ラグナレク
第五章 黄昏の世界・2 ようやく治療は終わり、人々はアルヴィースが飲ませた薬のおかげで心地よい眠りに落ちていった。シグルズたちは彼らを起こさないようにと居間に戻り、疲労困憊したアルヴィースはすぐに寝室で眠りについた。 「もうすぐ、彼は死んでしまうわ」 フュルギヤは寝室に入るアルヴィースを不安げな目で見送った後、思いつめたようすでシグルズたちに言った。長椅子に腰掛けたシグルズが重々しくうなずき、暖炉に火をおこしていたアルスィオーヴがいたずらが見つかった子どものような顔をする。アルスィオーヴの後をくっついて回っていたローニがなんのことかと、目を丸くする。 「お姫さん、知っちゃったんだ」 アルスィオーヴが言う。 「二人とも知っていたのね。どうしてそんな大事なこと、今まで教えてくれなかったの。いつだって、わたしだけなにも教えてもらえないんだわ」 フュルギヤは腹を立て、シグルズとアルスィオーヴを責めた。 「それはわたしも同じだ。アルヴィースの命が短い事を知ったのは、ここにきてからだ」 シグルズがいらだたしげに言い、アルスィオーヴがひきつった笑みを浮かべる。 「あんたは、自分の頭を使って気づけってんだよ。少しは、魔道の国として名高いファグラヴェール王国の王子としての自覚をもたんかい」 「魔道はアルヴィースの専門だ。わたしは武道のほうで名を上げているんだから、いいじゃないか」 「だったら、自分にだけ隠してたとかなんとか言うなよ」 「わたし、ぜんぜんわからなかったわ」 なにもわからないと劣等感を持ったフュルギヤが言う。 「お姫さんは妖精のことをなんにも知らないんだから当たり前だよ。心配かけたくないから黙ってたの」 「でも、教えてほしかったわ。早く〈闇の妖精〉の王を倒して《アルフヘイム》に行かなければならないんでしょう。どうして、すぐに出掛けないの。今すぐ行きましょう」 フュルギヤはいますぐにでも旅立ちそうなようすをみせる。 「あのなぁ。お姫さんも、そのかわいい頭をちょっと使ってくれよ。ここについた途端、〈闇の妖精〉の王がいるわ、魔物がいるわ、広間の連中は飢えてるわ、お姫さんが倒れちゃうわ、いったい、いつ出掛けられたっての。それに、今だって、面倒みなきゃいけない怪我人がいるし、アルヴィースは疲れきってるんだぜ。旅なんて無理だよ」 その言葉に、フュルギヤは力なく長椅子に座った。 「でも、こんなことしてる間に、アルヴィースは死んじゃうわ」 「わかってるっての。お姫さんは余計なこと考えないで、魔道の勉強をしてなさい。お姫さんが魔道を使えるようになったらすぐに出かけるから」 アルスィオーヴが安心させるように言う。フュルギヤは魔道の書が読めずに困っていたことを思い出し、魔道の書を持ってくるとアルスィオーヴの前に広げた。 「これ読める?」 「おれが読めるわけねぇじゃん。シグルズに聞けよ」 アルスィオーヴは、シグルズに魔道の書を渡した。シグルズがいやそうな顔をする。 「神聖語か。二度と見たくなかった言葉だな」 ため息混じりに言う。 「読めるの?」 意外そうにフュルギヤは言った。 「魔道に力を入れているファグラヴェール王国の王子が、読めないわけにはいかないからな。どこが読めない?」 「全部」 フュルギヤが言い、ローニが「ぼくにも教えて」と面白いゲームでも教わるように言った。
