ラグナレク・2−11

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・11



 フュルギヤがいるヘルブリンディ城の周囲には、死骸が山積みとなっていた。魔物たちが歓喜の声をあげて死体にたかり、仲間同士で奪い合い、食らっていく。ガグンラーズ国の為に戦った兵士を埋葬してやることも叶わず、死体は骨だけとなり、その骨も食い意地の張った魔物の胃袋に収まることとなった。
 雪の上に散った鮮血さえ魔物たちは舐めとり、そこで戦があった痕跡を残すものは、主を失った剣や鎧だけとなる。着る者がいなくなった服が、風に舞い飛んでいく。空を飛ぶ魔物が敵と間違え攻撃し、ずたずたに切り裂いてしまう。満腹となった魔物が、戯れに鎧を転がし、冑をかぶって仲間に投げつける。冑があたった魔物は激怒し、近くの魔物に噛みつき、噛みつかれた魔物は、身をよじってそばにいた魔物を蹴散らし、騒ぎはどんどん大きくなり、魔物同士で殺し合いが始まった。
 そんな中、ナールは剣を持ちもせず、門へと近づいていった。不思議なことに魔物は彼を襲おうとはせず、そればかりか逃げ出すものまでがいた。
 ナールはしばらく争い合う魔物たちを、腕を組みにやにや笑いを浮かべて見ていたが、自分がなにをするために城から出てきたのかを思い出し、手を一振りした。重い跳ね橋が上がり、門が閉じる。フュルギヤには剣を持ち上げるのがやっとだと言っていた彼は、それ以上に重い跳ね橋を魔法で動かしておきながら疲れたようすも見せず、城の中に戻っていった。

 


 反乱軍を恐れ人々が逃げだしてしまったおかげで、先ほどまで舞踏会を行っていた城が、人気のない廃城と化していた。城は静寂に包まれ、生き物の気配はまったくなかった。壊れた壁から隙間風が入り込み、だれもいなくなった部屋の戸を揺らしている。
 だが、フュルギヤが眠っている間にナールが城を調べると、あちこちの狭い棚や隠し戸などから人が見つかった。全員で五十人。彼らは、外に出て魔物や反乱軍に襲われることを恐れ、息をひそめて隠れていたのだ。
 ナールは彼らを使って、反乱軍の略奪を免れた食料を城の一室に運ばせた。だれの目から見ても、一ヶ月は持ちそうにない量だが、ないよりはましだ。
「全部、やっておいてくれたのね」
 一寝入りして体力を取り戻したフュルギヤが、広間にやってきてうれしそうに言った。フュルギヤがゲンドゥルからやるように言われたことを、すでにナールがやっておいてくれたのだ。
「今はわたしが王なのですから、わたしが城を再建するのは当然ですよ」
 ナールが言い、フュルギヤは「そのとおりだわ」と相槌を打った。自分がどうにかしなければならないと思っていたが、この国を守る責任があるのはフュルギヤだけではないのだ。
「あなたがいてよかったわ」
 フュルギヤがナールにむかって微笑むと、彼もにっこりとする。
「あなたが心配することは何もありませんよ。わたしにすべて任せておいてください」
 フュルギヤは彼の言葉に安心し、肩の力を抜いた。彼女は自室に戻るとゲンドゥルに、ナールが王となって国を導くので、自分はなにもすることはなさそうだと安堵の表情で伝えた。

 


