ラグナレク
第四章 守る者・7 フュルギヤの部屋は嵐が通っていった後のようなありさまだった。机や椅子はひっくり返り、どっしりとした家具も倒れ中に入っていた物が散乱している。 閉めておいたはずの寝室の戸も開いてしまっていたが、寝室のほうはうそのようになにも動いていなかった。フュルギヤは何事もなかったようにベッドで眠っている。 「水晶に術をかけておいてよかった。あれが彼女を守ったんだ」 力を使い果たし粉々に砕け散った水晶を見て、アルヴィースが言い、足をふらつかせながらフュルギヤに近づいた。 「何重にも張った結界が破られたばかりか、ディースの護符の力が乱されている。〈闇の妖精〉の王は姫の心の中に入っていったんだ。今のうちならば、わたしも中に入れる」 「わたしにできることはあるか?」 シグルズが、困った顔をして聞く。魔力の戦いとなると魔道士ではないシグルズが、アルヴィースを手助けすることはできない。 「わたしの意識がない間、わたしが殺されないように見張っていてくれ」 そう言うと、アルヴィースはフュルギヤの額と胸に手を乗せ呪文を唱え意識を失った。
「破られたわっ」 ディースが蒼白になって叫ぶとともに、フュルギヤは胸が剣で刺されたような痛みに襲われ倒れ込んだ。気泡が意思ある者のように近づき、フュルギヤとディースを包み込む。 「これは」 ディースはフュルギヤを守るように抱きしめた。二人は舞踏会が行われている広間にいた。着飾った人々は彫像のように動かず、ベストラ王妃がスリーズ王の剣に倒れている。 ゆっくりとスリーズ王が、ディースにしがみついているフュルギヤへ向いた。彼の目は血走り、口から泡を吹いている。フュルギヤはなにがなんだか理解できないままに、金切り声を上げた。 「〈闇の妖精〉の王の仕業だわ。フュルギヤ姫、これはあなたのただの記憶なのよ。今、起こってることじゃないわ。冷静になって」 しかし、フュルギヤにはディースの言葉も耳に入らず、スリーズ王の剣から逃げようと半狂乱になって走り出した。 「アーナル、自分の娘の心を壊すつもりなの」 ディースは、広間全体に聞こえるように叫んだ。 「おまえが余計なことをしなければ、こんなまねをせずにすんださ」 アーナルは彫像と化した人々の後ろから現れた。ディースへ手をむけて、青白い光を発する。 「消えろ。亡者め」 「助けて、フュルギヤ姫」 ディースは光を受け、消えまいと歯を食いしばりながら叫んだ。だが、悲鳴を上げて逃げ回るフュルギヤの耳には届かない。 「無駄だ。フュルギヤはそれどころではないよ」 アーナルは笑みを浮かべて、魔法を強めようとした。そのとき、広間そのものが歪んだ。アーナルは姿勢を崩し、ディースはその隙にフュルギヤに駆け寄った。 「そうよ、その調子。この世界を操りなさい。ここはあなたの心なのよ。あなたがこの世界を支配するの」 フュルギヤはわかっているのかいないのか、目を閉じ頭を抱えた。広間が歪みねじれ、脈打った。アーナルがやめさせようと近づいてくる。 「フュルギヤ姫、このまま、アーナルを心の中から締め出して」 広間は丸められた紙のようにくしゃくしゃになり、遠のいていく。だが、アーナルは広間と一緒に消えてなくならなかった。なにもなくなった空間に平然と立っている。 「わたしまで締め出そうとは、ひどいじゃないか」 アーナルはあの忌々しい猫なで声を出した。 「おまえはそれほど父が嫌いかい?」 アーナルは今度こそディースを消そうと、手をあげた。フュルギヤがディースの前に立ち塞がる。 「ええい、どけ」 アーナルはフュルギヤを突き倒した。フュルギヤは地面に倒れたが、すぐに起きあがりまたディースを背後にかばった。 「おまえは父の邪魔をするのか」 「あなたなんか、親じゃないわ」 「娘だからこそ、今まで生かしてやったんだよ。そのありがたみがわからないとは悲しいね。わたしはいつだっておまえのことを心配しているんだ。いいかい、おまえは、その女がアルヴィースの恋人だということがよくわかっていないようだね。アルヴィースはおまえではなく、この女を愛しているのだよ。そんな女をかばってどうする」 フュルギヤは顔色を変えた。 「嘘言わないで。アルヴィースはちゃんとフュルギヤ姫を愛してるわ」 ディースが叫ぶ。 「おや、そうかな。〈光の妖精〉が〈闇の妖精〉を愛すことなどあるのか? いつだって、〈闇の妖精〉が〈光の妖精〉に恋し、いいようにあしらわれて身を滅ぼすのさ。アルヴィースはおまえの気持ちを利用しているだけだ」 「そんなことないわ。フュルギヤ姫、あいつの言葉に惑わされないで」 「ござかしい女め。フュルギヤ、どかないというのなら、その女とともに苦しむぞ」 アーナルの手の中に、針のような光の束が現れる。 「やめてっ。ここはフュルギヤの心の中なのよ。そんなことをすれば、フュルギヤは死んでしまう」 「いや、殺したりはしないよ。発狂ぐらいはするかもしれんがね」 アーナルは冷酷な笑みを浮かべて言った。
