ラグナレク・3−1

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ラグナレク


第三章 魔がひそむ城・1



 ついに、ガグンラーズ国へ旅立つ日がやってきた。魔道士となったアルヴィースは魔道士の紋章が入った黒衣と黒いマントを身につけ、まだ夜も明けぬうちに旅支度を整えると、ゲンドゥルとともに前庭に出た。シグルズもシグムンド王や家臣たちと城から出てきたが、ボルグヒルド王妃の姿はなかった。彼女はシグルズがアルヴィースとともに危険な旅に行くと知ると狂乱状態になってしまい、魔道士が薬を飲ませて眠らせていた。
 前庭には荷物をできる限り載せた三頭の馬が用意されていた。アルヴィースはなぜ三頭なのだろうかと眉をひそめる。一緒に行くのはシグルズだけのはずだ。
 アルヴィースが厳しい顔をしたシグムンド王の前に立つと、シグムンド王はアルヴィースを強く抱きしめ「必ず帰ってくるのだぞ」と力をこめて言った。次にその隣にいたゲンドゥルがアルヴィースの両手を握り「帰ってきたら、魔道の修業の続きをしましょう」と言う。
 アルヴィースは苦笑し、「帰ってきてもまだ修業をさせられるのか」とぼやいた。
「当然です。あなたは、大魔道師になれる才能がおありなのですよ。約束してください。このゲンドゥルに必ず、大魔道師になった姿を見せると」
 ゲンドゥルは真剣な表情で言い、アルヴィースは「わかった」とうなずいた。
 ゲンドゥルの後ろにはずっと身の回りの世話をしてくれたフラールがいた。彼はいまだ魔道士見習いだったが、先に魔道士になってしまったアルヴィースを妬むこともなく、心から彼の旅を心配してくれていた。彼は蒼白な顔で「お元気で」と言い、アルヴィースは力強くうなずいた。
「ぼくも一緒に行けたらいいのに」
 シンフィエトリが残念そうに言う。グズルーンは見送りに来ていなかった。アルヴィースは今日も彼女は尖塔の窓からシグルズの姿を見ているのだろうかと尖塔を見上げたが、どの窓も真っ暗でなにも見えなかった。
 アルヴィースは見送りにきていたさまざまな人々と挨拶を交わし、馬の上の人となった。先に挨拶をすましていたシグルズがすでに馬に乗っている。もう一頭にはキターラを背負い、重たい鉄の鎧ほど頑丈ではないがとても軽く動きやすい皮の鎧を着たアルスィオーヴが浮かぬ顔で乗った。
「なぜ、アルスィオーヴがくるんだ」
 アルヴィースは驚いて言った。
「魔道を好まぬガグンラーズへ行くのだ。口がうまいやつが一人くらいいたほうがよかろう」
 シグムンド王が言い、アルスィオーヴがあきらめきった顔で「だとよ」とアルヴィースに言う。
「だが、危険な旅なんだぞ。よく行く気になったな」
 楽をしたがるアルスィオーヴがシグムンド王に言われたとはいえよく承諾したと、シグルズも不思議そうに言う。
「宝物庫からいくつかなくなっている物があってな。のう、アルスィオーヴ」
 にやりとしてシグムンド王が言い、アルスィオーヴはさえぎるように、「喜んで行ってきます」と叫んだ。シグルズがなるほどと納得する。
 三人だけで旅立つと知り、何人もの武官や兵士が自分を連れていってくださいと志願したが、アルヴィースは小人数のほうが動きやすいからと丁寧に断わった。剣で戦うだけなら戦士は多いほうがいいが、魔力を使っての戦いとなると魔道を使えない戦士は足手まといになってしまう。
「さぁ、もう夜が明けるぞ。早く行け」
 シグムンド王が促し、シグルズは「母上のことをよろしくお願いします」と頼んだ。
「〈闇の妖精〉の王と戦うより、こちらのほうが恐ろしいかもしれんぞ」
 シグムンド王は冗談でもなさそうに言い、シグルズは声を忍ばせて笑った。

 


