ラグナレク
第六章 滅びの時・2 「もう追ってこないな」 何度も狭い横道へ入り、かなり遠くまできたところで、アルスィオーヴは倒れるように座りこんだ。くじいた足で無理に走ったために痛みを通り越して感覚がなくなっている。肋骨の折れた胸のほうは焼きごてを当てられているようだ。 「いや、動きがにぶいから追いつけないだけだろう。死人はあきらめることを知らないから、いずれ匂いを追ってやってくる」 シグルズがうれしくもないことを言う。 「それでも、少しぐらいは休めるだろう」 アルスィオーヴは額の脂汗を手の甲でふいた。シグルズは松明で彼を照らし驚いた。アルスィオーヴは全身血まみれで顔を蒼ざめさせている。 「ひどいな、これは」 「当たり前だろ。あんたみたいに鎧みたいに硬い皮膚をしてるんじゃねぇんだ。心配すんな、深い傷はねぇよ。それにアルヴィースの荷物にゃ薬草がたんまり入ってるから、薬にゃ事欠かねぇ。ただちょっと休ませてくれ」 アルスィオーヴは痛みを堪えるために大きく息を吐くと、荷物から止血用の薬草を出し、手でもみ足に塗りこんだ。 「すまない」 シグルズが手当てを手伝いながら言う。 「自分が傷つかないものだから、他の者は怪我をするということをすぐに忘れてしまう」 「なに言ってんだよ。あんたが覚えてたって、あんなに死人にかこまれりゃ、どうやったって怪我をするよ。それより血の匂いにひかれて魔物がよってこないように見張っててくれ」 「わかった」 シグルズは乾いた苔を集めて燃やし、焚き火をはさんでアルスィオーヴの向かい側に座った。 「ううっ、あったけぇや」 アルスィオーヴは身震いして火に手をかざす。 「まったく《ニブルヘル》軍に出会っちまうなんてついてねぇなぁ。よく生きて逃げられたもんだ」 胸の痛みに顔をしかめながら、アルスィオーヴは荷物の中に食べ物がないか探したが、見つかったのは苦いドーヴィンの実だけだった。 「アルヴィースのやつ、こんなもんしか食べないつもりだったのかよ」 「アルヴィースによればそれだけで生きていけるらしいからな」 シグルズは自分の荷物から水と干した果物を取り出し、アルスィオーヴに渡そうとしたが彼は水だけ受取り果物は断わった。 「あいつは薬になるとも言ってたからな。この際、こっちを食うよ」 いやそうな顔をしながらもドーヴィンの実を水とともに飲みこむ。 「傷がそんなに痛むか」 傷の痛みなど記憶の彼方にしかないシグルズは、いつもならなるべくまずい物は食べないようにするアルスィオーヴがドーヴィンの実を食べるのを見て、それほど痛みがつらいのだろうかと考えた。 「骨が折れてるんだから、当たり前だろ。でも、元妖精だから、治りはただの人間よか早いよ。少し眠ったらよくなってる」 「なら、眠ってくれ。わたしが見張っている」 「そうさせてもらうよ」 アルスィオーヴはマントをしっかりと身体に巻きつけ、ごろりと火のそばに横になった。
音をたてて激しく燃える炎を閉じこめた窯のそばで、アルヴィースは荷物に寄りかかって眠ってしまった。早くも《ウルズの泉》の効き目が薄れてしまったのか、顔色がひどく悪い。フュルギヤは眠りやすいようにと彼の頭を膝にのせてやった。 「女みたいにきれいな男は、得でいいなぁ」 エイキンスキアルディがふいごを踏みながらちらりとフュルギヤを見て言う。フュルギヤはなんのことを言っているのだろうと、きょとんとする。 「きれいな娘っ子、そいつがおれみたいに醜かったら、そんなに大事そうに膝枕するか?」 フュルギヤが、ぎょっとする。 「アルヴィースはあなたみたいじゃないわ」 「それはおれみたいだったら、鼻もひっかけねぇってことだな」 二人の話し声に目を覚ましてしまったのか、アルヴィースは起きあがりフュルギヤから離れた。 「わたしみたいな外見がほしいのなら、交換しようか」 アルヴィースは、エイキンスキアルディに向かってにやりとして言う。 「いやよ」 フュルギヤが血相をかえてアルヴィースにしがみつき、アルヴィースはそっけない態度でそれを払った。エイキンスキアルディが、興味深く二人のようすを見る。 「女みたいにきれいな男、あんまり、そのかっこ、好きじゃねぇな」 「いちいち、女みたいなと言うな。わたしは男で、アルヴィースという名前があるんだ」 気分を害したアルヴィースは言い、エイキンスキアルディは笑った。 「でも、女はみんな、女みたいにきれいな男、好きだぞ」 「だったら、おまえが見目のよい動く人形でもつくってやればいいだろう」 「はっはっ、そりゃいい。