ラグナレク・6−3

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ラグナレク


第六章 滅びの時・3



 剣を通すことができない体を持つシグルズとはいえ、疲労まで感じないわけではなかった。アルスィオーヴが眠ってしまうと、シグルズはいつでも抜けるように剣を抱え洞窟の壁に寄りかかった。見張りを買ってでたものの彼もとても疲れていた。こうして暗闇の中で焚火を前にして座っていると、睡魔がどっと押し寄せてくる。
 いつ、死者たちが襲ってくるかわからず、眠ってはいけないと思いながらもいつの間にかまぶたが閉じていた。何度も船をこいでははっと目を覚まし、剣を握りなおす。
「シグルズ、起きろっ」
 シグルズは熱風を感じ、反射的に横に身を傾けた。火に包まれた死者の手が空を切り、焚火の上に倒れ、火勢を強める。狭い洞窟の中があっという間に炎に包まれ、シグルズたちを取り囲んでいた死者たちに燃え移った。
「逃げるぞ」
 アルスィオーヴは走り出そうとしたが、くじいた足が思うように動かない。シグルズが手を貸し、燃え上がる死者たちから逃げ出す。
「今度は火傷しちまった」
 死者たちの姿が見えなくなるとアルスィオーヴは手にできた火傷をなめた。
「すまない、眠ってしまった」
 シグルズは、死者に囲まれたときアルスィオーヴが気づいて目を覚まし、彼らを燃やしてくれたことに感謝しながら言った。
「見張りが居眠りすんなよ。いやな予感がして起きてみりゃ、死人に囲まれてるじゃねぇか。おまえは呑気に寝てるし、びっくりしたぜ。そんなに疲れてんだったら、おれを起こしてから寝りゃよかったんだ」
 アルスィオーヴは怒りながら、松明を掲げて枝分かれした洞窟を照らした。死者たちから逃げるため闇雲に道を選んだため、ここがどこだかわからなくなっていた。
「すっかり道に迷っちまった」
 途方にくれたようすで言う。
「死者たちについていけば地上に出られるさ。《ニブルヘル》軍にまた出食わすことになるが」
 シグルズが答える。
「その案は頂けないね。地上に積もってた雪を思いだせよ。足が沈んじまって動けたもんじゃない。それに吹雪いてたらなおさら動けねぇよ。このまま、地底を行こうぜ。元〈光の妖精〉のおれが行きたくない道を選んでいけば、《スヴァルトアルフヘイム》につけるだろう」
 アルスィオーヴは躊躇いもなく言い、シグルズは驚いた。
「怪我はいいのか。《スヴァルトアルフヘイム》は危険だぞ」
「おれは地上にでるよか危険じゃないと思うね。今ごろ、〈闇の妖精〉たちだって《アルフヘイム》に軍を向けてるだろうから、《スヴァルトアルフヘイム》のほうはお留守になってるよ。それにそっちに行けば、アルヴィースに会えるじゃないか。また死人に追いつかれないうちにさっさと行こうぜ」
 アルスィオーヴは不快に感じる方向を選んで進んで行った。道は上向きになったり下り坂になったり、右に左に曲がったりと方向が一向に定まらなかったが、シグルズはアルスィオーヴの勘を信じてなにも言わずについていった。

 