 城壁の外は、雪が深く積もっていた。いたるところにいる魔物が、ものほしそうに馬に乗ったアルヴィースたちを見ていたが、アルヴィースが強い魔力を持っていることを感じ取り襲ってくることはしなかった。
 シグルズが先頭に立ち馬を歩かせる。雪が深すぎて馬を走らせることは無理だった。アルスィオーヴが「そりで出かけたほうがよかったんじゃないの」と言う。
「こっちのほうがいい」
 アルヴィースはシグルズを追い抜き、前方の雪を指差した。アルヴィースの指先から火がほとばしり、雪を解かしていく。あっという間にまっすぐな道ができあがり、気の小さな魔物が魔法に驚いて、けたたましい声をあげて逃げていった。
 アルスィオーヴが「すげぇ」と声をあげ、うれしそうに馬を走らせる。
「あまり一人で遠くまでいくと魔物に襲われるぞ」
 シグルズは言い、馬に拍車をかけた。アルヴィースも雪の中に聳え立つ城を一瞥した後、彼らの後を追った。

 


 ガグンラーズ国には一ヶ月半でつくと見ていたが、アルヴィースの魔力を恐れない魔物が数多く襲ってきた上に、途中で馬を失ってしまったため、二ヶ月半もかかってしまった。
 ようやくガグンラーズ国の領土に入って三日目、野宿続きだったアルヴィースたちは、久しぶりに宿に泊まることができた。魔物にたびたび襲われ、屋根や壁がつぎはぎだらけとなった宿は、魔物から逃げてきた人々の避難所になっていた。みな、魔物を食べて生きているらしく、身体の一部が魔物に変わっている。このまま魔物を食べ続けていれば、完全な魔物になってしまうだろう。出迎えた宿屋の主人も耳が豚になっていた。
 アルヴィースは宿代がわりに魔よけの護符を主人に渡し、一晩をそこで明かした。魔物たちはいつものように宿を襲う事ができなくなり、宿の周囲に集まり歯噛みしていた。護符の力が届かないところに人間がでてきたらすぐさま餌食にしてやろうと辛抱強く待ち構える。
 深夜、天空が轟き雷が落ちた。驚いて目を覚ましたアルヴィースたちが空を見ると、戦いの神ヴァルファズルが天上で巨人と戦っていた。山のように巨大な身体を持つ神々は、雲と大地の間に透明な大地があるかのように空を歩くことができ、神よりも身体の大きい巨人も同じことができた。
 地上にいた魔物たちは天上の戦いに驚き、あっという間に姿を消す。
 白い髭を生やした片目の戦いの神は、八本足の馬スレイプニルに跨り、愛用の槍グングニルを振り回した。ヴァルファズルに切り取られた巨人の手と足が地上に落ちて大地を揺らす。次にヴァルファズルはグングニルで巨人の胸を貫き、勝負はあっけなくついた。巨人は倒れ、ヴァルファズルは死体を捨てようと、九つの世界を支える巨大な樹木ユグドラシルのほうへひきずっていく。
 神がいなくなると、勝敗の行方を見つめていたアルヴィースたちは再び眠りにつき、それまで隠れていた魔物たちが出てきて、また地上を徘徊しはじめた。宿屋の周囲にも魔物が戻ってきて、人間が出てくるのを根気強く待ち構える。
 朝になるまで、宿屋からはだれも出てこなかった。やっと戸が開き、魔物たちはようやく獲物にありつけると身を乗り出したが、出てきたのは大嫌いな魔道士だった。魔道士から妖精の匂いが漂い魔物たちの食欲を煽ったが、襲えばすぐに殺されることはわかっている。魔道士のほかに二人の男がいた。こちらからは魔力を感じず、簡単に餌食にできそうだった。魔道士からはぐれたらすぐさま襲ってやろうと遠巻きになってようすをうかがう。
 アルヴィースはいつものように魔法で雪を解かし、一本道を作った。力の弱い魔物がこれもまたいつものように驚いて逃げていったが、逃げない魔物も多かった。
 魔物に囲まれ、アルスィオーヴは無意識に首からさげていた魔よけの護符へ触れた。これがあれば、たとえアルヴィースとはぐれても魔物たちから身を守れる。アルスィオーヴは、こちらを見ている魔物たちを不安げに一瞥し、マントをしっかりと引き寄せるとアルヴィースたちの後に続いた。
 彼らが道を進んでいくと、魔物たちも一定の距離をおいてついてきた。頭が異様に大きく手足の短い犬のようなもの、蝙蝠の羽と人間の体を持つ小鳥のように小さなもの、半透明の内臓のようなもの、さまざまな魔物たちが魔道を使えないシグルズとアルスィオーヴを狙って、ひたすら後をついてくる。
「この辺は魔物が多いな」
 シグルズが剣に手をかけて言う。彼も魔物から身を守る護符を持っていたが、魔物たちに囲まれて心穏やかでいられるわけもない。
「この辺りは、ガグンラーズ国の領土だからな。ガグンラーズ国の王が魔道士を受け入れなかったせいで、魔物を追い払える者がいなかったんだ」
 アルヴィースが腹立たしげに答える。その話はシグルズも知っていた。ガグンラーズ国の王スリーズが魔力を持つ者を死刑にすると決めてしまったおかげで、ガグンラーズ国は魔物から身を守るすべを失い、大勢の国民が死に、運良く生き延びた者も正しい知識がないままに魔物を食べ魔物と化していった。そして、八ヵ月ほど前、王自らも命を失った。今はナールという本当に王族なのか怪しい青年が王となり、人食い姫と噂される王女のフュルギヤと一緒に、わずかになってしまった民を治めている。
