ラグナレク・6−13

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ラグナレク


第六章 滅びの時・13



「うわぁ、びっくりした」
 アルスィオーヴは、黒い宮殿の前に黒い竜がいるのを見て驚いた。どちらも黒いため近くにくるまで、竜がいることに気づかなかったのだ。
 長い首にずんぐりした胴の竜は、魔法の産物ではなく、硬いうろこを持つ本物の竜だった。洞窟の天井にできた大きな穴から入ってきたのだろう。頭をあげ口を大きく開いて、侵入者に向かって威嚇する。背に生えた小さな羽をばたつかせ、後ろ足で立ちあがった。
「アルスィ、先に行け」
 シグルズは叫ぶなり、黒竜に切りかかった。アルスィオーヴは「ええっ、おれがヴィズルと戦うのかよ」と叫んだもののシグルズのかわりに竜と戦うわけにもいかない。アルスィオーヴはしかたなく黒竜の気をシグルズがひいているうちに、竜の長い尾を身軽に避けながら宮殿の中に入っていく。

 


 宮殿に入ると、フュルギヤとヴィズルが魔法で戦っていた。赤と銀の光が二人の中間で激しくぶつかっている。
 フュルギヤもヴィズルも意識を集中させるあまり、アルスィオーヴがやってきたことに気づいていなかった。アルスィオーヴは剣を抜き、足を忍ばせてヴィズルの背後にくると、ヴィズルを殺すしかないのかと躊躇った。
「おれが一番いやな役回りじゃねぇか」
 口の中でぼやき覚悟を決めると、剣を突き出す。
「だめっ」
 フュルギヤがアルスィオーヴに気づいて叫んだ。ヴィズルはすばやく横に退き切っ先を避けると、アルスィオーヴの剣を持ったほうの腕をつかんだ。
「おまえから先に殺してほしいらしいな」
 ヴィズルはにやりとして、あいているほうの手をアルスィオーヴの顔に向けた。指先で炎が燃えている。
「うわぁ、お姫さん、助けてくれ」
「やめてっ」
 フュルギヤが光の矢をはなった。ヴィズルはアルスィオーヴから手を離し、矢をよけると、フュルギヤを燃え上がらせた。フュルギヤはとっさに自分の周囲に銀光の障壁をつくり身を守る。
 アルスィオーヴは再びヴィズルに切りつけたが、かわされてしまった。途端にフュルギヤを攻撃していた炎が消える。
「ええい、こざかしい」
 魔法に集中することができず、ヴィズルはアルスィオーヴをにらみつけた。今度はアルスィオーヴに向かって炎を放とうとしたとき、階段を駆け下りてきたフュルギヤがヴィズルの腕にしがみついた。
「やめてっ。もうやめて」
「邪魔をするな」
 ヴィズルは怒鳴りフュルギヤを振り払った。フュルギヤは床に倒れたが、すぐに起きあがって腕にしがみつく。フュルギヤに腕の傷を強くつかまれ、ヴィズルは激痛に顔をしかめた。
「お姫さん、どいてくれ」
 アルスィオーヴが剣を構えて言う。
「だめよ」
 フュルギヤはヴィズルの前に立ち塞がり、アルスィオーヴからかばった。
「そんなことをしてたら、二人とも殺されちまう」
 フュルギヤの背後で、ヴィズルはアルスィオーヴに火球を投げつけようとした。
「だめ」
 火球の熱気でフュルギヤはヴィズルが攻撃しようとしていることに気づき、またしても、アルヴィースの腕にしがみついた。火球は狙いを外れ、階段を燃え上がらせた。
「うるさい女だな」
 ヴィズルはフュルギヤの首に手をかけると、彼女の背後にまわった。剣を構えていたアルスィオーヴが、フュルギヤを人質にされ、剣を下げる。
「これで邪魔されずに殺せる」
 ヴィズルはにやりとした。前に差し出した彼の手の平に火球が現れる。
「お姫さん、殺してくれっ」
 アルスィオーヴが必死で叫ぶ。
 フュルギヤは目を閉じた。一撃で命を奪う短剣を抜き、後ろにいるヴィズルを突き刺す。
 ヴィズルのかけていた銀のペンダントが持ち主を守ろうと光り、短剣の魔力とぶつかった。白い閃光を放つ爆発がおきる。
 フュルギヤは吹き飛ばされた瞬間、人型をした赤い炎とその後ろに鎖に繋がれたアルヴィースを見た。アルヴィースは手枷をはめられているばかりか、目隠しをされ猿轡まではめられている。