「ねぇ、話があるの」
 昼食をとるためにアルヴィースが小食堂にくるなり、カーラは思い詰めた顔で彼の腕をつかんで言った。今日、一緒に食事をする予定のシグルズはまだ小食堂にきていなかった。
「なんです?」
 あまりにカーラが深刻な顔をしているため、アルヴィースは何事かと真剣な顔になって聞いた。カーラは廊下をのぞき、だれもこないことを確認すると侍女たちを下がらせた。
「あなた、魔道を使える?」
 人に聞かれるのを恐れるように、声をひそめてアルヴィースに聞く。
「まだ魔道士見習いですから、使うのは禁じられています」
 アルヴィースはなぜこんなことが人に聞かれてはまずいのかわからず、普通の声で答えた。カーラが慌ててもっと小さな声で話すように言う。
「なぜ、そんなにこそこそするんです?」
 アルヴィースはなにがなんだかわからず、聞いた。
「いいから、わたしの言うとおりにして」
 カーラはアルヴィースの口を手で押えると、だれかに聞かれなかったかと二人以外だれもいない部屋を見回した。
「あなた、だれかを愛したことがある? 結婚したいと思うような相手はいる?」
 アルヴィースは自分の口を押えている手をどけるように身振りで示した。カーラは「小さな声で話してよ」と念を押してから手を離した。
「まぁ、ありますけど」
 アルヴィースは、ディースのことがカーラの耳にはいってしまったのかと不安に思いながら言った。
「それはだれ? 身分は釣り合ってるの? あってない?」
 カーラは真剣な表情で聞き、アルヴィースは知らないのかとほっとしたが、カーラに話していいものか迷った。カーラはアルヴィースの顔をじっと見た。
「言わないところを見ると、身分が釣り合ってないのね。そうでしょ」
 アルヴィースが観念してうなずくと、カーラの顔が輝く。
「なら、話が早いわ。わたしにも身分の低い恋人がいるの」
 アルヴィースの手をとって言う。
「結婚したいというのなら、わたしに相談してもなにもできませんよ。わたしだって悩んでいるんですから」
「そうじゃないの」
 カーラは首を振った。
「今、世界が滅びかけているから、お父様は国を守るのに忙しくって、わたしに結婚話を薦める余裕はないわ。だから、わたしも〈滅びの時〉が終わるのを待って、駆け落ちしようと考えていたの」
 駆け落ちと聞いて、アルヴィースは「その手があったか」とつぶやいた。
「あなたはだめよ。ゆくゆくは国を治める責任があるんですもの」
 カーラが自分のことを棚に上げて言う。
「なぜ、姉上がよくて、わたしがいけないんだ」
 アルヴィースが不満をとなえる。
「あなたは男だから妾妃を持つことができるけど、わたしは女だから単なる政略結婚の道具。愛のない結婚をして、ボルグヒルド王妃みたいにいらいらした女になるのはいやよ。だから、時期を待って駆け落ちするつもりだったのだけど」
 カーラは言いづらそうに言葉を切り、救いを求めるように黙ってアルヴィースを見つめた。
「わたしが心を読むと思っているんですか。むやみと人の心を読むのは掟に反するので、そんなことはしませんよ。ちゃんと話してください」
「子供がいるの」
 カーラは、自分の下腹部に手をあてて言った。アルヴィースは驚きのあまり、ぽかんとした。
「なんですって?」
「お腹の中に、子供がいるのよ。父が知ったら、彼は殺されてしまうわ」
 アルヴィースはなにも言うことができず、カーラの腹を見つめた。
「だから、今すぐここを出ていかなくてはならないの」
「そんな無茶な。外は吹雪だし、魔物がたくさんいるんだ。生きていけるはずがない」
「あなただって、もうじき《スヴァルトアルフヘイム》に行くんでしょう」
「わたしは魔法も魔道も使える。姉上には無理だ」
「父の追っ手に捕まらないところまで逃げられればいいの」
 それからカーラは考えを変えて言った。
「いいえ、身分が低い者の子を宿したと置き手紙を残しておくわ。そうすれば、父も怒って探そうとしないでしょう。近隣の町にいても〈滅びの時〉が終わるまでは、気づかれないかもしれない」
「近くの町へ行くだけ?」
 アルヴィースは念を押すように言った。
「追っ手がこなければ、そうするわ」
「父上は探さないかもしれない。でも、シグルズは探すと思うな。一度も会ったことがないわたしを、命がけで助けてくれるような人だから」
「シグルズは城にいてボルグヒルド王妃と対峙するよりは、竜と戦ったほうがいいと思っているのよ。でも、そうね、お兄様なら必死で探してくれるでしょう。困ったわね」
