ラグナレク・6−12

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ラグナレク


第六章 滅びの時・12



 急に窓が黒くなり、外の光景が見えなくなった。フュルギヤの部屋で、いかに《スヴァルトアルフヘイム》がすばらしいところかを、憂鬱な顔をしたフュルギヤに話していたヴィーナの顔が蒼ざめる。
「どうしたの?」
 フュルギヤは、なにがあったのかわからずに聞いた。
「地底に太陽の光が現れたので、窓が光を通さぬように黒くなったのです。〈光の妖精〉がここまで攻めてきたのでしょうか。でも、この宮殿はアーナル様が守ってくださるから大丈夫ですわね」
 ヴィーナがうわずった声で言う。
「〈光の妖精〉が」
 フュルギヤは短剣を身につけ、これからどうしようかと部屋の中を歩き回った。どんなにヴィーナがアーナルをよい王だと言っても、やはりアーナルは倒さねばならない存在だと思うが、善良な〈闇の妖精〉まで殺されていいとは思わなかった。それに〈光の妖精〉は、〈闇の妖精〉の血をひくフュルギヤを敵だと思うだろう。ここは〈闇の妖精〉を守るために、〈光の妖精〉と戦ったほうがいいのだろうか。
 そのとき、光が収まり窓が元通り透明になった。庭先の光景が目に入る。
「ヴィズルだわ」
 ヴィズルは宮殿の中へ入っていった。彼はもう〈光の妖精〉の王を殺してしまったのだろうか。フュルギヤは彼に会おうと部屋を飛び出した。

 


「厄介だな」
 ヴィズルは薄暗い宮殿の扉を開き、立ち止まった。宮殿にあるすべてのろうそくが消され、明かりがまったくない。〈光の妖精〉の血をひく彼は、完全な闇を不快に感じた。
 死んだ〈光の妖精〉の王から現れた光球は、〈闇の妖精〉の王のアーナルには痛手を与えたが、〈光の妖精〉のヴィズルには回復をもたらしていた。致命的だった胸の傷の出血が止まり、痛みもわずかではあるが和らいでいた。だが、〈光の妖精〉に害のある闇の中に入れば、また傷口が開いてしまうだろう。それにうかつに闇の中に入って閉じ込められれば、それだけで死んでしまう。
「剣から身を守れるなどと言っておいて、少しも役に立たぬ代物だな」
 ヴィズルは銀のペンダントに触れて言った。黒小人がつくったペンダントは、妖精たちの攻撃から一度もヴィズルを守ろうとしなかった。魔法ばかりか魔法で作り出した剣にも、効力を発揮しないとエイキンスキアルディが言っていたことを思い出す。
 ヴィズルはしばし躊躇ってから、宮殿へ足を踏み入れた。〈闇の妖精〉の王を倒すには、光を浴び力が弱っている今しかない。どうしても、この期を逃すわけにはいかなかった。

 


