ラグナレク・2−8

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・8



「大変ですっ」
 血相を変えた兵士が大広間に駆けこんでくる。何事かと音楽が止まり、人々も踊るのをやめた。
「反乱軍が攻めてきました。簡単に堀は越えられませんが、このままでは我が軍は苦戦を強いられます」
 ついに怒り狂った民が、スリーズ王の住むこのヘルブリンディ城に攻めてきたのだ。
「すぐにやめさせい。舞踏会をしている最中だぞ」
 スリーズ王は見当違いの命令を発し、兵を愕然とさせた。そんなことを言っても反乱軍が攻撃をやめるはずもないが、スリーズ王は少しもおかしいと思っていない。
 武官たちが慌しく広間を出て行き、剣が使えない者だけが広間に残った。スリーズ王も広間から出ようとはせず、王座の上で不愉快そうに座っている。武官にとって幸いなことに、スリーズ王は自ら軍を指揮しようなどと考えてもいなかった。王座に座って命令していれば、どんな問題も勝手に片付くものとスリーズ王は思い込んでいるのだ。
 フュルギヤもどうしてよいのかわからずに、広間に立ち尽くしていた。外のようすが気になるが、この広間も彼女の部屋と同様、窓がない。
「フュルギヤ、どこに行くつもりだ」
 どこかの窓から外を見られないものかと、広間から出ようとしたとき、フュルギヤは王に引き止められた。
「舞踏会の途中で退出するとは、なんということだ。おまえは舞踏会の主役なのだぞ。ここで踊っていろ」
 その言葉にフュルギヤは、スリーズ王の正気を疑った。こんなときに、踊っていられるわけがない。フュルギヤはベストラ王妃がなにか言ってくれないかと目をむけたが、王妃は全身を震わせて恐怖のあまりすすり泣いていた。
 外の騒ぎはどんどん大きくなっていく。時には城が揺れ、人々が足をよろめかせる。それでもスリーズ王は王座に座り、楽士に音楽を奏でさせ、人々に踊るように命じた。
「なにを言ってるの」
 フュルギヤはスリーズ王に向かって叫んだ。どうしてだれもがスリーズ王の言いなりになっているのか、不思議だった。戦の最中に舞踏会をすることがどれほどばかげているか、世間を知らないフュルギヤとてわかることだ。それとも、この広間にいる者たちはおかしいとさえ思わぬほど、愚かなのだろうか。
「こんなときに踊ってる場合じゃないでしょう」
 広間にいた一同は、顔面蒼白になってフュルギヤを見た。今まで面と向かって刃向かわれたことのないスリーズ王は、あまりのことに怒りを忘れきょとんとする。
 フュルギヤはスリーズ王のあまりの愚かさに、そして、それに黙って従っている臣下たちの愚かさに腹を立てながら、広間を飛び出した。
(ゲンドゥルにどうすればいいか、聞かなくちゃ)
 王の対応がおかしいと感じることはできたが、塔の中の世界しか知らないフュルギヤには、戦によって自分がどういった影響を受けるのかよくわからなかった。もし、反乱軍が勝つようなことになったら、どうなるのだろう。
 フュルギヤは水晶を隠しておいた自室に戻ろうとし、自分の部屋がどこにあるかまだ覚えていなかったことに気づいた。

 


