ラグナレク・6−4

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ラグナレク


第六章 滅びの時・4



 エイキンスキアルディが教えた道は、ゆるい坂になった洞窟だった。背の低い黒小人用につくられた通路らしく横幅はあるが、天井は低かった。フュルギヤでさえ頭を下げねばならず、アルヴィースにいたっては身を折るようにして歩かねばならない。長い間、通る者がいなかったらしく、アルヴィースが松明代わりにしている赤い鬼火が、何重もの膜のようになった蜘蛛の巣と、絨毯のように分厚く成長した苔を照らした。
 雪どけ水が天井や岩の隙間から流れ落ち、ちょっとした小川のように坂を流れていく。苔は水を含みぬるぬるとしているため、とても滑りやすい。だが、エイキンスキアルディの造った靴は、しっかりと床を踏みしめ、フュルギヤを転ばせることはなかった。フュルギヤは先を行くアルヴィースがしっかりとした足取りで歩いているのを見て、彼も似たような靴を履いているのだろうかと目をこらしたが、妖精としての目で見てもただの靴だった。どうやら彼が足をとられないのは、つま先に重心をおいた歩き方にあるらしい。そういえば、アルヴィースは深い雪が積もった上を沈みもせずに走っていた。
 フュルギヤはアルヴィースの歩き方を真似れば、自分も雪の上を歩けるようになるのだろうかとやってみたが、エイキンスキアルディの靴はなにがなんでもフュルギヤを転ばすまいと踵までしっかりと地につけてしまう。じれったくなり、靴を脱いで冷たい水の流れる地面に足をつけた途端、フュルギヤは足をすべらせ前を歩いていたアルヴィースにぶつかった。アルヴィースは魔物がでたのかと驚いて後方に鬼火を飛ばしたが、フュルギヤの片方の靴が落ちているだけだった。
「脱げてしまうような靴を作るなんて、あいつもたいしたことないな」
 アルヴィースはフュルギヤを立たせてやると、靴を拾った。
「違うの。あなたの歩き方を真似すれば、靴がなくても転ばないんじゃないかしらって思って、自分で脱いだの」
 フュルギヤに肩を貸し、靴を履かせていたアルヴィースはフュルギヤの顔を見上げて「なんてばかなことをするんだ」と怒ると、乱暴に肩に置かれたフュルギヤの手を払った。急に支えをなくしたフュルギヤは前に倒れかけたが、今度は靴を履いていたため自然に足が前に出、転ばずにすんだ。
「怪我をされたら困るから、黒小人に靴をつくらせたのに、自分から怪我をするような真似をするんじゃ、手に負えないな」
「ごめんなさい」
 フュルギヤはしゅんとして水がついてしまったマントをはらった。それだけで水は水滴となって落ち、マントはもとの乾いた状態に戻った。
「あら、もう乾いてしまったわ」
 フュルギヤは驚いてマントを見た。
「姫、今は道を急いでいるんだ。黒小人の作品で遊ぶのはすべてが終わってからにしてくれ」
「遊んだんじゃないわ」
 フュルギヤは言ったが、アルヴィースはもう歩きだしていた。はぐれないように慌ててついていく。
「最初は怖がっていたのに、すいぶんとあの黒小人と仲良くなったな」
 アルヴィースは振り向きもせずに言った。
「だって怖い顔をしてたから、怖い人かと思ったんだもの。でも本当はやさしくって、すごくいい人よ」
「わたしと逆か」
 アルヴィースは自嘲気味に言い、フュルギヤはディースのことやアルヴィースのはっきりしない態度のことなどを思い起こして複雑な顔をした。確かにアルヴィースは、女性のようなやさしい顔立ちをしているくせに、怒りっぽくてそっけない。
「でもやさしいところもあるわ」
 フュルギヤは結論を口に出して言った。
「わたしが?」
 アルヴィースが驚いて振り向く。
「わたしがいつきみにやさしくした?」
 フュルギヤは「えっと」と真剣な顔で考えこんだ。
「立ち止まるな。先を急ぐんだから」
 自分が先に足を止めたにもかかわらず、アルヴィースはそう言い、フュルギヤの答えを待たずに歩き出した。
 二人はしばらくの間、黙って洞窟の中を歩いた。通路は自然にできた洞窟を利用してつくったらしくたびたび枝分かれしていたが、歩きやすく床を削られた道は常に一本しかないため、迷うようなことは一度もなかった。

 


