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ラグナレク・5-7

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ラグナレク


第五章 黄昏の世界・7



 フュルギヤは鍛冶場の隅で身を丸めて座っていた。鍛冶場が暑いくらいに暖かいため、雪に濡れた服はすっかり乾いていた。フュルギヤはまだアルヴィースのマントを羽織ったままであることに気づき、身体からはずして抱きしめた。吹雪の中に出ていってしまったアルヴィースは凍えたりしないのだろうかと心配する。
「やや、男がきれいな娘っ子をおいていった。おれにくれたのか」
 ふいにフュルギヤを振り返り、エイキンスキアルディが言った。フュルギヤはぎくりとして身構える。エイキンスキアルディがうれしそうに近づき、手を伸ばしてくる。
「違うわ。すぐに戻ってくるわよ」
 慌ててエイキンスキアルディの間違いを訂正すると、エイキンスキアルディは叩かれでもしたかのように手を引っ込めた。
「戻ってこなかったらどうするんだ、おまえ」
 ものほしそうにフュルギヤを見つめながら、エイキンスキアルディが言う。
「ちゃんと戻ってくるわ。仲間を呼びに行っただけだもの」
「外はひどい吹雪だ。生きて戻ってこられるわけがねぇ」
「ひどいこと言わないでよ」
 フュルギヤが怒ると、エイキンスキアルディは殴られでもしたように頭をかばい身を縮めた。見かけによらず、気が弱いらしい。
「おれはほんとのことを言っただけだよ。怒らんと、飯でも食いな。腹減ると機嫌悪くなる」
 エンキンスアルディは〈闇の半妖精〉の娘っ子は怖いとぶつぶつ言いながら、奥の部屋から干し肉とパンとぶどう酒を持ってきた。
「これはなんの肉?」
 フュルギヤは、まさか人ではあるまいと警戒して聞いた。
「牛の肉に決まってるだよ。他になにがあるってんだい」
 エンキンスアルディは当然のように言い、フュルギヤは安堵の息を吐いた。
「牛なんてまだいるの?」
「今は、知らんよ。この肉は、まだ空が青い頃、捕まえたときのもんだ。人間はばかだから共食いしたり魔物食ったりしてるけどよ、黒小人は賢いから、食べ物がなくなったときのことを考えて、たくさん食べ物をとっておいたんだ」
 フュルギヤはガグンラーズ国でも、そうしておけばだれも飢えることがなかったのにと思いながら、かび臭いパンを口にしぶどう酒を飲んだ。寝かしすぎたらしく酸味がききすぎていたが、飲めなくはない。肉のほうは牛と言われても食べる気にならず、かくしに入れた。
「おや、よっぽど、腹が減ってたんだな。もっと食べるかい」
 フュルギヤが肉をかくしに入れるところを見ていなかったエンキンスアルディは食べたものと思って言った。
「あなたの食べ物が足りなくならないのなら、パンをもうひとつほしいわ」
 たいして腹がすいてはいなかったがアルヴィースの分ももらっておこうと思い、フュルギヤは言った。
「おれの食料は、きれいな娘っ子にやったぐらいでなくならないよ。あんたがずっといてもなくならないよ」
 エンキンスアルディはそう言うと、もうひとつパンを持ってきた。
「さて、そろそろまたふいごを押さなきゃな。あんたに女神だってうらやましがるようなきれいな服と靴をつくってやるよ」
 窯の前に座り、エイキンスキアルディは思い出したようにフュルギヤを振り返った。
「ああ、眠くなったら、そこの干草で寝るがいい」
 エンキンスアルディはまたふいごを押しだし、フュルギヤはパンを持って、窯から一番遠いところにある干草の上に移動した。岩が剥き出しの床に座っているよりはずっといい。眠るつもりはなかったが、ぶどう酒の酔いがほんのりと回り今が夜中であることも手伝って、いつのまにか眠ってしまった。

 


