ラグナレク
第六章 滅びの時・7 地鳴りが轟き、世界が大きく揺れた。今までで一番大きな地震だった。世界中に亀裂が走り、大地が砕けた。枯れ木となったユグドラシルがついに世界を支えられなくなり、乾いた音をたててゆっくりと倒れる。その上に載っていた《アスガルド(神々の世界)》が《ミッドガルド(人間の世界)》の上に落ち、《アルフヘイム(光の妖精の世界)》と《スヴァルトアルフヘイム(闇の妖精の世界)》が激突した。《ニブルヘル(死者の世界)》が水に浮かぶ気泡のように《ミッドガルド(人間の世界)》の下から現れる。 世界が激しくぶつかりあい、大地が飛び散った。海は大きく揺れ、とてつもない大きさの津波が陸地を襲う。荒れ狂う海の中から死者の女神が乗ったナグルファルの船が浮かび上がり、《ミッドガルド(人間の世界)》を取り巻いていた巨大な蛇ミズガルズがその後に続いた。地底からは神々に恐れられた狼フェンリルが飛びだし、巨人たちもいたるところから集まってくる。 角笛が吹き鳴らされた。神の番人ヘイムダルが〈最後の戦い〉が始まったことを告げる音だ。黄金の角笛〈ギャラルホルン〉の音は、九つの世界すべてに響いた。
「始まってしまった」 狭い洞窟の中で炎の障壁をつくり、落ちてくる瓦礫から身を守っていたヴィズルは、顔をあげて叫んだ。ときの声がいたるところからあがり、剣がぶつかり合う音が響く。落雷のような音も頻繁に聞こえてくる。 フュルギヤは怯えて身をすくませたが、ヴィズルは揺れが小さくなると、行く手を塞いでしまった瓦礫に炎の玉をぶつけて粉々にし、フュルギヤの腕を引っ張った。 「歩けっ。こんなところで岩につぶされて死ぬわけにはいかないんだ」
「地震だっ」 地鳴りが聞こえ、アルスィオーヴは叫んだ。逃げ場を探したが、広い洞窟には安全な場所などどこにもない。 「そばにいろっ」 ギースルが言い、シグルズたちが近づくと球形の光の障壁を張り、宙に浮いた。シグルズが自分が宙に浮かんだことを驚く間もなく、すぐさま地震が始まり、落盤がおきた。いつにもまして揺れは激しかった。障壁の上にも落ちてくるが、岩盤は光に触れる前に粉々に砕け散る。 「さすが、ギースル」 アルスィオーヴが手を叩いて賞賛するが、ギースルは精神を集中させているため、なにも言わなかった。 やがて地震が収まり、〈最後の戦い〉がはじまったことを知らせる角笛が聞こえてきた。地表がにわかに騒がしくなる。 「〈最後の戦い〉が始まってしまった」 ギースルは地面におり、光を消すとぐったりとしたようすで言った。かなり力を消耗したらしい。 「平気か」 シグルズが聞く。 「休んでいる暇はない。早く《スヴァルトアルフヘイム》に行かなくては」 けっして光が届かぬ地の底にいたはずが、崩れた天井から空がのぞき赤い光が射しこんでいる。川下にあった《スヴァルトアルフヘイム》は、山のように盛り上がった大地の上に載って、大きく傾斜し半分ほど地表に顔を出していた。この一帯は、地震によって地表に持ち上げられたらしい。 天井や壁が崩れて大きな岩がいたるところに転がり、川下のほうが高くなったため川の流れが逆になっていたが、歩きやすそうな部分もまだ残っていた。足をふらつかせながら、ギースルは歩き出した。