「なぁ、アルヴィース、あのでっかい猿みたいな奴、魔道を怖がってないように見えるぜ」
 アルスィオーヴが背後を気にしながら、アルヴィースの腕をつついて言った。彼の言うとおり、黒い毛に覆われた手足が長くシグルズよりも体の大きい猿が群れをなし、他の魔物を追い払いながら近づいてくる。
 アルヴィースは目を細めた。
「それもそのはずだ。護符がきかない相手だ」
 アルスィオーヴはげっと声をあげ、平穏時なら吟遊詩人が持っているはずもない剣を抜いた。シグルズも剣を構える。二十頭ちかくいる猿たちは遠巻きにアルヴィースらを囲み、飛びかかるきっかけを待っていた。
 アルヴィースが剣を抜きもせず、猿に近寄った。彼の正面にいた黒猿が、その分引き下がる。獲物ほしさに取り囲みはしたものの、魔道を使う者を恐れる気持ちはあるようだ。
「下がれっ」
 アルヴィースが手を一振りすると、炎が現れ、手近にいた猿を襲う。数匹の猿がたちまち黒焦げになり、生き残った猿たちはうろたえて後ずさった。だが、たいていの魔物のように逃げようとはせず、なにかを待つように踏みとどまっている。
「へんだぜ、この連中」
 アルスィオーヴがそう言ったとき、猿たちが奇声をあげた。数百頭にものぼる猿が、地響きをあげながらこちらに駆けてくる。
 三人を取り囲んでいた猿が一斉に活気づき、飛びかかってくる。
 竜殺しのシグルズと呼ばれるアルヴィースの兄が、その名にふさわしい剣技を発揮し、たちまち多くの猿を屠っていく。そして、アルスィオーヴもシグルズほど腕は立たないが、すばやい動きで猿のふところに飛び込み喉をかき切っていく。
 二人の間にあっという間に死体の山が出来あがったが、猿の数はあまりに多く状況は不利だった。竜の血を浴び不死身となっているシグルズはともかく、そうではないアルスィオーヴはじき猿どもに切り裂かれてしまうだろう。
「ふせろっ」
 アルヴィースが叫んだ。二人が地面にふせると、炎が人の頭ほどの高さで同心円状に広がっていく。立ったままの猿たちは、一瞬にして頭を焼かれ倒れていった。
「あち、あちっ」
 燃え上がった猿の下敷きになったアルスィオーヴが、どうにか逃れようと手足をばたつかせるが重い体はびくともしない。似たような状況になっていたシグルズは、自分の上に乗っている猿をどかすのに精一杯だった。
「ああ、すまない」
 アルヴィースが魔道で、猿の死体をアルスィオーヴからどけ燃え移った炎を消してやる。
「ばかやろう」
 アルスィオーヴは元気よく起き上がり、アルヴィースを怒鳴りつけた。
「もうちっと方法を考えろよ」
 その途端、アルヴィースが剣を抜き、彼に向かって走り出す。アルスィオーヴはうろたえた。
「おい、アルヴィース」
 アルヴィースはアルスィオーヴを突き飛ばし、彼に襲いかかろうとしていた黒猿を切りつけた。首が飛び巨体が倒れる。アルスィオーヴは、まだ猿が全滅したわけではないと知り、急いで猿の死体の下敷きになっている剣を拾う。
 生き残った猿は大勢の仲間を失ったにも関わらず、戦意を喪失していなかった。もしかしたら、あきらめるということを知らないのかもしれない。次々に三人に飛びかかっては屠られ、やがて、黒猿は全滅した。
 襲ってくる黒猿がいなくなると、疲れ切ったアルスィオーヴは肩で息をしながら冷たい雪の上に座りこんだ。アルスィオーヴよりも体力のあるシグルズも、さすがに疲れを感じて腰を下ろす。
「魔道を使って全部いっぺんにやっつけられなかったのかよ」
 またもアルスィオーヴが、文句を言う。
「アルスィごとでよければできたよ。魔道は万能なわけじゃないんだ。さぁ、行こう。この死体を魔物たちが食べに集まってくる」
 アルヴィースは出発を促し、アルスィオーヴが「うへぇ」と声をあげる。
「疲れて動けねぇよ」
「このまま、ここにいたら、別の魔物の餌食になるぞ。早く行こう」
 シグルズも言う。今、新たな魔物に襲われたら、負けるのは目に見えている。彼はアルスィオーヴに手を貸して立たせてやった。
「なぁ、アルヴィース」
 アルスィオーヴが呼びかけると、アルヴィースは「できない」と答えた。
「おれはまだなにも言ってないぞ」
「言わなくてもわかるさ。歩かずに瞬間移動をしたいと言うのだろ」
 アルヴィースがそっけなく言う。
「おっしゃるとおりで」
「それができたら、最初から歩いて旅などしない。今は世界が滅びかけているせいで、空間が歪んでいるんだ。瞬間移動なんてしたら、どこに行くかわかったものじゃない。《ニブルヘル(死者の世界)》につけばまだいいほうだよ。それでもやってみるか」
「遠慮しとくよ。冷たき死の女神に、まだ会いたかない」
 アルスィオーヴは大げさなため息をつき、重い足をひきずるようにして歩きだした。

