ラグナレク・6−9

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ラグナレク


第六章 滅びの時・9



 柔らかなベッドの中でフュルギヤは目を覚ました。そこは四方すべてが黒い部屋で、すぐそばに少女がいた。年の頃はフュルギヤより少し上で、顔は少し丸みを帯び、ややつりあがった大きな目は黒に近い赤で、結い上げられた髪はうっすらとした赤だった。
「具合はいかがですか、フュルギヤ姫」
 少女はフュルギヤをのぞきこんでやさしく言った。
「あなた、〈闇の妖精〉ね」
 フュルギヤはなぜ〈闇の妖精〉がいるのかと驚いて身を起こした。
「姫様の身の回りをするように申し付けられました侍女でございます。名はヴィーナと申します。なんなりとお申しつけ下さい」
 ヴィーナは優雅に一礼し、フュルギヤに人懐っこく微笑んだ。〈闇の妖精〉はみな邪悪だと思い込んでいたフュルギヤは、彼女に邪悪なものを感じることができずやや戸惑った。
「侍女ですって。ここはどこなの。わたしはなぜ、ここにいるの」
 フュルギヤは洪水に流されたことを思いだしたが、それから後の記憶はなかった。
「ここは、〈闇の妖精〉の王が住む《スヴァルトアルフヘイム》のスルド宮殿でございます。なにがあったかは存じませんが、アーナル様が気を失ったあなたを連れてこられたのです」
「なんですって」
 フュルギヤはベッドから飛び降り、どこかにアーナルが潜んでいるのではないかと、部屋を見回した。ディーナが驚いて、うろたえる。
「いったいどうなさったのです」
「わたしの服はどこ」
 フュルギヤは、寝着に着替えさせられていたことに気づいて言った。
「すっかり濡れておりましたので、洗って乾かしておきました。お持ちいたしましょうか」
「そうしてちょうだい」
 ヴィーナがドレスを持ってくるとフュルギヤはすぐに着替えた。侍女に着替えを手伝わせるのは、生まれて初めての舞踏会あった日以来だ。あの日、ガグンラーズ国は反乱によって崩壊し、スリーズ王をこの手で殺してしまったのだ。
「どれをおつけになりますか。これなどはいかがでしょう」
 ヴィーナは、数々の首飾りを鏡台に並べて言った。忌まわしい記憶を思い起こしていたフュルギヤは、舞踏会に行く前も同じようなことを侍女が言っていたことを思いだし、ぎょっとした。
「そんなものいらないわ」
 まるで身につけたら過去と同じことが起こってしまうとでも言うように、思わず、叫んでしまう。
「お気に召しませんか」
 ヴィーナは戸惑ったようすで言う。
「そんなものより、剣がほしいの。わたしの短剣、どこにあるか知ってる?」
「さぁ、存じませんが」
 フュルギヤはヴィーナが嘘をついているのか本当のことを言っているのかとまじまじと顔を見つめた。ヴィーナは視線をそらしもせず無垢な瞳でまっすぐに見返した。あまりに悪びれず見返すため、フュルギヤのほうが疑って悪い気がして視線をそらした。
 すると、大きな窓が目に入り、フュルギヤはその光景に息をのんだ。もっとよく見ようと窓に近づく。
 闇にぼんやりと浮かび上がる町が見える。ほんのりと光を放つ屋根よりも高く伸びた細長く白いきのこが、曲がりくねった道の両脇に規則正しく並び町を照らし、道自体も淡い青白い光を放っている。立ち並ぶ家に統一性はなく、なんの変哲もない小屋から巨大なきのこでつくった家や巨木のうろを使った家、氷菓子でつくったように見える家と、材質がさまざまなばかりか、同じ形の物も一つもないが、そのどれもが調和を乱すことなく、幻想的で妖しげな雰囲気を持っていた。
 フュルギヤはこの不思議な町並みに心を奪われ、しばし自分の置かれた状況を忘れた。ヴィーナがそばにきて「いつ見ても美しい光景ですわ。《スヴァルトアルフヘイム》は、どの世界よりも美しい世界に違いありません」と誇らしげに言う。赤い光に照らされた死にゆく地上の世界しか知らないフュルギヤは、ヴィーナの言葉を否定できなかった。こんな世界をあの邪悪な〈闇の妖精〉の王が支配しているなど信じられない。
「ここにずっといたいわ」
 フュルギヤは、この光景にどこか懐かしくとてもなじみ深いものを感じ、ぽつりと言った。
「もちろん、ずっとここにいてよろしいのですよ」
 ヴィーナがやさしく言う。
「わたしは、〈闇の妖精〉の王にさらわれてきたのよ。ここから逃げなくちゃ」
 フュルギヤは言ってから、自分は〈闇の妖精〉の王を倒すために、アルヴィースとともにこの地を目指していたことを思い出した。
