ラグナレク
第三章 魔がひそむ城・5 目が覚めたとき、結界が張られた部屋にはだれもいなかった。アルヴィースは隣の部屋にみながいるのかと行ってみたが、やはりだれもいない。城の探索でもしているのだろうか。それなら手を貸しに行こうかとも考えるが、〈闇の妖精〉の王に術を返されたときの痛手がまだかなり残っていた。動こうとしただけで頭が割れそうに痛み、目がくらむ。たった一度術を返されただけでこんなありさまでは、本当に〈闇の妖精〉の王を倒すことができるのかと不安になる。 調子が悪いのは、長い間日に当たっていないせいもあった。〈光の妖精〉は光のないところでは長く生きられない。ゲンドゥルから衰弱を抑える薬をもらっていたが、それでもときおり全身の血が燃えるような苦痛に襲われる。できるだけ休んで体力を回復しなければ。 シグルズたちは自分がいないときにそう無茶はしないだろうと考え直し、アルヴィースは部屋で休んでいることにした。 無償に外が見たくなり窓に張られた板をはがし、魔物が入ってこないように簡単な結界を張る。 窓はちょうどファグラヴェール王国がある方向を向いていた。アルヴィースはかくしにしまっておいた女の髪でできた護符を取り出し、やさしく口づけをした。〈闇の妖精〉の王が切りかかってきたとき、これがアルヴィースをちくりと刺し、呪文を唱えるのに夢中になりすぎた彼を我に返らせたのだ。 「きみは命の恩人だよ」 アルヴィースは護符に向かって言い、そっとかくしにしまうと遥か彼方のファグラヴェール王国に思いを馳せた。
シグルズたちが部屋に戻ると、いつから目を覚ましていたのか、アルヴィースが窓を塞いでいた板をすべてはがして窓枠に座り、ぼんやりと外を眺めていた。 「危ないわ」 そんなところにいては魔物に襲われてしまうと、フュルギヤが慌てる。 「あんた、部屋に結界が張ってあることぐらい気づけよ」 アルスィオーヴがフュルギヤに向かって言う。 「わたし、部屋に入れたわよ」 〈闇の妖精〉は、結界に入れないではないかとフュルギヤは言い返す。 「あんたが入れないのは隣の部屋。こっちの部屋は、魔物が入れない結界が張ってあるんだ」 フュルギヤは結界が張ってある証はないものかと部屋を見回したが、なにも見つけられなかった。 「もう一度、基礎から魔道の勉強のやり直しだな」 窓から降り、アルヴィースは言った。調子がいいとは言えないが、頭痛とめまいは治まっていた。 「もう平気なのか」 まだ顔色の悪いアルヴィースを、シグルズが心配する。 「少し疲れただけだ。〈闇の妖精〉が舞い戻ってこないうちに、城全体に結界を張らねばならないな。フュルギヤ姫、手伝ってくれ」 「アルヴィース、その前に話を聞いてくれないか。この城に飢え死にしそうな人間が、二十人ほどいるんだ。彼らに食べさせるものがほしい」 アルヴィースは、ため息をついた。 「やらねばならないことが多いな。だが、結界のほうが先だ。彼らにはドーヴィンの実でも食べさせておいてくれ」 そう言うと、アルヴィースはフュルギヤを連れて部屋を出ていってしまう。残っているドーヴィンの実を見たアルスィオーヴが、「これじゃ、一人、十粒だな」と呟いた。
フュルギヤはアルヴィースに一番高いところに案内してくれと頼まれ、以前、フュルギヤが反乱軍を魔道で脅した天守閣へと連れて行った。 魔物が壊したのか、久々に訪れた天守閣は屋根も壁も崩れていた。反乱軍が襲ってきた日以来、一度も城の外のようすを見ようともしなったフュルギヤは、初めて外がどんなありさまになっているのか知った。雲が赤い光を注ぐ中、見えるものすべてが、深い雪に埋もれていた。それでも、かつて城を守っていた頑強な城壁が砂糖菓子のように崩れ、ただの瓦礫になっているのがわかった。