ラグナレク・3−6

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ラグナレク


第三章 魔がひそむ城・6



 アルヴィースはフュルギヤを彼女の寝室で休ませると、結界の中に閉じ込められた魔物を始末するために呪文を唱えた。炎で作られた長い胴を持つ竜が、城の中に残っている魔物を襲い焼き尽くしていく。
 束の間、城は深紅の炎に占領された。外からは、城が炎上しているように見えただろう。だが、炎の竜は魔物だけを選んで燃やし、城や人はまったくの無傷だった。
 竜が魔物たちをすべて焼き尽くすと、アルヴィースは力なく膝をついた。思った以上に体力がなくなっているようだ。わずかばかり休んだだけではとれない疲れがどっと押し寄せ、頭が重く目を開けるのも困難になる。
 いつのまにか、ほこりだらけの床に寝ていた。いつ倒れたのか、まったく覚えていない。
「さっそく、また会いにきたよ。きみ一人で、いやにしっかりと結界を張ってしまったね」
 アルヴィースの傍らに、アーナルが立っていた。アルヴィースは朦朧としながらも、彼が幻であることを見抜いた。
「これでは、手下の者を差し向けることもできないよ」
 アーナルが、悲しげに頭を振る。
「次は幻も送れないようにしておく」
 アルヴィースは床に倒れたまま、弱々しい声ではあったが毅然として答える。
「そんな状態でできるのかな。そこまで力を使い果たしてしまっては、回復するのに何日も、いや何ヶ月もかかるんじゃないかね」
 アルヴィースは、なにも答えずに目を閉じた。今は疲れすぎていて、アーナルの戯言に付き合う気力もない。
「こんなところで眠ってしまう気かい? まだどこかに魔物が隠れていたらどうするんだい」
 アーナルはかがみこんで、アルヴィースの顔をのぞきこんだ。
「顔色がずいぶんと悪いな。ここで死なれては困るよ。わたしは、きみがわたしの娘と結婚するところを見たいのだからね。きみはもうすぐわたしの後継ぎになるんだよ。そのことを考えてみたことがあるかい?」
「おまえはわたしを憎んでいたんじゃないのか。そのわたしに王位を継がせるだと」
「そのほうがギースルが苦しむと思ってね。〈光の妖精〉の王が彼をわたしの手の届かぬところに隠してしまったのが残念だよ。おまえの状況を知らせてやることもできない」
「わたしはおまえの後など継がないし、《スヴァルトアルフヘイム》は、もうすぐ滅びる」
 アルヴィースは重い口を開いて言った。
「《アルフヘイム》もね。ならば、どうしてきみは、愛してもいないフュルギヤに結婚しようなどと言ったのかね」
 〈闇の妖精〉の王はアルヴィースの反応をうかがいながら言ったが、アルヴィースはまた意識を失ったのか目を閉じてしまった。
「アルヴィース、本当に大丈夫か? どうやら最初から試練を与えすぎたようだな」
 アーナルは困った顔をして、アルヴィースの周りをうろうろとする。
「きみがあまりにしっかりと結界を張ったから、きみの力を回復してやることもできないよ」
「呪いが完結する前に死なれては困るか」
 目をつぶったままアルヴィースが言い、アーナルは端正な顔を輝かせた。
「まだ意識はあるようだな。だが今、死ななくても、きみはあまりに〈光の妖精〉の血が濃いから、この光のない闇に閉ざされた世界で、そう長くは生きていけないよ。生き延びたいと思わないのかい? 〈闇の妖精〉になれば、この世界で楽に生きていけるよ。〈光の妖精〉の王がきみにかけた忌々しい封印を解いて、この赤い闇に覆われた世界を支配しようじゃないか」
「断る」
「つれないね。もう少し思案してみてもよさそうなものじゃないか。きみの命を救えるのは、この〈闇の妖精〉の王のわたししかいないんだよ」
 唐突にアルヴィースは咳込み、血を吐き出した。アーナルはとっさにアルヴィースの背中をさすってやろうとしたが、幻の手はアルヴィースの体をすりぬけてしまう。
「どうしようもないな」
 アーナルは、自分の白く形のよい手を見て言った。
「横を向きたまえ。血が気管に入って窒息しないようにするんだ」
 〈闇の妖精〉の王は言ったが、アルヴィースは聞いていなかった。わが身を焼き尽くそうとする〈光の妖精〉の血に苦しみながら、廊下をごろごろと転げまわる。
「このようすでは、死んでしまうな」
 途方にくれた顔つきでアルヴィースの苦しむ姿をながめていた〈闇の妖精〉の王は、いたましげに何度も頭を振ると、その場から姿を消した。