 


 丘の先には、昨夜、天上で戦いの神ヴァルファズルと戦った巨人の青白い手首が落ちていた。五、六人の近隣に住んでいるらしい者たちが家並みに大きな手首を、魔物を追い払いながら、嬉々として解体している。全員がやせこけ身体の一部が人間でないものに変わり、目をぎらつかせ、よだれを垂らしている。
「これで腹一杯に食えるぞ」
 どこか波長の狂った声を聞き、シグルズとアルスィオーヴは視線をそらした。ほかに食べ物がない以上、魔物を食べることは仕方のないことだが巨人は人間と同じような姿をしている。それは、共食いにはならないのか。
「おまえって、全然、動じないのな」
 アルスィオーヴは、無表情な顔をしているアルヴィースに言う。
「人間が巨人を食べるなんて、狂気沙汰だって思わないのか」
「この世界そのものが、狂気沙汰だよ。わたしたちがむかっているフュルギヤ姫の城では、もっとひどいことになっている。もっとも、人間を食べるのと魔物を食べるのとどっちがひどいことなのかわからないが」
 アルヴィースの言葉に、アルスィオーヴは身震いする。
「姫も大変だよな。おれだったら飢え死にするよ」
 アルヴィースは足を止め、アルスィオーヴに向き直った。
「姫は生きていると思うか」
「わかんねぇ」
「わたしはフュルギヤ姫に、わたしが行くまではどんなことをしても生き延びろと言った。それは飢え死にしろと言うよりも、酷なことだったんだろうか」
 その言葉はアルスィオーヴに問うと言うより、自問しているようだった。アルスィオーヴはなにも答えることはできず、ずっと話を聞いていたシグルズも口を開こうとはしなかった。





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