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ラグナレク・5-1

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ラグナレク


第五章 黄昏の世界・1



 使用人が使う大部屋のベッドは、シグルズとアルスィオーヴによって広間から連れてこられた人々で埋まっていた。彼らは〈闇の妖精〉の王が起こした地震によって大怪我をしていた。広間からでることもなく、長らく充分な食事をとることがなかった彼らの体は砂糖菓子のようにもろく、床や壁にぶつかっただけで、たやすく骨が折れてしまっていた。
 だれもがベッドの上で、枯れ枝のように折れてしまった骨の痛みに苦しんでいる。医者ではないシグルズとアルスィオーヴは、彼らに応急処置をしてやることしかできず、まったく知識のないローニにいたっては、顔を蒼ざめ目をうるませて部屋の中をおろおろするばかりだった。唯一、医学の知識のあるアルヴィースは眠っているフュルギヤが再び〈闇の妖精〉の王に襲われるのを防ぐため、かたときも彼女のそばを離れるわけにはいかなかった。アルスィオーヴがフュルギヤも大部屋に移せばいいのではないかとアルヴィースに提案したが、人々がフュルギヤを殺そうとしたらどうするんだと言われ、撤回した。
 フュルギヤが眠っている間に、四人の者がシグルズたちの手当ての甲斐もなく死んでいった。あと三人もじきに後を追うだろう。
「遅くなってすまない。やっと姫が目を覚ましたんだ」
 アルスィオーヴが食事の材料を取りに菜園へ行き、シグルズとローニで怪我人の看病をしているとき、疲れた顔のアルヴィースが大部屋の戸口に現れ、シグルズは顔を明るくした。
「よかった。姫は無事か」
 シグルズがほっとして言う。
「心配ないよ。彼女はわたしよりもずっと元気だ。それよりも、この者たちが問題だな。さっそく手当てしよう」
 アルヴィースは、よほど疲れているのか重い足取りで大部屋に入り、怪我人たちを見回した。
「わぁい、やっとみんなを治してくれるんだね」
 ローニが魔道でみんなの怪我を治してもらえると歓声をあげ、アルヴィースに抱きつく。
「ローニ、過剰な期待はしないでくれ。魔道を使えるからといって、なんでもできるわけじゃないんだ」
 アルヴィースは言い、それでもアルヴィースがなんでも解決してくれると信じて疑わないローニを引き離した。やせこけてはいるが目を輝かせ元気なローニとは対称的に、アルヴィースは疲労が蓄積した生気のない顔をしていた。
「おまえ、平気なのか」
 シグルズが心配して言う。
「わたしのことは心配ない。兄上は大量に湯を沸かして、清潔な布を用意してくれ。わたしは、治療を始める前に必要な薬草を菜園からとってくるよ。ローニも手伝ってくれるか」
「行く、行くっ」
 ローニは元気よくうなずくとアルヴィースと一緒に地下の菜園に向かった。

 