「おや、ここは歩きやすそうだ」 ヴィズルは大きな川が流れる幅広く天井の高い洞窟に行きついて言った。天井や壁の岩盤がかなり崩れ、ところどころ赤い光が射しこんでいるが、川原には瓦礫に埋もれていない部分も多く、岩をよじ登ったり、飛び降りたりせずとも進めそうだった。 「この先に《スヴァルトアルフヘイム》がある」 ヴィズルは川の先を見て言ったが、フュルギヤは反対の方角に微かな明かりを見つけていた。あれは死者たちの鬼火か、松明の光か。 「〈闇の妖精〉がくる」 フュルギヤはあの光がそうなのかと一瞬思ったが、ヴィズルは《スヴァルトアルフヘイム》のほうを見て言っていた。黒い馬に乗った数人の兵たちがゆっくりとこちらに近づいてくる。染み一つない肌に人間にはあり得ない整った容姿と、見た目には〈光の妖精〉と変わりなかったが、雰囲気はまるで違った。〈光の妖精〉が真昼の光なら、〈闇の妖精〉は夜更けの闇だ。ヴィズルは堂々と川岸を歩きながら彼らに近づいた。 「〈光の妖精〉よ。我らの同胞を離せ」 兵たちは二人を取り囲み、ヴィズルに槍を向け命令した。兵は〈闇の妖精〉の血をひくフュルギヤが、〈光の妖精〉のヴィズルにつかまったものと思ったらしい。今の状況ではそれは間違いではなかった。 「この女のことか」 ヴィズルはフュルギヤを槍の前に立たせて言った。 「卑怯者め。女を離せ」 「ふん。アーナルのやつ、わたしのことを兵たちに知らせていないと見える。それともわたしの力を試しているのか」 ヴィズルはフュルギヤを横に突き飛ばすと、兵に近づいた。 「まあいい、馬がほしかったところだ。どけ」 ヴィズルが手を一振りすると、兵士は燃え上がった。火だるまになって馬から転げ落ち、ヴィズルは馬が逃げる前に手綱をつかんだ。 「おまえっ」 残りの兵が一斉にヴィズルへ槍を向けた。その途端、炎の竜が彼らを襲い、馬ごと燃え上がらせた。 「馬は一頭でいい」 灰となった兵士たちに言い、ヴィズルはフュルギヤを馬に乗せ自分も乗った。ふと、遠くに見える光に気づく。 「おや、こんなところで会うとは。せっかくだ。封印が解けたことを教えてから、《スヴァルトアルフヘイム》に行くとしよう」 ヴィズルは前に座っているフュルギヤの首に短剣を押しつけ、「ばかなまねをするな」と言うと馬に乗ったまま、光が近づくのを待った。
前方に大きな明かりが見え、すぐに消えた。 「なんだ?」 アルスィオーヴはもっとよく見ようとしたが、ところどころにある割れた天井から射しこむ赤い光だけでは光が足りず、なにがあるのかわからなかった。 「アルヴィースがいる」 日光の射さぬ世界で〈光の妖精〉でいることは苦痛なため、また〈闇の妖精〉になっていたギースルが夜目のきく〈闇の妖精〉の特性をいかして、〈闇の妖精〉の兵士を燃やした赤い髪の青年を見つけて言った。アルヴィースは黒髪の少女を馬に乗せるところだった。 「いやっほー、やっぱり無事か」 アルスィオーヴは飛びあがって喜び、怪我の痛みに顔をしかめた。 「いや、無事じゃない」 ギースルはひどく悲しげに言った。 「封印が解けてしまった」 「どういうことだ」 シグルズが聞く。 「呪いを封じていた魔法が消えている。だれかが呪いを解き放ってしまったんだ」 「封印が解けるとどうなるんだ」 今度はアルスィオーヴが聞く。 「わからない。とにかく、二人とも隠れていてくれ。わたしがようすを見る」 「隠れるって、アルヴィースは魔道を習ってんだから、すぐに見つけるぜ」 「ぐずぐずうるさいぞ。おまえたちはすぐに逃げられるようにしていればいいんだ」 「わたしに逃げる気はないな。それにアルヴィースがわたしを殺そうとするとは思えない」 シグルズが言う。 「それはどうかな。もし戦いになれば、剣ではなく魔法を使うことになる。万が一を考えて、わたしが魔法を使いやすいように離れていてもらいたい」 アルスィオーヴは大きくため息をついた。 