ラグナレク・6−11

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ラグナレク


第六章 滅びの時・11



 〈最後の戦い〉が始まったというのに、〈闇の妖精〉の王に守られたスルド宮殿とその周辺に滅びの気配はないように見えた。スルド宮殿は平時とかわりなく丘の上から近隣の町を見下ろしている。だが、それ以外の場所は、〈滅びの時〉そのものだった。広大な洞窟の中につくられた《スヴァルトアルフヘイム》は、重なる地震で崩れた天井の岩盤に押しつぶされ、地割れに飲み込まれた。かつて存在した町の面影はなく、生命の気配もどこにもない。
 地震で世界ごと上昇したらしく、《スヴァルトアルフヘイム》の半分が地上に出てしまっていた。天井と壁の岩盤がなくなり、闇の世界にあってはならぬ、赤い雲がたちこめる空が広がっている。そして、その下の中空では神々と巨人が戦っていた。
 ヴィズルは自分の姿を炎の竜に変え、上空へ飛んだ。《スヴァルトアルフヘイム(闇の妖精の世界)》と《アルフヘイム(光の妖精の世界)》がぶつかった地点で、〈闇の妖精〉と〈光の妖精〉が激しい戦いを行っている。《アルフヘイム》軍の後ろには《スヴァルトアルフヘイム(闇の妖精の世界)》と同じように、〈滅びの時〉によって崩壊しつつある《アルフヘイム(光の妖精の世界)》があった。
 ヴィズルはあまり高く飛びすぎて、中空で繰り広げられている神と巨人の戦いに巻き込まれないように気をつけながら、竜の姿のまま空を飛び〈光の妖精〉の王を探した。
 空を飛べる〈光の妖精〉たちが、〈闇の妖精〉と戦わず、だれかを探しているようすのヴィズルを不審に思い「どこへ行く」と詰問する。
 ヴィズルは答えの代わりに咆哮し、炎を吐いた。たちまち、〈光の妖精〉たちは燃え上がり、墜落していく。〈光の妖精〉であるヴィズルが仲間を殺したと知った〈光の妖精〉たちは、ヴィズルを「裏切り者」と叫びながら攻撃してきた。
 ヴィズルは次々と〈光の妖精〉を燃やしていきながら、高らかに笑い声をあげた。〈光の妖精〉を殺せば殺すほど、自分の中に力が湧きあがってくる。彼らを殺すことによって〈光の妖精〉の力が自分の中に吸収されていくのだ。これならば、生き延びるために〈闇の妖精〉になる必要などなかった。これから〈光の妖精〉の王を殺すのだからなおさらだ。
 ヴィズルは哄笑し、〈光の妖精〉の王を殺した後は、〈闇の妖精〉の王も殺してやろうと考えながら、《アルフヘイム》軍の奥深くへと進んで行った。

 