あんた、おもしろいやつだな」 エイキンスキアルディは、膝を叩いて笑った。 「こんな話のどこがおもしろいの」 今度はフュルギヤが不機嫌になって言う。 「きれいな娘っ子、すぐ怒る。怖い、怖い」 エイキンスキアルディは身を震わせると、ふいごを踏むことに注意を戻した。 アルヴィースは、持ってきた荷物の中身を床に広げた。首飾りや指輪、飾りから削り取ったらしい宝石や黄金が出てくる。 「どうも重いと思ったら、アルスィオーヴのやつ、こんなにも盗んでいたのか」 アルヴィースは怒るのを通り越して、あきれてしまった。 「ファグラヴェールの物まである。よくもまぁ、こんな役に立たないものを重い思いをして持ち歩いてたもんだ。それですぐに疲れた、疲れたと言ってたんだな」 「ほぅ、すごいお宝だ」 エイキンスキアルディが、宝を覗きこんで言う。 「ふいごを踏むのをやめていいのか。せっかくの物がだめになるぞ」 アルヴィースの言葉にエイキンスキアルディは慌てて、ふいごを踏みに戻る。「アルスィオーヴみたいな奴だな」とアルヴィースが軽く笑う。 「小人はみんな、宝が好きさ。小人は醜いからきれいな物が好きなんだ」 「竜も一部の妖精も、宝が好きさ。これはおまえにやるよ」 エイキンスキアルディは顔を輝かせて宝に近寄ろうとし、ふいごから離れてしまったことに気づいて急いで戻った。 「あんた、気前がいいやつ。顔が女みたいにきれいなやつだけど、醜い者、やさしくしてくれるとってもいいやつだ」 「その、女みたいにと言うのは、やめろと言った」 不機嫌にアルヴィースが言う。エイキンスキアルディは、いたずらめいた顔をする。 「あんた、ほんとのこと言われるの嫌いだな。ほんとのことはほんとのことだよ。きれいなものはきれいなんだよ。醜いものにきれいとは言わねぇよ」 「そうか、わかったよ」 アルヴィースは無愛想になって、アルスィオーヴの荷物から必要なものだけを袋の中に入れると立ちあがった。 「行こう」 アルヴィースはマントをつけなおし、フュルギヤに言う。 「もう行くの? もっと休んだほうがいいわ」 蒼白な顔のアルヴィースを心配して言う。 「時間がないんだ。こうしてる間にも世界が崩壊していく」 「だめだ、だめだ。おれの作品ができないうちに行くなんて許さないぞ」 エイキンスキアルディは怒ったが、今度はふいごから離れようとはしなかった。 「待ってなどいられない。すぐに《スヴァルトアルフヘイム》に行かねばならないんだ」 「だったら、《スヴァルトアルフヘイム》への近道を教えてやるから、そこにおとなしく座ってな」 「ほんとうか」 アルヴィースが期待に目を輝かせて聞く。 「作品ができたら、すぐに教えてやるよ」 「それではだめだ。できるだけ早く《スヴァルトアルフヘイム》に行かなければならないんだ」 「そんなに慌てなさんな。地下の道は入り組んでる。いますぐ出て行ったって道に迷って辿りつけずじまいさ」 「姫は〈闇の妖精〉の血を引いているんだ。血に導かれて、《スヴァルトアルフヘイム》に行けるさ」 アルヴィースは言ったが、フュルギヤにはそんなことができるだろうかと不安だった。ディースによって妖精の力が解放されたとはいえ、まだ使い方を飲みこめていないのだ。 「でも、近道はわかんねぇだろ。こっちのほうがずっと早い。なにしろ一日でつくからな」 一日と聞きアルヴィースは旅立つのを思いとどまった。 「もし待って近道が嘘だったら、おまえを殺してやるかな」 「黒小人は嘘をつかねえよ。嘘を言って喜ぶのは妖精だ」 エイキンスキアルディの言葉に、妖精の血をひくアルヴィースはむっとする。 「それができるのは後どれぐらいだ」 「そんなにかからねぇよ。うるさいこと言わずにそこの干草で寝ちまってくれ。できたら起こしてやるよ」 「うるさくて悪かったな」 アルヴィースは乱暴に干草の山に寝転んだ。フュルギヤが思っていた通り、疲れがまだとれていないらしくすぐに眠りについてしまう。 「ありがとう」 フュルギヤはアルヴィースをちゃんと休ませてくれたエイキンスキアルディの頬にくちづけをすると、アルヴィースのそばに座った。エイキンスキアルディの顔が火のようにほてる。 「うるさいから寝てろって言っただけなんだけどな」 それでも姫が喜んでくれてよかったと、エイキンスキアルディは頬に手を当て、にやにやとした。
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