「なぜ、陛下にさらわれたなどと。姫様はこの世界の王女なのですよ。どうして逃げねばならないのです」
 ヴィーナは合点がゆかないようすで聞く。
「ねえ、わたしのほかにここに連れてこられた人はいた?」
 フュルギヤはもしシグルズやアルスィオーヴもつかまっていたら助け出し、これからどうすればいいか聞こうと考えて言った。
「赤い髪に金色の髪が混じったとても美しいお方がいらっしゃいました。でも残念なことにあの憎らしい〈光の妖精〉の血をひいてるんですの」
 それはヴィズルだろう。それともアルヴィースだろうか。フュルギヤはヴィズルならば、〈闇の妖精〉の王とともに世界を滅ぼそうとするだろうと考え、ぞっとした。アルヴィースに戻ってくれはしないだろうか。
「いかにも戦士って感じの体格のいい茶色の髪の人とか、長い黒髪の調子のいい男とかはいなかった?」
「そのような方はいらっしゃいませんでしたわ」
 ヴィーナが考えこみながら言う。
「それじゃ、アルヴィースによく似た銀髪の人はいた? ええと、アルヴィースはあなたが見た赤い髪の人のことだけど」
 フュルギヤは、シグルズたちと一緒にいたアルヴィースによく似た銀髪の男はだれだったのだろうと考える。確か、兄と言っていた。そして、アルヴィースの兄だととも。ならば、アルヴィースと自分は兄弟なのだろうか。
「いえ、いらっしゃいません」
「ほんとうに知らない? 〈闇の妖精〉だから、ここに住んでいると思うんだけど」
「そういえば幼い頃、そのような方をお見かけしたことがあります。そのときは、その方も子どもでしたが」
「その人、だれなの?」
「あなたのお兄様であるギースル王子です。幼い頃、あの忌々しい〈光の妖精〉にさらわれ、《アルフヘイム(光の妖精の世界)》に連れていかれてしまいましたが。でも、さきほど《スヴァルトアルフヘイム》軍が《アルフヘイム》に攻め入りましたから、もうすぐギースル様は助けだされるでしょう」
 やはり兄がいたのかとフュルギヤは思う。
「アルヴィースもわたしの兄?」
 フュルギヤはおそるおそる聞いた。
「いいえ、そのようなご兄弟はいらっしゃいません」
 ヴィーナは少し考えてから、答えた。
「〈光の妖精〉なんだけど、ヴィズルって名前で知っているかしら」
「いいえ、そもそも、〈闇の妖精〉に〈光の妖精〉の兄弟がいるわけがないではありませんか」
「それはそうなんだけど」
 フュルギヤは自分の聞き違いだったかしらと首を傾げる。
「わけがわからないわ」
「陛下にお聞きになればよろしいのではありませんか」
 ヴィーナがなんの悪気もなく言い、フュルギヤはびっくりした。
「あいつが本当のことなんか言うわけがないわ」
「どうしてそのようなことをおっしゃるのです。アーナル様は、《スヴァルトアルフヘイム(闇の妖精の世界)》を治めるすばらしいお方です」
「すばらしいですって。あいつはわたしに育ての親を殺すように仕向けたのよ」
「それは、そうするべきだったからではありませんか」
「そんなばかなことあるわけないわ」
 フュルギヤは思わず叫んだ。ヴィーナが怯えた顔でフュルギヤを見、フュルギヤは悪いことをした気になった。
「〈闇の妖精〉の王がだれかを罠にはめたり、いたぶって喜んだりした話を聞いたことないの?」
 口調に気をつけながら、ヴィーナに聞く。
「遥か昔、我ら〈闇の妖精〉を地底に追いやり、地上を我が物とした〈光の妖精〉や人間を殺すことはよくありますが、それは責められることではないと思います」
 ヴィーナは当然のこととして言う。
「わたしが苦しむのはどうなの? 〈闇の妖精〉の王は、わたしをさんざん苦しめた挙句、ここに閉じ込めたのよ」
 あくまで〈闇の妖精〉の王を信じるヴィーナに、どうしたらわかってもらえるだろうと思いながらフュルギヤは言った。
「閉じこめてなどいませんわ。ただ〈最後の戦い〉が始まったので、宮殿の外へ出るのは危険です。外出なさらないほうがよろしいかと思います」
「わたしをこの部屋に閉じ込めてないというの? 宮殿の中は、歩き回ってもいいの?」
「ここは王が守っていらっしゃるので、なにがあっても安全です。ご自由にお歩きください」
 ヴィーナは誇らしげに答える。
「だったら、部屋から出たいわ」
 フュルギヤが言うと、ヴィーナは戸を開け、フュルギヤが出てくるのを待った。





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