ラグナレク・2−10

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・10



 戸の前で待っていたナールはいらいらとしながら、部屋の前を行ったり来たりしていた。フュルギヤがどうしても持っていきたいものがあるからと自分の部屋に入ってから、ずいぶんと時間がたっている。もうじき、反乱軍がやってくるというのに、姫はのんびりとしすぎだ。もう待っていられないと、フュルギヤに怒られることを覚悟で戸をあけようとしたとき、フュルギヤが現れた。
「いったい、なにをしていたんです。状況は悪くなっているんでよ。裏切り者がはね橋を下ろして反乱軍を中に入れてしまいました。反乱軍は、今、中庭の食料貯蔵庫を襲っています。腹が満ちたら、城のほうへ襲ってくるでしょう。早く逃げましょう。地下室に抜け道があるんです」
「その後、どうなるの? どこに行こうというの?」
 部屋に入る前は取り乱していたフュルギヤが、すっかりと冷静になって言う。ナールは申し訳なさそうな顔をした。
「行く先はありません。でも、抜け道に食料を隠してありますから、落ちつき場所が決まるまで食べていけるでしょう」
「なら、反乱軍を追い払うわ」
「いったいどうやって」
「魔道で脅すのよ。ナール、安全で目立つ場所はないかしら」
「天守閣ではどうでしょう。あそこなら、城全体が見渡せますよ」
「案内して」
 フュルギヤは城の右側にある天守閣の頂上へと急ぎ、中庭を見渡した。城の左隣にある穴倉を利用して作られた食料貯蔵庫の入り口に反乱軍が蟻のようにたかっている。フュルギヤはすぐにゲンドゥルから教わった呪文を書いた紙を声に出して読んだ。
 一つ目の呪文を朗誦したとき、フュルギヤの体が光に包まれ、遠くからでもフュルギヤの姿が見えるようになった。反乱軍は、天守閣に光に覆われた人の姿を見て、何事かと動きを止める。
 二つの呪文は、フュルギヤの声が遠くまで響くようにした。彼女が反乱軍にただちに城から出ていけと告げると、それは永劫の年月を生きた魔女が乾いた太い声で死の予言をしたかのごとく重々しく恐ろしげに聞こえた。反乱軍は魔女が城にいると騒ぎだし、勇気のある者が邪悪な魔女を倒そうと城の方へ走り出した。
 続いて三つ目の呪文を唱えると、稲妻が走り、中庭に落雷する。城へ入ろうとした者たちの近くに落ち、驚いた彼らは踵を返して逃げ出した。フュルギヤが立て続けに雷を反乱軍の中に落とすと、たちまち反乱軍に恐慌が訪れた。魔女だ、魔女だと叫びながら城壁の外へ逃げ出して行く。攻めてきたときは命が惜しくなかった彼らも、食料を手に入れ生き延びられる可能性を見出した今、死にたくはなかったのだ。
 反乱軍がいなくなると、初めて使った魔道にすっかり疲れてしまったフュルギヤはへなへなと床に座りこんだ。
「すごいですね」
 ナールが興奮して言う。
「紙を見ないで呪文を唱えられたら、もっとすごいですが」
 ナールはくすりと笑って、フュルギヤが握り締めている紙を指さす。フュルギヤは思わず笑った。
「その紙をどこで見つけたのです?」
 ナールはまじめな顔をして言った。
「そのうち、教えるわ。すっかり疲れてしまったの。部屋で休みたいわ」
「お連れしますよ」
 ナールはフュルギヤに手を貸して、部屋まで連れていった。
「休んでいてください。その間に、わたしが跳ね橋をあげて、城の中にだれか残っているか調べておきます」
 疲労困憊していたフュルギヤは心ここにあらずのようすでうなずき、ベッドに倒れこんだ。

 


