ラグナレク・4−5

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ラグナレク


第四章 守る者・5



 やはりだめだった。やや赤みを帯びた水晶は、何度、呪文をかけてもなにも映し出さなかった。どうやっても、ファグラヴェール王国まで魔道が届かない。フュルギヤの血が混じったせいではないことは確かだ。魔力を持つ者の血は魔力を増幅することはあれ、弱くすることはありえない。
 アルヴィースは落胆して、机の上につっぷした。どうやって、フュルギヤを目覚めさせればいいのだろう。
「お姫さん、まだ目が覚めんの?」
 アルスィオーヴが戸を叩きもせず、部屋に入ってきた。アルヴィースは疲れた顔をあげる。
「覚めないな」
「おまえ、具合悪いの?」
「違う。どうしていいかわからないだけだ。なんの用だ」
「ん、広間の連中、呪いがかかってるって広間から出てこないからさ、おまえにみてもらおうかと思って」
「呪い?」
「かかってないと思うんだけどさ、おまえがちゃんと見てくれれば、あいつらも安心すると思うんだ。それに、おまえもずっと部屋にこもってるのもなんだから、たまには出てこいよ。お姫さんは眠ってるだけなんだろ。ディースはなにか必要があってやったんだよ。心配ないって」
「アルスィは、気楽だな」
「暗い顔しててもなんにもならねぇよ」
「わかったよ。少し動いたほうが気が紛れるかもしれない」
 アルヴィースは水晶にむかって呪文を唱えると、フュルギヤのベッドの横の小卓に置いた。

 


 アルヴィースが広間に入ると、人々はあんぐりと口をあけた。初めて〈光の妖精〉の血をひく者を見た人々は、見とれるを通り越して、あっけに取られたようだ。
 アルスィオーヴはアルヴィースがどうやって頑迷な彼らに魔道士を受け入れさせるのかと期待して見ていたが、アルヴィースは彼らになにも言おうとしなかった。唐突に手を一振りする。広間に赤い光が網のように広がり、すぐに消えた。
「これで呪いは消えた。もう出られるぞ」
 それまで、ぽかんとアルヴィースを見上げていたローニが歓声をあげて、廊下へ出て行く。人々のほうは、どうしようかというように互いに顔を見合わせている。
「へ、呪いなんてあったのかよ」
「ない」
 アルヴィースは、アルスィオーヴにだけ聞こえるように答えた。
「しかし、ないと言っても、彼らにはわからないだろう。解いたように見せかけたほうがいいと思った」
「そりゃ、頭のいいこった」
「おいおい、あんまり遠くに行くなよ」
 アルスィオーヴは扉から頭だけだして、廊下を走るローニに向かって言う。
「やせているが、元気だな。見たところ、毒性のある魔物は食べていないようだ」
 ローニの後ろ姿を見て、アルヴィースは言った。歳の頃は、弟のシンフィエトリと同じくらいだった。シンフィエトリは今ごろ元気だろうかと、アルヴィースはふと思う。
「あ、そのことを言うの忘れてた。みんな無害な魔物を食べてたんだ」
 アルスィオーヴはそう言い、フュルギヤが人を食べていないかもしれないと言う推測も話した。
「ありえるな。〈闇の妖精〉のしそうなことだ。姫が見たという死体は、幻覚だったのかもしれない」
「問題は連れ出された連中は、どこにいっちまったのかだよ」
「殺されたか、まだどこかで生きているかだな。これから、城を探索してみよう」
 そう言うと、アルヴィースは広間から出ていった。アルスィオーヴはなぜ、広間の人々が魔道士だと騒ぎ立てなかったのだろうかと不思議に思いながら、アルヴィースの後についていく。
「アルヴィース、なんであの連中、おまえが魔道士だってのに、なんにも言わないんだ?」
「ガグンラーズ国の者はいつだってそうだよ。身を守れるほど魔力がない者や誤解された者が相手だと勇んで捕まえては死刑にしてしまうくせに、本物の魔道士が相手だと途端に怖気づいておとなしくなる」
「なんつう国だよ」
 アルスィオーヴは、顔を歪めて言った。
「どこに行くの?」
 廊下を探索していたローニが、二人を見つけて寄ってくる。
「この子は魔力を持っているな。魔道士になる才能がある」
 アルヴィースがアルスィオーヴにだけ聞こえるように言う。
「ああ、それも言うのを忘れてた。だから、広間の連中といつまでも一緒にいないほうがいいと思うんだ」
 それから、アルスィオーヴはローニに向かって言った。
「ローニ、おれたちの部屋にこいよ。そのほうが面白いぜ。いつだってシグルズから、剣を教われるしな」
 その言葉にアルヴィースが眉をしかめる。
「連れてくるのはいいが、その前に湯浴みをさせろよ」
 アルヴィースは汚物にまみれたローニの姿を見て言う。
「わかってるよ。ローニ、どうする」
 ローニは少しの間、顔をしかめて考えた。
「アルヴィースも一緒なの?」
 アルヴィースを指差して聞く。
「そうさ」
 アルスィオーヴがなんでそんなことを聞くのかと思いながら答える。
「魔道ってぼくにもできる?」
 ローニがびくびくしながら、だれか他に聞いている者がいないか辺りを見回して言う。
「きみは、自分に魔力があることを知っているんだな」
 アルヴィースはローニの目の高さにまで屈んで言った。ローニは落ちつきなく目をきょろきょろとさせる。
「だから、おれたちの部屋にこいって言ったんだ。そのほうが安全だよ」
 アルスィオーヴも片膝をついて言う。ローニは体を震わせながら、二人を何度も見比べた。
「ずっと一人で隠してきたんだな。怖かったろう」
 アルヴィースが言い、ローニは彼に抱きつき大粒の涙をこぼした。
「ぼくをここから連れていって」
「そんなに怖がることはない。きみが自分の身を守れるように魔道を教えてやる。だから、その前に湯浴みをしてきてくれないか」
 アルヴィースは涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになったローニを引き離し、アルスィオーヴに押しつけた。

