ラグナレク
第二章 ガグンラーズの魔女・14 アルヴィースが魔道の塔に戻ってくるなり、「ほら、ごらんなさい。やはり、あなたは言ったことが守れないじゃありませんか。昨日あれほど魔道の修業をさぼらないと言ったのに、もう抜け出してどこかに行かれてしまわれる」とゲンドゥルは一気にまくしたてたが、アルヴィースは力なく「ディースが死んだ」と言い部屋に閉じこもってしまった。戻ってきたらすぐに魔道の修業をさせようと考えていたゲンドゥルは怒るのをやめ、沈痛な顔になった。今度はなぐさめるためにアルヴィースの部屋の戸を叩こうとしたが、今は一人にしておいたほうがいいだろうと考えなおし、自室に戻る。 その日、アルヴィースは気分がすぐれないとシグムンド王との夕食にも現れず、シグムンド王はこんなことは初めてだと心配したが、ボルグヒルド王妃は妾妃の子と顔を会わせなくてすんだと顔をほころばせ、夕食に招待されていた家臣たちに冷やかな視線を浴びせられた。 「昨日も元気がなかったな。そんなに悪いのか」 シグムンド王はアルヴィースの命が危ういのかと考え、アルヴィースがこないことを伝えにきたゲンドゥルに聞いたが、彼は「時間がたてばよくなります」と答えただけでアルヴィースが恋人を失ったことまでは言わなかった。事情を知っているシグルズが「親しい者を亡くしたんですよ」と教える。 「そうか。それはさぞかし心を痛めているのだろう」 シグムンド王は言ってから、自分の知っている者がだれも死んでいないことに気づいた。 「死んだのはだれだ?」 シグルズに向かって言う。 「父上の知らない者ですよ」 シグムンド王は自分の知らない者と親しくしていたのかと怒ったが、シグルズを叱っても無意味だった。 「アルヴィースに言ってください」 シグルズは父の怒りを気にもせず、平然として言う。母の怒りは竜より恐ろしくとも、父の怒りはなんともないらしい。 「なぜ、おまえが知っていて、わしが知らんのだ。アルヴィースはなぜ、わしに話さん」 「それも、わたしにではなくアルヴィースに言ってください」 落ちついた動作でパンを食べながら、シグルズが答える。 「おまえも冷たくなったな。少し前までは父上、父上と、わしの後についてまわっていたのに」 シグムンド王はぼやいた。 「いったい、いつの話ですか。わたしはもう子どもではないのですよ」 「だが、アルヴィースはまだ子どもだ」 シグムンド王はきっぱりと言ったが、シグルズは「さぁ、それはどうでしょう」と苦笑いしながら答えた。
アルヴィースは翌朝になっても部屋から出てこなかった。ゲンドゥルが部屋の外から食事をとるように言ったが返事もない。昼近くになってゲンドゥルは魔道で部屋のようすをみたほうがいいかもしれないとアルヴィースの部屋の前で考えていると、なんの前触れもなく戸が開いた。 「アルヴィース様、大丈夫ですか」 ゲンドゥルは戸口に立っているアルヴィースを見てうろたえた。アルヴィースは生気が抜け出てしまったかのように肌に色がなく、目がうつろだった。 「ともかく、生きてはいるようだ」 アルヴィースが弱々しい笑みを浮かべて言う。 「なにかお食べになったほうが」 「そろそろ昼食の時間だろう。小食堂で食べるよ」 アルヴィースはいつもどおりに振舞おうとしていたが、声にまったく力がなかった。 「わたしがお供をします」 心配したゲンドゥルが仕事を他の者に任せて、一緒についてくる。 「今日はわたしも同席させていただきたいのですが、よろしいですか」 ゲンドゥルは小食堂にくると、カーラに聞いた。 「あら、大変。今日は二人分しか用意していないのよ」 「いえ、いさせていただければよろしいのです。アルヴィース様がちゃんとお食べになるか見ていたいので」 「大丈夫なの?」 カーラはアルヴィースの方を向いて言った。今のアルヴィースは魂のない人形のようで、心を閉じているグズルーンとそっくりだった。 「心配ないよ。わたしはそんなに情けない顔をしているのか」 「してるわ」 きっぱりと言われ、アルヴィースは苦笑する。 「アルヴィースはいるか」 アルヴィースが部屋から出てきたら、すぐに知らせるようにゲンドゥルに命じておいたシグムンド王が、アルヴィースの顔を見に小食堂へやってきた。 「なんだ、その顔は。朝の稽古にも来ぬから心配したぞ」 アルヴィースの顎をつかんで自分のほうに向けさせる。 「そんなに心配しないでください」 アルヴィースは手を払って言った。 「知っている者が死んだのです。それだけですから」 「それは、シグルズから聞いた。いったいだれが死んだのだ?」 「父上の知らない者ですよ」 シグムンド王はどうしてだれも名を言わぬのかと怒ろうとしたが、あまりに元気のないアルヴィースの顔を見てやめた。 「いつまでも悲しみに沈んでいては、死んだ者も浮かばれんぞ」 シグムンド王はアルヴィースを抱きしめようとしたが、アルヴィースに拒絶された。 