ラグナレク・4−9

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ラグナレク


第四章 守る者・9



 気がつくと、世界が変わっていた。輝く糸がフュルギヤの寝室に張り巡らされ繭のように部屋を囲っている。
 これが結界なんだとフュルギヤは目を見張った。結界は腕のよい織物師が織った布のように、さまざまな色の魔力の糸で編まれている。魔力がこれほど美しいものとは知らなかった。だれかが無理やり押し入ったのか寝室の戸のある部分が大きく破れ、結界としての力が失われてしまっている。
「あの糸が、わたしの力を邪魔していた魔法だったんだわ」
 フュルギヤはあの不快にからみつく糸を思い出して言った。あれは蜘蛛の巣のようにフュルギヤの心の隅々にまで広がっていた。なにもかも混沌とした心の中に、フュルギヤの魔力を封じ込めた魔法の中心があった。フュルギヤはなにもわからないまま、不快に感じるその魔法の糸を引き千切り、心の中から追い出したのだった。
 寝室の隅に赤い炎に包まれたアルヴィースが座っていた。薄い青の瞳が冷たい鬼火のようだ。彼は炎の精ゆえに、全身を燃え上がらせているように見えるのだろう。フュルギヤは彼の炎に勢いがないのが気になった。 「すいぶんかかったな。あれから二日も眠っていた」
 アルヴィースが言う。
「そんなに眠っていたの」
「眠っていたのは、全部で四日だ」
「まぁ、そんなに」
 フュルギヤが起きあがろうとして手を動かしたとき、灰となった護符が崩れていった。
「護符がなくなっちゃった」
 毛布の上にこぼれた灰を見つめ、フュルギヤは悲しげに言う。アルヴィースはなにも言わずにうなずき、腰に下げていた剣を鞘ごとフュルギヤに投げた。
「なに?」
 反射的に受取り、尋ねる。
「わたしを殺すには剣があったほうがいいだろう。一突きで頼むよ。苦しみたくない」
「いやよ」
 フュルギヤはアルヴィースに剣を投げ返した。
「あなたを殺したら、ディースの死が無駄になっちゃうわ。あなた、それでもいいの?」
 アルヴィースが片方の眉をあげる。
「気が変わったのか」
「そうよ、殺すのはやめたの。それに、このあなたの大事な指輪も返してあげないことにしたの」
「いいさ、ずっと持っていてくれ」
 躊躇いもなく言われ、フュルギヤの顔がやや赤くなった。
「あなたと結婚するとは言ってないわよ」
「わかっている」
「わかってる? わたしがあなたと結婚したくないってどうしてわかるの」
 アルヴィースが意外そうな顔をする。
「わたしのことを怒っているのだろう」
「怒ってるわ。怒ってるわよ」
 むっとしたように言ってから、フュルギヤは急に悲しげになった。
「ねぇ、ディースとはもう会えないのかしら」
「死ねば会うかも」
「死ぬのはだめよ。わたしが許さないわ。それにディースだって怒るわ。死んだりしたら、なんで死んだのってディースに追い返されちゃうわよ」
 アルヴィースが軽く笑う。
「確かに言われそうだ」
「これはなに」
 フュルギヤは小卓に小さな山を作っているわずかに赤い透明な砂を指差した。
「きみに渡された水晶さ。直したんだが、〈闇の妖精〉の王に壊されてしまった。もう一度直すよ」
「もういいわ。ああ、とってもお腹が空いた。菜園に行ってなにか食べてくるわ」
「行くのはいいが、〈闇の妖精〉の王に結界を壊されたままなんだ。城の中は安全だとはいえなくなったから、気をつけてくれ」
「壊された」
 フュルギヤはばかのようにアルヴィースが言ったことを繰り返した。
「大変、すぐに直さなくっちゃ」
「悪いが、今のわたしにそれだけの力はない」
 フュルギヤはディースからアルヴィースの命が短いと聞かされたことを思い出し、胸がちくりと痛んだ。このまま光溢れる《アルフヘイム》に帰れなければ、アルヴィースは死んでしまうのだ。
「食べてから、わたしがやるわ」
「魔法が使えるようになっても、きみには無理だよ」
 アルヴィースが苦笑して言う。
「じゃあ、またあなたがわたしの力を使って結界を作ればいいわ」
「あれは、簡単に何度もできる技じゃないんだ」
 疲れきったようすでアルヴィースが言い、フュルギヤは落ち込んだ。魔法が使えるようになれば、なにもかもうまくいくというわけではないらしい。
「とにかく、食事をしてきてくれ。そのあと、ゆっくり話そう」

 


 妖精としての力を取り戻したフュルギヤは、目に入る物すべてに驚くこととなった。以前使われた魔力の痕跡が、城のいたるところにぼろぼろになった糸となって点在していた。アルヴィースが魔道を使って魔物を退治した跡もあり、炎の竜が通った跡が薄れていく赤い糸として残っている。フュルギヤが糸に触れると、彼女の手を火傷させてから消えていく。
「うかつに触っちゃいけないってことね」
 フュルギヤは、火傷した指を口にくわえて言った。

 


 地下の菜園を見たフュルギヤはさらに驚いた。アルヴィースによって広げられた洞窟は魔道と魔法だけではなく、炎の精であるアルヴィースの髪までもが絡みあい、暖かく明るい世界を作りだしている。
 ただ少し今のフュルギヤには光がまぶしすぎた。菜園の中に入るとこれまでは感じなかった「ここは自分の世界ではない」という違和感を覚える。
 果物の味も変わっていた。一口ごとに果物から生気を取りこんでいるのが感じられる。フュルギヤは前にアルヴィースがまずいと言った意味がわかった。本来、実りの精がやる仕事を炎の精であるアルヴィースがやったため、どこか偽物めいて味気なかった。
 そういえば、アルヴィースが使った魔道や魔法には、どれも炎の糸があった。炎の精であるということはそういうことなのだろう。フュルギヤは自分が魔力を使うと、どれにも月の光の糸が混じるのだろうかと考えた。
「おや、やっと目が覚めたんだな。もし元気なら、それ食べてから手伝ってくれないか。大変なことになってんだ」
 食料を取りにきたアルスィオーヴがうれしそうに言う。フュルギヤはアルスィオーヴから、妖精の名残りといった程度の風の気配を感じた。
「いいわ。なにかあったの?」
「結界が壊れたとき城が大揺れしてさ、広間の連中が大怪我したんだ。死人も出たんだよ」
「まぁ、知らなかった」
「お姫さんは、眠ってたから知らなくて当然さ」
 アルスィオーヴは言った。
「ねぇ、わたし、魔法が見えるようになったの。今なら、あなたが元妖精だってことがよくわかるわ」
「へぇ、妖精の力が発揮できるようになったんだな。めでたいじゃないか。そのためにあんなに眠っていたのか」
「そうよ。生まれ変わった気分だわ。見えるものがなにもかも変わってしまったの」
「おれも昔はそんなふうに世界が見えていたよ」
 アルスィオーヴは懐かしそうな顔をする。
「力を失って悲しくなかった?」
「ずっと前にアルヴィースにも聞かれたな。最初は不自由したけど、慣れちまえばなんてことないぜ。なにも見えない人間だって、ちゃんと生きていけるんだからな」
「でも、見えれば苦労しないですむことがたくさんあるわ」
「だから、人間は魔道を作ったのさ」
「アルヴィースは、魔道も魔法も使えるのね。すごいわ」
「なに言ってるんだい。お姫さんもそうなるんだろ」
 アルスィオーヴに言われ、フュルギヤは自分にもこんな大作ができるのだろうかと、菜園を見回した。





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