左手にある地下の食料貯蔵庫の入り口からは魔物がひっきりなしに出入りし、右手にあるフュルギヤが育った塔は半壊していた。城もいたるところで屋根や壁が崩れ、大きな穴があいている。 ひどいありさまだ。 今にも落ちてきそうな空を覆う赤黒い雲を背景に、さまざまな魔物が滑空しフュルギヤを威嚇してきた。なぜか、魔物はアルヴィースには近づかなかった。アルヴィースは上空を飛ぶ魔物などいないかのように、積もった雪を炎で解かしながら天守閣を歩きまわり、魔道を使う場所にふさわしいかどうか調べている。 「あなた、全然恐くないの?」 あまり外にでたことがないフュルギヤは、慣れぬ外界の恐怖に身をすくませながら言った。 「高いのは平気だ」 ちょうど崩れた外壁から身を乗り出して下を覗いていたアルヴィースは、見当違いな答えを返す。 「違うわ、魔物のことよ。この世界のことよ」 そのとき、フュルギヤが恐がるのを楽しむかのように、黒い骨しかない巨大な蝙蝠がそばを通りすぎる。フュルギヤは小さな悲鳴をあげて魔道で追い払おうとしたが、骨のみの蝙蝠は嘲笑うかのようにさっと遠くに行ってしまった。 「どうしてあの程度の魔物を、きみは恐がるんだ。簡単に倒せるじゃないか。恐がるから、つけあがって脅してくるんだぞ」 アルヴィースは、城の中心部を探しながら言った。 「だって、気持ち悪い姿をしているから」 アルヴィースに少しも心配してもらえず、フュルギヤがふくれる。 「姫、こっちにきて手をつないでくれ」 なんの脈絡もなく言われ、フュルギヤは頬を赤くそめた。 「できるだけ強力な結界をつくりたいんだ。きみの魔力も使わせてほしい」 フュルギヤはなんだそんなことかと落胆し、アルヴィースに手を差し出した。握られた手から、水晶から感じた力よりもはっきりとした魔力が流れで、フュルギヤはうっとりとする。 「逆だ」 アルヴィースが不機嫌に言い、フュルギヤはなんのことだろうかといつのまにか閉じていた目を開けた。 「わたしの力を受けるのではなく、きみがわたしに送るんだ」 「でも、どうすれば」 「魔力を送ろうと考えるだけでいい」 フュルギヤはそれでもどうすればいいかわからなかったが、とにかくアルヴィースに力を貸したいと考えた。すると、今度は自分から、アルヴィースになにかが流れていくのを感じた。 「それでいい。そのままでいるんだ」 アルヴィースは、あいたほうの手で印を結ぶと呪文を唱え始めた。フュルギヤはどんなことになるのだろうかと、興味津々でアルヴィースを見つめた。 大気が震え、青白い炎が浮かんでは消える。アルヴィースの前方に、炎と同じ色の球形の光が現れ明滅する。それは少しずつ大きくなり、フュルギヤはなにが起こるのだろうとじっと光を見つめた。 光が一抱えほどの大きさになったとき、落雷のような音をたてて爆発した。フュルギヤは爆風に煽られ、床に倒れた。目を開けていられぬほどのまばゆい光に彼女は手で目をかばい、呪文は失敗したのだろうかと考える。 アルヴィースは大丈夫だろうか。 光が収まるとフュルギヤはすぐに起きあがり、彼女を助け起こそうとかがみこんでいたアルヴィースの腕の中に自分から飛び込んだ。驚いたフュルギヤは赤面してアルヴィースの腕を払い、手の届かぬところまで後ずさった。それからすぐに、反射的に逃げてしまった自分を悔やむ。アルヴィースが、なにをしているのかと不思議そうな顔をする。 「ごめんなさい。すぐそばにいたから、びっくりしたの。だって、呪文が失敗したから、あなたも倒れているんだと思ったんだもの」 フュルギヤはよつんばいになって、まだ片膝をついたままのアルヴィースの前まで戻ってくると、床に座りこんで言う。アルヴィースは黙って天を指差した。見上げると、網目模様の青白い半円が城全体を包みこんでいる。 「なぜ、失敗したなどと」 不思議そうにアルヴィースが聞く。 