 気がせいていたフュルギヤは燭台を持っていくことも忘れ、真っ暗な廊下に出た。廊下の光はすべて消されていたが、〈闇の妖精〉の血をひくフュルギヤには、目が慣れてくるにつれ、ぼんやりと見えてくる。
「姫様、どこに行かれるのです」
 ヴィーナが困ったようすでついてこようとするが、フュルギヤはおとなしく部屋の中にいるように命じた。これからおこるかもしれない戦いに、巻き込まれて死んでほしくない。
 廊下の先にある階段の下に、赤々と燃える鬼火があった。ヴィズルの姿がその光に照らされている。フュルギヤが驚いたことに、彼は全身傷だらけで血にまみれていた。まだ戦う意欲は衰えていないようだが、すぐ近くにいるフュルギヤの気配を感じ取れないほど、力が衰えているようだ。
「アーナル、出て来い」
 彼は叫んだが、宮殿にはだれもいないかのように静まり返っている。宮殿にいる〈闇の妖精〉たちは、息をひそめてどこかに隠れているのだろうかとフュルギヤは考えた。
「だれもいないのか、それとも隠れているのか。ならば探し出して殺してやる」
 ヴィズルはいらだたしげに叫び、階段を登ろうとした。
「だめよ」
 二階の踊り場にいたフュルギヤはヴィズルによくわかるように、自分の身体を輝かせ、叫んだ。ヴィズルがなんだおまえかという目で見る。
「アーナルのやつ、娘を差し出して自分は逃げたか。フュルギヤ姫、迎えにきたぞ。すぐに結婚式をあげよう」
「いやよ。あなたなんかと結婚しないわ」
「いや、することになるさ。力づくでも従わせる」
「死んだって、絶対にしないわ」
 そのとき、階段の上から「姫様、大丈夫ですか」と声がした。ヴィーナがフュルギヤを心配して部屋から出てきてしまったのだ。
「きてはだめ」
 フュルギヤが叫ぶと同時に、ヴィズルはヴィーナを炎で襲った。フュルギヤは反射的にヴィーナの前に銀光の障壁をつくり、炎をさえぎった。ヴィーナが仰天して腰をぬかさんばかりになる。
「早く逃げなさい」
 フュルギヤが叫ぶと、ヴィーナはよつんばいになって部屋へと戻っていった。
「珍しく魔法らしい魔法を使ったな」
 ヴィズルが驚いて言う。フュルギヤははっとした。今の魔法はなにも考えずに行ったものだった。魔法を選んだり使い方を考えたりする時間などなかったのに、ちゃんと魔法は働いた。いや魔法は魔道とは違い、なにも考えないほうが力を発揮するものなのだろう。
「やっとわかった」
 だからアルヴィースは魔道を習ったことをすべて忘れろと言っていたんだと、いまさらながらに気づく。理屈の多い魔道の考え方は、心のままに使う魔法の妨げになってしまう。今までなぜこんなことがわからなかったのだろうと、フュルギヤは思った。魔法を使うのは、だれかから教わりようがないほど簡単なことだったのだ。
「ならば、これはどうだ」
 ヴィズルはフュルギヤに向かって火竜を放った。フュルギヤは銀色の光の網で、火竜を覆った。火竜は銀色の網の中で暴れたが、網は動けば動くほど火竜にからみつく。
「ほう」
 ヴィズルは意外な手応えに感嘆の声を洩らした。
「〈守る者〉と呼ばれるだけのことはあるようだ。しかしこれでは倒すことはできないぞ」
 ヴィズルが念じると火竜は一回り大きくなり、銀色の網を引き千切った。フュルギヤはすぐさま嘴の鋭い銀色の巨鳥をつくりだし、火竜を襲わせた。
 竜と巨鳥がところせましと暴れまわる。階段の手すりが壊れ、天井につるされていたシャンデリアが落ちた。壁には穴があき、天井はひび割れ、柱が折れる。
 これでは宮殿が崩れてしまうと考えたフュルギヤは、銀色の鳥を無数の短剣に変え、火竜ではなくヴィズルを襲った。
 はからずも、〈光の妖精〉の王が使った手と同じだった。ヴィズルはあのときの二の舞は踏むまいと火竜を爆発させ、短剣を吹き飛ばした。爆発を逃れた二本の短剣がヴィズルの頬をかすめ、肩に突き刺さる。
「よくもやってくれたな」
 ヴィズルの身体が炎に包まれた。それはどんどん大きくなっていく。フュルギヤは銀色の光でヴィズルを包み込み、炎を広げまいと押し返した。二人は全力で力をぶつけあった。不安定な均衡が生じ、どちらが優勢になることもなく膠着状態に陥った。

 


「あっれぇ、滅びちまったのか。どおりで近くにきてるのに〈闇の妖精〉に襲われないと思ったよ」
 瓦礫の下に埋もれてしまった《スヴァルトアルフヘイム》を見て、アルスィオーヴが言った。かつてそこに〈闇の妖精〉が住む町があった痕跡は、なにも残っていない。
「いやまだだ。宮殿でフュルギヤとヴィズルが戦っている」
 ギースルは遠くに見える宮殿を指差して言った。宮殿とその周囲の町は海の中に浮かぶ小島のように崩壊した世界の中に残っていた。その辺りだけはまだ洞窟の天井が崩れず、空から降り注ぐ赤い光が届いていない。宮殿は闇の中で内側から赤い光と銀色の光を放っていた。
「急ごう」
 シグルズは宮殿の方へ走りだし、アルスィオーヴもついて行こうとして足を止めた。
「こいよ、ギースル」
 動こうとしないギースルに向かって言う。
「〈闇の妖精〉の王はそちらにはいない」
 ギースルは宮殿とは逆の方向を見て言った。
「一刻も早く〈闇の妖精〉の王を倒さねば、〈光の妖精〉が滅んでしまう。ヴィズルはおまえたちに任せる」
「なにっ、一人で〈闇の妖精〉の王と戦うつもりかよ」
 ギースルは固い決意をこめてうなずき、宮殿とは逆の方向へ走っていった。二人がこないことに気づいたシグルズが「なにをしている」と遠くから叫ぶ。アルスィオーヴはギースルの行った方角を一瞥し、シグルズのほうへ走り出した。