銀光のきらめきとともに、アーナルは背後に下がった。手に持っていた光の束が地面に落ち、アーナルは苦々しげな顔をする。 「アルヴィースッ」 ディースは叫んだ。フュルギヤの前に剣を構えたアルヴィースが立っている。 「おいおい、そんな無茶をしてはだめだよ。きみの命はもうつきかけているじゃないか。なのに、二人を助けるために、命がけでここまでくるなんて。それでは《スヴァルトアルフヘイム》に来る前に、死んでしまうよ」 「今すぐ、ここから出ていってもらおう」 「おや、きみはわたしに命令できるほど、偉くなったのかね。死に損ないの〈光の妖精〉のくせして」 「その死に損ないの力を、喉から手がでるほどほしがっているのはおまえだろう。いいのか、わたしが死んでも。わたしの力が手に入らなくなるぞ」 「うぬぼれるな。おまえの力など、わたしの力に比べれば、たいしたものではない」 「そうか」 アルヴィースは剣を構えなおし、アーナルに切りかかった。アーナルの手に銀色に輝く光の剣が現れ、アルヴィースの剣を受けとめる。 「剣は、シグルズに任せたほうがいいんじゃないか。きみはたいした腕ではないよ」 アーナルはアルヴィースの腹を狙い、アルヴィースは身軽に後ろへ退いた。 「逃げるのがうまいことだけは認めてやろう」 アーナルは立て続けに、アルヴィースを攻撃した。頭へ、腕へ、そして胸へ、アルヴィースはそのすべてを避けきり、つき返した。今度はアーナルが身を翻す。 「わたしに怪我をさせようなんて、無理な話だよ」 アーナルが余裕の笑みを浮かべる。 「フュルギヤ姫、アルヴィースに力を貸して。世界を歪ませて」 ディースがフュルギヤにそっと囁く。フュルギヤは精神を集中させようと目を閉じた。少しずつ、空間が動き始める。 波のように地面が揺れ始め、アルヴィースが足を滑らせた。アーナルが高らかに笑いながら剣で突く。アルヴィースは転がって剣を避けると、アーナルの足を払った。アーナルが転ぶまいと体勢を整えようとした瞬間、飛び起きたアルヴィースは剣を前に突き出し、アーナルの胸へ飛び込んだ。アーナルが信じられぬと言う顔で、アルヴィースを見る。 「今のわたしがただの幻であることを忘れるな。実体のわたしをおまえごときが殺せると思うな」 アーナルは血を吐き姿を消した。アルヴィースが片膝をつく。 「アルヴィース」 フュルギヤは怪我でもしたのかと駆け寄ろうとし、足を止めた。アルヴィースの目にはディースしか映っていない。世界から光が消えていく。 「ディース」 アルヴィースは闇となった世界に火を灯した。炎に照らされるディースを見つめ、泣き出しそうな顔をする。ディースもアルヴィースから目を離せないでいる。 「きみは……」 「なぜ、きたの? すぐに戻って」 ディースの強い口調にフュルギヤは驚いた。 「あなた、自分の命を削ってること、わかってるの。こんな無茶をしたら死んでしまうわ」 「〈闇の妖精〉の王が、彼女の心に入ったのがわかったんだ。ほうってはおけないだろう」 「もう大丈夫よ。だから帰って」 ディースは冷たく言い、アルヴィースに背を向けた。 「ディース、なぜ、こんなことを?」 「なぜって、〈闇の妖精〉の王の魔法が、フュルギヤ姫の魔法が働くのを邪魔しているからよ。その魔法を取り除くの」 「なぜ、きみがそれを知っている?」 「ヴィナディース神から聞いたのよ。あなたと別れようかと迷ってるとき、ヴィナディース神殿に行ったらお告げがあったの。だから、ヴィナディース神の力を借りて姫の魔法を解くことにしたの。さあ、わかったら、早く出ていって」 「わからない。なぜ、きみはあのとき……」 「ひどいわ」 フュルギヤは唐突に叫んだ。 「二人とも愛し合ってるのに、なぜ、わたしを巻き込んだの。わたしを愛してるなんて嘘を言ったの」 フュルギヤは泣きながら、駆け出した。 「いけない。アルヴィース、後を追って」 ディースは叫んだが、アルヴィースは動かなかった。 「なにをしてるの。後を追いなさい」 「ディース、わたしはきみを」 「ばかなこと言わないで」 「ディース、わたしがきみを失って喜ぶとでも思ったのか」 「しかたなかったのよ。こうするより他になかったの」 「そうまでして、わたしを生き延びさせてなにをしろと」 「あんなに《アルフヘイム》に帰りたがっていたじゃないの。ギースルやフィアラルに会いたくないの? 死んだら帰れないわよ」 「わたしにそんなことを言えるのか。きみは死んだんだぞ」 「ねぇ、アルヴィース、わたしたちここでずっと言い争っていなくちゃいけない? わたし、時間がないのよ。わたしがここにいられなくなるまで、あなたとけんかしてるの? わたしのやろうとしてること全部、無駄にしちゃうの?」 アルヴィースは頭を振り、ため息をついた。 「なにをすればいい?」 「わたしに笑ってさよならして。それからフュルギヤ姫を説得してから、出て行ってちょうだい。外に出たら、〈闇の妖精〉の王がまた中に入ってこないように見張ってて」 「いろいろと注文が多いな」 「そうね。さあ、笑って」 「きみも笑ってほしいな」 お互いに寂しげな笑みを浮かべ、すぐに視線をそらした。 「さよなら」 アルヴィースは振り向こうともせず、フュルギヤの去っていった方向へ向かった。
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