 廊下のほうで足音がした。カーラは話をやめ、自分の席に座った。
「なんだ、まだ食べてないのか」
 小食堂にやってきたシグルズは、食卓に並ぶ冷めきった料理を見て言った。
「お兄様がきてからにしようと思って」
 カーラは何事もなかった顔をして言ったが、アルヴィースのほうは席にも座らず戸惑った顔をしていた。カーラがなにもなかったふりをしろと身振りで合図するが、アルヴィースは気づきもしない。
「どうした、アルヴィース」
 席についたシグルズは、つったったままのアルヴィースに言った。
「兄上は、グズルーンをどう思っている?」
 椅子に座ってからアルヴィースが聞く。
「彼女には一度も会ったことはないよ。なぜ、そんなことを聞く?」
 シグルズの返事にアルヴィースは目を丸くした。
「うそだ」
「なぜ、うそだなんて思うの。お母様は滅多に尖塔から出てこないんですもの。尖塔の中に入れないお兄様は会ったことないわ」
 カーラがシグルズの言葉を裏付ける。
「なら、なぜ、わたしが子供のとき二度と尖塔に行くなと言ったんだ。あんなに怒るからてっきり愛し合ってるのかと」
「おまえ、父上にそんなことを言ってはいないだろうな」
 シグルズは顔をしかめて言い、アルヴィースは「まさか」と答えた。
「なにも言ってはいませんよ。そうじゃないかって思うようになったのは、最近だし」
「おまえは誤解をしている」とシグルズは渋い顔をして言い、カーラがくすりと笑った。
「半分はあってるわ。お母様が一方的にシグルズを愛してるの。いつからかは知らないけど、お父様じゃなく、尖塔の窓から姿を見かけるだけのシグルズを愛するようになったの」
 シグルズは肩をすくめた。
「父上はそのことを知らない。だから、まだ子供だったおまえが気づいて、うっかり父上に話してしまっては、厄介なことになると思ったんだ。おまえはとんでもない誤解をしていたが、父上までそんな誤解をしたら大変だ」
「アルヴィースが誤解したのは、ちゃんと話さなかったからよ。へんに隠すから返って怪しくみえるんだわ」
 カーラがアルヴィースの肩を持つ。
「それじゃ、兄上に好きな人はいないのか」
 アルヴィースは落胆したようすで言った。
「いるわよ。砂漠の向こうに、ちゃんと身分の釣り合う人が」
 シグルズが「カーラ」と厳しい声で遮った。
「あなたは中庭にこないから、なにも知らないのよ。中庭にくれば、おもしろい話がたくさん聞けるわよ」
 姫たちが集まる中庭は、うわさ話の宝庫だった。カーラは意味ありげに微笑んでアルヴィースに言う。
「なぜ、急にそんな話を持ち出したんだ」
 シグルズはアルヴィースに聞いた。
「カーラが好きな人がいるって言うから」
 アルヴィースは正直に全部話してしまい、怒ったカーラが食卓の下からアルヴィースの足を蹴飛ばした。
「もう、あなたに話さなきゃよかったわ」
 カーラは席を立ち、部屋を出ていこうとした。
「カーラ」
 シグルズが怒ったようすもなく、カーラを呼び止める。
「本気で愛しているのか」
 カーラが「当たり前よ」と答えると、シグルズはなにか考えているようすだった。カーラは部屋を出て行くのをやめ、シグルズのそばにきた。
「なにか考えがあるの?」
「外に出るのはとても危険だ。運良く町につけたとしても、城ほど軍は配備されていない。魔物に襲われて、町ごと壊滅する恐れがある」
 シグルズは思案しながら答えた。
「そんなことわかってるわ」
「少し考えさせてくれ」
 そのとき、ばたばたと廊下を走る音が聞こえ、小食堂の戸が開いた。少し遅れて侍女が二人はいってくる。
「アルヴィース、遊ぼう」
 子供の頃、遊び相手が少なかったアルヴィースは、同じように遊び相手が少なく寂しがっているシンフィエトリと昼食後に遊んでやることにしていた。シンフィエトリは元気よくアルヴィースに駆け寄ろうとしたが、シグルズに気づいて方向転換した。
「わぁ、シグルズだ。遊ぼう」
 シグルズが小食堂にくることがあっても長居することがあまりないため、シンフィエトリと会う事はほとんどなかった。久しぶりに会ってシンフィエトリは大喜びだった。
「少し遊んでやったら」
 シンフィエトリをシグルズに取られてしまったアルヴィースは、少し焼きもちを焼きながら言った。





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