ラグナレク・2−17

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ラグナレク


第二章 ガグンラーズの魔女・17



「なに考えてるんだよ。あんた、姫のこと嫌いじゃなかったのかよ。結婚しようなんて、どっからそんな言葉がでてきたわけ?」
 アルヴィースの発言に驚いて、椅子ごとひっくり返ったアルスィオーヴは、水晶の術が解かれてからアルヴィースに言った。ゲンドゥルも「勝手に決めてしまって、王がなんと仰せられることか」とアルヴィースを叱る。
「だれかがそうしてほしいと強く願っていたんだ」
 アルヴィースは、自分でもなぜそんなことを言ったのかわからぬようすで言った。フュルギヤに言ったときは、どうしても言わねばならないことのように思えたのだ。
「〈闇の妖精〉の王かよ」
「違う」
 アルヴィースは目を閉じて、心に聞こえてきた声を思い返そうとした。
「母上かな?」
 彼は首にかけていた鎖を服の下から取り出し、鎖に通してある指輪を見た。
「これはお母様が一番愛した人からもらったものなの」
 レギンレイブは幼いアルヴィースに指輪を見せながら言った。
「あなたが幸せになれるように、この指輪をあなたに渡しておくわ」
 指輪を細い鎖に通すと、アルヴィースの首にかける。
「大きくなって結婚したいと思う人ができたら、その人に渡してちょうだい。あなたは絶対に幸せにならなきゃだめよ」
「レギンレイブはとっくの昔に死んでるじゃないか。ディースが死んで、頭、おかしくなったんと違う?」
 幼い頃を思い出していたアルヴィースはアルスィオーヴの声に我に返った。
「そうかもしれないな。なぜか、結婚を申し込んだほうがいいと強く思ったんだ」
 アルヴィースは指輪を触りながら、困惑したようすで言った。

 


 ナールに食料を見せてもらえなかったフュルギヤは、なにがなんでも探し出してやろうと城の中を一人で歩いていた。食料のことをだれに聞いても禁忌にふれでもしたかのように口を閉ざしてしまうため、フュルギヤはかえってむきになっていた。食料を探して戸を一つ一つ開けていく。
 窓が破れ、外壁のあちこちに穴が開いているため、城に忍びこんだ魔物がいるかもしれないが、すいぶん前にゲンドゥルから魔物が逃げだす簡単な呪文を教えてもらっていたフュルギヤは気にしなかった。
 フュルギヤは思いつく限りの場所を探したが、見つけることはできなかった。後は地下牢と両親が死んだ忌まわしい広間しかない。フュルギヤは少し考え、先に地下牢を見にいくことにした。地下牢につながる階段は真っ暗で、地下水が染み出しているのか水滴が落ちる音が聞こえてくる。そんな場所に食料があるとは思えないが、このままあきらめるのも悔しく、フュルギヤは松明を持っておそるおそる階段を降りて行った。
 地下牢は静かだった。泣き叫ぶ声も、拷問の痛みに苦しむうめきもない。水がぽつんぽつんと落ちる音だけが妙に大きく聞こえてくる。
 フュルギヤはだれもいない牢屋を通りすぎ、拷問室の前にきた。鉄の戸はしっかりと閉められているのに、その中から水の落ちる音が聞こえ、むっとする生臭い匂いが漂ってくる。魔物がいるのだろうかと、フュルギヤは身構えた。だとしたら、退治しなければならない。
 いきなり魔物が襲ってきてもいいように、フュルギヤは壁に隠れて戸を開けた。思ったよりも勢いよく開いてしまい、戸が壁にあたって音をたてる。眠っていた者も飛び起きてしまうような金属音が地下牢に響いたが、しばらく待っても魔物が襲ってくるようすはなかった。フュルギヤはおそるおそる部屋を覗き、中になにがあるのか知った途端、意識を失った。

 


