ラグナレク・2−13

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・13



 食事が終わる頃になって、いつものようにシンフィエトリが小食堂へ遊びにやってきた。シンフィエトリは今日もまたシグルズに遊んでもらおうとしたが、カーラが今日はシグルズは用があるからアルヴィースと遊ぶようにと言い、シグルズとともに小食堂を出ていってしまった。シンフィエトリはがっかりとしたが、すぐに元気よくアルヴィースに「遊ぼう」と走り寄った。
「細かい打ち合わせは明日にしたほうがいい」
 シグルズは小食堂を出てからカーラに小声で言ったが、彼女は首を横に振った。
「違うの。いますぐ馬を出して、ヴィナディースの神殿へ連れていってちょうだい。アルヴィースはこれがどういうことなのか知らないのよ」
「どういうことなんだ?」
 カーラがなにをするつもりなのかわからず、シグルズは聞いた。
「もう、お兄様も知らないの。とにかく早く連れて行って」
「しかし、これから仕事が」
「命がかかっているんだから、早く連れて行ってよ」
 シグルズは言われるままに、カーラを乗せて馬を走らせた。城下町では兵士たちがいざというとき行動が妨げられないよう道に積もった雪をどけていた。彼らはシグルズに気づくと手を止めて会釈をする。シグルズは屋根の上に積もった雪が今にも崩れそうになっているのに気づき、馬を止め屋根の上の雪も除去するように兵士に命じると、カーラがそんなことは後にしてと怒った。
 戦いの神ヴァルファズル、結婚の女神フリーン、雷の神フロールリジ、豊作の神ユングヴィと城下町の中心にはさまざまな神殿があった。どの神殿も純白のため、雲が放つ赤い光を反射して降り積もった雪と同じように赤くなっている。カーラは入り口に恋人たちの像があるヴィナディースの神殿につくなり、神殿の中へ走っていった。神殿に祈りを捧げにやってきた者たちが王女に気づき、注目する。
「ディースはどこなの。彼女を連れてきて」
 カーラは出迎えた女官の腕をつかんで言った。
「いったいどうなされたのです」
 城下町に住む者はみな、毎日、町を巡回しているシグルズの顔はもちろん、シグムンド王の娘であるカーラの顔も知っていた。二人を出迎えた女官は、王子と王女が従者も連れずにいきなりやってくるとは何事かと驚いていた。
「いいから、ディースをいますぐにここに連れてきて」
 カーラは王女として女官に命じた。
「それは無理です。彼女は神に仕えました」
 女官が困惑したようすでカーラに答える。
「遅かったわ」
 全身の力が抜けてしまったようにカーラは、床に座りこんだ。
「いったい、どうしたんだ」
 事情がわからぬシグルズが、カーラを立ち上がらせて聞く。女官が柱廊に置かれていた椅子を差し出し、シグルズはカーラを座らせた。
「彼女が神に仕えたというのは、彼女は死んでヴィナディースのもとへ行ったってことなの」
 カーラはうつろな声で答えた。
「死んだのか」
 シグルズはこれをアルヴィースが知ったらどんなに悲しむだろうと考え、憂鬱になった。女官が気をきかせて水を持ってくる。
「愛の女神の神殿にくるのは愛に破れた人じゃなくて、死に別れた恋人に会いたい人や恋人を守りたいと思った人なの」
 カーラは水を一口飲んでから、シグルズに説明した。
「ディースは旅に出るアルヴィースの無事を祈ってヴィナディースに身を捧げたんだわ。アルヴィースに渡す護符があるはずよ」
「いかがされましたか」
 神官が奥の祭壇がある部屋から出てきて言う。彼は白いマントを着た穏やかな感じの背の高い白髪の老人だった。
「アルヴィースに渡す護符があるでしょう」
 カーラは言った。
「さようでございます。今夜、お城にお渡しにいく予定でございます」