「ああ、こんなところにいたんですか。スリーズ王がすぐ戻るようにとおおせです」
 どこをどういけば部屋に戻れるのだろうと慣れぬ城の中をうろうろしていると、男に声をかけられ、フュルギヤはしぶしぶ振り返った。
「いったい、どこに行かれるつもりだったんですか」
 聞き覚えのある声に、フュルギヤは昼間護衛してくれた人だと気づいた。確かナールといったはずだ。
「部屋に戻りたかっただけよ。ちょうどいいわ。おまえ、案内してちょうだい」
 フュルギヤは、彼が自分の親戚であり公爵の息子であることをすっかり忘れて、自分の召使いであるかのように言った。
「だめですよ。広間に戻らなければ、王に罰せられます」
 ナールはフュルギヤの態度を怒ろうともせずに、やんわりと言った。
「いやよ。それより部屋に案内しなさい」
 フュルギヤはナールが自分の言う通りにしないことに腹を立て、足を踏み鳴らした。
「姫様、王に逆らうわけにはいかないのですよ。もう二度とさっきみたいに逆らってはいけません。たとえ王女のあなたでも、ひどい目にあいますよ」
「うるさいわね。さっさと部屋に案内しなさい」
「だめです」
 ナールはきっぱりと言い、フュルギヤの腕をつかむと無理やりひきずっていった。フュルギヤは魔道を使って抵抗しようかと考えたが、ゲンドゥルからもう少し修業が進むまで魔道を使ってはならないときつく言われていたことを思いだし、思いとどまった。
「ねぇ、あなたはおかしいと思わないの? こんなときに舞踏会をするなんて」
 フュルギヤは、ナールの後にいやいやついていきながら言った。
「おかしいどころか狂気の沙汰ですよ。もうすぐ反乱軍が城壁を破って、城に攻めてくるのですから。でも、王の命令です」
 ナールの答えに、フュルギヤは顔をしかめた。
「あなた、王の命令なら、なんでもするの?」
「死にたくありませんからね。王の命令に逆らう者には罰が与えられるのです。運が悪ければ死刑ですよ。あなたは王女ですから、死刑にはならないと思いますが、もう二度と王に逆らわないことを、わたしはお勧めします」
「でも、このまま反乱軍が城に攻めてきたらどうなるの?」
「国民は王をかなり強く憎んでいますから、皆殺しでしょう」
 フュルギヤは、仰天して足を止めた。
「だったらなおさら、王の言いなりになっている場合じゃないわ。あなたはこのまま殺されるつもりなの」
「いいえ、そんなつもりは毛頭ありません。それに、あなたが心配することはなにもありませんよ。逃げる手段はちゃんと考えてあります」
「まぁ、本当なの」
「今日、初めて会ったときに、命をかけてお守りすると言ったじゃありませんか。わたしを信じてください」
 ナールは王女を安心させるように言い、フュルギヤはこの城にまともな人間もいたのかと安堵して、おとなしく彼について行った。

 