「アルヴィース様、やめてください」
 聞き覚えのある声に、竜の姿をしたヴィズルは振り向いた。銀色の髪をした童顔の風の精が、ヴィズルと同じ高さの宙に浮かんでいる。アルヴィースの中に封印されていた頃、アルヴィースを通して外界を見ていたヴィズルは、それがフィアラルであるとわかった。確か、ギースルの腰ぎんちゃくだ。
「残念だな。アルヴィースはもういない」
 ヴィズルは炎の竜となった自分の体から、新たな炎の竜をつくりフィアラルを襲わせた。竜はフィアラルの前で、鋭い刃物に裂かれたように縦に二つに別れ左右へとそれる。
「ちっ、たいした力もないくせに」
 ヴィズルは悪態をつき、もう一度炎の竜に襲わせた。今度も竜は鋭い風によって切り刻まれたが、竜は分裂しただけだった。すべての炎の断片が竜の姿となり、無数の炎の竜に囲まれたフィアラルは自分の周りに竜巻をつくった。近づこうとする竜はすべて竜巻に巻き込まれ、上空に飛ばされてしまう。
 ヴィズルはたった一人の風の精を倒せずに歯がみしたが、フィアラルも自分の身を守ることしかできず、いらだっていた。このままでは、先に疲れたほうが負けるだろう。そして、力の弱いフィアラルが負けることは目に見えていた。
「やめろ」
 突然、水でつくられた竜がヴィズルを襲った。フィアラルに気をとられていたヴィズルは、苦手な水でできた竜にからみつかれ慌てた。水竜は激しい蒸気を上げ身を削りながら、炎の竜となったヴィズルの火を消していく。ヴィズルは全身の火勢を強めると、一瞬にして水竜を蒸発させた。いつの間にか、短い銀髪の冷たい青い目をした男が、水の精を引き連れ、ヴィズルを囲んでいる。男は水の精のスヴァル王子だった。彼の率いる水の精たちはそれぞれ水竜を従えていた。
「観念しろ」
 スヴァルが手を振ると、水竜がいっせいに襲ってきた。ヴィズルは自分の周囲を炎で囲み、水竜の攻撃から身を守った。
 ヴィズルは咆哮し火勢を強めると、天へ舞い上がった。口を大きくあけ炎を吐き出す。追ってきた水竜たちは一匹になると、水を吐き出した。水は炎にふれた瞬間、激しい音をたてて蒸気となっていく。多数の水の精を相手にしながらもヴィズルが優勢だったが、スヴァル王子が呼び集めたのか、水の精の数はどんどん増え、それに応じて水竜は大きさを増していった。
 いずれ劣勢になると考えたヴィズルはどうにかして水竜を振り切ろうと、できるだけ上空にあがった。襲ってくる水竜のむこうに、白髪混じりの金色の髪と髭をはやした一際身体の大きな男が《アルフヘイム》軍に指示を出しているのが見えた。〈光の妖精〉の王グレールだ。
 ヴィズルは、グレール王を目指して急降下した。すぐさま水竜が追いかけるが、巨大になりすぎた体が災いし、動きが鈍くなっていた。みるみるヴィズルに引き離されてしまう。
 グレール王は炎の竜を見上げ、右手を掲げた。光に包まれた手を一振りすると、巨大な光球が現れ、ヴィズルにぶつかる。ヴィズルは元の姿に戻り、地上に落ちた。
「光を失った《ミッドガルド(人間の世界)》では生きていけまいと思っていたが、まだ生きていたのか。赤子のうちに殺しておくべきだったな」
 グレール王は落ちついた足取りで、倒れたヴィズルのそばにやってきて言った。
「今ごろ悔やんでも遅い」
 ヴィズルは立ちあがり、グレール王を炎で包みこんだ。だが、グレール王は炎の中で平然と立っている。
「無駄だ」
 〈光の妖精〉の王は、全身から鋭い光を放った。それは無数の短剣となり、ヴィズルを襲う。ヴィズルはとっさに剣を抜き短剣を払い落としたが、すべてとはいかなかった。短剣はヴィズルの全身を切り裂き、足や腕にいたっては数本、突き刺さった。
「お得意の魔法は終わりか」
 グレール王はヴィズルに刺さった短剣を抜く暇を与えず光の槍をつくりだし、ヴィズルに投げつけた。ヴィズルは突き刺さった短剣がさらに深く突き刺さるのもかまわず、地面を転がって避けた。グレール王は地面に刺さった槍を抜き、今度は逃げられぬように、倒れているヴィズルの胸の上に片足を乗せた。
「これで終わりだな」
 グレール王が槍を振り上げたとき、ヴィズルは両足で、地面についているほうのグレール王の足を蹴飛ばした。体勢を崩したグレール王は前によろめき、ヴィズルの上に転んだ。光の槍がヴィズルの脇腹をかする。下敷きになったヴィズルは、剣を〈光の妖精〉の王のうなじに突き刺した。切っ先が首から飛び出しグレール王は血を吐いたが、死にかけている者の力とは思えない強さでヴィズルの首をしめる。
 ヴィズルは息苦しさに目をかすませながら、剣を横にないだ。首の半分以上が切れたにもかかわらず、グレール王の手は緩まない。ヴィズルは〈光の妖精〉の王の強靭な生命力に恐怖を感じながら、グレール王の腕を切りつけた。グレール王の片腕は切り離されたが、いまだ王の身体と繋がっているかのようにヴィズルの首を絞め続ける。
「死ぬならば、おまえもろともだ」
 グレール王は血を吐きながらも、混濁した目でヴィズルをにらみつけた。ヴィズルがこのまま殺されてしまうのかとかすれゆく意識の中で思ったとき、グレール王の切られていないほうの手が首からはずれた。グレール王の手に光の剣が現れ、ヴィズルにとどめを刺そうと振り上げられる。ヴィズルも最後の力を振り絞って、剣を横にないだ。〈光の妖精〉の王の首が飛ぶと同時に、グレール王の光の剣がヴィズルの胸を貫いた。
 ヴィズルは倒れたまま、時間の流れが緩やかになったようにグレール王の首がゆっくりと飛ぶさまを見ていたが、これまでの〈光の妖精〉を殺したときと違い、死んだ王の力は身体の中に流れてこんでこなかった。〈光の妖精〉たちが王を死んだことを心で感じ取り、一斉に嘆いた。
「これより、わたしが〈光の妖精〉の王だ」
 高らかに宣言する声がすべての〈光の妖精〉の心に響いた。ヴィズルも例外ではなく、他の〈光の妖精〉たちと同じように、死んだ〈光の妖精〉の王の力が新たな王に注ぎ込まれていくのを感じた。どうやら、〈光の妖精〉の王の力だけは、殺した者ではなく王位を継ぐ者に流れこむらしい。ならば、〈光の妖精〉の王の力が自分の物になるまで、〈光の妖精〉の王の力を引き継いだ者を殺してやるとヴィズルは考えた。
 だが、それは怪我をし、周囲を〈光の妖精〉に囲まれた今ではない。ヴィズルは胸に刺さった剣をひき抜くと、彼の息の根を止めようと寄ってきた〈光の妖精〉たちを燃え上がらせ、〈光の妖精〉の王の首を拾い炎の竜となって上空へと舞い上がった。