翌朝、アルスィオーヴが大部屋の人々に食事をさせようとスープの入った鍋を持っていくと、怪我に苦しんでいる者はだれもいなかった。重傷な者は苦痛にうめくことなく深い眠りを満喫し、比較的傷が軽い者は目を覚まして、囁くようになにやら話こんでいる。アルスィオーヴは昨日まで死にかけていた人間をここまで回復させることができるアルヴィースはたいしたもんだと、心の内で感嘆した。 「出て行ってくれ」 アルスィオーヴは部屋に入るなり、いきなり人々に言われ、鍋を持ったまま唖然とした。 「なんだって」 「これ以上、おれたちをひどい目にあわせないでくれ」 人々はまるでアルスィオーヴたちのせいでひどいめにあったような言い方をする。アルスィオーヴは腹を立てるよりも、どうしてそんなことを言われなければならないのか理解できず、あっけにとられた。 「おれたちがいつひどい目にあわせたってんだよ。助けてやったんじゃないか」 「もうおれたちにかまわんでくれ。食料をおいて、人食い姫と一緒に出て行ってくれ」 人々はまったくアルスイオーヴの言い分を聞こうとしなかった。彼らはアルスィオーヴがなにを言っても、アルスィオーヴたちがきたせいで、こんな目にあったという思いこみを変えなかった。 「要するに、あんたら、助けてもらったお礼に、食料ももたずに危険な外に出てけって言ってんのかよ」 ようやく、アルスィオーヴは腹を立てて言った。 「あんたらは、魔力があるから魔物に囲まれても生きていけるだろ。わしらは、もう魔力に関わりたくないんじゃ。早くここから出て行ってくれ」 「あのな。アルヴィースが魔道を使わなかったら、あんたらは食事もできなかったし、広間から出られなかったし、怪我だって治療してもらえなかったんだぞ。あいつは自分の命を削ってこれだけのことをしたんだぜ」 いくらなんでもアルヴィースが命がけでやったことに対してこの態度はひどすぎると、アルスィオーヴは憤慨した。それに対して、人々は冷やかな答えを返す。 「おれたちは頼んでない。あんたらが勝手にやったことだ」 「そうかよ。じゃあ、あんたら、都合よく食事をもらえるなんて思わないこったな」 怒りで腸が煮え繰り返ったアルスィオーヴは、人々が口々に責める言葉を無視して、彼らに食べさせるつもりだったスープを持って自分たちの居間へと帰った。
「どうした」 居間でローニとフュルギヤに魔道の書を読んでやっていたシグルズが、めずらしく憤慨しているアルスィオーヴに聞いた。アルヴィースは疲れが取れないらしく、まだ寝室で眠っている。 「どうしたもこうしたもねぇよ。連中、おれたちに食料をおいて出ていけだってよ」 「まぁ、なんてこと」 フュルギヤが驚いて長椅子から立ちあがり口を両手でおおう。 「ガグンラーズの者らしい言い分だな。彼らに戦う体力がなくてよかった」 こうなることを予期していたのか、シグルズが冷静に言う。 「おれはもう連中の世話、焼かねぇからな。勝手に飢え死にしちまえってんだ」 「おいおい、だからって食事を渡さずに、持ってきてしまったのか」 シグルズが驚いて言う。 「あんな言い方されて、おとなしく食べさせる気になるかよ」 「だからと言って彼らを飢え死にさせるわけにはいかないだろう。しかたない。あとで、わたしが持っていくよ」 「ちぇ、ものすごく腹がたつなぁ」 アルスィオーヴは乱暴に椅子に座り、ふんぞり返った。 「怪我がよくなって動けるようになったら、菜園の場所を教えて、自分たちで食べるように言えばいいわ」 フュルギヤが言う。 「そんなことをしたら、おれたちに食料をよこさねぇように、連中、乗っ取るに決まってるじゃないか」 「どうして、そんなことを?」 アルスィーオーヴの言う事がわからず、フュルギヤは聞いた。 「魔力を持つ者を死刑にするガグンラーズの者だからな。魔力を持つだけで罪悪であり、それに味方するも罪悪なんだ」 シグルズが教えてやり、フュルギヤは力なく頭を振った。 「父が死んだから、もうそんなことはないと思っていたわ」 「スリーズ王が初めて魔力を持つ者を死刑にする法をつくったが、排他的な風潮は昔からあったんだ」 「んで、シグルズはそういうことをよっくわかっていて、どうするつもりなんだよ」 「出ていけと言われずとも、我々はアルヴィースが旅立てるようになったら、《スヴァルトアルフヘイム》に向かうんだ。菜園から旅に必要な分だけの食料を取って、後は連中の好きにさせるさ」 「アルスィ、どっかに行っちゃうの」 ローニが不安そうに言う。 