 


 ギースルは迷いもなく、以前は町の向こうに存在していた地底の草原を目指していた。
 かつては光を放つ色とりどりのきのこや草があり、天井に生えた苔が柔らかな光を放っていた草原は、大きな岩が散乱する瓦礫の山となっていた。
 ギースルは幼い頃、アーナルに連れられてよくここに遊びに来ていた。ギースルのお気に入りだった大きな木や、座ると粉を出す椅子にちょうどいい大きさの白いきのこは、荒れ果てた草原に残ってはいなかった。あの頃の思いやりのあるやさしい父親とともに、すべてが思い出の中にしか残っていない。
 草原を見渡せるだけの高さがある大きな岩の上に、人影があった。〈闇の妖精〉のギースルは、それがアーナルであることを知っていた。
「戦場に行かずに、おまえがくるのを待っていたぞ」
 ギースルと同じ追憶にひたっていたのか、アーナルは振り向きもせずに言う。
「このようすでは《スヴァルトアルフヘイム》も終わりだな」
 ギースルは冷やかに言った。
「ばかを言うな。ここの住人はほとんどが、別の場所に避難している。もっとも、避難した場所がここより安全とは言いがたいが、だれかが生き残るだろう」
「兵士を少しは残しておくべきだったな」
「〈光の妖精〉の王に媚びへつらう裏切り者よ、わたしを殺すつもりか。いいことを教えてやろう。〈光の妖精〉の王を殺したのは、アルヴィースだ。いやヴィズルというべきだな。父を見捨ててまでつくした大事な王をおまえの弟が殺したんだ。じきに〈光の妖精〉は滅びるだろう。わたしが戦に出る必要もない」
 ギースルは剣で刺されたような顔をし、アーナルは笑みを浮かべる。
「わたしの僕となったおまえの弟も、今、宮殿でフュルギヤに殺されようとしている。おまえはフュルギヤを知っているか。おまえの妹で〈守る者〉だ。そして、こともあろうにアルヴィースのことを愛しているのだよ」
「わたしをうらんでいるのなら、アルヴィースをわたしに殺させるように仕向ければよかったろう。なぜ、フュルギヤまで巻き込んだ」
 ギースルは苦痛に満ちた声で言った。
「おまえのようにフュルギヤもわたしを裏切るかもしれん。だから、その前にいたぶり殺してやるのさ。それに、おまえの苦しみも増すだろう。すべてはおまえのせいだ。アルヴィースが〈滅ぼす者〉になったことも、〈光の妖精〉の王が死んだことも、そして、フュルギヤがアルヴィースを殺さねばならなくなったことも。フュルギヤはアルヴィースを殺したあと、生きてはいまい」
「父上、母のことをお忘れか。母が生きていたらどんなに悲しむことか」
 やさしかった頃の父親に戻ってくれはしないかと願いを込めて、ギースルが言う。
「他の男に心を移して子を産むような女がどうした。あの女に少しでも慎みがあれば、〈滅ぼす者〉が生まれることはなかった」
「母は、ほんとうに父上のことを愛していた。あなたと引き離されたとき、母も気が狂わんばかりになっていた」
「黙れ、あの女のことなど聞きたくもない」
 アーナルは叫んだ。
「父上、確かにわたしは間違っていた。引き離されたとき、わたしは母についていたほうがいいと思ったが、本当はあなたについていき、〈光の妖精〉への憎しみを和らげさせるべきだった」
 ギースルはいったん口を閉ざし、剣を抜いた。
「いまさら悔やんでも取り返しはできない。もはや、わたしはあなたを殺すしかない」
「見捨てたあげくに、わたしを殺すか」
 アーナルが悲痛な声で言い、ギースルは剣を下げた。
「父上」
「おまえなど、わたしの息子ではない」
 アーナルは切りかかった。





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