ラグナレク・2−15

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・15



 次の日の早朝、また雪が降っていた。シグムンド王に兵舎の前にある訓練場で剣の稽古をつけてもらっていたアルヴィースは、シグルズが五十人の兵を前庭で整列させているのを見た。兵士たちは食料を積んだ荷馬車の両側を囲み、魔物の攻撃に備えた体勢を取っている。シグルズは点呼が終わるとシグムンド王に出かけることを伝え、城を出ていった。
 アルヴィースはあの荷馬車の中にカーラがいるのだろうかと考えていると、シグムンド王が剣の鞘でアルヴィースの頭を軽く叩いた。
「気をそらすでない。おまえはすぐに集中がとぎれてしまうな。そんなことでは殺されてしまうぞ」
 シグムンド王もカーラが今出ていった一隊に紛れ込んでいることを知っているはずだが、気にも止めていないようだった。アルヴィースは剣を構えなおすと打ちかかった。シグムンド王は剣を横に構えて、アルヴィースの剣を受け止める。
「まだまだだな」
 シグムンド王が剣を払うと、アルヴィースは後ろへよろめいた。すぐに体勢を立て直し、王に打ちかかる。今度は激しい打ち合いになった。剣と剣がぶつかるたびに火花が飛び散り、シグムンド王の剣が宙を飛んだ。
「どうです」
とアルヴィースは言ったものの満足はしていなかった。アルヴィースが全力を出していたのに対し、シグムンド王は利き手でないほうの手で剣を持っていたのだ。
「いつもそれだけ集中するようにしろ」
 シグムンド王は剣を拾い、利き腕に持った。
「さぁ、こい」
 アルヴィースは、今度は徹底的に打ちのめされそうな予感に顔をしかめた。
 アルヴィースが躊躇っていると、尖塔のほうが騒がしくなった。侍女たちがカーラがいないことに気づいたのだろう。アルヴィースは剣を下ろし尖塔のほうを見た。
「また気がそれる。どうしておまえは集中できないのだ」
 シグムンド王はまた剣の鞘でアルヴィースの頭を叩こうとしたが、予期していたアルヴィースは頭を横にそらして避けた。
 血相を変えた侍女が、尖塔から飛びだしてくる。
「なにかあったようだな」
 シグムンド王はそしらぬ顔で尖塔に向かい、アルヴィースも一緒についていった。侍女はシグムンド王に気づくなり、手に持っていた手紙を王に差し出した。身分の低い者の子を宿し、駆け落ちをしたことを書いたカーラの手紙だ。
 シグムンド王は顔を真っ赤にし手紙を破り捨てると、だれもカーラを探すなと怒鳴った。あまりの迫力にアルヴィースは、本当にシグムンド王はなにも知らないのではないかと思ったほどだった。シグムンド王はアルヴィースにも決して探すなと命じ、城へ帰って行った。
「あの子は愛をつらぬいたのね」
 茫然と王が去っていく姿を見ていたアルヴィースは、尖塔の入り口から声がして振り向いた。めったに尖塔の外に出ることがないグズルーンが、けだるそうに立っていた。
「塔の外にでるとは珍しいですね」
 アルヴィースがグズルーンと会うのは、彼が十二歳のとき以来だった。彼女は少しも歳をとっていなかったが、なにかがあのときと違っていた。
「あなたの心の傷があまりに大きくて深いから話したいと思ったの」
 悲しげなグズルーンはアルヴィースの目をまっすぐに見て言った。
「わたしの心の闇とは比べものにならないぐらい、あなたの闇は大きく深いわ。愛する人をなくしたのね」
「どうしてそれを」
「心で感じるのよ。あなたの心が深い悲しみに満ちていることを」
「子供のとき、あなたから魔力を感じなかったのに、今は感じる」
 アルヴィースは以前となにが違うのか気づいて言った。
「わたしの力は月のように満ち欠けするの。でもあなたのような魔法は使えないわ。魔力が満ちたとき、心でいろんなことを感じるだけ」
「あなた自身の心はどう感じます? あなたにも心の闇があると言ったが」
 グズルーンはものうげに微笑んだ。
「たいしたことじゃないわ。わたしの闇は、時期がくるまで愛しい人に愛してもらえないこと。長い間、ずっと待たねばならないこと。それはとてもつらいことだけど、悲劇ではないわ」
「王が許さないでしょう」
「王はわたしにあきているわ。わたしはあなたのお母様に少し似たところがあるから、気に入られただけ。それもあなたが来たことでどうでもよくなってしまったの。時期がくれば、わたしを自由にしてくれるでしょう」
「兄上があなたを愛すと」
「あの人は一目見てわたしを愛すわ。だからわたしは、時期がくるまであの人の前に姿を現さないようにしているの」
「たいした自信だ」
「わたしには少しだけ未来も見えるのよ。あなたも今はつらいでしょうけど、やがて別の人を愛するようになるわ」
「そうは思えない」
「いずれわかるわ」
 クズルーンは確信に満ちた笑みを浮かべ、尖塔の中に入っていった。