「だって、〈闇の妖精〉の王と戦ったときみたいに爆発したから」 「爆発したから、失敗したとは限らないさ。これで結界は張れた。後は結界の中に閉じ込められてしまった魔物と、食料の問題だな」 アルヴィースは立ちあがると、まだぺたんと座りこんでいるフュルギヤに手を差し伸べた。今度は逃げるようなことはせず、ちゃんと手をつかんで立ちあがる。 「あら?」 フュルギヤは体が鉛になったように感じ、足もとをふらつかせた。すぐにアルヴィースが支えてくれる。 「変だわ。わたし、なんでこんなに疲れてるのかしら」 「きみの魔力で結界を作ったのだから、当然だ」 フュルギヤは、疑わしそうな目で結界を見上げた。 「わたしの力でできてるなんて、うそみたい。なんにもしてないのに」 「さぁ、早くいこう。兄上たちが待っている」 アルヴィースは、ひょいとフュルギヤを抱き上げ歩きだした。フュルギヤはまたも耳まで真っ赤になりながらも、おずおずと肩に頭をもたせかけた。彼からほんのりと甘い花の香りがする。本当にアルヴィースはよい香りがするとフュルギヤは夢心地に思った。 「水晶で話したときのあなたは、とっても意地悪だったわ」 フュルギヤは水晶が壊れる前を思い出して言った。 「なら、こないほうがよかったかな」 アルヴィースがにやりとして言う。 「もう意地悪ね。わたし、あなたがこなかったら、どうしていいかわからなかったわ」 急に今まで耐えてきた苦しみが胸から溢れだし、フュルギヤは涙をこぼした。 「ずっと、きてくれるって信じて待ってたんだから。あなたがきてくれるまで、どうしても死んじゃいけない、生きなきゃいけないって頑張ってたんだから。水晶、なくなっちゃったのに、あなたが近くにきてるってなんでだかわかったの。すごくうれしかった」 首にしがみつき激しく泣き出したフュルギヤの背中を、アルヴィースは子供をあやすようにやさしく叩いた。 「きみは、まるで《アルフヘイム(光の妖精の世界)》の妖精みたいだな」 いつかゲンドゥルが〈闇の妖精〉も〈光の妖精〉も住む世界が違うだけで本質はそう変わらないと言っていた。あのときはそんなばかなと一笑に付してしまったが、もしかしたら、本当にそうなのかもしれないと彼は考えた。
彼らに味覚はないようだった。広間に閉じ込められていた人々は、シグルズたちから十粒のドーヴィンの実をもらうと文句も言わずに口に入れ、もっと食べる物はないのかと目で訴えてきた。 「悪いな。栄養はあるらしいから、これで我慢してくれ。おれたちだってもう食べるもんがないんだぜ」 アルスィオーヴがすまなそうに言う。悪臭を放つ人々は、しかたなさそうに目をそらした。 「あんたたちも、我々と一緒に飢え死にするのか」 一人がシグルズの腕をつかみ、心配そうに聞いてくる。 「いや、それはない。連れに魔道士がいるんだ。彼がなんとかしてくれるよ」 シグルズは励ますつもりで言ったが、人々は顔色を変えた。ここが魔道士を嫌うガグンラーズ国であることを思いだし、シグルズは舌打ちをする。 「魔道士は邪悪ではないんだ。魔道士は、我々、魔力の使えない者を守ってくれる存在なんだ」 シグルズは、人々が理解してくれるようにと願いながら言った。 「そいつは、〈闇の妖精〉を倒してくれるのか」 シグルズの後ろにいた者が、口ごもりながら言う。 「そのために、我々はきたんだ」 そのとき、城全体が細かく震え、青白い光が空中を走った。人々は身を縮め悲鳴をあげる。 「心配ない。〈闇の妖精〉が入ってこないように、魔道士が結界を張ってるだけだ」 アルスィオーヴが叫んで、人々を落ちつかせようとする。唐突に目もくらまんばかりの光が広間全体を満たし、すぐに消えた。 「こうなるって言ってくれりゃいいのによ」 光に痛んだ目を押さえながら、アルスィオーヴが文句を言う。 