ラグナレク・4−8

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ラグナレク


第四章 守る者・8



 フュルギヤはなにもない闇の中で、膝を抱えて泣いていた。アルヴィースが近づくと背を向けたまま、「こないでよ」と叫ぶ。アルヴィースは、当惑気味に足を止めた。
「なんで結婚しようなんて言ったのよ」
 フュルギヤは振り向きざま、指輪をはずしてアルヴィースに投げつけた。指輪はアルヴィースに当たり、澄んだ音をたてて闇の中に消えた。
「わからない」
 アルヴィースはとまどったようすで、しかし、しっかりとフュルギヤを見て答えた。
「わからないって、なによ」
「きみに死んでほしくないと思ったら、そう言ってた」
「なによ、自分がいい男だから、結婚を餌にすれば死なないだろうって思ったわけ」
「そうかもしれない」
「は、狙い通り生きててよかったわね。あんなひどい思いして生き延びたわたしが、ばかみたいだわ」
「悪いことをしたと思っている」
「謝ったぐらいですむわけないじゃない。ひどいわ。ナールもあなたもだましてたなんて。好きでもないくせに、結婚なんて言わないでよ」
「きみが、嫌いなわけじゃないさ」
「好きでもないんでしょう」
「いや、好き……だと思う」
「なんで口ごもって言うのよ。ディースとわたしを見る目、ぜんぜん違うわ。ディースになら、愛してるって言えるんでしょう」
 アルヴィースは困った顔をして髪をかきあげた。
「言えと言われて言えるような言葉じゃないだろう」
「でも、ディースには言ったことあるんでしょう」
「まぁ、何回かは」
「わたしには言ってくれる人なんかいない」
「そんなことはないさ」
「あなたなんか、〈闇の妖精〉の王に殺されちゃえばいいんだわ」
「わたしを殺すのは、きみさ」
 フュルギヤは目を丸くした。
「わたしが〈滅ぼす者〉なんだ。予言できみに殺されることになっている」
「あなた、わたしに殺されるって知っていて、わたしを生き延びさせたの」
「まぁ、そうなるな」
「ずいぶん、ばかなことをしたわね」
「かもしれない」
「ディースもばかだわ。わたしがうまく魔法を使えるようになったら、あなた困るわよ」
「わたしを殺したいのなら、抵抗はしないよ。ただ、わたしが死んだら、きみ一人で〈闇の妖精〉の王と戦うことになる。それとも〈闇の妖精〉の王と手を組むのかな」
「わたしを説得しようっていうの?」
「いや、事実を言っているだけさ」
「わたし、戻ったらあなたを殺すわ」
「それでもいいさ」
「ディースもばかね。なんでこんなことをするのかしら」
 アルヴィースは悲しげに目を閉じた。フュルギヤは泣いているのかしらと思う。
「確かに命を失ってまですることじゃないな」
 アルヴィースはそう言うと姿を消した。

 


 ほんの少しだけ、世界に光が射しはじめた。アルヴィースと入れ代わりにディースが現れ、フュルギヤに話しかける。
「わたしと一緒に魔法を解放しに行ってくれる?」
「ディース、あなた、どうして死んだの?」
 フュルギヤは途方に暮れたようすで言った。
「別れたことを嘆いたわけじゃないわ。わたしには魔力がないから、あなたを導くためには、命を捧げるしかなかったのよ」
「わたしのために死んだって、なんにもならないのよ。わたしの魔法を解放したりしたら、アルヴィースを殺すわ」
「あなたは、そんなことはしないわ」
 確信を持ってディースは言う。
「どうしてそんなこと言えるの? 予言では、わたしは彼を殺すのよ」
「でも、あなたは殺さないわ。あなたは彼のことを愛しているんですもの」
「愛してなんかいないわ」
「自分の思いを偽らないで。あら、婚約指輪が落ちてるわ。ちゃんとはめていなくちゃだめよ」
 ディースは、フュルギヤが投げた指輪を拾った。
「いらないわ。嘘の結婚なんていやよ」
「嘘じゃないわ。彼は本当にあなたを愛しているわ」
「彼はそんなこと言わなかったわ」
 それを聞いて、ディースはため息をついた。
「アルヴィースはあなたが〈闇の妖精〉の血をひいているから、戸惑っているのよ。偏見に邪魔されて、素直に愛してるって言えないんだわ」
「そんなの信じられないわ」
「そう? だったら、なぜ、殺されるとわかっていてあなたを生き延びさせたのかしら。〈闇の妖精〉の王にあなたが殺されるのを黙って見ていればいいのに、命を削ってまでして助けにきたのはなぜかしら。ガグンラーズにくる旅だって、かなり命がけだったのよ。好きでもない相手にここまでできるかしら。もうっ、わたしにこんなこと、言わせないで。だんだん腹が立ってきたわ」
 ディースは怒りを振り払うように、頭を振った。それでも、フュルギヤは信じようとしなかった。
「わたしを利用したいからよ」
「そんなに信じたくないのなら、信じなければいいわ。そうやって、ずっと子どもみたいに自分の中に閉じこもって、ただをこねていなさい。この指輪はアルヴィースのお母様のとても大切な形見なの。いらないっていうのなら、わたしがもらうわ」
 ディースは指輪を自分の指にはめて、フュルギヤによく見えるように手を掲げた。フュルギヤは顔色を変えて、ディースの手から指輪を取り返し自分の指にはめた。
「これはわたしがもらったのよ」
 取られないようにしっかりと手をにぎって言い、ディースが笑う。
「そのぐらいの気持ちでいないと、アルヴィースをだれかにとれちゃうわよ」
 それから、真顔になってディースは言った。
「ねぇ、フュルギヤ姫、よく聞いてちょうだい。アルヴィースは、早く呪いを解いて〈アルフヘイム〉へ帰らなければ、死んでしまうのよ。いますぐ死んだっておかしくない状態なの」
 はじめて聞いた話に、フュルギヤは愕然とした。
「そんな大事なこと、わたし、聞いてないわ」
「あなたを心配させまいとして言わなかったんでしょう。フュルギヤ姫、わたしはどうしても彼に生き延びてほしいの。あなたもそう思わない?」
 フュルギヤは黙ってうつむいた。
「さぁ、行きましょう。わたしにも時間があまりないの。わたしがここにいられなくなる前に、あなたの魔法を解放しなくては」