「冗談だろ。アルヴィースと戦うなんて」 「今、それを確かめにいくところなんだ。二人とも下がってくれ」 アルスィオーヴはシグルズに行こうと身振りで示すと大きな岩のほうへ歩いていった。シグルズは不服そうだったが、ここはギースルに任すことに決め、アルスィオーヴの後についていく。 ギースルは大きく息を吸い、歩き出した。アルヴィースらしき人物もギースルに気づいているらしく馬に乗って待っていた。前に少女を座らせ、首に短剣を当てている。 ギースルは互いにはっきりと見える位置までくると足を止め、静かに言った。 「ヴィズル、その娘を放してやれ」 ヴィズルはアルヴィースと呼ばれなかったことに冷やかな笑みを浮かべた。 「ほう、あいつがいなくなったことをわかっているのか。なかなか関心だ、兄上」 ヴィズルはギースルが〈闇の妖精〉になっていることに驚きもせずに言った。 「おまえは、わたしが〈闇の妖精〉の血を引いていることを知っているようだな」 「ああ、あんたの父である〈闇の妖精〉の王に加担しようとせず、〈光の妖精〉の王に媚びていたことも知っているよ。この裏切り者め。おまえはわたしを〈光の妖精〉の王に封印させた。わたしに力を貸すのがおまえの役目だったのに」 「それは違うな。わたしの役目は母のために呪いを封じ込めることにあった」 「ふん、あんな浮気女のためにだと。〈闇の妖精〉の王を愛しているなどと言っておいて、舌の根も乾かぬうちに別の男の子どもを産むなど」 「母を侮辱するのは許さない」 「だったらどうする? わたしを殺すか。そんなことができるのか。ちょっとでも動いたらおまえの妹を殺すぞ」 ギースルは驚いてフュルギヤを見た。フュルギヤも驚愕の目でギースルを見る。 「なんだ、知らなかったのか。この女はアーナルの娘だ。おまえの妹だよ」 「わたしに兄がいたの」 フュルギヤは思わず口走ってしまい、短剣が強く押しつけられた。 「おまえは黙っていろ」 「わたしを殺したら、わたしと結婚して《スヴァルトアルフヘイム》の王位を継承できなくなるわよ」 フュルギヤはアルヴィースによく似た銀髪の青年が助けてくれることを願いながら、思いきって言った。 「黙れっ」 ヴィズルはフュルギヤの口を押さえた。フュルギヤが力いっぱい噛みつくと、彼女をつかんでいたヴィズルの腕が緩み、すぐさまフュルギヤは馬から飛び降りた。 ヴィズルは慌ててフュルギヤを捕まえようと馬を下りたが、剣を首に押しつけられ動きを止めた。 「わたしを殺すか」 ヴィズルは、剣を突きつけている冷酷な目をしたギースルに向かって言った。 「必要とあらば」 ギースルは迷いもなく答える。 「わたしが死ねばアルヴィースも死ぬのだぞ」 「だろうな」 ギースルは躊躇うことなく剣を引こうとし、フュルギヤがギースルの剣を持ったほうの腕にしがみついた。 「やめて」 フュルギヤが邪魔をしている隙に、ヴィズルは剣の届く範囲から逃げてしまう。 「なにをする」 ギースルはフュルギヤに怒鳴った。 「殺さないで。アルヴィースまで死んじゃうわ」 フュルギヤは必死になってギースルに懇願した。ギースルはヴィズルが炎で攻撃しようとしているのに気づき、フュルギヤを抱えて地面に伏せた。長い胴を持つ炎の竜が通りすぎ、もう一度燃やそうと戻ってくる。ギースルは光の竜で応戦した。二匹の竜は絡み合い、川の中に入っていった。光の竜に押さえ込まれた炎の竜が水の中で激しく暴れ、消えていく。 「ずいぶんと不利な場を戦いの場に選んだな」 ギースルは言い、ヴィズルに向き直った。