ラグナレク
第六章 滅びの時・10 黒曜石で造られたスルド宮殿には、淡い光を放つろうそくしかなかった。ろうそくの火が届かない場所は完全な闇に包まれ、夢の中の光景のようにろうそくの光が届く範囲にだけ世界があり、その周囲には混沌とした闇があるだけなのではないかと思わせる幻想的な雰囲気をかもし出していた。ところどころにタペストリや絵画が壁にかけられているが、壁が黒いため闇と同化してしまい、なにもない闇の中に飾られているように見る者を錯覚させる。 フュルギヤは燭台を手にしたヴィーナに案内され、宮殿の中を歩いていった。 ろうそくの光が届く範囲にだけ、色鮮やかな絨毯や調度品が現れては闇の中に消えていく。フュルギヤは背後の廊下がなくなってしまったように思え、早くここから出たいと恐ろしくなると同時に、このままずっと幻想的な宮殿の中を歩いていたいと感じた。ときおり、〈闇の妖精〉とすれ違った。みな、フュルギヤに気づくと丁寧に礼をし、フュルギヤがスルド宮殿にきたことを歓迎して立ち去っていく。だれもフュルギヤに敵意を見せることはなく、《スヴァルトアルフヘイム》にくれば戦わねばならないと考えていたフュルギヤは戸惑ってしまった。ここにいるのはあらゆる者を落とし入れようとする邪悪な〈闇の妖精〉ではなく、闇の世界に生きる心やさしい〈闇の妖精〉ばかりだった。 「いやなやつらはどこにいっちゃったの?」 フュルギヤはヴィーナに聞いた。 「ここには、いやなお方などおられませんよ」 ヴィーナはなぜそんなことを聞くのかと、不思議そうな顔をして答える。 「なら、兵たちはどこにいるの?」 フュルギヤは兵士は絶対にいやな奴に違いないと考えながら言った。 「みな、〈最後の戦い〉にいきましたよ。今頃戦場で、〈光の妖精〉と戦っているでしょう」 ならば、〈闇の妖精〉の王の周囲は手薄になっているに違いない。フュルギヤは今が〈闇の妖精〉の王を倒す絶好の機会だと考えたが、フュルギヤ一人ではなにもできなかった。ここにアルヴィースやシグルズがいてくれればいいのにと思う。 「ここが陛下のお部屋です」 ヴィーナが足を止めて言い、フュルギヤはぎくりとした。 「この中に〈闇の妖精〉の王がいるの?」 フュルギヤは黒小人がつくった短剣がここにあればいいのにと思いながら言った。 「さあ、聞いてみますわ」 ヴィーナが戸を叩くと、小姓が用件を聞きに現れた。ヴィーナは小姓から王が部屋にいると聞き、どうしますかというようにフュルギヤを見た。フュルギヤの心臓は激しく脈打った。今、会って、どうすればいいのだろう。 しばし迷ったあと、フュルギヤが「会うわ」と答え、部屋に入っていった小姓は少したってから戻ってきて「お会いになるそうです」と言った。 フュルギヤの全身が震えた。会えばまたひどい目にあわされるかもしれない。だが、このまま、なにもせずに引き下がるわけにもいかない。 「なにか用か」 窓のそばに立ち、奇妙な表情で手の平の上の物を見ていたアーナルは、部屋に入ってきたフュルギヤを見もせずに言った。小姓もヴィーナも一礼をして下がってしまい、フュルギヤは一人だけ取り残された気分になりながら、勇気を振り絞って言った。 「あなたを殺しにきたわ」 「おまえにわたしは殺せないよ。それにおまえが殺さねばならん相手はわたしではない」 アーナルは小卓の上に置いてあったフュルギヤの短剣を投げてよこした。フュルギヤは受取り、どういうつもりなのかとアーナルを見る。 「この指輪をなぜ、おまえが持っている」 アーナルはそれまで手に持っていた指輪をフュルギヤに見せた。フュルギヤは、今頃アルヴィースからもらった指輪がなくなっていることに気づき、顔色を変えた。 