ラグナレク・4−4

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ラグナレク


第四章 守る者・4



 銀色の光が淡く射す三日月の夜のような薄暗闇の空間に、やさしげな女が立っていた。人をほっとさせるような緑色の目をした女性で、艶やかな茶色の髪を肩で切りそろえ、濃い緑色の服を着ている。
「あなたは、だれ」
 フュルギヤは好ましい印象を受けながらも、用心して言った。
「わたしがディースよ」
 ディースが笑みを浮かべて答える。蒼白になったフュルギヤは数歩、後ずさり、それから、敵に後ろをみせまいとする兵士のように踏みとどまると、彼女をにらみつけた。
「アルヴィースの恋人ね。あなたは死んだって聞いたわ。アルヴィースは、うそをついたのね」
 フュルギヤは飛びかからんばかりの勢いで言った。ディースはフュルギヤより年上だった。細身でありながら、女らしさを強調する部分には、しっかりと肉がついている。フュルギヤは自分の小さい胸ややせた体と比べ、怒りがなえるのを感じた。女としての劣等感を強く感じ、わっと泣き出す。それとともに世界から銀色の光が薄れ、重苦しい空気が漂った。
「いいえ、今の恋人はあなたよ。わたしは死んでいるの。彼はうそなんてついていないわ」
 ディースが歌うように言い、フュルギヤは激しく首を横に振った。
「そんなのうそよ。わたしのことなんか、愛してくれるもんですか」
「なぜそんなことを」
 ディースはフュルギヤに近づき、そっと腕をつかみ顔を覗きこんだ。
「だって、あなたみたいにきれいじゃないもの。胸だってないし」
 フュルギヤは哀れっぽくディースに言った。
「まぁ、なんてばかなことを」
「そうよ。わたし、ろくに魔道もできないほど、ばかなのよ」
 どうせ、あなたなんかにわたしの気持ちがわかるわけがないと、フュルギヤはディースの手を振り払った。
「怒らないで、お姫様。そういう意味で言ったんじゃないのよ。あなたは満足に食事もできなかったし、まだ十六なのよ。これから、どんどん女らしくなるわ」
「でも、あなたみたいにきれいじゃないわ」
 甘やかされた子どもがすねるように、フュルギヤは言う。
「どうしてそんなことを言うの? あなたの顔は小作りでとてもかわいくって高貴だし、銀色の目だって、月の光を集めたみたいにきれいだわ。髪は吸い込まれそうなほど黒いし、肌だって、こんなになめらかで染み一つないじゃないの。妖精の血をひく特権ね。人間はどうやっても、こんなに美しくなれないわ」
「そうかしら」
 フュルギヤは自分の髪や手をじっくりと見、そのとおりかもしれないと少しだけ満足の笑みを浮かべた。またどこからともなく、世界に銀色の光が射しはじめる。
「アルヴィースもきれいだって思ってくれるかしら」
 ディースが彼の恋人だったことを忘れ、期待を持って聞く。
「そうね。たぶん、そう思ってるわ」
「でも、あなたからもらった護符を大事にしてるわ」
 今度はディースがアルヴィースの恋人だったことを思い出し、フュルギヤは頬を膨らませる。
「それは、わたしが持っていてほしいと願ったから。でも、それも終わり。これから、アルヴィースを守るのは、あなたよ」
「わたしが守る?」
 フュルギヤは目を瞬かせた。
「そうよ。あなたは強い魔力を持っている。わたしよりずっとアルヴィースの役にたてる。だから、わたしはあなたに焼きもちを焼いているけど、助けるの」
「でも、どうやって。わたし、魔法はぜんぜん使えないし、魔道だってたいして使えないのよ」
「それは、あなたにかけられた魔法のせいよ」
「まさか」
「魔法が使えないのは、あなたが生まれてすぐ、かけられた魔法のせい。〈闇の妖精〉の王が仕組んだことなの」
「ゲンドゥルもアルヴィースもそんなこと言わなかったわ」
「〈闇の妖精〉の王は巧妙よ。二人に見つからないあなたの心のとても深いところに魔法をかけたの。それは今ではあなた自身の一部になってる。たとえ見抜けても、彼らにどうすることもできないわ」
「そんな」
「でも、あなたならできるわ。自分の心を自分で治すの。大変だけど、できないことじゃないわ」
「どうすればいいの?」
「わたしが導いてあげる。いらっしゃい」
 ディースはやさしく微笑んで、フュルギヤに手を差し伸べた。

 


 アルヴィースはろうそくに火を灯すこともせず、フュルギヤが眠るベッドの横に深刻な顔で座っていた。
 知っている限りの手をつくしたが、護符はフュルギヤの心を捕らえて離さず、眠りから解き放とうとしない。いったい、なんのために護符はフュルギヤを眠らせ続けるのだろう。フュルギヤが眠りについてから、もう二日も時が過ぎている。このままフュルギヤは目を覚ますことがないのだろうか。
 神々の見張り役ヘイムダルが黄金の角を鳴らし、〈滅びの時〉を告げる前に、なんとしても《スヴァルトアルフヘイム》に行き、〈闇の妖精〉の王を倒したい。フュルギヤがずっと目を覚まさないのなら、一人で行くべきだろうか。ディースはそのために、フュルギヤを眠らせているのだろうか。
「アルヴィース様、あなたは魔道士になりましたが、魔道のすべてがわかったというわけではありません。魔道士になるということは、魔道を習うための基本ができたということなのです。どんなに強い術が使えようと、あなたの知らぬことは、まだまだたくさんあります。どうかお気をつけください」
 やっと魔道士の称号をもらったとき、ゲンドゥルが言った言葉を思い出す。
 ゲンドゥルと話がしたい。アルヴィースは旅に出て初めて、だれかの助けを借りたいと思った。今まで手に負えぬことなどなにひとつなかったというのに。
 アルヴィースはフュルギヤから渡された水晶の破片を思いだし、自室から持ってくると机の上に広げた。強い魔道と魔法を合わせて使えば、もしかしたら、ゲンドゥルと話すことができるかもしれない。
 破片のひとつひとつにアルヴィースの顔が映った。髪を切ったせいで、少年のようだった。親に見捨てられた子どもが途方に暮れているように見え、アルヴィースは布を被せて、水晶を隠した。
「髪を切るんじゃなかったな」
 アルヴィースは肩までしかない髪をかき乱し、再び布をどけると水晶を修復する作業に取り掛かった。