「なんだ、あの光は」 「なにが起こるんだ」 またも、人々の間に動揺が走る。 「心配ないよ。今、結界が張られたところさ。もう、魔物も〈闇の妖精〉も入ってこないから安心しな」 アルスィオーヴの言葉に、シグルズは眉をひそめた。 「入ってこないのはいいが、中に潜んでいた魔物はどうなるんだ」 シグルズは人々に聞こえないように、アルスィオーヴに小さな声で聞く。 「アルヴィースに聞いてくれよ。おれにそこまでわかるか」 「そうだな」 シグルズがアルヴィースが戻ってきてから聞いてみようと考えていると、複数の甲高い声が聞こえてきた。重たい物が戸にぶつかる音がいたるところから響いてくる。 シグルズとアルスィオーヴはぎょっとして顔を見合わせると、警戒しながら扉の外を覗いた。たくさんの魔物たちがかまびすしい声をあげながら、廊下を動きまわっている。閉じ込められたことに気づき、どうにかして結界の外に出ようと死に物狂いになっているのだ。 アルスィオーヴはほれぼれするほどのすばやさで扉を閉め、魔物が入ってこないように、内側から取っ手に鎖を巻いた。シグルズが広間の壁を見つめて剣を抜く。 「ち、こん中にもいたなんて、気づかなかったぜ。うまく気配隠しやがって」 アルスィオーヴは悪態をついた。一見、染みに見えていた黒い影が五つ、はらりと壁から剥がれる。それはひらひらと空中を漂い、広間から出ようと盲滅法に飛びまわった。 アルスィオーヴはどこに逃げようかと目を走らせたが、隠れられそうな場所はどこにもなかった。しかたなく剣を抜く。 影は何度も壁にぶつかり、人々に向かってきた。平面の体をくねらせ、下の面にある赤く丸い口を大きく開く。針のように細長い白い牙がのぞいた。人々は逃げる体力も気力もなく、恐怖の目で影を見つめる。 「しょうがねぇなぁ」 アルスィオーヴが、手近にいた影に切りつける。紙を切るような手応えがあり、影は二つになった。再び襲ってくるかと身構えるが、たいした生命力はないらしく光に照らされた影のように消えていく。 「なんだ、弱いじゃん」 急に活気づいてアルスィオーヴは次の魔物に飛びかかろうとしたが、もう魔物は飛んでいなかった。シグルズが、最後の影をほふって剣をしまう。 「早いなぁ。もうやっつけちまったのかよ」 アルスィオーヴが感心する。 「弱かったからな。それよりも広間の外のほうが問題だ」 シグルズの言う通り、魔物が扉を壊そうと体当たりをはじめている。 「アルヴィースのやつ、なにをやってんだよ」 二人は人々に後ろへ下がるように言うと、少しずつ穴があいていく扉に向かって剣を構えた。 首の細長い魔物が、小さな頭を扉にあいた穴に入れてきた。肌色をした首を伸ばし、申し訳程度に毛を生やした頭は首と同じ大きさで、どこからが首でどこからが頭なのか見分けがつかない。目と口が威容に大きく黒い瞳をぎょろぎょろとさせ、よだれを垂らしながら大きな舌を旗のようにひらひらさせているさまは、なんとも薄気味悪い。 シグルズがその頭を叩き切ってやろうと一歩前に踏み出したとき、魔物は扉の別の穴から首を入れて廊下のほうを見た。 いったい、なにをやっているのだろうかと不思議に思っていると、魔物は首を扉に通したまま逃げ出そうとして暴れた。扉がめりめりと音をたてて砕ける。 その瞬間、廊下を深紅の炎が川のように流れ、魔物たちを襲った。廊下は炎で満たされ、扉の穴からも炎が入ってくる。竜の頭をした炎が意思ある者のように広間全体を見渡し、魔物がいないことを確認すると廊下のほうへ出ていった。 アルスィオーヴは、安堵のため息をついて剣を下ろした。 「アルヴィース、やるのがおっせぇよ」
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