「返して」 フュルギヤはアーナルに飛びかかったが、ひらりとかわされてしまう。 「だれからもらったのかを言えば、返してやる」 「アルヴィースからよ」 アーナルは片方の眉をあげた。 「なぜ、あいつがこれを持っている」 「知らないわ。返してよ」 アーナルはごみを捨てるようにフュルギヤの足元に指輪を投げた。フュルギヤはすぐに指輪を拾い指にはめる。 「ふん、それが婚約指輪か。不快なまねをしてくれる」 アーナルは口を歪めて言い、フュルギヤはぞっとしながらも、なにが不快なのだろうと思った。 「アルヴィースはどこ?」 フュルギヤは、ヴィーナがアルヴィースを見かけたと言っていたことを思いだして聞いた。 「今はアルヴィースではなく、ヴィズルだ。あいつは、戦場に行ったよ。〈光の妖精〉の王の首を持って帰ってきたら会わせてやる」 ヴィズルがアーナルと手を組んだと知り、フュルギヤは蒼ざめた。 「アルヴィースをどうしたの?」 「わたしはなにもしていない。封印が解け、それまで封じ込められていたヴィズルが現れただけだ」 「アルヴィースは、どうなってしまったの?」 今度は、ヴィズルの中で生きているのかという意味で、質問する。 「ヴィズルに聞けばよかろう。おまえはこんな愚かな質問をするために、わたしの貴重な時間をさいたのか」 アーナルはいらだたしげに言った。 「どけっ、そろそろ将軍たちに指示をださねばならん。おまえのくだらん話につきあっている暇はないんだ」 フュルギヤは部屋を出ていこうとしたアーナルに押しのけられ、よろめいた。もう一つ聞きたかったことを思いだし、慌てて言う。 「待って、アルヴィースはわたしの兄なの?」 「なにをばかなことを」 アーナルは驚いて足を止めた。 「アルヴィースはシグムンド王とレギンレイブの息子だ。どうやったら、お前の兄などと思うんだ」 「だって、わたしの兄がアルヴィースの兄だって言ってたみたいだったから。それにアルヴィースによく似ていたし」 銀髪の青年のことを思い出して言う。 「おまえに兄などいない」 アーナルははっきりと言った。 「でも、ヴィーナがギースルっていう王子がいたって」 ギースルと聞いた途端、アーナルの顔色が変わった。 「ふん、ギースルだと。そいつは裏切り者だ。二度とそいつの話はするな」 「さらわれたって聞いたわ」 フュルギヤはどうしてこうも話が違うのだろうと考えた。だれかが嘘をついているのだ。突然、アーナルがフュルギヤの頭をつかみ、フュルギヤは激痛に声をあげた。 「二度とその話をするなと言った。おまえを今ここで殺してもいいのだぞ」 フュルギヤは必死で手を振り解こうとするが、アーナルの手は万力のように絞めつけてくる。頭が割れてしまうとフュルギヤがかすれゆく意識の中で思ったとき、アーナルは手を離した。 「今度わたしに逆らったら、殺してやる」 「だったらいますぐ殺せばいいわ。なぜ殺さないの」 息も絶え絶えになりながら、フュルギヤは言った。 「おまえが〈守る者〉だからだ。だが、いい気になるな。おまえが役に立たないとわかれば、すぐに殺してやる。それまでの命と覚悟しておけ」 「おまえに利用されるもんですか」 フュルギヤは自分に短剣を向けた。 「死にたければ勝手にしろ。だが、それではアルヴィースを助けることはできないぞ」 アーナルは言い捨て部屋を出て行った。 「アルヴィースを助けられるの?」 フュルギヤは今の言葉はどういうことだろうと短剣を下ろした。
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