 


 突然、ギースルは〈光の妖精〉に姿を変えると、苦痛の声をあげ頭を抱え込んだ。何事かとシグルズが驚くと、アルスィオーヴが蒼ざめた顔で「〈光の妖精〉の王が死んだ」と言った。
「なんということだ。わたしは〈光の妖精〉の王を守ることができなかった」
 ギースルが打ちのめされた声で言う。
「〈光の妖精〉は全滅したのか」
 シグルズがぎょっとして聞く。
「ばかなことを言うな」
 ギースルは八つ当たり気味にシグルズに怒鳴った。
「シグルズ、妖精の血をひく者は自分たちの王を失ったことはどこにいてもわかるけど、全滅したことまではわかんねぇよ。でも、次の王には第一王子のグルトップがなったから、まだ滅んでないと思うぜ」
 アルスィオーヴが冷静に言う。
「わたしにはなにも感じ取れない」
 困惑したようすでシグルズが言い、アルスィオーヴが「あんたは〈光の妖精〉の血が薄まりすぎてるんだよ」と教える。
「急ごう」
 ギースルは思いつめた顔で言った。
「一刻も早く〈闇の妖精〉の王を倒さねば、〈光の妖精〉が滅んでしまう」

 


「〈光の妖精〉を殺して力が増すのなら、〈闇の妖精〉を殺せばどうなる?」
 ヴィズルは《スヴァルトアルフヘイム》のスルド宮殿に戻るなり、庭先で彼を出迎えた〈闇の妖精〉を殺した。〈光の妖精〉を殺したときのように昂揚感はないが、力は増した。
「ふっ、殺せば殺すほど、力が増してゆくのか」
 ヴィズルは宮殿の前庭に立ち、盛大にスルド宮殿を燃やしてしまおうと巨大な炎の竜を作り出した。途端に、銀色の光が竜を粉々にする。
「尻尾を巻いて逃げ帰ってきたかと思えば、今度はわたしに刃向かおうというのか」
 アーナルが側近を連れて、宮殿の扉から現れる。
「〈光の妖精〉の王より、わたしのほうが倒しやすいなどと思うなよ」
「戦場にも出ずに宮殿にこそこそと隠れているおまえに、偉そうに言われる筋合いはないな」
 ヴィズルは、手に持っていた〈光の妖精〉の王の首をかざして見せた。アーナルはにやりとする。
「少しは役に立ったようだな。だが、そのようすでは苦戦したようだ」
 アーナルは、全身いたるところに傷を負っているヴィズルを見て言った。特に胸の傷はひどいようだ。あれではそう長くは生きられまい。
「薬とフュルギヤをもらおうか」
 ヴィズルは挑むような笑みを浮かべて言った。
「フュルギヤをやるなどと言った覚えはないな」
 アーナルがすました顔で答える。
「死にたくなければ、思い出すんだな。おまえはわたしと結婚させたいと言っていただろう。そして、わたしは次の王になる。いや、おまえが殺してから結婚してもいいな」
「ふん、思いあがるな」
「やはり死にたいか」
 ヴィズルは〈光の妖精〉の王の頭を宙に投げると、剣で真っ二つにした。中から光球が現れ、小さな太陽のように地底の世界を照らだす。たちまち〈闇の妖精〉の側近たちが黒焦げになった。
「ち、逃がしたか」
 視界を失うほどの光がおさまったとき、アーナルの姿はなかった。ヴィズルは宮殿の中に逃げたのだろうと見当をつけ、後を追った。





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