 


 城の探索はすでにアルスィオーヴとシグルズが済ましていた。アルヴィースはアルスィオーヴからどうしても開けることができなかった扉が地下にあると聞き、菜園に行く時とは別の地下への階段を降りて行った。アルスィオーヴが言ったとおり、降り切ったところで分厚い鉄の扉が行く手をさえぎっていた。扉は魔法で開かないようにしっかりと閉じられている。アルヴィースは魔物を退治したときの魔道もこの扉にさえぎられ、この先には届いていなかったことを知り舌打ちした。中に魔物がいるかもしれない。
 アルヴィースは少し後ろに下がると、炎の玉を扉にぶつけた。はでな音とともに、扉が吹っ飛ぶ。
 歪んだ扉が床の上で金属音を撒き散らすその向こうから、魔物たちの匂いと咆哮がむっと押し寄せてくる。アルヴィースはいつでも術が使えるように身構え歩みを進めた。
 通路の左右に並んだ牢屋には大型の猫に似たヘイズルーンや液体のような生物ヴィルヴィルなどの食しても無害な魔物が閉じ込められていた。足元には人の骨が転がり、魔物に食べられてしまったことを示している。
 魔物はアルヴィースを見るなり威嚇し、飛びかかろうとして、鉄格子に激しくぶつかった。いたるところで鉄格子がたわみ、今にもはずれそうになる。
 いつ、魔物が鉄格子を壊してアルヴィースに飛びかかってもおかしくはない状況だというのに、彼は足を止め魔物たちをじっくりと見た。
 なにかがおかしい。
 獰猛に吼えたり、鉄格子に体当たりする魔物たちの目には、どこか悲しげな色があった。そればかりか知性の光があるように見える。
 まさか。
 アルヴィースは自分の考えに打ちのめされたようによろめいた。
 〈闇の妖精〉は、毒性のある魔物を人に食べさせ、魔物に変えたのか。人を魔物に変え、その魔物に人を食べさせて育て、育った魔物を人に食べさせていたのか。
「なんということを」
 〈闇の妖精〉の王への怒りと嫌悪で、目がくらんだ。魔物たちが、すがるような目で彼を見ている。魔物の身をすくまさんばかりの咆哮は、殺してくれと必死で懇願しているようだ。
 アルヴィースは地下牢を炎で満たした。灰も残らぬほどにすべてを焼き尽くすと、青い顔をして階段を上がっていった。

 


「どうだった」
 アルスィオーヴが汚れたままのローニと階段の上で待っていた。
「なんだ。まだいたのか。湯浴みをしにいったんじゃなかったのか」
 アルヴィースは不機嫌に言う。
「ローニが連れていかれた母さんが生きてるかもしれないって言うから、待ってたんだ。なに、怒ってるんだよ」
「アルスィに怒っているわけじゃない。〈闇の妖精〉の王にだ」
「で、どうだった?」
 アルスィオーヴはアルヴィースのようすから、いい答えは返ってこないと知りながら聞いた。
「下には魔物がいた。連れ出された人々はその魔物たちに食われたらしい。生きている者はだれもいないよ」
「そうか。残念だったな。ローニ」
 瞳を曇らせたローニを後に、アルヴィースは足早に中庭へと出た。怒りがさめやらぬ彼は炎の竜を所狭しと暴れさせ、中庭に残っていた魔物を全滅させた。





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