ラグナレク
第五章 黄昏の世界・8 「ほれ、できたよ」 どのくらい時間がたってしまったのか、フュルギヤがここにきて三度目の食事をしているとき、エイキンスキアルディが得意げにマントと手袋を差し出した。アルヴィースはまだ帰ってきていない。心配でしかたのないフュルギヤは礼を言い、エイキンスキアルディが期待しているとおりに身につけた。 手袋とマントはわずかに青みを帯びた白だった。ドレスのように輝くような色合いではなく、光をしっとりと包み込んでしまうような落ちついた色合いだった。 「どうだい。気に入ったかい」 エイキンスキアルディは意気込んで言ったが、アルヴィースのことで頭が一杯だったフュルギヤは少々気のない返事をした。 「気に入ったわ」 「きれいな娘っ子、喜んでない」 「違うのよ。アルヴィースが戻ってこないから心配なの。わたしがここにきてから、どれくらいたったのかしら」 「一日かも、二日かも。そんなのおれになんの関係がある。世界が滅んでも、おれには関係ないよ。おれは死ぬときに死ぬし、死なないときは死なない。世界のことなんかこれっぽっちも関係ねぇ。きれいな娘っ子、女みたいにきれいな男、帰ってこなかったから、ずっとここにいるがいい。ここはずっとおんなじだ。世界が滅んでも変わんねぇ」 「いやよ、そんなの」 フュルギヤは塔にいた頃を思いだし、つい激しく言った。 「おれといるのいやか。女みたいにきれいな男といるのがいいか」 エイキンスキアルディが傷ついた顔をする。 「そうじゃないの。わたし、ずっと塔の中に閉じ込められていたの。世界がどんなに変わっても塔の中は同じで、とても幸せで、それがここと同じだって思ったのよ」 「幸せなのに、いやなのか」 「外のことをなにも知らないから、そう思っただけなのよ」 「知らないまんまでいりゃよかったんだ」 「そんなのいやよ。なにも知らないでなんにもわからないで、死ぬなんてわたしいやよ。そんなの生きてるかどうかわかんないじゃない。つらくたって大変だって、だれかの役にたったり、だれかを好きになったりしたほうがずっといいわ」 「そのだれかって、あの女みたいにきれいな男のことだな。きれいな娘っ子、恋してるだ。でも、〈光の妖精〉は〈闇の妖精〉嫌いだよ。いつだってそうさ。〈光の妖精〉、〈闇の妖精〉嫌いだから、闇の世界に追い払っちまったのさ。きれいな娘っ子、どんなに恋したってだめだよ。太陽に当たった黒小人みたいに、あんまり悲しくって灰になっちまうさ」 フュルギヤは反論することもできずに、アルヴィースからもらった指輪を見つめた。 「それ、黒小人が造ったものだな。服のお礼にそれほしい」 エイキンスキアルディは、指輪をじっと見て言った。フュルギヤはとられまいと手を強くにぎりしめた。 「これはだめよ。アルヴィースからもらった大事な指輪なんだから」 「〈光の妖精〉からもらった指輪、大事か。そんなもの捨てちまえ」 「だめよ」 フュルギヤは怒って言い、エイキンスキアルディは取り上げようとするのをやめた。 「だったら、お礼になにくれる? ドレスの料金、なにで払う」 「アルヴィースが帰ってきたら払うわ」 「女みたいにきれいな男、帰ってこなかったら、どうする。ずっとおれと暮らすか」 「わたし、アルヴィースを探してくるわ」 エイキンスキアルディは、戸の前に立ち塞がった。 「今出てくなら、指輪よこせ。いやなら、服を返せ」 いかめしい顔のエイキンスキアルディが怒ると凄みがあった。フュルギヤは怯えて後ずさった。 「みんなを見つけたら、アルヴィースはちゃんと戻ってくるわ」 フュルギヤは泣きたくなりながらも、必死で言った。 「そのドレス、まだおまえのじゃない。おれの盗んだら、きれいな娘っ子、泥棒だ。〈光の妖精〉よりひどいやつだ」 そのとき、戸を叩く音がした。 「アルヴィースだわ」 フュルギヤはエイキンスキアルディを押しのけ、急いで戸を開けた。アルヴィースが転がるようにして中に入ってくる。吹雪はまだやんでいなかった。 「まあ、大変。凍えてるわ」 アルヴィースに触れたフュルギヤは驚いて叫んだ。