 


 また白い道が現れた。気泡がさきほどと同じように生まれては消えていく。フュルギヤは黙って目を閉じてディースに手を差し伸べた。ディースもなにも言わずに、彼女の手をにぎって歩き出す。世界に射す銀色の光が少しずつ強くなっていった。
「これを見て」
 しばらくしてディースが言い、フュルギヤはおそるおそるディースが指差している気泡を見た。それはベストラ王妃の部屋を映し出していた。赤ん坊のフュルギヤが揺りかごの中で笑っている。そばには彼女の誕生を喜ぶスリーズ王とベストラ王妃がいた。二人がいなくなると、今度は〈闇の妖精〉の王が現れた。フュルギヤは、また〈闇の妖精〉の王が、心の中に入りこんできたのかとディースを連れて逃げようとする。
「違うわ。これはあなたの記憶にある〈闇の妖精〉の王なの」
 ディースはもう一度、気泡を見るように言う。〈闇の妖精〉の王は揺りかごの中の彼女に銀色の魔法をかけるところだった。
「このとき、あなたが魔法をうまく使えなくなるように魔法をかけたのよ」
 ディースが説明をする。
「どうせなら、全部使えないようにすればよかったのよ。そうすれば塔に閉じ込められたりしなかったわ」
 フュルギヤが怒って言う。
「彼は時期がくるまで、だれにも見つからないようにあなたを閉じこめておきたかったのよ。ファグラヴェール王国の魔道士に見つかるのが、早くても遅くても計画が狂ってしまうから」
「いやな奴ね」
 フュルギヤは言ってから、なんの気なしにディースに目をやり自分の目を疑った。ディースの姿が薄らいでいる。ディースを通して、気泡がうっすらと見えた。
「ディース、なんだか変だわ。あなた、今にも消えてしまいそう」
 こんなところで一人ぼっちになってしまうのかと、フュルギヤは不安になる。
「そうよ、もうすぐ消えてしまうの。その前に魔法を解放しなくちゃね。急ぎましょう。後、もう少しでつくわ」

 


 道の先には、フュルギヤより少し大きい光球があった。フュルギヤはこれからどうするのだろうと、ディースを見た。彼女の姿はかすかにしか見えなくなっている。フュルギヤは彼女が消えたりしないようにと願って、彼女の手を強く握り締めた。
「間に合ってよかった。あれがあなたの中心。あとはあなたがあの中に入って、〈闇の妖精〉の王の魔法を取り除くだけよ」
「あなたは一緒にきてくれないの?」
 すがるような目で、フュルギヤはディースを見た。
「ごめんなさい。わたしはもうここにはいられないの。死者は死者の世界に帰らなくちゃ」
「こんなところでお別れ? わたしをおいていってしまうの?」
「そう、これでもう二度とわたしがあなたを悩ますことはないわ。せいせいしたんじゃない?」
 フュルギヤは首を横に振った。
「あなたのことは怒ってないわ。ずっと一緒にいてくれればいいと思う」
 ディースは微笑んだ。
「そう言ってくれるとうれしいわ。でも、もうだめなの。さあ、わたしがここにいるうちに、行ってちょうだい」
 ディースはフュルギヤの背中を押した。フュルギヤは数歩進み、立ち止まってディースを見た。
「わたし、あの中に入ってどうすればいいの?」
「入ればわかるわ。さあ、早く行って。わたしはもう消えてしまうわ」
 フュルギヤはせかされて、指先だけ光る球に触れてみた。球形のものは物質ではなく、光でできていた。振り返ってディースに「やっぱり、お別れしたくないわ。一緒にいましょう」と言おうとしたが、中からだれかにひっぱられるように強い力で光の中に吸い込まれてしまった。
 さまざまなフュルギヤをなすものが、混沌となってフュルギヤに襲いかかってくる。フュルギヤは自我の渦の中に自分を見失いそうになり、悲鳴をあげた。
 鳥肌がたつような嫌悪感をもたらす細い糸が、何度もフュルギヤにまとわりついてくる。フュルギヤはなにがなんだかわからないまま、その不快な糸を引き千切っていった。





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