二人が放った炎と光がぶつかり、洞窟から闇を消した。 「やめて」 フュルギヤがどうにかして二人を止めたいと念じると、ギースルとヴィズルの中間で爆発が起きた。ギースルとヴィズルが倒れる。 「邪魔をするな」 ギースルはフュルギヤに怒鳴り、立ち上がった。ヴィズルはいつのまにか近づいてきたシグルズと、とっくみあっていた。 「離れろ」 ギースルはシグルズがヴィズルに燃やされてしまうことを心配して言ったが、シグルズは離さなかった。彼はなんとしてもヴィズルを水の中に引き込もうとしていた。ギースルはそれに気づき、一緒に水の中に連れ込む。 川の中央部はかろうじて顔がでるぐらいの深さだった。ヴィズルはそこまでくると、力が抜けたようになり暴れるのをやめた。 「火の性を持つ者は水に弱い。殺す必要はないんだ」 ヴィズルを押さえながら、シグルズが言う。 「それで、これからどうする。ずっと水の中でヴィズルを押さえているつもりか」 ギースルが冷たく言い、ヴィズルの頭を水の中に沈めた。 「やめろ」 シグルズがギースルの腕をつかんでやめさせる。 「まったく、どいつもこいつもわたしの邪魔をするな。封印が解けてしまった以上、殺すしかないんだ」 腹をたてたギースルは叫んだ。 「なにか方法があるはずだ」 シグルズが言い返す。 「だったら、いますぐ教えてもらおう」 そのとき、ヴィズルは身を痙攣させ、血を吐いた。 「死んじゃうわ。水から出してあげて」 フュルギヤが水の中に入ってきて言う。 「だめだ」 ギースルはきっぱりと言い、シグルズは躊躇した。水からだせば、また攻撃されるのは目に見えている。 「やっぱ、殺すしかないんじゃねぇの」 アルスィオーヴが剣を持ってやってくる。 「苦しませずに、一撃で殺してやれよ。火の精が水の中にいるってのは、かなり苦しいと思うぜ」 アルスィオーヴはギースルのほうへ剣を差し出した。 「やめて」 フュルギヤが泣きながら言う。 「お姫さん、こいつがなにかしてしまってからじゃ、アルヴィースだって悲しむぜ。それに〈滅ぼす者〉の力がこんなものとは思えないんだ。たぶん、これからどんどん強くなって、だれの手にも負えなくなるんだろ」 「一人でもわかってくれるやつがいて、うれしいよ」 ギースルは剣を受取り、ヴィズルに切っ先を向けた。 「今度は邪魔をしないでくれ」 「そうはいかないな」 上から声がした。アーナルが壁の上方にある岩だなの上に立っている。 「今、〈滅ぼす者〉を殺させるわけにはいなかない」 「もう遅い」 ギースルは剣を振り上げた。 「それはどうかな」 アーナルは地震によって低くなった川上を見て言った。地鳴りのような音とともに大量の水が、高くなった川下のほうへ流れていく。たちまち四人は激しい流れの中に巻き込まれた。 「地震で、上流の水門が壊れてしまってね。あそこはここよりずっと高くなってしまったから、そろそろ大量の水がこちらに流れてくる頃だと思ったよ」 アーナルは言い、中空を飛ぶと流されていくヴィズルを引き上げ肩に担いだ。 「まったく、なんと力のない〈滅ぼす者〉だ。期待外れだな」 「悪かったな。水がなければ勝てた」 ヴィズルが弱々しい声で強がる。 「ふん、意識はまだあったのか。手間をかけさせた分、働いてもらうぞ。それができなければ、わたしがおまえを殺してやる」 アーナルはもうしばらく川の上を飛び、気を失ったフュルギヤを見つけると、《スヴァルトアルフヘイム》へ連れていった。
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