「あ、いけね。ローニのこと、どうしよう。連れていくわけに行かねぇもんな」 「《スヴァルトアルフヘイム》から戻ったら、迎えにくればいいだろう。ここは《スヴァルトアルフヘイム》に近いから、二、三週間ほどで戻ってこられる」 「そっか。そのぐらいなら、ローニも待ってられるよな」 「そんなのいやだよ」 そのとき、外から鉄がきしむような音が聞こえ、彼らははっと窓のほうを見た。大きな黒い影が空を飛んでいた。 「また、魔物が入ってきたな」 アルスィオーヴがうんざりして言う。 「倒せばいいことさ」 シグルズが剣を取って部屋を出ていった。 「アルヴィースが一生懸命やったのに、また城の中も危険になっちまったな。まぁ、この部屋は結界が張ってあるから安全だけどよ」 アルスィオーヴが言う。 フュルギヤは自分に外の結界を直せないかと窓に近寄り、城を覆うように張られた結界に目を凝らした。魔力の糸が他のいかなる魔力の糸も通さないほど、緊密に編まれている。やや上方に無理やり引き千切ったような人が通れるほどの穴があいているが、あれが〈闇の妖精〉の王が破った跡だろう。これほど隙間なく編まれた結界を破るのは、かなりの力が必要だったに違いない。 あの穴を塞げば、もう魔物は入ってこられない。フュルギヤはそう思ったが、どうすれば穴を塞げるのかわからなかった。自分にはまだ無理だと落胆し、ここしばらく見ていなかった空へ目を向けた。隙間なく空を覆った深紅の雲が以前より低くなっていた。岩よりも重く硬い雲が世界を包みこみ、じわじわと押しつぶそうとしている。フュルギヤはのしかかってくる雲に圧倒され、思わず後ずさった。今にも城の上に落ちてきそうだ。 「あーあ、こりゃ、あんまり時間が残ってねぇなぁ。ユクドラシルまですっかり枯れちゃって、じきに倒れるな」 アルスィオーヴも空を見て言う。彼の言うとおり、世界を支える巨大な樹木ユグドラシルが、遠目にも枯れてしまい上に載せている〈神の世界(アースガルド)〉の重さに耐えかね傾いている。 「もう落ちてくるの」 ローニが怯えてアルスィオーヴの足にしがみついた。 「落ちてくるって?」 フュルギヤがなんのことかわからず聞く。アルスィオーヴが天を指差した。 「天上にある《アスガルド(神々の世界)》が落ちてくるんだよ。そんで、《ニブルヘル(死者の世界)》が地上に現れて、《アルフヘイム(光の妖精の世界)》と《スヴァルトアルフヘイム(闇の妖精の世界)》がぶつかるんだ。そして、種族同士の戦いが始まってみんな死ぬ。それが〈滅びの時〉さ」 それを聞いて、フュルギヤは血相を変えた。 「大変だわっ。どこに逃げればいいの」 うろたえて部屋の中を歩き回る。 「お姫さん、今ごろ、ぴんときたのかよ。逃げ場所なんてどこにもねぇから、世界が滅ぶって言われてんだよ」 アルスィオーヴが言い、フュルギヤは愕然とした。 「でも、アルヴィースがどうにかしてくれるんでしょ」 「神々がなにもできないのに、どうしてアルヴィースにできるんだよ。だれにも滅びは止められないよ。それにアルヴィースは〈滅ぼ者〉って言われてるんだから、なんとかするなら、〈守る者〉って言われてるお姫さんだろ」 「わたし、そんなことできないわ」 「ねぇ、ほんとにどっかに行っちゃうの」 ローニが取り残される不安を目に宿らせて、アルスィオーヴを見上げる。 「いますぐじゃねぇから安心しな。さぁて、おれは、菜園に行って食料を集めてくるか。せっかくアルヴィースが命がけで作ったのに、ちっとも感謝しねぇ連中にとられちまうなんて腹がたつよな」 アルスィオーヴが言う。 「わたしも手伝うわ。結界の穴は塞げないけど、そのぐらいならできるから」 「ぼくも手伝うよ」 ローニがいい子にしていれば連れていってもらえるとでも考えたのか、必死になって言った。
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