 いったいどれだけの死者が地底にいるのか、いく先々で死者に出会った。だが、それはシグルズたちを追ってきた者ではなく、死の女神の指揮いる軍からはぐれた者だった。彼らはたいてい一人か二人しかおらず、倒すのに苦労することはなかった。シグルズたちを追ってくる死者はいなくなっていた。これから起こる地上の戦いのために少しでも多くの戦力を確保しようと、死の女神がシグルズたちを追うことを禁じたのだろう。
 不思議なことに地下にきてからというもの一度も魔物に会うことはなかった。人間を襲うため、死者たちより一足早く地上に出ていってしまったのだろうか。それとも死の領域には魔物といえど、入りたくはなかったのだろうか。
 とにかく、アルスィオーヴの言ったとおり、地上を歩くよりずっと楽だった。地底を旅するうちに食料はつきてしまっていたが、時折見かける見かけの悪いきのこや苔に毒はなく、湧き水も澄んでおり、問題なく口にすることができた。
「もしかして、〈滅びの時〉のせいで、地上が《ニブルヘル(死者の世界)》になって地底が《ミッドガルド(人間の世界)》になったのかもな」
とアルスィオーヴが言う。
 唯一、気になることは地震が多くなっていることだった。落石や地割れが起こるたびに、シグルズたちは今度こそ岩に押しつぶされるか、奈落に落ちるのではと肝を冷やした。
 地底に落ちてからいったい何日が過ぎたのか、どこまでいっても変わり映えのしない細長い洞窟を歩いているとき、アルスィオーヴは初めてはっきりと〈闇の妖精〉の気配を感じた。
「こっちだ」
 痛む足を悪化させないように気をつけながら、アルスィオーヴは気配のする方へ急いだ。狭かった洞窟が少しずつ広くなり、やがて川の流れる天井の高い洞窟へ出た。幅広い川は緩やかな流れで、川原が広かった。とても見渡しがよく隠れられる物はなにひとつなかったにも関わらず、〈闇の妖精〉の姿は見えなかった。アルスィオーヴはおかしいなと呟きながら、川原まで出、目を凝らす。と、遠くに青白い光が見え、馬のひずめの音とともに近づいてきた。
「ひぇ、死者だ。どうしてこんなところにいるんだよ」
 アルスィオーヴが見た者は、〈闇の妖精〉ではなく死んだ馬に乗った死者だった。鬼火を周囲に漂わせながら、アルスィオーヴめがけて駆けてくる。アルスィオーヴは走ろうとしたがまだ完治していない足がもつれ、川の中に転んだ。シグルズが助けに飛びだし、アルスィオーヴを突き刺そうとした騎兵の剣を剣で防ぐ。
 愚鈍な動きの歩兵と違い、騎兵の動きは素早かった。騎兵は馬の向きを変えると、剣を構え、まっすぐにシグルズへ向かってくる。
 アルスィオーヴはシグルズが騎兵の相手をしている隙に、川に落としてしまった松明を拾い、火をつけようとしたがすっかり濡れてしまっていた。濡れた松明をあきらめ、なにか燃やせる物をと目を走らせているとき、別の騎兵が現れアルスィオーヴを襲った。アルスィオーヴは悪態をつきながら剣で応戦する。火をつけることができれば事は簡単にすむが、騎兵はそんな時間を与えてくれはしなかった。
 シグルズが馬の脚を切り、横転させた。死者は浅瀬に落ち、シグルズによって首を切り離された。だが、命のない身体は動く事をやめず、シグルズの足を引っ張り、膝までしかない浅瀬に仰向けに倒すと、彼の頭を水に押しつけた。
 シグルズは渾身の力で首のない騎兵を投げ飛ばした。騎兵は水の中に落ち、今度はシグルズが騎兵を川に沈めるが、死ぬことのない者には無意味な行為だった。激しくシグルズに抵抗し、またも立場を逆転させシグルズを水の中に沈めてしまう。
 アルスィオーヴも同じく苦戦していた。騎兵の右腕を切り落としたが、その反撃に剣を馬に蹴とばされ、落としてしまっていた。騎兵は痛みを感じるようすもなく残った腕で短剣を抜くと、アルスィオーヴに切りかかってくる。こちらも短剣でこたえながら、どうにかして馬の脚を切って使い物にならなくしてやろうとするが、その狙いを騎兵は見抜き隙を与えようとしない。
 こともあろうに、もう一頭、死んだ馬が駆けてきた。新たに現れた騎手はアルスィオーヴに近づき、死んだ騎兵に松明を押しつけた。たちまち死者は燃え上がり灰になる。
 アルスィオーヴが驚いたことに、彼を助けた騎手は銀の髪に漆黒の目をした〈闇の妖精〉だった。彼はどういうことかアルヴィースと見まごうほどよく似ている。〈闇の妖精〉は死んだ馬から降りると、シグルズととっくみあっている騎兵を捕まえ、シグルズと力を合わせて川から引きずり出した。激しく暴れる騎兵を燃やそうと松明を押し当てるが、濡れているためになかなか火が移らない。アルスィオーヴが乾いた苔を集めて、騎兵にかけた。火は苔に燃え移って火勢を増し、やっと騎兵に燃え移った。
 騎兵が完全に灰になるのを見届けてから、〈闇の妖精〉は二人に向かって言った。
「久しぶりだな。シグルズ、アルスィオーヴ」