「いよいよ、幕は開かれた。第一幕は、なかなかおもしろい見物だったよ。まだ十五の姫が親殺しとなりながらも、果敢に反乱軍を追い払う様は泣かせるね。さて二幕はどうなるかな。わたしとしては、〈光の妖精〉を〈闇の妖精〉に堕落させてしまうことを望むね。くれぐれも観客のわたしを失望させないでくれよ」
 聞き覚えのない声に、フュルギヤは飛び起きた。
 ベッドの脇に、長い黒髪をひっつめた全身黒ずくめの男が立っている。フュルギヤと同じ目と髪の色をした男の顔立ちは繊細でやさしく、口元がほころんでいるが銀色の目は限りなく冷ややかで邪悪だった。
「あなた、だれよ」
 フュルギヤは禍々しい侵入者を睨みつけて言った。
「きみの父親さ」
 男は軽く礼をする。
「母親から、そのことを聞いたはずだが」
「なんですって?」
 フュルギヤは驚いて聞き返した。
「わたしはすべてを見ていたんだよ。なかなか面白い見物だったな。残念なのは、きみが広間にいた者たちを皆殺しにしなかったことで今ひとつ、凄惨さにかけたが、まだ一幕だからな。あまりやりすぎてもよくない」
「あのとき、魔道を使ってみんなを凍りつかせたのは、あなたなのね」
 なにが起こったのかわかってくるにつれ、フュルギヤの心に怒りが湧き上がってくる。
「違う」
 アーナルは端正な顔をしかめて、人差し指を軽く振った。
「わたしが使うのは、魔法で、魔道じゃない」
「そんなことはどうだっていいわ。お父様を殺すように仕向けたのは、あなたなのね。みんなが、間に入って止めてくれれば、あんなひどいことにならなかったのに」
「それでは、おもしろくないからね。邪魔が入らないようにしたんだよ」
 ただの芝居を観たかったとでもいうように、悪びれもせずに言う。
「ひどいわ」
 フュルギヤは怒りのあまり、全身を振るわせた。
「このわたしを責めるのかい? わたしは〈闇の妖精〉の王アーナル、〈光の妖精〉や人間を憎む〈闇の妖精〉の王なんだよ。きみにもその血が流れているんだ」
「殺してやるわ」
 フュルギヤは言った。
「絶対に殺してやる」
 フュルギヤは、持てる限りの魔力をアーナルにぶつけた。何層もの壁が吹き飛び、激しい風が部屋の中に起こる。しかし、アーナルはなにも起きていないかのように平然と部屋に立ち、両手を軽く広げてうれしそうに笑っていた。
「さすが、わたしの娘だ。その憎しみをわたしにぶつけるがいい」
「うるさいっ」
 フュルギヤは、なんとしてもアーナルを殺そうと、精神を集中させた。
「魔力を振りまわすだけじゃ、どうにもならないよ」
 アーナルは、わざとらしいため息をついてみせる。
「きみはなんのために、魔道を勉強したんだい。ぜんぜん成果がでてないじゃないか。それではいくら頑張っても、わたしを倒せないね。ところで聞くがね、きみはそこで力を止めることができるかい?」
 言われて初めてフュルギヤは、力が暴走してしていることに気づいた。自分の意思で、力を操ることができない。
 どれほどの時間がたったのか、魔力に振りまわされ続けたフュルギヤは、ようやく魔力を使いきり糸の切れた操り人形のように床に倒れ込んだ。遠のいていく意識の中で、アーナルの声が聞こえる。
「いつか、アルヴィースとともに《スヴァルトアルフヘイム(闇の妖精の世界)》へわたしを殺しにくるといい。楽しみに待っているよ」

 


 目を覚ましたとき、フュルギヤは床ではなくベッドで寝ていた。とっさに自分が開けた壁の穴を探したがどこにもない。部屋はいつもどおりきちんと片付いており、争った後はまったくなかった。違うのは、小卓に一輪のバラがおいてあることだ。フュルギヤはバラのそばにおいてあるカードを手に取った。
「いずれわたしを殺しにくる愛する娘へ、アーナルより」
 フュルギヤはカードを破り捨て、バラを何度も何度も踏みにじった。

 