「人食い姫だっ」
 菜園で食事をしていたフュルギヤは突然の声に驚き、食べていたりんごを落とした。入り口にアルヴィースと骸骨のようにやせた見たこともない子供が立っていた。子どもは真っ青な顔でアルヴィースの足にすがりつき、フュルギヤを指差している。
「ローニ、そんなことを言うんじゃない」
 芋を掘っていたアルスィオーヴが手を止めて、ローニを注意する。
「大丈夫だ。彼女はなにもしない」
 アルヴィースは、安心させようとローニを抱き上げた。ローニが震える手で、アルヴィースにしがみつく。
「大丈夫じゃないよ。人食い姫は、王と王妃を殺して食べちゃったんだ」
 ローニがアルヴィースにわかってもらおうと必死で言い、フュルギヤは目を大きく見開いて口を押さえた。
「ローニ、やめるんだ」
 アルヴィースはローニの口を押さえて黙らせたが遅かった。フュルギヤは蒼白な顔をし、走って出ていこうとする。菜園から出る階段の前にいたアルヴィースは、立ち塞がってフュルギヤを止めた。
「きみは人の肉を食べていない。〈闇の妖精〉にだまされていたんだ」
 アルヴィースはきっぱりと言い切り、フュルギヤは一瞬、きょとんとした。それから、少しずつ、その言葉が頭にしみていくにつれ、銀色の瞳が満月のように明るくなっていった。
「わたし、食べてないの」
 フュルギヤが、顔を輝かせて言う。
「ああ、食べてなんかいない。だから、ローニもそんなことを言うんじゃない」
「嘘だったんだ」
 ローニがアルヴィースにしがみつくのをやめて言う。フュルギヤは急に身体の力が抜けてしまい、へなへなと地面に座り込んだ。
「食べてなかった」
 フュルギヤはうわ言のようにつぶやく。
「お姫様、大丈夫?」
 アルヴィースに下ろされたローニが、心配そうにフュルギヤをのぞきこむ。
「しっかりしてくれ。手伝ってほしいことがあるんだ」
 アルヴィースはフュルギヤの頬を叩いて言ったが、フュルギヤはわかっているのか、いないのかぼんやりとうなずいただけだった。アルヴィースがしかたなさそうに立ちあがる。
「アルスィ、彼女に水を飲ませてやってくれ。わたしはローニと薬草を集めて、怪我人たちの手当てをしなければならないんだ」
「それはいいけどさ」
 アルスィオーヴはアルヴィースの腕を取り、フュルギヤとローニに聞こえないところまで移動した。
「嘘だろ、食べてないってのは。本当に食べてなかったら、地下牢から戻ってきたときにそう言ったはずだ。おまえ、そういう嘘はよくないぜ。後々ばれたときに大変なことになるぞ」
 小さな声で言う。
「いや、魔物を食べていたのは本当だ」
 じゃあ、なんであんなに怒ってたんだよとアルスィオーヴが言う前に、アルヴィースは言葉を続けた。
「その先は聞かないでくれ」
「あん?」
 アルスィオーヴが、けげんな顔をする。
「なにも考えるな。この話はこれで終わりだ」
 アルヴィースは反論を許さない調子で言い、ローニと薬草を集めに行ってしまった。残されたアルスィオーヴは、「真実を知りゃいいってわけじゃないってことか」と独りごちると、水を取りに菜園を出ていった。

 