 


「お姫さん、お姫さん」
 フュルギヤは、アルスィオーヴに頬を叩かれて意識を取り戻した。
「よかった。死んでんのかと思ったよ」
「ヴィズルは?」
「わかんねぇ」
 ヴィズルはうつぶせに倒れ、身動きもしなかった。アルスィオーヴが剣を持って近づくと、ヴィズルの手がわずかに動く。
「まだ生きてる」
 アルスィオーヴは剣を構えた。
「待って、アルヴィースを助けられるかもしれない」
 フュルギヤはヴィズルに駆け寄って言った。
「お姫さん、そんなこと言ってる間に、みんな殺されちまう。いい加減、あきらめなきゃだめなんだ」
「本当に助けられるかもしれないのよ。これでだめだったら、もう絶対に邪魔をしないから」
 アルスィオーヴはため息をついて剣を下げた。
「そりゃ、おれだってアルヴィースを助けたいよ。お姫さんはどうするつもりなんだい?」
「アルヴィースはヴィズルの意識の中に閉じ込められているの。わたしが助けにいってくるわ」
「いったいどうやって」
「アルヴィースがわたしの心の中に入ってきたときみたいにすればいいと思う。やってみる」
「それ、ものすごく危険だってアルヴィースが言ってたけど」
「それでもやらなきゃ」
 フュルギヤはアルスィオーヴに「見張っててて」と言うと、いきなり、ヴィズルの上に崩折れた。

 


 まるで、火の入った窯の中に飛び込んだように、熱かった。フュルギヤは自分が炎に囲まれていることに気づいて、慌てて自分のまわりに銀光の障壁を作った。フュルギヤを燃やそうとした炎が光の壁にぶつかり、はね返る。ここには、生き物のように燃え盛る炎しかなかった。フュルギヤは自分の心を探索したときと、あまりに違い戸惑った。あのときは心の奥へと導く道があったが、ここには道どころか空も大地もない。あるのは、混沌とした炎の世界だけだ。息を吸うたびに熱気が喉を焼き、肺を熱する。炎は光の障壁で防げても、熱気までは防げなかった。長くここにいれば、死んでしまうだろう。フュルギヤは急いで火の世界を飛びまわり、アルヴィースの姿を探したが、見つからなかった。
 早くしないと、ヴィズルが意識を取り戻してしまう。こんなところで、ヴィズルと戦うはめになれば、フュルギヤに勝ち目がないことはわかっていた。ヴィズルが自分の心である炎の世界の火勢を少し強めるだけで、フュルギヤを守る銀色の光の障壁は壊れ、たちまち焼け死んでしまうだろう。
 あちこちさ迷っていたフュルギヤは火勢が強くなる方向と、弱くなる方向があることに気づいた。たぶん、心の奥にいくにつれて、火が強くなのだろう。
 アルヴィースが閉じ込められているのは、もっとも奥深いところに違いない。フュルギヤは思いきって、燃え盛る炎の中へ飛んで行った。

 