いつもは燃えるように熱い彼の身体が、氷のように冷たくなっていた。すぐにアルヴィースのマントと自分の真新しいマントをかけてやる。 「お願い。アルヴィースにぶどう酒をちょうだい」 フュルギヤは不快そうにつったっているエイキンスキアルディに頼んだ。 「なんで、女みたいにきれいな男、助けてやらなきゃいけない?」 エイキンスキアルディは帰ってこなければよかったのにという目で、アルヴィースを見る。 「エイキンスキアルディ、意地悪しないで持ってきてちょうだい」 フュルギヤが困って涙ぐむと、エイキンスキアルディはうろたえた。 「お、おれの名前ちゃんと言えたな。いいよ、持ってきてやる。パンと干し肉もいるかい」 「持ってきて」 フュルギヤは火が激しく燃える窯の近くにアルヴィースを引きずるようにして連れていった。アルヴィースが咳込み、血を吐く。 「やや、女みたいにきれいな男、〈光の妖精〉の血を吐いた。もうすぐ死んじまうんだ」 ぶどう酒を持ってきたエイキンスキアルディが言う。 「いやなことを言わないで」 フュルギヤはぶどう酒を受け取り、ぐったりとしているアルヴィースを抱き起こすと少しだけ飲ませた。 「もっと飲む?」 フュルギヤがもう一度、ぶどう酒を飲ませようとするとアルヴィースは顔をそむけた。 「どこにもいなかった」 ぽつりと言う。 「シグルズたちがってこと?」 アルヴィースはうなずいた。 「一緒にいるべきだった。いない間になにかあったんだ」 「きっとどこかで生きてるわ。見つからなかっただけよ」 アルヴィースは持ってきた荷物を弱々しく指差した。 「アルスィの荷物が雪に埋もれていたんだ。それ以外、なにも見つからなかった」 「それで戻ってくるの遅かったのね。大丈夫、二人とも生きているわ」 フュルギヤはアルヴィースを励ますように抱き締めると、確信を持って言った。 「なぜ、そう言い切れる?」 「だって、あなたよりよほど死にそうもないもの。シグルズもそうだけど、アルスィって、世界が滅んでもしっかり生き残ってる感じがしない?」 それを聞いてアルヴィースは弱々しく笑う。 「きみらしい考えだ」 「吹雪がやんだら、一緒に探すわ」 「それは無理だ。神々がわたしの命を狙いはじめた。彼らはわたしが《ウルズの泉》の水を飲んだことを知っているんだ」 「まあ、これからどうするの」 「予定通り、《スヴァルトアルフヘイム》に行くさ。そこなら、神々は追ってこない。〈闇の妖精〉の王はいつもうまく考えているよ」 「〈光の妖精〉が〈闇の妖精〉の王に会いに行くのか」 エイキンスキアルディが驚いて言う。 「おまえは、王のことをどう思っている」 アルヴィースはしっかりとエイキンスキアルディの目を見て聞いた。 「おれにゃ、〈闇の妖精〉の王だろうが、〈光の妖精〉の王だろうが、関係ないね。料金払ってくれる奴にいい品物作るだけのこった。そうだ、おまえまだ料金払ってないよ。おれ、きれいな娘っ子に、指輪よこせって言ったら断わられた」 アルヴィースはフュルギヤの膝の上で寝返りを打ち、フュルギヤのはめた指輪を見た。 「よくもまあ、おまえたち黒小人は、一番大切なものに目をつけるな。だが、これはだめだ」 「ほかのものはいやだね」 エイキンスキアルディがきっぱりと言う。 「そうかい。それじゃ、これはいらないのか」 アルヴィースは短剣をエイキンスキアルディに投げて渡した。 「おおっ、これは竜の牙だ。これでいい」 黒光りする刃先を見たエイキンスキアルディは感激して言い、棚に置いた。 「どうしてそんな物を持っているの?」 フュルギヤがアルヴィースに聞く。 「子供の頃、竜退治をした兄上がおみやげにくれた牙を短剣にしたのさ」 「そんな大事な物、あげちゃっていいの」 「シグルズはずいぶん竜を倒したからな。城の宝物庫には、竜の牙やら骨やらいくらでもあるよ」 「ふいご、押すのやめるまで、ここにいていいよ」 エイキンスキアルディは機嫌良くそういうと、ふいごを押し始めた。
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