 道が岩で塞がれていた。エイキンスキアルディの教えた道が行き止まりになってしまい、アルヴィースは悪態をついた。
「地震のせいで、崩れたんだ」
 アルヴィースは道を塞いだ岩をどかせないかと調べたが、たとえ岩をどけても新たな落盤が起こるだけだと判断し、脇道に入ることにした。
「姫、戻って別の道を行くぞ」
 アルヴィースは、なにか考え込みながらついてきたフュルギヤに言った。
「靴を拾って履かせてくれたわ」
 唐突にフュルギヤは言い、アルヴィースは「なんのことだ?」と聞いた。
「あなたがやさしくしてくれたことよ」
「ずいぶんとおとなしくしていると思えば、そんなことを考えていたのか。相手が女性ならだれにだってそうするよ。きみだからじゃない」
 アルヴィースはフュルギヤの脇を通り抜けると、きた道を戻り出した。
「じゃあ、この服と靴を用意してくれたわ」
 フュルギヤはややむきになって言った。
「それは、そうしなければ、きみは自分で歩く事もできず足手まといだったからだ」
 三本の分かれ道があるところまでくるとアルヴィースは先に鬼火を飛ばして、道のようすを調べた。
「危険を犯してガグンラーズまできてくれたわ」
 フュルギヤはアルヴィースの背中に向かって言い、アルヴィースはあきれた顔でフュルギヤを見た。
「姫、いつまでそんなことを言っているつもりだ。今は、どちらの道が《スヴァルトアルフヘイム》に行けるのかを考えてくれ。きみは〈闇の妖精〉の血を引いているんだ。なにか感じるだろう」
「わたしにとってはそんなことじゃないわ。ちゃんと答えてくれなきゃ、わたしもあなたの質問に答えてあげない」
 フュルギヤはふくれて言った。
「いったい、なにに答えるんだ」
 アルヴィースはわずらわしそうな顔をする。
「わたしのためにガグンラーズまで来てくれたんでしょ」
「ガグンラーズは《スヴァルトアルフヘイム》に行く途中にあるんだ。きみがいようがいまいが通ったよ」
 アルヴィースの答えにフュルギヤは不服そうに口をとがらせた。
「さぁ、今度はきみが答える番だ」
「知らない。わからないわ」
 フュルギヤはよく考えもせずに言った。
「姫、いったいなんのために一緒にきたんだ。早く《スヴァルトアルフヘイム》に行かなければ、わたしは死ぬんだぞ。それとも死ぬのを見届けるためについてきたのか」
 アルヴィースは怒って言い、フュルギヤは冷水を浴びせられたように蒼白になった。
「ごめんなさい。ちゃんとやるわ」
「目を閉じたほうがいい」
 アルヴィースはそっけなく言い、フュルギヤはそのとおりにした。始めはなにも見えなかったが、少しずつ闇の中に光が見え始めた。その光に意識を集中させると、まだ行ったこともない《スヴァルトアルフヘイム》がぼんやりと見えた。淡く光る白い門があり、〈闇の妖精〉の住む町があり、その先には闇を凝縮したような黒い宮殿があった。宮殿の中には王座に座っている〈闇の妖精〉の王がいる。王は将軍らしき者と話していたが、急に上を向いた。彼は冷たい銀色の目でフュルギヤを見た。〈闇の妖精〉の王の口の端がにいっと上がり、フュルギヤは悲鳴をあげ目を開けた。
「あいつがこっちを見たわ」
 フュルギヤは、よろよろと後ずさりアルヴィースにぶつかった。
「わたしたちがここにいることを、あいつは知ってしまったわ」
 全身を震わせながら、うわ言のように言う。
「心配ない。あいつはいつだって我々を見張っている。今、見つかったわけじゃない」
 後ろからフュルギヤを抱きしめてやりながら、あまり慰めにならないようなことをアルヴィースは言う。
「それのどこが心配ないの?」
 フュルギヤはアルヴィースによりかかり、しっかりと身体に回されたアルヴィースの腕に手を乗せた。言葉よりもこのほうがずっと安心できた。
「アルスィオーヴじゃないんだ。わたしにうまい言葉を期待しないでくれ」
 アルヴィースは言い、それからすまなそうに《スヴァルトアルフヘイム》はどっちかと聞いた。
「こっちよ」
 フュルギヤが指さすと、アルヴィースは歩くためにフュルギヤの背中をそっと押して自分で立たせた。
「怖いのなら、引き返してくれてもかまわない。きた道をもどればエイキンスキアルディの家だ。彼は世界が終わるまできみによくしてくれるよ」
 アルヴィースは黒小人の家の方を指差して言った。
「一緒に行くわ。あなたがいれば怖くなんかないもの」
 フュルギヤは言い、アルヴィースが口を開く前に言葉を続けた。
「アルスィオーヴみたいにうまい言葉が言えないんだったら、なにも言わないでちょうだい。あなたはしゃべらないほうがずっといいわ」
 フュルギヤはまじめな顔で言い、アルヴィースは暗闇の中で苦笑した。





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