 矢のように炎の中を飛んでいたフュルギヤは、炎でできた障壁にぶつかり跳ね飛ばされた。
この中になにかあるようだ。フュルギヤがもう一度体当たりをすると障壁は破れ、炎のない空間にでた。フュルギヤは勢いあまって、空間の中央にある鉄格子にぶつかった。
「いったぁ」
 フュルギヤは顔を押えて屈み込む。ここには地面があり、牢があった。光がまったくなく、フュルギヤは自分の身体を輝かせて、辺りを照らした。アルヴィースが牢の中で、両手を上にあげ床に座っている。手には天井から下げられた鎖の先につけられた枷がはまっている。彼は目隠しと猿轡をされた顔をあげ、今フュルギヤがたてた音が、なんなのか考えているようだ。
「今、助けるわ」
 フュルギヤは格子をあけようとしたが、鍵がかかっていた。魔法を使って鍵を壊し、アルヴィースの目隠しを取る。彼はフュルギヤを見て目を丸くし、なにか言おうとしたが、猿轡がはめられているため口がきけなかった。
「ちょっと待って、すぐにはずすから」
 猿轡がはずれると、彼は大きく息を吐いた。
「姫、どうしてここに」
 驚いたようすで言う。
「あなたのまねをして、心の中に入ったの」
 フュルギヤは手枷をはずそうとしたが、こちらのほうは錠前がついていて、鍵がなければ無理だった。
「きみは、なんて無茶苦茶なんだ。なにもわからないくせに心の中に飛び込んで、わたしがヴィズルかアルヴィースか確認もしないで助けるなんて」
 アルヴィースに言われ、魔法で錠前をはずそうとしていたフュルギヤは手を止めた。
「アルヴィースでしょ」
と聞く。
「言われてから、聞くな。ヴィズルがわたしに化けていたらどうするんだ。正直に答えると思うか」
 アルヴィースはあきれて言い、フュルギヤは確信を持って「あなたはアルヴィースよ」と言った。
「目をみればわかるもの。ヴィズルのはもっといやな感じよ」
 教えている生徒が正しい答えを出したように、アルヴィースは満足げな笑みを浮かべた。
「少しは学んだようだな」
「もう、こんなところで、師匠づらしないで」
 フュルギヤが魔法で錠前を壊すと、アルヴィースは自由になった腕をさすった。
「今度ばかりはきみに感謝しなくてはな。礼を言うよ」
「いったい、なにがあったの?」
「火の神が、わたしの封印を解いてしまったんだ。ヴィズルが解き放たれ、今度はわたしが封じ込められた」
「生きていてよかった」
 フュルギヤはアルヴィースに抱きついて言った。
「さぁ、きみは早くここから出るんだ。いやもう遅いな」
 アルヴィースはフュルギヤを引き離し、立ちあがった。視線の先に人の姿をした赤い炎が立っている。
「気を失っている間に、こしゃくなまねを」
 赤い炎は、アルヴィースの後ろにいるフュルギヤをにらみつけた。
「力が弱まっているようだな、ヴィズル。先は長くなさそうだ」
 アルヴィースはヴィズルを見据えて言った。
「それはおまえも同じだ。同じ身体を使っているのだからな。早くそいつを殺し、力を吸収しなければ死んでしまうぞ」
 ヴィズルがフュルギヤを指差して言う。
「そうまでして生き延びたいか」
 アルヴィースは一歩前へ出た。
「わたしと戦う気か。わたしが死ぬばおまえも死ぬ。だから、わたしはおまえを殺さなかったのだぞ」
「殺せなかったの間違いだろう。わたしは魔道と魔法が使えるが、おまえは魔法しか使えない」
「だが、わたしのほうが力がある」
 ヴィズルは自らの姿を炎の竜に変えた。
「魔力を貸してくれ」
 アルヴィースはフュルギヤのほうへ手を差し出し、フュルギヤは彼の手を握って魔力がアルヴィースへ流れていくように念じた。
 ヴィズルが炎を吐き出し、アルヴィースはフュルギヤを後ろへ突き飛ばした。炎はアルヴィースを包み込んだが、アルヴィースは無傷だった。
「火の精のわたしに、炎の攻撃がきくと?」