「父上、わたしはもう子供ではないのですよ」 うるさそうに言われ、シグムンド王はカーラのほうへ行った。 「悲しいからと部屋にこもって予定を全部すっぽかした子どものくせに。おまえは抱きしめても怒らんだろうな」 カーラは笑って王の頬にキスし、シグムンド王はしっかりとカーラを抱きしめた。 「おまえもキスぐらいしてくれたらどうなんだ」 これみよがしにカーラを抱きしめたまま、アルヴィースに言う。 「いやです」 アルヴィースははっきりと言った。 「つれない子供だ」 シグムンド王は子供にやるようにアルヴィースの頭をなでて髪をぐしゃぐしゃにすると、アルヴィースが怒る前に部屋を出ていった。 「まったく父上は」 アルヴィースは手で髪を直しながら言う。カーラが「それじゃだめよ」と侍女にくしを持ってこさせてアルヴィースの乱れた髪を梳かしていると、今度はシグルズがやってきた。 「あら、やだ。今日は一緒に食べられないって言うから、用意させなかったわ」 「いや、すぐに行く。アルヴィースの顔を見にきただけなんだ」 シグルズはアルヴィースに向かって「大丈夫か」と聞いた。 「父上に子供扱いされて、意気消沈しているところですよ」 アルヴィースは不機嫌に答えた。 「思ったより元気そうだな。よかった」 シグルズの言うとおり、シグムンド王のおかげかアルヴィースの顔に生気が戻ってきていた。シグルズは安心して小食堂を去り、ゲンドゥルもほっとして「すぐにフラールをよこしますから、おとなしく小食堂にいてください」と魔道の塔に帰って行った。それからしばらくして「アルヴィース、元気か」とアルスィオーヴがやってくる。 「今日はいったい何事だ?」とアルヴィースは言い、「みんな、あなたのことを心配してるのよ」とカーラは微笑んだ。 「昨日、部屋にとじこもっちまうから、どうしたのかと思ったよ。ディースは小屋にいないし、いったいなにがあったんだよ」 アルスィオーヴは心底、心配しているようすで言った。カーラが「あら、まじめな顔でいると男前よ、あなた」と驚いて言う。 「おれはいつでも男前なの」 アルスィオーヴは真顔で言い、カーラは笑った。 「ディース親子は死んだよ」 アルヴィースが心の痛みに耐えながら言う。 「ふぇ、おやじさんが死んだのは知ってたけど、ディースまでもかよ」 アルスィオーヴは驚いてから、納得したように「ああ、そうか」と言った。 「なにがだ」 アルヴィースはなにを気づいたのか気になって聞いた。 「おまえ、昨日、おれにヴィナディースの神殿のことを聞いてから、血相を変えてどっか行っちまっただろ。ディースが神殿に行っちまったんだな」 「アルスィは勘がいいわね」 カーラが言う。 「勘がよすぎだ。わたしとディースの仲もすぐに気づいて」 「だって、今までおれがなにしようと関心なかったくせに、いきなりディースにちょっかいだすなって怒りゃ、だれだってわかるよ」 「隠すのが下手ね」 カーラは自分は恋人ともっとうまくやっているという優越感をもって言った。 「でもあんたのお相手はだめだね。昨日、酒場で、あさってサーゴネスの町に行って結婚するって、酔っ払ってのたまわっていたばかやろうがいたぜ。あんたら駆け落ちすんの?」 カーラは頭を抱え込んだ。 「アルスィ、そんなに勘付いちゃ、そのうちだれかに殺されるわよ」 「だから、たいていは知らん振りしてるよ。それじゃ、明日はうまくやれよ。サーゴネスの町に行く事があったら、顔見にいくから」 アルスィオーヴは言い、ボルグヒルド王妃との昼食にいかなきゃと立ち去った。 「アルスィはボルグヒルド王妃にかなり気に入られてるみたいだな」 「城の中で彼女の話をちゃんと聞いてあげるのは、彼だけだからよ。お父様もシグルズも彼女に冷たすぎだわ」 「姉上は彼女の味方か」 「わたしも〈滅びの時〉がこんなに早く近づいてこなければ、政略結婚させられるところだったのよ。他人事じゃないわ」 「愛のない結婚か」 アルヴィースはディースのことを思いだし、護符を取りだして見つめた。 「元気だして。彼女は命を失ってもあなたを守りたかったのよ」 「どうしても、うれしいと思えないな」 「わたしだって彼女のしたことには賛成できないけど、この護符の中に彼女の命はあるわ。死んでも好きな人とともいて、守ってあげられるっていうのはすてきね。彼女、本当はあなたと片時も離れたくなくて、こんなまねをしたんじゃないかしら」 「離れ離れになっても、生きていたほうがずっといい」 「わたしたちは、生きましょう」 カーラはアルヴィースの手を握って言った。 「あなたとも今日でお別れだけど、お互い、〈滅びの時〉を生き延びてまた会いましょう」 「さよなら、姉上」 アルヴィースはしっかりとカーラを抱きしめた。
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