 神官はカーラとシグルズを見て言った。
「アルヴィースがいるのは、城じゃなくって魔道の塔のほうよ」
「教えてくださり、ありがとうございます」
 やさしい口調で神官は礼を言う。
「あなたはアルヴィースにディースが死んだって言うの?」
「神に身を捧げたと言います」
「それじゃ、アルヴィースはディースがまだ生きていると思うわ」
「神の世界で生きております」
 カーラは嘆息した。
「長い旅から帰って迎えにきてみれば、とっくに死んでいたなんてかわいそうすぎるわ。わたしが渡すから、護符を持ってきてちょうだい」
「ですが」
 神官はそれでは決まりを破ることになると躊躇った。
「わたしはアルヴィースの姉よ。ちゃんと渡すから、持ってきて」
 カーラは命じたが、神官は困ったようすで佇んでいだけだった。
「もう、取りにいきなさいったら」
 そのとき、神殿にいた人々が一斉にため息のような声をだした。振り向くとアルヴィースが一人でこちらにやってくるところだった。人々は魔道の塔にこもってばかりで滅多に外にでることがない彼を羨望と畏怖の表情で見つめていた。だれもがアルヴィースの炎の糸でできたかのような髪や妖精特有の染み一つない肌、繊細な顔立ちに見惚れていたが、彼は〈闇の妖精〉の王に呪われており、魔法が使える上に魔道の修業もしていると知っているため恐ろしさも感じていた。魔道が盛んな国とはいえ、魔道を習うことがない者にとって魔力を持つ者は尊敬と畏怖の対象なのだ。
「なぜ、きたの?」
 カーラは驚いて椅子から立ちあがる。
「姉上がヴィナディースの神殿と聞いておかしな顔をするから、アルスィになぜなのか聞いたんだ。ディースは死んだのか」
 アルヴィースは言い、カーラはうなずいた。
「そうか。アルスィオーヴなら、知ってそうね」
 アルヴィースは痛みに耐えるように目を閉じたまま、神官に言った。
「わたしに渡すものがあるだろう」
 神官はほっとしたようすで女官に護符を取りに行かせる。
「姉上も知っていたんだな」
 沈痛な面持ちでアルヴィースは言う。
「女はみんな知ってるわ。男が戦場や危険な冒険へ行ってしまったら、女は祈ることしかできない。だから、護符に力をこめるために命を捧げるの。わたしだったら、そんなことしないで無理やりにでもついていっちゃうけど」
「それも困るな」
 シグルズが言う。
「とにかく、ヴィナディースの神殿にいる女官は護符を渡すときにはなにも知らせず、男が恋人を迎えにきたときになってやっと死んだことを知らせるの。でも、理由は教えない。だから、男の人がこの儀式を知らないのも当然ね」
「男はだれも喜ばないだろうな」
 自分はそんなものをもらいたくないと、シクルズが顔をしかめる。
「わたしもそう思うわ」
「ディースもそう思ってくれればよかったんだ」
 アルヴィースはつらそうに言った。
「アルヴィース様にお渡しする護符でございます」
 女官が白い布を掲げてやってきて、アルヴィースの前で布を広げた。髪で編まれた護符が現れる。アルヴィースは震える手で護符を手に取った。
「ディースのものか」
「さようでございます」
 アルヴィースは護符を手にしたまま、さっさと神殿の出口へと歩いていった。シグルズとカーラも慌ててついて行く。雪が降り始めたためか神殿の外に人気はなく、アルヴィースは急に立ち止まった。
「もっと早く気づくべきだった」
 アルヴィースは胸の前で護符を握り締めうつむくと、二人に背を向けた。肩が震えている。
「アルヴィース、大丈夫?」
 カーラが顔を覗き込もうとすると、アルヴィースは顔をそらした。
「魔道で抜け出してきたんだ。見つかる前に戻るよ」
 声をつまらせながら言い、アルヴィースは姿を消した。





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