 


 幽鬼めいた人々がうずくまるかび臭く薄暗い広間に、長身の影が浮かんだ。見る間にそれは黒衣の男となり、銀色の冷たく禍々しい目を広間の人々を介抱していたシグルズに向けた。
「シグルズ、上の階でアルヴィースが倒れているよ」
 アーナルの突然の出現に、シグルズは身構えた。痩せこけた人々が恐怖の声をあげ骨に皮を張りつけたような細い手足を振り回し、気も狂わんばかりに広間の中を駆け回る。
「アルヴィースが結界を張ったばかりなのに、入ってくんなよ」
 アルスィオーヴも反射的に逃げだそうとし、〈闇の妖精〉の王に影がないことに気づいた。
「幻だ。あんた、実体が入ってこられないもんだから、幻をよこしたのか」
 アルスィオーヴが腰に手をあて、うんざり顔で言う。
「ご名答」
 アーナルはにこやかに答える。
「とても大切な用があってきたんだ。さっきも言ったが、上の階でアルヴィースが死にかけているよ。放っておいていいのかな」
「なにを企んでいる」
 シグルズが警戒して言う。
「わたしの言葉を疑わないほうがいいぞ。アルヴィースの〈光の妖精〉としての血が、この世界に反発しているんだ。このまま、なにもしなければ死んでしまうよ」
「でたらめを言うな。とっと消え失せろ」
 シグルズは剣を抜いて怒鳴り、アルスィオーヴが顔色を変える。
「おれ、見てくる」
 アルスィオーヴは言うなり、広間を飛び出していった。面食らったシグルズは彼の後についていくべきか、アーナルを追い払うべきか迷った。
「〈光の妖精〉は、闇の世界では生きてはいけないのだよ。アルスィオーヴは、太陽が姿を消したこの世界で、〈光の妖精〉の血が濃いアルヴィースがいつまでも生きられないことを知っているようだね」
 アーナルがアルスィオーヴが去っていったほうを見ながら言う。
「おまえも知ってるようだな」
 シグルズは冷やかに言う。
「彼を生き延びさせる方法がひとつだけある」
 アーナルは笑みを浮かべ、シグルズが話に飛びついてくるのを期待して言ったが、シグルズは静かな怒りの炎を宿した目でアーナルをにらみつけただけで、その先をうながそうとはしない。誘いに乗ってこないシグルズを、アーナルはつまらんと呟き言葉を続けた。
「彼を〈闇の妖精〉に変えることだよ。彼を《スヴァルトアルフヘイム》に連れてくるがいい。わたしなら、彼を生き延びさせることができる」
 そう言うと、アーナルはシグルズを相手にしても退屈だとばかりに、彼の反応を見ようともせず姿を消した。

 