 アルスィオーヴの介抱で正気づいたフュルギヤは、アルヴィースが手伝ってほしいと言っていたと聞き、軽やかな足取りで使用人用の大部屋へむかった。人の肉を食べていないと知ったフュルギヤは、いままで鉄の塊のように心に重苦しくのしかかっていた罪悪感や嫌悪がすっかり消えてなくなり、数ヶ月ぶりの晴れやかな気分になっていた。月夜に浮かれた妖精のようにダンスのステップを踏みながら廊下を進んでいくが、大部屋につくと浮かれ気分はたちまち消えてしまった。
 開け放たれた戸口から、包帯を血に染め苦痛に顔を歪ませている人々の姿と、真剣な面持ちで彼らを手当てするアルヴィースとシグルズが見えた。まだ子どものローニも、険しい顔で懸命に薬草をつぶしている。フュルギヤは大部屋を支配する重苦しい空気に圧倒され、中に入ることを戸惑った。
 ベッドの上で身を起こし壁によりかかっていた者が、ふと、戸口に立ったままのフュルギヤに目を止めた。初めはだれだろうという目で見ていたが、彼女がフュルギヤであることに気づくと、恐怖で引き裂かれんばかりに大きく見開かれる。
「人食い姫だぁ」
 今にも食い殺されそうな叫びが、人々の理性を吹き飛ばした。悲鳴をあげる者、傷口が開くのもかまわずにベッドから飛び降りてしまう者、部屋から逃げようとする者、人々は制御を失った本能のままに騒ぎ暴れた。アルヴィースたちが何事かと部屋を見渡し、フュルギヤを見て事態を悟った。シグルズが急いで部屋から飛び出してしまった怪我人を部屋に戻すと、フュルギヤを部屋から連れだし、しっかり戸を閉めた。
「ごめんなさい。こんなことになるなんて」
 フュルギヤは手伝いをしにきたつもりが、かえって邪魔になってしまったとシグルズに謝る。
「きみが悪いわけじゃないさ」
 シグルズが言ったとき、戸の向こうで半狂乱になった人々を落ちつかせようとしていたアルヴィースが「静かにしろ」と癇癪を起こして怒鳴る声が聞こえた。
「手に負えないらしいな。きみはアルスィのほうを手伝ってくれないか」
と、シグルズが部屋に戻ろうとしたとき、アルヴィースが戸をあけた。
「あんなに姫を怖がるとは思わなかったな。もう大丈夫だ。二人とも入ってくれ」
 彼は一歩下がり、フュルギヤが通れるように戸口をあけた。アルヴィースの背後には、フュルギヤに食われてしまうものと信じきった人々が、凝視すればそれが結界となりフュルギヤが入ってこられないとでもいうように一心に戸口を見つめている。
「でも、わたしは入らないほうがいいと思うわ」
 フュルギヤは、彼女を怖がる人々を恐れて大部屋から後ずさった。彼らに化け物のように扱われるたびに、胸がえぐられるような痛みを感じる。
「たぶん、もう平気だ。いいから入ってくれ。人手がいるんだ」
 アルヴィースはフュルギヤの気持ちや騒ぎ立てる人々のことなどおかまいなしに、命令口調で言った。しかたなくフュルギヤは人々にまた騒がれるのではないかと心配しながら、アルヴィースの後ろに隠れるようにして、おそるおそる部屋に入った。
 アルヴィースの言うとおり、人々はもう騒がなかった。だれも悲鳴をあげることはせず、フュルギヤは少しだけ身体の力を抜き、アルヴィースの後ろに隠れるのをやめた。
「どうやったんだ」
 シグルズがアルヴィースに聞く。
「怒鳴っただけだ。この者たちはわたしに逆らえば殺されるとでも思っているらしいな。兄上は、今の騒ぎで包帯が緩んでしまった者たちを見てくれないか。姫はわたしを手伝ってくれ」
 アルヴィースはすぐさま手当てを再開した。フュルギヤはそれでもまた悲鳴をあげられてしまうのではとびくびくしながら、アルヴィースに言われるままに彼の隣へ座った。頭に怪我をした男が身体を硬直させ恐怖の目でフュルギヤを見る。フュルギヤは悲鳴をあげられるか、罵声を浴びせられるかを覚悟したが、彼はアルヴィースの顔をうかがうようにちらと見ただけで、なにも言わなかった。
 アルヴィースは男のようすを気にもせず、手早く頭に巻かれた布を取ると、湯で傷を洗ってから傷に手を当て呪文を唱え、ローニがつぶした薬草を塗り手際よく新しい包帯を巻いた。そして、次の怪我人へと移り、同じように手当てをしていく。フュルギヤはアルヴィースの指示に従い、傷を洗うための湯を運び、包帯にするための布を切り、ローニから薬をもらいとせわしく働いた。要領よくとはいかなかったが、フュルギヤはどうにかアルヴィースの役に立つことができてうれしかった。
「少し休んだほうがいいわ」
 何人の怪我人を手当てしただろうか。フュルギヤはアルヴィースの顔が蒼白どころか、白蝋でてきた人形のように血の気がなくなっているのに気づいた。治療をするのに、魔力を使っているのだ。ただでさえ弱っている体に堪えないはずがない。案の定、アルヴィースは身を丸めて咳込んだ。口を押さえた手の間から血が滴り、床に落ちる。驚いたフュルギヤがシグルズを呼ぼうとしたとき、アルヴィースが騒ぐなと身振りで止めた。
「たいしたことじゃない」
 咳が止まると、アルヴィースは怪我人たちの血をふくための布で手や床についた血をふき、かくしから薬を出して飲んだ。
 心配になったフュルギヤは妖精としての目で彼を見た。すると、アルヴィースの体をとりまく炎が、風に吹き消される寸前の炎のように心もとなくなっている。
「そんなのうそよ。今のわたしにはちゃんとわかるもの」
「だからと言って、彼らをほうっておくわけにはいかないだろう。それにあと二人で終わる」
 アルヴィースはフュルギヤを押しのけ、別の怪我人の横へ移った。
「やり方を教えてちょうだい。わたしがやるから」
 今度は、フュルギヤがアルヴィースを押しのけて言う。
「きみには医療の知識がないんだ。すぐにはできないよ」
 フュルギヤは自分は役立てないのかと唇をかんで悔しそうに目を伏せると、怪我人の前からどいた。
「あまり無理をしないで。今にでも命の炎が消えそうで、とても怖いのよ」
「そう簡単に死ぬ気はないさ」
 アルヴィースは薄く微笑んだ。その笑みがあまりにはかなげで、なおさらフュルギヤを不安にさせた。





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