ラグナレク・4−6

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ラグナレク


第四章 守る者・6



 一本の白い道がどこまでも続いていた。銀色の光に照らされながら、道の両側から気泡が現れては消える。
 すべての気泡の中に、フュルギヤの姿があった。アルヴィースから魔道を教わるフュルギヤ、アルヴィースの作った菜園で果物をかじるフュルギヤ。アルヴィースの魔道を手伝うフュルギヤ。
「これはなに?」
 フュルギヤは立ち止まって、生まれては消滅する気泡を見上げた。気泡はフュルギヤよりもずっと大きく、たわんだり丸くなったりしては、少しずつ淡くなり消えていく。そしてまた、新たな気泡が下方から浮かび上がる。
 フュルギヤには道の周囲は底なしの奈落なのか、水のようなものが占めているのかわからなかった。
「あなたの記憶よ。道から出ないでね。あなたの心の中で迷子になってしまうわ」
 つま先だけを道から出して、そこがなにで出来ているのか確かめようとしていたフュルギユは慌ててひっこめた。
「これからどこに行くの?」
「あなたの中心よ。とても深いところにあるから、ここからとても遠いわ」
「わたしがたくさんいる気分」
 フュルギヤは気泡の中の自分を見て言った。
「あなたの心の中ですもの。この世界がすべてあなたなのよ」
「そんな気がしないわ。早くここから出たいわ」
「急いではだめよ。あなたの心が混乱して傷ついてしまうから。あなた自身が危険になるのよ」
「ナールだわ」
 フュルギヤはぞっとして言った。気泡の中でナールたちとともに、フュルギヤが食事している。
「食べちゃだめよ。だまされているのよ」
 フュルギヤは必死で叫んだ。なんとしてもあれを食べさせるわけにはいかない。突然、道がつり橋のように揺れる。
「だめよ。動揺しては」
 ディースは道から外れまいとしながら、道に座り込んでしまったフュルギヤの肩をつかんだ。
「落ちついて。あなたの思いがそのまま世界に投影されてしまうの。あの気泡はあなたの記憶だって言ったでしょう。今、起きてることじゃないのよ」
「ひどいわ。こんなの」
 フュルギヤは泣きながら自分の頭を抱え込み、胎児のように身を小さくした。ディースが母親のようにやさしく抱きしめる。
「思い出したくないことがたくさんあるわ。今すぐ、ここから出たい」
 長い時間がたってようやく揺れがおさまると、フュルギヤはつらそうに言った。
「なら、目を閉じてちょうだい。わたしが手をひいてあげるわ。それなら、いいでしょう」
 フュルギヤは黙って目を閉じると、母親に手をひかれる幼子のようにディースの後についていった。

 


「なんと、腹立たしい」
 フュルギヤの居間に忽然と姿を現したアーナルの幻は、吐き捨てるように言った。
「何重も結界を張るとは、アルヴィースも小癪なことを。だが、わたしには無駄なことだ」
 わずかに眉をひそめ、アーナルは戸も開けずに寝室に移動する。眠っているフュルギヤを険しい目で見下ろし、護符を睨みつける。
「なぜ、こんなものがわたしの邪魔をするのだ。なぜ、こんなときにフュルギヤが眠らねばならん。そろそろ《スヴァルトアルフヘイム》に向かわねば、アルヴィースは死ぬことになるのだぞ。もうすぐ〈滅びの時〉がくる。〈最後の戦い〉がはじまってしまえば、生きて辿りつくことはできんのだ」
 アルヴィースと同じように理由がわからず、アーナルはいらだたしげに寝室を歩き回り、もう一度護符を見なおした。ふと、ひらめくものがあったらしくアーナルの顔が輝く。
「そうか、ディースは、ヴィナディース神に仕えたんだったな。そいつの髪で作った護符か。はっ、人間の分際でわたしの計画を邪魔しようとは」
 アーナルは苦々しげに口を歪ませた。
「たとえ神の力を借りようと、わたしの邪魔をすることはできん。覚悟するがいい」

 


 こぎれいになったローニは居間でシグルズの剣の手ほどきを受け、棒を振り回して喜んでいた。よごれが落とされたおかげでローニの黒く見えていた髪はくすんだ金髪になり、老人のように見えた顔は整ってはいないが生真面目な子どもらしい顔になっている。
 アルスィオーヴが久々にキターラをひっぱりだしてきて、弦を調節する。
「滅びとは無関係な光景だな」
 アルヴィースがテーブルに頬杖をついて言った。
「たまには、のんびりしたっていいじゃんか。おれたちだって、城を調べたり、広間の連中の面倒を見たりして、ずっと忙しかったんだぜ。このローニの洗うのの大変だったこと。見違えたろ」
「あとは、食事を充分にとらせることだな。やせ過ぎだ」
 肉のないローニの体を見てアルヴィースは言う。
「そんなことわかってるよ。一曲どうだい」
 弦の調節がうまくいったらしく、アルスィオーヴはキターラを鳴らして言った。
「アルスィ、歌、うまいの?」
 ローニが棒を振り回すのをやめて、アルスィに近づいてくる。
「なにを言う。おれは吟遊詩人だぜ。おれの歌を聞いたやつは、みんな感激して涙、流すよ」
「よく言う。口のうまさでごまかしてるくせに」
 アルヴィースが言い、立ちあがった。
「あ、これから歌おうってときにどこに行くんだよ」
「姫の部屋だよ。あまり長くほうっておくのも心配だ」
「おい、一人だけ逃げないでくれ」
 シグルズが冗談めかして言う。
「なんだよ、シグルズ、おれの歌はそこまでひどいってのか」
「アルスィ、歌、下手なの?」
 ローニが眉をひそめて、アルスィオーヴを見る。
「ほら、おまえらがふざけたことを言うから、ローニが信じちまうじゃねぇか。ローニ、うまいかどうかはおれの歌を聞いてから言ってくれ」
 アルスィオーヴはキターラをかまえて言った。

 


 巨人に投げ出されたようにヘルブリンディ城が揺れた。すべてのものが宙に浮き、床に叩きつけられる。
「おい、大丈夫か」
 とっさにローニをかばったシグルズが立ちあがって言う。
「なんとかな」
 アルスィオーヴが頭を抱えながら起きあがる。だが、アルヴィースは床に倒れたまま、身じろぎもしなかった。すぐさま、シグルズが怪我をしていないか調べる。
「気を失っているだけだ」
「世界が滅びる時がきたの? みんな死んじゃうの?」
 ローニが恐怖を目に宿らせて聞く。
「いや、ヘイムダルの角笛が聞こえなかったから、違うだろ。〈最後の戦い〉が始まるときは、角笛を吹くことになってるんだから」
「結界が破られた」
 意識を取り戻したアルヴィースが弱々しくシグルズの手を払って起き上がり、頭を抱えた。
「なんだって」
「〈闇の妖精〉の王が、結界を破ってしまった。やつの力をみくびっていたよ。フュルギヤの部屋にいかなければ。姫が危険だ。兄上、わたしを連れて行ってくれ」
 立ちあがろうとしてよろめいたアルヴィースは、シグルズに手を伸ばして言った。
「そんなこと言ったって、おまえ、ふらふらしてるぜ」
 アルスィオーヴが心配して言う。
「結界を守ろうとして反撃されたんだ。いいから連れて行ってくれ」
 シグルズはアルヴィースに手を貸し、立ち上がらせた。





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