 


 アルスィオーヴが食事を持っていくと、ローニがうれしそうによたよたと寄ってきた。他の人々は、うろんな目でアルスィオーヴを見ただけだった。ローニ以外の者に信用してもらうのは、かなり時間がかかりそうだ。
「今日はシグルズはこないの」
 ちゃんと食事ができるようになったおかげて、ローニはやせ細っているわりには元気一杯に言った。
「さっき、外壁の穴を塞いでたから、それが終わってからくるんじゃねぇの」
「ぼくね。シグルズから剣を教えてもらうんだ」
 ローニは元気よく手を振り回した。細い腕が枯れ木のように簡単に折れそうで、アルスィオーヴは心配になる。
「ローニ、あんまり暴れんなよ。怪我するぞ」
「ねぇ、腹減ったよ」
「へいへい」
 アルスィオーヴが料理を皿に盛るとローニは飢えた狼のようにぺろりと平らげた。
「お代わりは、みんなに配ってからだ」
 もっとほしそうなローニに言い、アルスィオーヴは人々へ料理を配っていった。だれもローニのように自分から取りにこないため、手間がかかってしかたがない。
「みんな、〈闇の妖精〉になんかされて、おかしくなったんだ」
 ローニが空の皿を持ってアルスィオーヴの後についてまわって言う。
「なんかってなんだよ」
「わかんない。〈闇の妖精〉が怒ると、みんな、急に悲鳴を上げたり暴れ出したりしたんだ」
「幻覚でも見せたのかな。おまえはなにもされなかったのか」
「ぼくはいつもみんなの後ろに隠してもらっていたから、〈闇の妖精〉はいるのわかんなかったみたい。ねぇ、お代わりは、まだ?」
 食事を配り終わったのを見て、ローニが言う。
「ほらよ」
 アルスィオーヴは、待ちかねていたローニの皿に料理を盛ってやった。すぐさま、ローニはきれいに食べてしまう。
「そうやってうまそうに食べてくれるのは、おまえだけだよ」
「みんな、太ったら、食べられちゃうって思ってるから」
 アルスィオーヴは、いやな考えが頭に浮かび顔をしかめた。ローニがその考えを口にする。
「〈闇の妖精〉は、みんなを太らせて人食い姫に食わせてたんだ。だから、みんなはあまり食べないでやせることにしたんだよ。そしたら、〈闇の妖精〉はかんかんに怒って、飢え死にしてしまえってなにもくれなくなっちゃったんだ」
「はぁ、全員が飢え死にする前におれたちがきてよかったよ。で、おまえたちは、なにを食べさせられてたんだ」
 アルスィオーヴは、あまり聞きたくなさそうに言った。
「最初にアルスィがくれた苦い実と同じのとか、すんごく固くて臭い肉とか」
「おや、ドーヴィンの実を食べてたのかよ。そんじゃ、肉のほうは、ヘイズルーンだな」
 意外な答えにアルスィオーヴは、首を傾げる。
「へいず?」
 ローニが聞き返す。
「毒性のない食べられる魔物だよ。大きな猫みたいなやつで、手足が十本あって尻尾にも顔があるんだ。腹の肉が食べられるんだけど、死ぬと石になっちまうから、生きているときに切り取らなきゃいけないんだ。なんで〈闇の妖精〉はわざわざ、そんな手間のかかるもん食べさせてたんだ? だったら、ついでにお姫さんにも食べさせてやりゃいいのに」
 アルスィオーヴは不思議そうに言い、ローニはなんのことだろうと彼を見上げた。
「まてよ。もしかしたら、お姫さんは人の肉を食べてなかったのかもな。〈闇の妖精〉はお姫さんをだまして喜んでたのかもって、ローニに言ってもわかんないよな。後でアルヴィースに話してみよう」
「アルヴィースってだれ? ここにきたことないよ」
「そういえばそうだな。あいつ、いろいろと忙しいから。おまえ、会いにいくかい? 驚くぜ。あいつ、〈光の妖精〉なんだ。髪が火みたいにきらきらしててきれいだぜ。髪を切っちまったのは、かなり勿体なかったな」
 アルスィオーヴはローニが喜ぶものと思って言ったが、ローニの目には人々と同じ怯えの色が現れていた。
「だめだよ。広間から出たら、死んじゃうんだ。呪いがかかってるんだよ」
「へっ? でも、隣の広間からこっちに移ってもなんでもなかったじゃないか」
「命令されたときは、出なきゃいけないんだよ」
「命令は〈闇の妖精〉じゃなくてもいいのかよ。ただの脅しだと思うけどな。んじゃ、それもアルヴィースに聞いてやるよ」
 なにも聞いていないようで、しっかりと耳をそばだてている人々が、期待と恐怖の入り混じった目でアルスィオーヴを見る。彼はそれにはかまわず、アルヴィースを呼びに行った。





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