 アルヴィースは言い、ヴィズルは人の形に戻った。燃え上がる炎でできた剣をにぎり、アルヴィースに切りかかる。アルヴィースは呪文を唱え、炎でできたヴィズルを切り裂いた。炎は分裂し、すぐにまたヴィズルの姿に戻る。ヴィズルの炎の剣がアルヴィースの胸をつき、フュルギヤは悲鳴をあげた。だが、アルヴィースはよろめきもせずに立っていた。炎の剣は炎の精である彼を傷つけることができないのだ。
 アルヴィースも剣を抜き、ヴィズルの首を切った。剣はなんの手応えもなく、炎でできたヴィズルを通り抜ける。
「お互いに殺すことができないようだな」
 ヴィズルが忌々しげに言う。
「そうでもない」
 アルヴィースは剣を収めると、目を閉じ呪文を唱えた。なにも起きていないように見えるが、ヴィズルはうろたえた。
「おまえはなにをした?」
 アルヴィースに向かって叫ぶ。フュルギヤは寒さにぞくりとして、それまで熱かった世界が、冬のように寒くなっていることに気づいた。温度は急速に下がっていき、地面に霜が現れる。
「お互い苦手なことさ」
 アルヴィースは地面に腰を下ろし、フュルギヤが彼の背中にしがみついた。氷がいたるところにでき、どんどん大きくなっていく。
「やめろ。おまえも死ぬつもりか」
 ヴィズルは周囲を氷に囲まれて叫んだ。炎で氷を解かしていくが、氷ができるほうが速かった。ヴィズルの炎がみるみる弱まっていく。
「やめて。あなたも死んでしまうわ」
 フュルギヤはアルヴィースががっくりと頭を垂れたのを見て驚き、彼を揺すった。さきほどまでは熱いくらいだった彼の体温が氷のように冷たくなっていく。
「いやまだだ」
 アルヴィースは弱々しい声で言った。
「やめさせろ、フュルギヤ。炎の精が凍りついたら、死んでしまう」
 ヴィズルはアルヴィースに走りより、彼の首に手をかけた。
「いますぐ温度をあげろ」
「わたしを殺しても、温度は下がり続ける」
 アルヴィースは言い、ヴィズルは悪態をついてアルヴィースから手を離し、フュルギヤにつかみかかろうとした。フュルギヤは銀色の光球で、ヴィズルを吹き飛ばした。ヴィズルは氷の山にぶつかり、崩れた氷の下敷きになる。
「魔法を使いこなせるようになったんだな」
 アルヴィースが今頃気づいて言う。
「ねぇ、ほんとうにあなた死んじゃうわ。もうやめて」
 フュルギヤは冷たくなったアルヴィースの身体を少しでも温めようと、しっかりと抱き締めた。
「まだだめだ」
 氷の中から起きあがったヴィズルを見て言う。心なしかヴィズルの身体が一回り小さくなったようだ。それから、アルヴィースはフュルギヤにむかって「きみは暖かいな」と呟いた。フュルギヤは光で暖を取れるのではないかと思いつき、全身を発光させた。世界が明るくなったが、月の光では太陽の光のようにアルヴィースを温めることはできなかった。アルヴィースの顔や髪に霜がつきはじめ、フュルギヤは泣きながら、アルヴィースの身体をこすった。フュルギヤ自身、凍えはじめていた。
 ヴィズルは小さな炎になっていたが、まだ生きていた。氷の世界を闇雲に飛びまわっている。
 やがて、アルヴィースは眠ってしまったようだった。フュルギヤも睡魔に襲われながら、アルヴィースと一緒ならこのまま死んでもいいかなと考えていると、ろうそくの火ほど小さくなったヴィズルがそばに飛んできて、「やめろ、やめろ」と小さな声で叫びはじめた。
 フュルギヤが凍える手で炎を払うと、ヴィズルは虫のように氷の地面に落ちた。フュルギヤはすばやく氷の塊を拾い、ヴィズルを押しつぶした。氷は音をたてて解け、ヴィズルの炎も消える。フュルギヤはどこにも炎が残っていないことを確認してから、アルヴィースを揺すった。
「起きて。ヴィズルは死んだわ。早く温度をあげて」
 それでもアルヴィースの意識は戻らず、フュルギヤは彼の頬を叩いた。
「起きてったら。もうヴィズルは死んだのよ」
 彼の唇がかすかに動いた。氷が解け始めフュルギヤは安堵した。





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