ラグナレク
第三章 魔がひそむ城・4 ヘルブリンディ城は、住む者がいないかのように荒れ果てていた。城の歴史を綴ったタペストリィは破れ、神を称える壁画は色あせ亀裂が入り、紋章を刻んだ象嵌は歪んでいた。床にはうっすらとほこりが積もり、ときおり、なんの生き物だかわからない骨が落ちている。 「〈闇の妖精〉の気配がないどころか、人の気配もないぜ」 アルスィオーヴは物陰になにか潜んではいないかと注意しながら、廊下を歩いていった。その後にシグルズとフュルギヤが続く。 「どこかに潜んでるってことはないか」 アルスィオーヴの元の妖精としての鋭い感覚をあてにして、シグルズが聞く。 「おれはもう妖精じゃないんだ。そこまではわからねぇよ。アルヴィースに聞いてくれ」 「あいつが目を覚ましたらそうするよ」 「やっぱり、だれかそばについていたほうがよかったんじゃないかしら」 フュルギヤが心配そうに後ろを振り返る。その視線の先に、アルヴィースが休んでいる結界を張った部屋があった。 「心配ないって、あいつの張った結界は完璧だよ。あの中には〈闇の妖精〉の王だって入れないさ」 アルスィオーヴが自信をもって請け負う。 「それよりも、〈闇の妖精〉の王がまだ城にひそんでいる可能性のほうが心配だ」 険しい顔でシグルズが言う。 「〈闇の妖精〉はどうか知らんが、王はもういないと思うぜ。あいつ、強がってたけど、かなり痛手を受けたはずだからな。〈闇の妖精〉は、光のもとじゃ生きてけねぇもん」 「わたしも光に当たれないのかしら」 フュルギヤが不安そうに聞く。 「光を操る月の精って言ったって〈闇の妖精〉だから、太陽の光に当たったら死んじまうけど、あんたは人間の血をひいているから、気分が悪くなるぐらいじゃないの」 アルスィオーヴが考えながら言う。 「まぁ、わたしって月の精だったの。全然、知らなかったわ。アルスィオーヴはなんだったの?」 「風」 「なるほど」 シグルズが納得してうなずき、アルスィオーヴは瓦礫に足をとられかけた。 「あのなぁ、あんたとは長いつきあいだろ。魔道で有名なファグラヴェール王国の王子のくせして、今までわからなかったのか」 「わからん」 シグルズはきっぱりと言い、再び、アルスィオーヴは転びかけた。 「胸張って、言うことじゃないだろ」 「才能がないのだから、しかたないだろう。ところで、城に人の気配がまったくないのはどういうことだ。みな、〈闇の妖精〉だったのか」 「そんな」 フュルギヤが、口を両手で隠す。 「城の連中が住んでいるところに行ってみればいいじゃんか。そこにだれもいなきゃ、〈闇の妖精〉がお姫さんをだまして喜んでたってことだ。案内してくれよ」 アルスィオーヴに言われたフュルギヤは、困惑顔で彼を見返した。 「わたし、知らない」 「はぁ?」 「わたし、ずっとナールたちと一緒にいるように言われていたから、それ以外の人たちがどこにいるのか知らないのよ。反乱が起きた日に五十人くらいいたのは覚えてるけど、それから見かけたことがないわ」 「みんな、飯になっちまったかな」 アルスィオーヴが不気味なことを言って、フュルギヤをぎょっとさせる。 「探すだけ探してみよう。そう広くはない城だ。すぐに見て周れるだろう」 シグルズは言い、さっさと歩き出した。
「うわぁ、まただ」 戸を開けたアルスィオーヴは、慌ててシグルズの後ろに隠れた。部屋の中から十本足の豹が、牙を剥いて飛び出してくる。シグルズがすばやく剣を抜き、魔物の体を横二つにした。 「まだ動いてるぜ」 アルスィオーヴの言うとおり、上半身が切られた腹から黒い血を流しながら立ちあがり、シグルズに向かって威嚇する。 「少し離れてくれ」 シグルズは背後にいるアルスィオーヴを押しのけると、豹の化け物に切りかかった。豹は咆哮し剣をがっちりとくわえこみ、前足でシグルズをひっかく。だが、鉄をも切り裂く爪も、竜の血を浴びたシグルズの肌を傷つけることはできなかった。シグルズは豹の喉にむかって剣を動かし、魔物の頭を横に寸断した。下あごから下を失った頭は、それでもシグルズにむかって食らいつこうする。シグルズは頭蓋骨に剣をつきたて、魔物の息の根をとめた。 「もう、戻ろうぜ。部屋を開けるたびに魔物がでてくるんじゃかなわねぇよ。こういうことはアルヴィースが目を覚ましてからにしようぜ。あいつなら、簡単に追い払っちまえるからさ」 「アルスィ、アルヴィースは疲れているんだ。我々でできることはやろうじゃないか」 シグルズが、次の戸を開けながら言う。アルスィオーヴはまた魔物が出てくるものと身構えたが、幸いなことにこの部屋に魔物はいなかった。 「でも、お姫様も一緒じゃ、よくないんじゃないか。おれが部屋まで送っていくよ」 どうでもこの探索から抜けたくて、アルスィオーヴは言う。 「わたしは、平気よ。わたしが人々になんて言われているか知ってる? 人食い姫、気の狂った親殺し、親を殺して食べた魔女。そんな女に怖いものがあって?」 「その話をだれから聞いたんだ」 シグルズが顔をしかめて聞く。 「ナールが教えてくれたの」 「ご親切なこっちゃ」 アルスィオーヴが皮肉を言う。シグルズがまた別の戸をあけた。今度は鷲の羽をはやした小さなねずみたちが、口を開けて飛びかかってきた。シグルズは剣の一振りで、それらを切り落とす。 