ラグナレク・6−8

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ラグナレク


第六章 滅びの時・8



「まったく、足手まといな連中だな」
 ギースルは水からあがり、シグルズを引き上げながら言った。シグルズは膝をつき激しく咳込んだ。
「悪かったな。お姫さんたちはどうした」
 先に助けられ焚き火で暖まっていたアルスィオーヴが言う。
「〈闇の妖精〉の王が連れ去った。今ごろ《スヴァルトアルフヘイム》だろう」
 ギースルが答える。
「〈闇の妖精〉の王のやつ、お姫さんまでさらってどうするつもりだ。親心で助けたわけじゃないよな」
 アルスィオーヴはうろんな顔をする。
「ここで別れよう。また足をひっぱられるのはごめんだ」
 ギースルは濡れた身体を乾かしもせず、《スヴァルトアルフヘイム》のほうへ歩き出した。川に流されたおかげで、川下にある《スヴァルトアルフヘイム》の入り口がすぐそこにあった。
「待ってくれ」
 シグルズが息が整わないまま、苦しそうに言う。ギースルは足を止め、片眉をあげた。
「まだなにか用か」
「最初からアルヴィースを殺すつもりだったな」
 怒りを含んだ声でシグルズが言う。
「あいつは、ヴィズルだ。もうアルヴィースじゃない」
「邪魔をさせないために、わたしに離れるように言ったな」
「だったらなんだ」
 ギースルは挑むように言い、シグルズはギースルを殴り飛ばした。
「あいつはわたしの弟でもあるんだぞ」
 シグルズが怒鳴る。
「おまえに言われずともよくわかっている」
 ギースルは切れた唇に触れてから立ちあがると、シグルズを殴り返した。
「ちょっと待ってくれよ。こんなときに殴り合いかよ。アルヴィースを助ける話をしようぜ」
 アルスィオーヴが座ったまま言う。シグルズは地面につばを吐いた。
「勝手にしろ。だが、わたしは何度でもアルヴィースを助けるからな」
「それがアルヴィースのためだと思うのか。わたしはそうは思わない」
 声を荒げてギースルは言う。
「シグルズ、おれもギースルと同意見だぜ。アルヴィースのためを思うなら、手に負えるうちに殺してやるしかないんだ。いい加減あきらめろよ。いつまでも、殺せないなんて言ってたら、みんな殺されちまうよ。それじゃ、アルヴィースは喜ばないってことぐらいあんたにもわかるだろ」
 アルスィオーヴが、焚き火に乾いた苔を放り込みながら言う。
「しかし、本当に手はないのか」
 シグルズがあきらめ悪く言う。
「くどいぞ。手がないから殺すと言っているんだ」
 ギースルが怒鳴り、シグルズはしばらく考えこんだ。
「わかった。きみに従おう」
 シグルズは重い口調でギースルに向かって言い、アルスィオーヴは「よし、決まった」と叫んだ。
「そうと決まったら、腹ごしらえして一休みしようぜ。ほら、二人ともばかみたいにつったってないで、焚き火にあたれよ」

 