 稲妻が大気の焼ける匂いをさせながら、大地に落ちてきた。積もった雪が音をたて一瞬にして水蒸気となる。
 吹雪の中を駆けていたアルヴィースは悪態をつき、岩陰に隠れた。怒り狂った雷の神フロールリジが上空から出てこいと叫ぶ。運命の女神たち(ノルニル)が教えたのか、フロールリジはアルヴィースが《ウルズの泉》の水を飲んだことを知っていた。何度も稲妻を落としてはアルヴィースに出てこいと怒鳴る。
 幸い、吹雪のおかげで視界が悪く、フロールリジにはアルヴィースを見つけることができなかった。だが、アルヴィースのほうも岩陰から出ることができず、シグルズたちを探しに行くことができない。
 今ごろ、シグルズたちはどうしているのだろう。うまく運命の女神たち(ノルニル)から逃れていてくれればいいのだが。
 アルヴィースがなにも答えずにいると、フロールリジは、更に激しく雷を落としていった。立て続けに閃光が走り、空が切り裂かれる。このままではいずれ雷に当たってしまうとアルヴィースが考えていると、雷が止んだ。かわりになにか乾いた大きな物が重さに耐えかねきしむ音が、上空から聞こえてきた。
「おまえのせいでユグドラシルの寿命が縮まった」
 フロールリジが叫ぶがいなや、ユグドラシルの枝が落下した。《アスガルド(神々の世界)》の一部も大地にぶつかり、粉々に砕ける。その衝撃で《ミッドガルド(人間の世界)》は揺れた。アルヴィースはやむなく、地割れに落ちないよう岩陰から出、身体を宙に浮かせると、フロールリジからの攻撃に身構える。ところが、崩れた《アスガルド》のようすを見に戻ったのか、雷の神の姿はなくなっていた。アルヴィースは地上に降りるとシグルズたちは無事だろうかと、吹雪の中を急いだ。

 


 大地がはねあがり、フュルギヤは驚いて飛び起きた。黒小人の家のあらゆる物が飛びはね騒々しく音をたてる。
「なにが起きたの?」
 フュルギヤは顔を蒼ざめさせて言ったが、エイキンスキアルディは何事もなかったようにふいごを押している。
「そんなことをしてる場合じゃないでしょう」
 少しも慌てないエイキンスキアルディにフュルギヤは怒ったが、それでもエイキンスキアルディはふいごを押すのをやめなかった。
「ここの家はなんともないよ。世界が滅びても平気だよ」
 エイキンスキアルディが平然として言う。
「いったいなにがあったの?」
「知らないよ。わかってるのは、この家はなにがあっても平気だってことさ」
 アルヴィースたちはどうしたろうと心配しながら、フュルギヤは戸を少しばかり開けて外を覗いたが、まだ吹雪が激しく、見えるのは赤い雪ばかりだった。フュルギヤはアルヴィースの姿を見つけることができず、落胆して干草の上に座った。不安で仕方ないがすることもなく、ずっとふいごを押しているエイキンスキアルディを見ていた。彼は額に汗をかきながら、ひたすら窯の火を煽っている。
 彼はいつまでもふいごを押していた。あまりに長い間、エイキンスキアルディがふいごを押していたため、彼が違う動きをしたときフュルギヤはびっくりした。彼は会心の笑み浮かべて、窯の中から月の光のような色合いのドレスと靴を取り出す。
「きれいな娘っ子にぴったりのができたよ。すぐに着てくれ」
 エイキンスキアルディはいかめしい顔をできるかぎりほころばせて、フュルギヤに渡した。フュルギヤは喜んで受取りすぐに光沢を持つ白いドレスに着替えようとしたが、エイキンスキアルディがじっと見ていたためにやめた。
「きれいな娘っ子、そのドレスいやか」
「違うわ。向こうを向いてちょうだい。着替えるのを見られたくないの」
「きれいな娘っ子。きれいな裸見られるのいやか。おれ、醜いけど、いやじゃねぇぞ」
「いいからむこう向いてちょうだい」
 フュルギヤはいらだって反対の方角を指差した。
「きれいな娘っ子、飯やったのに、すぐ怒るな」
 それでもエイキンスキアルディは後ろを向いたので、フュルギヤはうっかり振り向かれないうちにとすばやく着替えた。ドレスは着なれた服のようにしっくりとした。光の加減で白いドレスは虹色の光を放ち、フュルギヤを喜ばせた。
「まぁ、きれいだわ」
 フュルギヤは喜んで、まだ後ろを向いたままのエイキンスキアルディの頬にくちづけすると今度は靴を履いた。
「その靴をはいてりゃ、絶対に転ぶことがないよ」
 真っ赤になったエイキンスキアルディがフュルギヤにキスされた頬に手を当てて言う。フュルギヤは試しに歩いてみたが、どんなに乱暴に歩いても足音がしなかった。
「雪の上も歩けるよ」
 エイキンスキアルディは自慢げに言い、フュルギヤは素直に喜んだ。
「すごいわ。あなたってすごいのね」
 フュルギヤはうろたえるエイキンスキアルディの手をとって、ダンスを始めた。ドレスのすそが軽やかに舞い、かかとの高い靴はぐらつくことなく滑らかに足を運んだ。
 足をよたつかせながら相手をしていたエイキンスキアルディは、フュルギヤがダンスをやめるとほっとしたようすで言った。
「手袋とマントも作ってやるから、もうちょっと待ってな」
 またも、がらくたとしか思えないような物を窯に放り込み、ふいごを押し出す。
 少しだけ気持ちが明るくなったフュルギヤは今度はどんな物ができるのだろうと楽しみにしながら、窯を見つめた。





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