ラグナレク
第四章 守る者・3 久しぶりの食事らしい食事だというのに、気まずい雰囲気が漂っていた。フュルギヤは疑いの視線をちらちらとアルヴィースに向け、アルヴィースはフュルギヤと目をあわせないようにしている。アルスィオーヴはひきつった笑みを浮かべ、なにも知らぬシグルズが「なにかあったのか」と全員に聞く。 「なにもないよ」 アルスィオーヴが言いながら、身振りで黙ってろとシグルズに合図する。シグルズはフュルギヤとアルヴィースがけんかでもしたのかと考え、肩をすくめると食事に専念した。 おしゃべりなアルスィオーヴさえ口をきかぬ静かな食事が終わると、フュルギヤはすたすたと部屋を出ていった。その後をアルヴィースが追いかけていく。 「姫、話があるんだ」 アルヴィースは声をかけたが、フュルギヤは足を止めなかった。 「なにかしら?」 フュルギヤは歩き続けながら言い、アルヴィースがいたずらを見つけられた子どものような顔をする。 「姫、〈闇の妖精〉の王がなにを言ったか知らないが、信じないでほしい」 フュルギヤは急に足を止め、アルヴィースに向き直った。 「いったい、なんのこと?」 どことなく怒った声で、フュルギヤは聞き返した。 「〈闇の妖精〉の王が、なにか言ったんだろう?」 困った顔をしてアルヴィースが言う。 「なぜ、そんなにおどおどしているの? わたしに知られて困ることがなければ、堂々としていればいいじゃない」 「それは、きみが怒っているからさ。〈闇の妖精〉の王は、きみになにを言ったんだ?」 「聞きたい? あなたに恋人がいるって言ったのよ」 フュルギヤはアルヴィースを睨みつけて、挑むように言った。 「昔のことだよ。ファグラヴェールにいたとき、ディースという恋人がいた。でも、とっくに別れたよ」 「別れた?」 「そう、別れたんだ。彼女とはもう終わっている」 「そう?」 フュルギヤは疑わしげな視線をアルヴィースに向け、歩き出した。アルヴィースもついてくる。 「まだ言いたいことがあるの?」 フュルギヤはかくしに手を入れ、髪でできた護符を握り締めて言った。アルヴィースを見る目つきが険しくなる。 「きみは少しも納得していない。それに」 アルヴィースは言いづらそうに言葉を切った。 「それに?」 フュルギヤが先をうながし、アルヴィースはためらいながら、口を開いた。 「何度か命を救ってくれた護符がなくなったんだ。ディースの髪でつくった物だから、たぶん、きみの誤解を受けると思う」 「なんで、昔の恋人の護符なんか持っていたの? 別れたんでしょ」 「形見なんだ。彼女はもう死んでいる」 「死んだ?」 「彼女は護符に力を注ぐために、自殺したんだ。命がこもった護符を粗末にはできないだろう」 「そうなの」 フュルギヤは考え込みながら言った。 「まだ怒ってるかい?」 「最初から怒ってないわ。あなたが顔色を変えて追いかけてくるから、いらいらしてきただけ」 「それはすまなかった」 「でも、やっぱり、気持ちのいいものじゃないわ。女の人の髪、大事そうに持っているなんて」 「そうだな。でも、あれは命を救ってくれた護符なんだ。捨てるわけにはいかない」 「そうなの。見つかるといいわね。死んだ人の髪がどこかに落ちてるなんて、気味が悪いわ」 「えっ、ああ」 今度はアルヴィースが疑いの目でフュルギヤを見る。 「もう用はないでしょ」 フュルギヤは自室の前に立ち止まって言った。アルヴィースが戸を開けてやる。 「おやすみなさい」 フュルギヤは自室に入ると、少しばかり乱暴に自分で戸を閉めた。 「そう簡単に返してもらえるわけがないか」 アルヴィースは、閉ざされた戸に頭を軽く打ちつけた。
フュルギヤは戸を閉めると、だれかが入ってくるのを防ぐように戸に寄りかかり、かくしから髪でできた護符を取り出した。 どうして、フュルギヤがこれを持っていることを知ったのかわからないが、アルヴィースはとても返してほしそうだった。そして、アルヴィースが護符を取り返そうとすればするほど、フュルギヤは腹立たしくなっていた。 フュルギヤは護符を手の中でひっくり返したり折り曲げたりしながら、捨ててやろうかと考える。それとも、二度と見つからないように燃やしてしまおうか。そうしたら、アルヴィースは怒るだろうか。悲しむだろうか。 別れたの、死んだのと言いながらもアルヴィースは、ディースという女にかなり未練がありそうだった。でなければ、護符がなくなったからといって、あんなに慌てるわけがない。絶対に返してあげないんだから。 「でも、今、燃やされるのは困るわ」 突然、やさしい響きの女の声が聞こえ、フュルギヤは部屋を見回したがだれもいなかった。〈闇の妖精〉の王の仕業だろうか。 「安心して、〈闇の妖精〉の王とは関係ないわ。わたしはディース。今は女神ヴィナディースに仕える身なの」 ディースと聞き、フュルギヤは身を堅くした。死んだなんてうそじゃないの。 「あなた、どこにいるの?」 「この護符の中よ。今、あなたを導くわ」 手に握られた護符が光を放ち、フュルギヤは意識を失った。