「シグルズ、遅いぞ」
 シグルズがまだ〈闇の妖精〉の王の言葉に疑いを抱きながらアルヴィースが倒れているという階上に行くと、アルヴィースを背負ったアルスィオーヴに出会った。意識のないアルヴィースの顔は血の気がまったくない。シグルズは胸を剣でつかれたような気がした。
「急いで、部屋に運んでくれ」
 アルスィオーヴはさっさとシグルズにアルヴィースを渡すと、部屋へと駆けていく。シグルズはアルヴィースの呼吸を調べ、まだ息をしているとわかると安堵のため息をもらし、急いで部屋へ運んだ。
「これ、これ、これ」
 アルスィオーヴは自分の荷物から細長い瓶を取り出して言った。
「ゲンドゥルに渡されたんだ」
 瓶の栓を抜くと、彼はベッドに寝かされたアルヴィースに飲ませる。
「これでいいはずだ」
 ほっとした顔でアルスィオーヴが言う。
「アルヴィースは、そう長くは生きられないのか」
 シグルズは険しい顔で言った。
「あんた、知らなかったの?」
 アルスィオーヴはびっくりして言う。
「おまえは知っていたのか」
「そりゃ、おれは昔妖精だったんだから、人に聞かなくてもわかるよ。アルヴィースは妖精の血が濃いし、まだ若いから闇に対する抵抗力があまりないんだ。シグムンド王みたいに百年も生きていれば、何日も日が射さない日が続いたってどうってことないだろうけど」
「〈闇の妖精〉になれば生き延びられるか」
 シグルズがつらそうに言う。
「〈闇の妖精〉の王が言ったのか。アルヴィースは死んだほうがましだって言うだろうな。おれだって、〈闇の妖精〉にはなりたくないもんな」
「呪いが解けても死ぬしかないのか」
「いや、《アルフヘイム(光の妖精の世界)》に帰ることができれば、生き延びられるよ。そのために、急いで呪いを解こうとしてるんじゃないか。あんた、なんにも知らなすぎ」
「城の警備に忙しくて、旅の打ち合わせに参加できなかったんだ。旅に出てからもアルヴィースはなにも言わないから、てっきり呪いを解くだけだと思っていた。ほかにわたしが聞いていないことがあるか」
「さぁね。おれだって打ち合わせに参加してないからわからねぇよ。王たちとどんな話をしたか知っているのは、アルヴィースだけさ」
 アルスィオーヴは肩をすくめて言った。

 


 アルヴィースはベッドの上で目を覚まし、どうして床に倒れていないのかと不思議に思った。そばに浮かぬ顔をしたシグルズが座っている。
「まだ、寝ていろ。顔色がよくない」
 シグルズのようすがどこかおかしく、アルヴィースは眉をひそめた。
「少し疲れただけだ。どれぐらい眠っていた?」
 アルヴィースは食料の問題を片付けねばと起きあがろうとしたが、シグルズに押し戻される。
「なにが疲れただけだ。死にかけていたんだぞ。もう先が長くないと、どうして言わなかったんだ」
 シグルズが怒りを押し殺して言う。
「言ったら兄上が心配してよけいな気を使うじゃないか。それより、食料をどうにかしないと。わたしはどれくらい寝ていたんだ」
「一晩だよ。ほれ、薬」
 アルスィオーヴが隣の部屋から細長い瓶を持って現れ、アルヴィースに投げてよこす。アルヴィースは片方の眉をあげて、アルスィオーヴを見た。
「ゲンドゥルがアルスィにも薬を持たせていたなんて、知らなかったな」
「念の為に、持たされたんだ。おまえの荷物に薬が一つもなかったぜ。ぜんぶ飲んじまったのか」
 アルヴィースは黙って薬を飲むと、シグルズを押しのけて立ちあがった。
「心配しないでくれ。《アルフヘイム》に帰る前に死ぬつもりはない」
「そういや、おまえが死にそうだって教えたのが、〈闇の妖精〉の王なんだぜ。あいつ、よっぽど、おまえに死なれたくないらしいな」
 アルスィオーヴの言葉に、アルヴィースが顔をしかめる。
「そういえば、〈光の妖精〉の王がわたしにかけた封印を解いてやるなどと変なことを言っていたな」
「おまえ、呪いを封印してもらったの?」
「知らない。でもそのおかげで、わたしは今までなにも滅ぼさずにすんだのかもしれない」
「だったら、なにも《アルフヘイム》を追放することはないだろうに」
 〈光の妖精〉の王を責めるように、シグルズが言う。
「一時しのぎなんだろう。そのうち勝手に解けてしまうのかもしれない」
 アルヴィースは考えながら言った。
「封印が解けたらどうなるんだ?」
 アルスィオーヴが聞く。
「封印されていることも知らなかったのに、そんなことまでわかるか。それより食料問題を解決しよう。二人とも空腹だろう」
「しかし、今は、魔道は使わないほうがいいんじゃないか」
 心配そうにシグルズが言う。
「魔力はフュルギヤ姫から借りるさ。すぐに腹いっぱいに食べられるようになる」
 アルヴィースは安心させるように明るい笑みを浮かべて言うと、フュルギヤを呼びに出て行った。





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