 


 地震が頻繁に起きるようになっていた。エイキンスキアルディの家が揺れるたびに、フュルギヤは身を堅くして眠っているアルヴィースにしがみついた。
 どんなに家が揺れようと、アルヴィースは目を覚まさなかった。ふいごを押すのをやめたエイキンスキアルディは、身じろぎもしないアルヴィースを見て「死んだのと違うか」と言い、フュルギヤの気分を害した。
「死んでないわよ」
 フュルギヤは怒って言ったものの不安になり、アルヴィースが生きている証を見つけようとした。アルヴィースの手は温かく鼓動もしっかりとしている。フュルギヤはほっとしてアルヴィースの胸に耳をあてたまま動かずにいた。強くしっかりとした鼓動が聞こえる。まだ《ウルズの泉》が効いているのだろう。
 このままずっと《ウルズの泉》の効果が消えなければいいのに。フュルギヤがそんなことを考えていると、アルヴィースが急に目を開いて「重い」と言った。フュルギヤは驚いてアルヴィースから離れ、尻餅をついた。
「きみは、わたしが起きているときは逃げるくせに、意識がないとすぐにべたべたしてくるんだな」
 アルヴィースが言い、フュルギヤは顔を真っ赤にした。
「違うわ。心配してたのよ」
 フュルギヤは必死になって言ったが、アルヴィースは聞いていなかった。窯の中から品物を取り出しているエイキンスキアルディに「できたのか」と聞く。エイキンスキアルディは黙ってうなずき、いくつかの品物をじっくりと調べると二つを選んで立ちあがった。
「きれいな娘っ子、キスしてくれた礼にこれをやる」
 エイキンスキアルディは、短剣をフュルギヤに渡した。
「キス?」
 アルヴィースが驚いて言い、フュルギヤは「違うのよ」と慌てて弁解しようとしたが、アルヴィースは怒っているわけでも悲しんでいるわけでもなく、ただ意外そうな顔をしているだけなのに気づき、落胆して口を閉じた。
「そうさ。きれいな娘っ子、キスしてくれたんだ。こんな醜いおれにキスしてくれた娘っ子はじめてだ」
 エイキンスキアルディは自慢そうにアルヴィースに言うと、フュルギヤに向かって剣の説明を始めた。
「きれいな娘っ子、自分の身を守る剣があったほうがいいだろう。この短剣は必ず一突きで相手を殺す。きれいな娘っ子が剣を使えなくても大丈夫だ」
 フュルギヤは、礼を言うと短剣をおそるおそる手にとった。確実に相手を殺すことができる武器を身につけるのが恐ろしかった。
「あんたには、こっちをやる。黄金をくれた礼だよ。おれはただで宝をもらったりしない」
 エイキンスキアルディはアルヴィースに銀のペンダントを渡した。
「きれいな娘っ子、あんたが死ぬと泣くからな。これは剣からあんたの命を守るよ。でも、防げるのは本物の剣だけで、魔法でつくったまやかしの剣はだめだ。それを忘れちゃなんねぇ」
「このペンダントをしているとき、あの短剣で攻撃したらどうなるんだ」
 アルヴィースはペンダントを首にかけてから言った。
「あんた、意地悪いこと言うなぁ。そのときはどっちも壊れるよ。効力がどうなるかはわかんねぇ」
「ありがとう」
 フュルギヤはエイキンスキアルディの頬にキスして言った。
「こりゃ、また宝、つくってやんなきゃなんねぇ」
 エイキンスキアルディが喜んで言う。
「急がねば。エイキンスキアルディ、《スヴァルトアルフヘイム》へ行く道を教えてくれ」
 アルヴィースはさっそく旅立とうと身支度をして言った。
「あそこの戸からでて、まっすぐだ。道は何度も枝分かれするが、いつも真ん中の道をいけばすぐに《スヴァルトアルフヘイム》さ」
 エイキンスキアルディは、鍛冶場の奥にある古びた戸を指差して言った。
「世話になった」
「さようなら」
 フュルギヤは再びエイキンスキアルディの頬にキスをすると、戸口をくぐった。
「絶対にまたこいよ。あんたに、今のキスの礼に宝をやんなきゃいけないんだからな」
 エイキンスキアルディは言い、フュルギヤは微笑んで答えると、戸の向こうに続く洞窟に入っていった。





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