 フュルギヤから水晶で〈闇の妖精〉の王に会ったことを聞いたゲンドゥルは、すぐさま部屋で魔道の修業をしていたアルヴィースに知らせた。
「親を殺させて、見物だとっ」
 ゲンドゥルから話を聞き終わるなり、アルヴィースは吐き捨てるように言った。
「なんというやつだ。やはり〈闇の妖精〉は邪悪だということだな」
 アルヴィースはいらいらとしながら、部屋の中を行ったり来たりする。
「アルヴィース様、姫様は違いますよ」
 ゲンドゥルは言い、アルヴィースは足を止めた。
「〈闇の妖精〉の王は正気じゃない。自分の娘をこんなひどい目にあわせる親がどこにいる」
 アルヴィースは壁がないかのように《スヴァルトアルフヘイム》の方角へ向き、睨みつけた。
「アーナル、なにを考えている。わたしに呪いをかけ、自分の娘をいたぶってなにが楽しい。いったいなんのためにそんなまねをする」
 彼方にいる〈闇の妖精〉の王に向かって叫ぶ。
「アルヴィース様、〈闇の妖精〉の王の名を言ってはなりません。いくら強い結界を張っていようと、こちらにおびき寄せてしまいます」
 そのとき哄笑が響き、ゲンドゥルはもう〈闇の妖精〉の王を呼び寄せてしまったと急いで魔道士たちに結界を強めるように指示を出した。城に張られた強力な結界が、中に入りこもうとする〈闇の妖精〉の王をはばむが、声までは防げなかった。
「ああ、楽しいとも。おまえたちが苦しむのを見るのは楽しいね。そして、ギースルが苦しむのを見るのはもっと楽しいね」
 アーナルの愉快そうな声が部屋に響く。
「いったい、なんの恨みがあってそんなまねをする」
 アルヴィースは怒りのあまり全身を震わせていた。
「恨み、恨みだと。わたしが味わった屈辱、失望、おまえたちの苦しみなど及びもつかないわ」
「わたしがいったい、なにをした」
「おまえは産まれてはいけなかったのだ」
 アルヴィースはなぜ、そこまで言われねばならないのかと絶句する。
「そのようすでは、おまえはなにも知らぬのだな。それならそれでいい。おまえが理由を知ろうと知るまいと、わたしはおまえを産んだレギンレイブに、〈光の妖精〉の王の味方をするギースルに、そして〈光の妖精〉の王に復讐してやる」
「母はすでに死んだ」
「知っているさ。おまえは気を失って見ていなかったが、レギンレイブはおまえを守ろうとして、竜に食われてしまった。実にあっけない死で残念だ」
「きさまっ」
 アルヴィースはこの場にアーナルがいるかのように、飛びかかろうとした。
「アルヴィース様、おやめください。挑発に乗っては〈闇の妖精〉の王の思う壷です」
 ゲンドゥルはアルヴィースを止め、アーナルの声がする方角に向き直った。
「〈闇の妖精〉の王よ。おまえの思い通りにはいかぬ。すぐに、立ち去れい。ここはおまえのくるところではない」
 呪文を唱え、ゲンドゥルは声のする方へ向かって光を投げつける。押し殺したうめき声が聞こえ、アーナルは憎々しげに言った。
「こざかしい魔道師め。《アルフヘイム(光の妖精の世界)》を滅ぼしたあかつきには、おまえを殺してやる」
「おまえに《アルフヘイム》を滅ぼせるものか」
 アルヴィースが叫ぶ。
「いや、きみが《アルフヘイム》を滅ぼすのだ」
 アーナルは確信に満ちて言い、アルヴィースは憤慨した。
「なにをばかなことを」
「そうかな。きみは〈滅ぼす者〉だろう。《スヴァルトアルフヘイム》にくるのを楽しみにしているよ」
 愉快そうな〈闇の妖精〉の王の声はだんだん遠のいていった。気配が消えるとゲンドゥルはため息をつき、アルヴィースを見た。
「アルヴィース様、〈闇の妖精〉の王の挑発にのるとは、なんということですか」
「しかし、あんなまねをされて黙っていられるか」
「それが〈闇の妖精〉の王の狙いなのです。落ちついてください。部屋の温度が上がっていますよ」
 アルヴィースは言われて初めて部屋にかげろうができるほど、温度が上昇していることに気づいた。
「ああ、すまない」
 彼は無意識に発散していた魔力を止めた。すぐに部屋がもとの温度に戻っていく。
「昔のように火事を起こさなかっただけましですが、それでもあなたは短気すぎます。いますぐ、ガグンラーズに行くなどと言わないでください。炎の精の性とはいえ、すぐにかっとする癖を直さないうちは、絶対に行かせません」
 アルヴィースは怒りを冷まそうと、ゆっくりと頭を振った。
「なぜ、〈闇の妖精〉の王は、わたしたちをあれほどまでに恨んでいるのだ?」
「それはわかりませんが、二百年ほど前から〈光の妖精〉の王と〈闇の妖精〉の王は、いがみ合っています。それが種族間の争いとなり、戦がたびたび起こりました。平時でも〈光の妖精〉と〈闇の妖精〉が出会えば必ず殺し合いが始まり、〈光の妖精の世界(アルフヘイム)〉に近づく者があればそれがだれであろうと〈闇の妖精〉に攻撃されます。あなたが関わるような事件を聞いたことはありませんが、なにか関係があるのかもしれませんな」
「ギースルはなにか知っていそうだな。ああ、兄上と話せたらいいのに。〈光の妖精〉の王に逆らってわたしを助けるなんて、いったいどんな罰を受けたのだろう」
「ギースル王子とは一度お会いしたことがありますが、とても頭が切れるお方ですから心配ないでしょう。それより、アルヴィース様はご自分の心配をなさってください」
「ギースルみたいなことを言う。ギースルもフュルギヤも助けられないのなら、わたしはどうすればいい?」
「そうですな、アルヴィース様は魔道士になる修業を続けましょう。今のままでは、とても〈闇の妖精〉の王を倒しになど行かせられません」
 アルヴィースはゲンドゥルに無理だと言われ腹を立てたが、〈闇の妖精〉の王の力を感じた方角をしばらく見つめた後、力なくうなずいた。
「それしかないな。はじめて〈闇の妖精〉の王と接触したが、実体がここにきたわけでもないのにすさまじい力を感じた。今のわたしではとても勝てない」





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