 


 シグルズは夕食にやや遅れてやってきた。それまで、夕食には戻るはずだったのになぜまだ戻らぬのか、そんな危険な任務になぜつかせたのかとシグムンド王や同席した家臣たちに向かって非難していたボルグヒルド王妃は、シグルズの元気そうな顔を見るとにこやかな顔になった。
 シグルズはシグムンド王に数度、魔物に襲われたが、食料と兵士を失うことなくサーゴネスの町に届けたことを報告してから、席についた。王の隣に座っていたアルヴィースはならば、カーラも無事についたんだと安堵する。
 ボルグヒルド王妃がそんなに危険だったのかとまたも怒り出した。シグルズはうんざりした顔をし、我慢し切れなくなったシグムンド王がいい加減にしろと王妃を怒鳴り退出させた。ボルグヒルド王妃が怒った王から退出を命じられるのは、このところ毎日だった。それでも、ボルグヒルド王妃はがみがみ言うのをやめず、同席した者たちの気分を害していた。シグムンド王が理由を作って、ボルグヒルド王妃が人前に出ないように部屋に軟禁してしまうのは、時間の問題だった。
 気まずい雰囲気が漂った後、世間話が少しだけされた。だれもが口数少なく、今日いなくなったカーラのことを口にする者はいなかった。

 


「今日も何事もなし。退屈なぐらいよ」
 フュルギヤは日課となっているゲンドゥルとの連絡で、一日の出来事を報告した。ゲンドゥルが「それはいいことなのですよ」と答える。反乱軍が襲ってきた日から三ヶ月がたっていたが、再び反乱軍に襲われることも、食料が不足することもなかった。フュルギヤはゲンドゥルから魔道を学ぶ以外に、やることもなく退屈していた。
「アルヴィースは今日も忙しいの?」
 フュルギヤは毎日欠かすことのない質問をゲンドゥルにした。
「今日はどうでしょうな」
 ゲンドゥルは脇にひかえていたアルスィオーヴに目を向けた。アルスィオーヴは「見てくるよ」と隣にあるアルヴィースの部屋へ行く。
「お姫さんが話したがってるよ」
 アルスィオーヴが部屋に入ると、アルヴィースは魔道の修業が手につかぬようすで窓からぼんやりと外を眺めていた。
「アルヴィース、ディースが死んでから、もう一ヶ月もたったんだ。いつまでも悲しみに沈んでいたら、ディースも悲しむぜ」
 アルヴィースは悲しみを振り払うように頭を振り、椅子に座った。
「カーラのことを考えていたんだ。無事だろうか」
「ほんとかよ。この間、サーゴネスの町に食料を送り届けた兵士が、女物の服も持っていかされたって不思議がってたよ。無事なんじゃないの」
「そうか」
 シグムンド王は態度にだしもしないが、ちゃんとカーラのことを気にかけていたのかとアルヴィースは安心する。
「それで、なにか用なのか」
 アルヴィースはアルスィオーヴが部屋に入るとき、なにか言っていたことを思い出して聞いた。
「どうせ、ぼおっとしてるんだからさ、お姫さんと話してやれよ」
「フュルギヤ姫のほうは何事もないのか」
 アルヴィースは疑わしげな顔をして言った。フュルギヤが両親を殺してしまった日以来、小さな事件さえ一度も起きていないのだ。
「おかしなぐらいにね。ガグンラーズの王族にナールなんてやつがいるなんて聞いたこともないし、魔道にしっかりと守られているファグラヴェール王国が魔物にしょっちゅう襲われてるってのに、無防備なガグンラーズは一度も襲われないんだってさ。食料だって、そんなになかったはずなのに、お姫さん、いまだに毎日、二度の食事をしてるって言ってるぜ」
「その話はずいぶん前にゲンドゥルから聞いたよ。姫の気づかないところでなにかが行われているんだ」
「それを探るためにも、お姫さんと話したほうがいいんじゃないの」
 アルヴィースは大きく息を吐いた。
「探るか。姫は魔物を食べていないようだとゲンドゥルは言っていたが、それなら、なにを食べているのか考えたくもないな。ガグンラーズにはまともな食べ物など、もうないはずだ」
「おれも考えたくもないよ」
 顔をしかめてアルスィオーヴも言う。
「でも、姫をゲンドゥルに任せっぱなしってのもよくないんじゃないの? 妖精のおまえのほうがわかることだってあるだろ。姫に会ってやりなよ。なにか新しいことがわかるかもよ」
「そうだな。たまには話すか」
 アルヴィースは立ちあがり、ゲンドゥルの部屋へ向かった。





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