「おまえはなにをした?」
 フュルギヤが広間に戻るなり、開口一番、王は言った。ナールは用事があると言ってどこかに行ってしまい、フュルギヤは一人でスリーズ王の前に立っていた。スリーズ王は全身に怒りを漲らせ震えている。フュルギヤは、それを見ても恐いとは思わなかったが、大変なことになったと考えた。あのようすでは、そう簡単に怒りを静めてもらえそうにない。また塔に閉じ込められてしまうのだろうか。
「申し訳ありません。さきほどの振る舞いは動揺してのことでした。どうか、お許しください」
 ナールに言われていたとおり、フュルギヤは素直に頭を下げた。しかし、スリーズ王は、先ほどの問いをまた繰りかえした。
「おまえはなにをした?」
 フュルギヤはなんのことを言っているのかわからず、顔を上げてスリーズ王を見た。
「部屋に戻ろうとしただけです」
「隠すでない。わかっておるのだ。おまえが魔物をけしかけ、食料が育たないようにしたのだ」
「なんですって」
 どうしてそんなことになるのかと、フュルギヤは面食らった。スリーズは、憎しみに満ちた目で自分の娘を見ている。実の子を見るような目ではない。ちょっといない間に、どうしてこんなことに。
「お父様、わたし、そんなことは」
 フュルギヤは自己弁護をしようとしたが、すぐに遮られてしまう。
「父などと呼ぶではない。おまえは、わたしの子と取り替えられた〈闇の妖精〉だ。わたしの子を返せっ」
「そんな、なぜ、急にそんなことをおっしゃるのですか」
 父の言葉が真実なのか、言いがかりなのか判断がつかぬまま、フュルギヤはうろたえた。
「ここにいる謀反人が言ったのだ。おまえのせいで、ガグンラーズ国が悪くなったのだと」
 フュルギヤは、縛られて倒れている数人の男達に気づいた。捕虜となった反乱軍の兵だ。
「おまえが世界を悪くしたと、この者たちは言っているぞ」
 捕虜はスリーズ王に対する憎しみから、悪の化身である王族のせいで世の中が悪くなったと叫んでいた。どうやらそれをスリーズ王は、魔力を持つフュルギヤのせいで事態が悪くなったと歪めて解釈したらしい。
「違います」
 フュルギヤは必死で叫んだ。
「嘘を言うな。おまえが生まれたときから怪しいと思っていたのだ。こんなことになるなら、むざむざ生き延びさせるのではなかった。わしの本当の娘はどこにやった」
「違います」
 突然、ベストラ王妃が悲鳴のような声で言い、広間にいた者たちは仰天した。
「違います。フュルギヤは、確かにわたしがお腹を痛めて産んだ子供です」
 語尾がだんだんと小さくなり、言い終えると後ろめたいことがあるかのように、王妃はうつむいてしまう。
「なぜ、わかる。この者は我々にはない怪しげな力を持っているんだぞ」
「わたしのお腹を痛めた子ですもの」
 小さな声ではあったが、王妃ははっきりと答えた。怒っているスリーズ王にはっきりと物を言うなど、いつもおどおどしている王妃としては、めずらしいことだった。フュルギヤは母だけは愛してくれるんだと、うれしさに駆けより母の膝にしがみつく。
「お母様」
 王妃は、自分の娘の頭を幼子にするようにそっとなでた。
「おまえは、わたしの子です」
 王妃は、呪文のように何度も繰り返す。このとき、王妃の目に狂気じみた光があることに、フュルギヤは気づかなかった。
「ならば、なぜ、娘に魔力があるのだ。わたしの子供であるはずがない」
 王は怒りにまかせ、これまで胸の奥にしまいこんでいた疑問を口にした。
「この娘の父親は、だれだ」
 王は立ち上がり、王妃を殴りつけた。母もろとも、膝にすがりついていたフュルギヤも床に倒れる。
「言え、父親はだれなんだ」
 唐突に、ベストラ王妃は高らかな笑い声をあげた。
「ああ、あの方が言っていたとおりのことが起きたわ。ああ、やっとこの時がきたんだわ」
 王妃はすっくと誇らしげに立ちあがった。今までのおどおどしたようすが消え、目が輝き、頬がうっすらと赤みを帯びてくる。
「フュルギヤの父親は、〈闇の妖精〉の王アーナルです。あなたなどより、美しく愛情のあるお方ですわ。フュルギヤのこのきれいな銀色の目や黒髪は彼にそっくり」
 王妃は身をかがめて、驚きのあまりまだ倒れたままのフュルギヤの頭を愛情を込めてなでる。
「おのれ、この売女め」
 王は怒りにまかせて剣を抜いた。王妃はフュルギヤが、もしくは〈闇の妖精〉の王が守ってくれるとでもいうように、逃げようともしない。
「フュルギヤ、こんな男は殺しておしまいなさい。そうすれば、本当のお父様に会えるのです。わたしはこの時をずっと待っていました。ああ、やっとアーナル様と暮らせるときがきた」
 ベストラ王妃は、待ちわびていた日がくることを思い浮かべ恍惚となる。
「いやよ」
 フュルギヤは王妃の手を振り払い、母から遠ざかった。
「いやよ。そんな、〈闇の妖精〉の王が父だなんて信じない。わたしのお父様が、邪悪な〈闇の妖精〉のわけがないわ。わたしのお父様はスリーズ王よ」
 フュルギヤは、これ以上なにも聞きたくないと耳を押さえて叫ぶ。
「おまえは、わたしの子ではないっ」
「殺しなさい。この男を殺すのよ。そうすれば、アーナル様がお喜びになるのよ。おまえだってこの男を殺せば、ガグンラーズの女王になれるのよ」
 剣を抜いた王がそばにいるにもかかわらず、王妃はその場にとどまったまま、フュルギヤに命じる。フュルギヤは泣きながら、首を左右に振った。
「いやよ、いやよ。わたしは〈闇の妖精〉じゃない」
「裏切り者め。おまえから、殺してやる」
 王はなんの躊躇もなく王妃を刺した。王妃は、自分が死ぬとは信じられないようすで体に刺さった剣を見つめ、どうして魔力で守ってくれなかったのかと、目でフュルギヤを責めながら倒れていく。
 フュルギヤは目をきつく閉じ頭を抱え、狂ったように悲鳴をあげた。
「次はおまえだ」
 王は王妃から剣を抜き、獲物に近づく獣のようにフュルギヤにゆっくりと近よる。フュルギヤは悲鳴をあげるのをやめ、後ずさった。
「お父様、やめて」
 泣きながら懇願するが、父と呼んだことがかえって彼を逆上させた。
「おまえは、娘などではない」
 スリーズ王は剣を振り上げて走りだし、フュルギヤはきびすを返して逃げ出した。そのとき、フュルギヤは広間にいた者すべてが、凍りついたように動かないことに気づいた。
「助けて」
 フュルギヤは彫像のように動かない人々に必死で助けを求めたが、彼らは身動き一つしない。フュルギヤが廷臣の陰に隠れると、王はその廷臣を切り倒した。
 血が吹き出し、廷臣が倒れる。またしても、フュルギヤは耳をつんざく悲鳴をあげた。
 さながら、悪夢の中にいるようだ。人々は凍りつき、動いているのはファルギヤと王だけ。助けてくれる者はだれもいない。フュルギヤが必死でどこに逃げようと、王は剣を振り回し、彼女を追いかけてくる。
「やめて」
 フュルギヤは広間の隅に追い詰められ、小さくなれば王から隠れられるとでもいうように、頭を抱え込み身を丸めた。王が容赦なく剣を振り上げる。
「やめてぇ」
 追い詰められたフュルギヤは、王に向かって魔力を解放した。





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