アルスィオーヴが広間のようすを見に行くと、アルスィオーヴたちがいなくなってから食べたのか、さきほど置いておいた果物はなくなっていた。 「うまかったかい? 次は明日の朝、持ってくるからな」 変な連中だなと思いながら、広間から出ようとしたとき、ふいに目の大きい小柄な者がアルスィオーヴの服をつかみ、彼を驚かした。髪がもつれ顔がひどく汚れているため年寄りのように見えるが、体の大きさからいって子どもだろう。アルスィオーヴは臆病な人々を脅かさないように、そっと身をかがめた。 「なんだい?」 「もう〈闇の妖精〉はこないの?」 小柄な者はアルスィオーヴをこげ茶色の瞳で見上げ、おずおずとかすれ声で言った。 「前にこないって言ったろ。おれたちと一緒に強い魔道士がきたんだ。そいつが追っ払ってくれたよ」 魔道士と聞いて、小柄な者は息を飲んだ。アルスィオーヴはここが魔道士を死刑にするガグンラーズ国であること思い出し、しまったと顔をしかめた。 「あのさ、魔道士はいいやつなんだ。魔物から守ってくれるんだよ」 「ぼく、見てたよ。火の竜が魔物を燃やしちゃったんだ。あれ、魔道士がやったの?」 小柄な者は真剣な顔をして聞いた。他の者たちがもうアルスィオーヴと話すんじゃないと目配せする。 「大丈夫だよ。この人は、〈闇の妖精〉じゃないもの」 「だまされるな」 人々が口々に言う。しかし、小柄な者は確信を持って首を横に振った。 「本当に〈闇の妖精〉じゃないよ。なんか、感じが違うもの」 アルスィオーヴは、あれと思った。この小柄な者、たぶん少年は〈闇の妖精〉とそうでない者を見分ける程度の魔力を持っているらしいが、彼も大人たちもまだそのことに気づいていないようだ。 「信じてくれてうれしいよ。おまえの名前は?」 アルスィオーヴは、話題を変えさせようとして言った。 「ローニ」 「ローニ、おまえ、おれと一緒にここから出てみるかい」 魔力を持っていることがばれてローニの身が危なくなる前に、彼らから引き離して置こうと考えたアルスィオーヴは言ったが、ローニは真っ青になって首を振った。まだそこまでアルスィオーヴを信じてくれてはいないらしい。 まぁ、今までばれなかったのだから、そんなに慌てることもないだろうとアルスィオーヴは考えなおした。まだ子どものため、おかしなことを言っても、子どもの空想として彼らは片付けるだろう。 「出たくないなら、いいさ。じゃ、また明日、飯を持ってくるからな」 そういえば、魔道士を嫌うガグンラーズ国で、アルヴィースはどうやって彼らに受け入れられる気だろうと、アルスィオーヴは考えた。
フュルギヤの部屋の戸に寄りかかり、どうやってフュルギヤから護符を返してもらおうかと悩んでいたアルヴィースは、背後からの柔らかく重い物が倒れたような音に、はっとした。 「なにかあったのか」 戸を叩くがフュルギヤからの返事はない。勢いよく戸を開けると、フュルギヤが床に倒れていた。手には例の護符がしっかりと握られている。 「いったいなにが」 アルヴィースはフュルギヤを抱き起こし、生死を確かめた。怪我もなく鼓動も呼吸もしっかりしているが、頬を叩いても意識が戻らない。 〈闇の妖精〉の王の仕業かと魔力の気配を探したが、どういうわけか魔力は護符から発せられていた。 「護符のせいか」 アルヴィースはフュルギヤの手に握られた護符をとろうとしたが、フュルギヤの手はくっついてしまったかのように開こうとしない。魔道を使ってはずそうとするが、護符に術を妨害されてしまう。 「なぜ、この護符にこんな力が」 アルヴィースは髪をかきあげて言った。ディースの髪でつくられた護符が、魔道士の術を防げるほど強いわけがない。 「いったいなぜ、こんなことに。姫が護符になにかしようとしたのか? ディース、なにが起きているんだ」 あらゆる術を試してみたが、すべて護符にはね返された。アルヴィースは魔道や魔法を駆使しても、なぜ、護符がこんな力を持ったのかわからず途方に暮れた。
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