「今、思ったんだけどさ。魔物がいるようなところに、ふつう人は住まないんじゃない? 魔物が寄りつかないところに、隠れてるんじゃないの」 「それもそうだな」 シグルズが同意し、アルスィオーヴはこれで魔物退治をせずにすむと内心、喜んだ。 「でも、魔物がいないような場所なんてないんじゃないかしら」 「お姫さんの部屋がある辺りもいるのかよ」 「いないけど、あそこはナールと側近たちが使ってたの。他の者はいないわ」 そう言ってから、フュルギヤはふと思いついた。 「もしかしたら、両親が死んだ広間にいるかもしれない。あそこには窓がないから魔物が入ってこないけど、わたし、絶対に近づかなかったから」 「行ってみよう」 シグルズに促され、フュルギヤは広間へと案内した。かつては華やかな舞踏会が行われた広間の大きな扉が、頑丈な鎖で縛られている。 「なぜ、こんなことを」 シグルズは中になにが隠されているのかと扉を開けようとするが、しっかりと巻かれた鎖がジャラジャラと音をたてただけだった。 「魔物の気配はしないなぁ。もしかして、お宝を隠しているのかな」 アルスィオーヴが、目を輝かせて言う。 「今、隠すほど大切なものといったら、宝石よりも食料じゃないか」 「見てみりゃわかるよ」 シグルズが扉の前をどくと、アルスィオーヴはさっそく錠前の前にかがみこんだ。細い針金を使って簡単に開けてしまう。 「まぁ」 フュルギヤが目を丸くし、アルスィオーヴは得意げににやりとする。 「ざっとこんなもんよ」 「彼には盗み癖があってね。あまりに手癖が悪いんで、《アルフヘイム》から追放されたんだ」 シグルズが説明する。 「余計なことを言うなよ」 シグルズは肩をすくめてアルスィオーヴの非難をやり過ごし、扉の取っ手から鎖をはずすと扉をひいた。排泄物と腐臭の混じった匂いが三人を襲い、その匂いの強さにひるむ。中に光はなく、やせこけた人々が二十人ばかり無気力な目でこちらを見ていた。入り口から入ってくる光に目をぎらぎらと反射させ、眠りを覚まされた亡者のようだ。 「なにがあったんだ。なぜ、こんなところに閉じ込められた?」 シグルズが人々に聞くが、だれも答えない。 「あいつらじゃない」 しばらくして、だれかが聞き逃しそうな小さな声でぽつりと言う。 「助かったのか」 別の者が衣擦れのような声に希望をにじませた。 「いや、あの女がいるぞ。別の趣向で我々をいたぶるつもりだ」 「わたしはなにもしないわ」 フュルギヤは彼らの言葉に驚いて、大声で否定した。人々はその声の大きさに耐えられないのか、ひっと耳を押さえる。 「我々は、きみたちに危害を加えるつもりはない。きみたちは助かったんだ。もう心配はない」 シグルズは人々を安心させようと、声の大きさに気をつけながら言った。 「嘘だ。前にもそう言って、だましたじゃないか」 「助かったこともわかんなくなるとは、よっぽど、〈闇の妖精〉にいたぶられたんだな」 アルスィオーヴが、広間に閉じ込められていた人々に同情する。 「どうすればいいのかしら」 フュルギヤがシグルズに聞く。 「ここから出して、彼らを清潔にしてまともな食事を与えることだな。これじゃ、魔物と代わらない」 「我々は助かるのか」 「いやいや、これは罠だ」 「しかし」 人々の間で、信じるべきかどうか話し合いが始まった。それまで静まり返っていた広間が、耳障りな弱々しい北風の音のような声に満たされる。 「こりゃ、とうぶん、かかりそうだな」 なかなか話がまとまらなそうなようすに、アルスィオーヴがやれやれと腰に手をあてる。 「フュルギヤ姫、彼らが全員入れる部屋はあるか。せめて清潔な部屋に移してやろう」 シグルズが言う。 「ここよりはずっと狭いけど、隣の広間を使えばいいんじゃないかしら」 「先に入って、蝋燭をつけておいてくれ。どうにかして、そちらに連れていくよ」 フュルギヤが行ってしまうと、シグルズは広間に向かって言った。 「さぁ、ここから出るんだ。それとも、わたしが中に入って、一人一人連れ出さないとだめか」 人々は話をやめ、従わないと罰せられるとでもいうように身を丸めた。それから、のろのろとではあったが立ちあがり、一言も話さず死者の行進のように広間から出てくる。 「となりの広間に行くんだ」 シグルズが指差すと、彼らは言われるがままに隣の広間に入っていった。入れ代わりにフュルギヤが出てくる。 「ひどい匂いだわ。光が目に痛いみたいだから、ろうそくは一本だけにしちゃったけど、よかったかしら」 「彼らがそれでいいと言うのなら、かまわないさ。さて、彼らを洗うことができるほどの水と、着替えが必要だな」 「その前に食料じゃねぇの。あいつら、体を洗う元気もなさそうだぜ」 戸口から広間の人々を見ながら、アルスィオーヴが言う。 「でも、ここには人の肉しかないわ。それを食べさせるの」 「うへっ、やめてくれよ」 アルスィオーヴが顔をしかめる。 「とりあえず飲み水をやって、アルヴィースが目を覚ましてから食料のことを相談しよう」 シグルズはまた戻ってくると人々に告げると、いない間に魔物が入りこまないように扉の取っ手に鎖をまき錠前をかけた。
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