズ王が怒りだすからと目で制し、フュルギヤは王妃がスリーズ王にひどく怯えているのを感じとった。
 フュルギヤには、スリーズはどこも怖い人には見えなかった。どうみても、絵本に出てくるいつもやることが抜けていて厄介事を巻き起こす間の抜けた嫌われ者だ。ベストラ王妃とは違い、スリーズ王には肉親であるという思いがまったくわかない。
 スリーズ王は情に流されない偉大な王のつもりで、フュルギヤへ親らしい言葉をかけてやるでもなく、城に用意した部屋へ行くように命じた。フュルギヤのほうもスリーズ王に愛情を持つことができず、あんな小男に抱きしめられることにならずにすんでよかったと思いながら退出した。

 


 迷路のように入り組んだ城の中は、慌しかった。武装した兵士たちが絶えず襲ってくる魔物と戦うために城内を駆けずりまわり、新たな魔物に侵入されないうちに魔物によって壊された外壁を直そうと石工たちがせわしく立ち働いている。城内を華やかにみせていたタペストリは切り裂かれ、金や銀の装飾品は無残に壊れ、瓦礫に混じって床に散らばっていた。
 フュルギヤは自室に案内される間に何度も兵士とぶつかり、そのたびに「女は、部屋でおとなしくしていろ」と怒鳴られた。兵士たちは己の職務に忙しく、相手がだれなのか確認する余裕もないらしい。
 フュルギヤの供をしていた侍女たちが兵士たちの態度に憤慨し、あの兵を捕まえて罰を与えるべきだと騒ぎ立てたが、慣れぬ人込みの中を歩き気分の悪くなっていたフュルギヤには、そんなことはどうでもよかった。早く部屋に行きたいと、侍女をせかす。
 自室につくと、フュルギヤは飾り付けられた部屋を見る余裕もなく、長椅子に座りこんだ。いきなりめまぐるしく動き回る人々を見て、すっかり気分が悪くなっていた。幸いなことにこの部屋は城の中心部にあり、外壁付近の喧騒は届かなかった。外壁を壊して魔物が入ってくるのではと心配をする必要がないのもこの部屋の利点だ。フュルギヤは静かな部屋で侍女の持ってきた水を飲むと、ようやく一息ついた。
「いつも、こんななの?」
 フュルギヤは城というのはこんなに人がせわしくしているところなのかと、侍女に聞く。
「いいえ、魔物が襲ってくるばかりか、戦まで起きてしまったのですよ。反乱軍が城を襲ってきたのです」
「なんですって」
 侍女の言葉を信じられず、フュルギヤは聞き返した。
「戦ですよ。でも、正規軍が追い払うでしょうから、心配はありません」
「まぁ、そんなことになっていたなんて知らなかったわ」
 フュルギヤは驚いてどこで戦っているのだろうかと気になったが、部屋は外壁に面していないため窓がない。これでは塔にいたときよりも閉塞感がある。塔にいたときは魔物が襲ってくるようなことが一度たりとおこらなかったため、魔物の侵入経路となる窓があっても、だれも気にしなかったのだ。
 突然、フュルギヤは、アルヴィースが魔物はフュルギヤを襲ってこないと言っていたことを思い出した。塔にいたとき一度も襲われなかったのは、塔が安全だからではなくフュルギヤの力を魔物が怖がって近づかなかったからなのだ。
「王女様、今夜、開かれる舞踏会にはなにをお召しになられますか」
 侍女が呑気に数着のドレスを、フュルギヤの前に広げる。フュルギヤは呪いがとけた祝いに、今夜、宴を開くとスリーズ王が言っていたことを思い出した。
「これなどいかがでしょう。銀色の目にとても似合っていますわ」
 侍女たちが、フュルギヤにドレスや首飾りを当ててみせる。フュルギヤは鏡に映った自分が着飾られるのを見て、こんなことをしている場合ではないのにと思いながらも、うっとりとした。侍女たちがあれが似合うのでは、これがよいのではと言い、それに答えているとどんどん楽しくなってくる。
「さぁ、今日は始めての舞踏会ですもの。美しくおなりにならなくては」
 侍女達は楽しそうにフュルギヤにドレスを着せ、艶やかな黒い髪を結い上げ、装身具を身につけさせた。そうやって着飾った自分を見ると、両親とは違い王族らしく見える。気をよくして鏡の前でいろいろな姿をしてみると、侍女たちももう少し顎をあげたほうがいいだの、上目遣いをしたほうがいいだのとはしゃぐ。フュルギヤはその華やいだ雰囲気に、すっかりと魔物や戦の脅威を忘れてしまった。そもそも、ゲンドゥルの話でしか滅びゆく世界を知らない十五歳のフュルギヤに、浮かれた侍女たちに囲まれながら、緊張感を維持しろというのが無理な話だ。
 あっと言う間に時間がたってしまい、舞踏会が開かれる間際になって慌ててドレスを選ぶと、フュルギヤは侍女たちとともに、大広間へと出掛けた。
 舞踏会が開かれる大広間は、金と銀が過剰に使われ、目をちかちかとさせた。真っ赤な絨毯が敷き詰められ、王家の者たち以上に華やかにならないように気を使いながらも精一杯着飾った人々が、王女を祝おうと集まっている。
 スリーズ王の隣には真新しい黄金の玉座が用意され、フュルギヤはそこに座るように言われた。それは喜ばしいことだというのに、フュルギヤには気が重かった。座れば、自分まで両親のように間違って王位についた道化の一員になってしまう気がする。人々の注目を浴びる中、フュルギヤは階段を登り、玉座を見つめた。躊躇っていると、スリーズ王が早く座れと怒りだし、しぶしぶ腰を下ろす。一斉に喝采が起こり、スリーズ王は自分が難題を解決したかのように、喜びの言葉を述べた。
 人々はさっそく、フュルギヤに挨拶をするべく、一列に並んだ。まだ、大勢の人に囲まれることに慣れていないフュルギヤは、お祝いの言葉を述べては去っていく人々へ笑みを浮かべ返事をしながら、めまいを起こしていた。みな同じ顔、同じ笑みを浮かべているように見え、気分がどんどん悪くなっていく。もうだめだと根をあげそうになったとき、ようやく、王女への挨拶が終わり、明るい音楽とともに舞踏会が始まった。
 フュルギヤは苦行がやっと終わったと、玉座にぐったりとして腰掛けたが、人々が踊り始めるのを見てすぐに元気づいた。
(ダンスって、こんなにきれいなものだったんだわ)
 フュルギヤはドレスがひらひらと動く様を見て、感動しながら思った。フュルギヤもダンスを習ってはいたが、大勢の人が踊るのと乳母が踊るのとでは、天地ほど開きがある。ここにアルヴィースがいたら、もっときれいだろうなと考えながら、フュルギヤは人々の間に入りたどたどしいながらもダンスを踊った。そして、彼女は際限なく、いろいろな人と話した。彼らはフュルギヤの知らないことをたくさん知っている。なにもかもが新鮮で楽しかった。塔の外にはこんなにも楽しいことがあったのかと、フュルギヤは感激する。
(本当に、外に出てよかったわ)
 彼女は一瞬でも、外にでるように言ったゲンドゥルを恨んだことを後悔した。外には、いやなことばかりあるわけではなかったのだ。
 どれだけの時間、踊っていただろうか。楽しそうな娘の姿を目にし、我知らずスリーズ王の目尻もさがり、ベストラ王妃も幸せそうなようすだった。このときばかりは、だれが見ても幸せな家族だった。





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