「悪い夢をみたんです」  フュルギヤが意識を取り戻すと、ナールが開口一番に言った。フュルギヤは彼はなにを言っているのだろうとまだはっきりしない頭で考え、気を失う前に見たものを思いだした。
「ナール、人が、人が」
 動転したあまり、言葉が出てこない。彼女は拷問室で天井から逆さまにぶらさがっていた全裸の者たちのことを、ナールに教えたかった。ある者は肉を剥がされほとんど骸骨となり、ある者はまだ完全な肉体を保っていた。そのどれもが、首から血を流し死んでいた。彼らから流れ落ちる血の音が、静寂に包まれた地下牢全体に響いていた。
「フュルギヤ姫、落ちついてください。あなたはなにも見なかったのです。悪い夢をみたんですよ」
「夢?」
 フュルギヤは、自分の寝室のベッドにいることに気づいた。
「あれが夢?」
 フュルギヤは信じられないというように自分の手を見つめ、悲鳴をあげた。彼女の手は倒れたときについた血で汚れていた。ナールが口の中で毒づく。
「わかりました。うそを言うのはやめましょう。地下牢のほうで大きな音がしたので見にいったら、あなたが倒れていたのでここに連れてきたのです。悪いことは言いません。あそこで見たことはお忘れなさい」
「あなた、知っていたの? どうしてあんなひどいことを知っていて、やめさせないの?」
 フュルギヤは、ナールの服を両手でつかみ彼を責めた。ナールはそっと彼女の手を離させ、かぶりを振る。
「まったく、忘れなさいといっても、忘れてくれそうにありませんね。今まで隠していたのは、あなたのためだったんですよ。それでも知りたいのですか」
「あんなことが、わたしのためであるはずがないわ。あなた、なにをしたの?」
「あれが、わたしたちの食料です」
 ナールはフュルギヤの頭に染みこませようと、ゆっくりと言った。フュルギヤの目が大きく見開かれ、それから、今日の夕食をベッドの上に吐き出した。
「ほら、ごらんなさい。つらい思いをすると言ったでしょう」
 ナールがいたずらをした子供に諭すように言い、やさしくフュルギヤの背中をさすった。
「ひどいわ。ひどいわ」
 フュルギヤはなにも吐きだせなくなると立ちあがり、ナールを叩こうとした。だが、たやすく両手をつかまれてしまい、フュルギヤは泣き出した。
「フュルギヤ姫、しかたなかったのです。とっくに食料がなくなっていたんですよ。他にどうしろというのです」
「言えば、食べなかったわ」
 フュルギヤは叫んだ。
「だから、言わなかったんですよ」
「みんな知ってたのね。わたしだけが知らなかったんだわ。ああ、そうだ。アルヴィースもそのことに気づいていて、教えてくれなかったんだわ。わたしが人の肉を食べているんじゃないかって思っていたのに、言わなかったんだわ」
 フュルギヤはベッドにつっぷして嘆き、ナールは眉をひそめた。
「アルヴィース? ファグラヴェール王国の王子のことですか」
 フュルギヤは口をすべらせてしまったことに気づき、ぴたりと泣き止んだ。
「なんのこと?」
 とぼけてみたが、もう遅い。ナールの目には怒りが浮かんでいた。
「あなたが、魔道士から魔道を教わっているとは思っていたが、それがファグラヴェールの王子だとは思わなかった。どうやって彼と連絡をとっていたのです?」
「どうしてそれを」
「なにかあるたびに部屋にこもって新しい呪文を覚えてくれば、だれだってだれかに教わっているに違いないと思いますよ。今までは役に立つ魔道を教わってくるので黙っていましたが、相手がファグラヴェール王国の王子の上に、よけいなことを吹きこむとあっては黙っているわけにはいきません。あなたは、どうやって彼と連絡をとっていたのですか? わざわざ部屋にいくところを見ると、ここに隠してあるなにかで連絡をとっているのですね。それをわたしに渡しなさい」
「どうするつもり?」
 フュルギヤは警戒して言った。
「彼に余計なことを言うなと言いたいのです。さぁ、すぐにわたしに渡しなさい」
「でも、アルヴィースはなにも言わなかったわ。わたしが勝手におかしいって思ったの」
「いいから、すぐにその道具をだしなさい。この国を治める王として、彼と話したいのです」
「話すだけ?」
 フュルギヤは疑わしそうに聞いた。
「そうです。彼にわたしの考えを知ってもらわねば困りますからね」
「わかったわ」
 彼女はしかたなく戸棚の後ろから水晶を取り出した。
「これよ」
 フュルギヤがナールに見せるなり、彼はひったくるようにして水晶を奪い、硬い床に投げつけた。水晶は涼やかな音をたてて光を反射する細かい破片となった。フュルギヤはあまりのことに言葉もなく、壊された水晶を見つめる。
「うそつき。あなたが、こんなひどいことをする人だなんて思わなかった」
 フュルギヤは叫んだ。目から一筋の涙がこぼれる。
「あなたはわたしの言いつけに背いて、なにを食べているのか知ろうとしました。だから、わたしもあなたの言いつけに背いたのです。おあいこですよ」
「あなたにはどんなひどいことをしたのか、わかってないわ。アルヴィースはわたしと結婚しようって言ってくれたのよ。それなのに、あなたは彼と話をする方法を奪ってしまったのよ」
 それを聞いてナールは、まさかという顔をする。
「だったら、なおさら、壊してよかった。ガグンラーズの王として、そんな結婚は許しません。あなたはわたしと結婚するのです」
 ナールは気味の悪い猫なで声で言うと、泣き崩れるフュルギヤをおいて部屋を出ていった。





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