 壁も床も天井も闇を物質化させたように黒く、金色の燭台が置かれたテーブルも漆黒だった。ろうそくの淡い光や、金と銀の装飾品がさらに黒を際立たせ、床に敷かれた金糸で刺繍された深紅の絨毯は薄暗い光の下で控えめな彩りを添えている。
 その絨毯の上で、ヴィズルが血を吐き身体を痙攣させていた。獣が絞め殺されるような声をあげ、転げまわる。テーブルの足にぶつかり、燭台が落ち、ろうそくが絨毯の上に転がった。
 それまでろうそくの光の届かぬ闇の中にいたアーナルは絨毯に火が移る前にろうそくを拾い、テーブルをおこすと燭台を置いた。そしてまた部屋の隅に下がり、軽く腕を組んで苦しむヴィズルを冷淡に眺める。
 アーナルは、以前アルヴィースを助けたようにヴィズルを助ける気はないようだった。失望と嘲りと期待がこもった銀色の目で、実験の結果を観察する学者のように、黙ってヴィズルを見ている。
「なぜ、黙って見ている。わたしが死んでもいいのか」
 ようやく痙攣が収まったヴィズルは、力なく床に倒れたまま、憎しみの目をアーナルに向けた。
「だれもが恐れた〈滅ぼす者〉が、この程度とは失望したよ。わたしが水の中から助けなければ、きみは溺れ死んでいたじゃないか。そして今度は〈光の妖精〉の血によって死なんとしている。これでは助ける価値もないね」
 アーナルは黒い椅子を引き寄せ座った。
「わたしの力を見たいのなら、〈闇の妖精〉になる薬をよこせ。この忌々しい〈光の妖精〉の血がなくなれば、わたしは力を発揮できる」
「これかね」
 アーナルはかくしから小瓶を出し、ヴィズルのほうへ差し出した。ヴィズルは床に倒れたまま手を伸ばしたが、わずかに届かなかった。力を振り絞り起きあがると、アーナルは小瓶を床に落とし踏みつけた。小瓶は粉々に割れ、薬が絨毯に染みていく。
「なにをする」
 ヴィズルはアーナルに飛びかかったが、弱った体では力が出ず、たやすく振り払われてしまった。
「嘆かわしい。薬の力を借りねば力を発揮できぬこんなやつの力を得るために、わたしは今まで苦労してきたとは。おまえなどより、アルヴィースのほうがまだましだった」
 アーナルはそこで言葉を切り、きらりと目を光らせた。
「ヴィズル、アルヴィースはどうした? 死んだわけではあるまい。おまえが今まで封印されていたように、今はアルヴィースが封印されているのか」
「それを知ってどうする」
 ヴィズルは警戒して言った。
「死んだと言わぬところをみると、やはりまだアルヴィースは生きているのか」
 アーナルは立ちあがり、ヴィズルに近づいた。ヴィズルは目に恐怖の色を浮かべて後ずさる。
「なにをするつもりだ」
「アルヴィースを解放するのさ」
 アーナルはヴィズルを指差した。人差し指が輝き始める。と、絨毯が燃え上がり、その上に立っていたアーナルは炎に包まれた。炎は竜となり、長い胴をアーナルにからみつかせる。それまで怖気づいていたように見えたヴィズルが、大きな笑い声をあげる。
「わたしの力を見くびったな。わたしの力を思い知るがいい」
 炎の竜はかっと口をあけ、アーナルの頭から飲みこんだ。胴が膨らみ銀色の光とともに四散する。炎の竜は消え、アーナルが何事もなかったように立っていた。ヴィズルはアーナルをにらみつけた。
「少しは力があったようだな。ならば、その力を〈光の妖精〉の王を倒すことに使え。やつの首をとってくれば、褒美として〈闇の妖精〉にしてやる」
「薬がなくなったというのに、どうやって〈闇の妖精〉にする?」
 ヴィズルが疑わしげに言う。
「ばかなことを。薬はいくらでもつくれる。そんなことよりぼやぼやしていていいのか。早く〈光の妖精〉の王を倒しに行かねば、〈光の妖精〉の血がおまえを殺してしまうぞ」
 アーナルはにやりとした。
「おまえが死ぬのか先か、〈光の妖精〉の王が死ぬのが先か。少しはおもしろくなったな」
「もし、薬をよこさなければ、おまえを殺してやる」
 ヴィズルは吐き捨てるように言い、部屋を出て行った。
 戸が閉まるなり、アーナルはよろめき片膝をつく。
「油断していたとはいえ、わたしにこれほどの痛手を与えるとは。やつの力を見くびりすぎた」
 アーナルは目を閉じ、喉の奥でククッと笑った。
「〈光の妖精〉の王よ、同族の血を引く者に殺される苦痛を味わうがいい。殺すのは〈闇の妖精〉の王のわたしではなく、自分の妹の息子というのはどういう気分だ? わたしに殺されたほうがよほどましだと思うだろう。だが、おまえはそれだけの苦しみが与えられるようなことをわたしにしたのだよ。いやそれではまだ恨みが晴れないほどのことをだ。そのことを悔やみながら死ぬがいい」
 アーナルは勝ち誇った笑いをあげた。





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